生まれ育った山口県熊毛の山深い町を離れ、就職のため広島へ移り住んだ曽我さん。
有給休暇消化のために新幹線、かもめを乗り継ぎ、友人との2人旅で長崎駅に降り立ったのが2000年の2月。
長崎はまさに「長崎ランタンフェスティバル」真っただ中。
街は約1万2000個のランタンの灯り一色だった。
曽我さん「長崎駅に降り立った時、ここは日本じゃない!って思ったんです。
ランタンフェスティバル期間中だったというだけじゃなく、空気がもう違って感じたんですよね。
それに山の上まで家がある風景がとっても印象的でした。」
曽我さんはこの幻想的な灯りの祭典期間だということを知らずに偶然訪れ、観光地はというとグラバー園しか訪れず帰宅。
それで帰宅2日後には長崎に移り住むこと、つまり移住を決意。
1週間後には住むアパートを決めたのだとか。
いやはやこの行動力には驚かされる。
曽我さん「友達も海外に移り住んだりしてるので、自分としても以前からどこか別の土地へ移り住むという願望はあったように思いますね。
それで長崎に来て「ここだぁ!」と直感したんです。
それにはじめ来た時の長崎の人の親しみやすい人柄に一番惹かれたように思います。
何せどこを歩いても入り組んでてわからないので10m進んでは人に聞き、また10m進んでは聞きって感じでしたから(笑)。
そう言えば、長崎に来た初日、アパートに向かってたら道を間違えて2、3時間も歩きっぱなしで夕方になっちゃったんです。
全くわからなくてバイクに乗ったおじさんに訪ねたら近所まで荷物と私を乗せて送ってくれたんですよ。
これって、むちゃくちゃ親切でしょ〜。」
住居を決め移り住んでからの仕事探し、さぞかし大変だったに違いない!
曽我さん「人に接する仕事に就きたいということだけを心に決めて、毎日ひたすら仕事探しの日々でしたね。
でもなかなかみつからず、1ヶ月かかってオープン間近の「いざかや はなまる」に勤めることになりました。」
オープン当初から働いているので、今は一番の古株。
仕事している姿は機敏で熱心。
店内のどこにいても数秒ごとにお客さまの方へ目を配る、接客業の鏡といった働きぶりだ。
曽我さん「以前はお昼にコンビニでもバイトしてたんです。
コンビニって結構同じ人が来るから親しくなるんですよね。
今ではお店で知り合った人を含め、友達もたくさんできました。
長崎弁も聞くのは大丈夫ですよ。
話すのは時々イントネーションが違うって友達に言われますけどね(笑)。
長崎で「よか」というのは、YesにもNoにも使いますよね。
それが微妙にイントネーションが違うらしいんです。」
最後にこれから長崎に住む方へのアドバイスを。
曽我さん「住むには下界がいいよ!ってことですかね。
山の上まで家がある風景に憧れていたんで、はじめ高台に住んでたんですけど、何せ土地勘がないし長崎の道は入り組んでるから道がわからないんですよ〜。
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それからわからなかったら人に聞くということですね。
その辺のお店の人でも通りすがりの人でも、話し掛けたら必ず話してくれるんですよ。
それに長崎はタクシーの運転手さんがよくしゃべりますよねぇ〜。
はじめは方言が全然わからなかったですけど。
だからタクシーに乗ったら運転手さんと話すと長崎弁の勉強になると思いますよ。」
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現在、自動車学校に通っている曽我さん。
免許を取ったら車で長崎のいろんな所に行きたいそうだ。
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