私は長崎大学で経済の勉強をしているポーランド人です。
長崎だけでなく、日本に来たのは初めてです。
長崎は日本に来る前に、勉強し、想像してきた日本のイメージを実物と突きあわせてしまった現場です。
つまり私が最初に出会った日本はこの長崎なのです。
去年十月、私が長崎に来てわずか四日後に、「長崎くんち」が始まりました。
この出来事は、非常に強烈な思い出で、私の長崎の第一印象ともいえます。
踊町のパフォーマンスは色彩に富み、綺麗に飾った恵比須船や川船は踊りのような動きをし、その中にいる子供たちが楽器を演奏したり、まるで現実の魚を取ろうとするかのように外に網を打ったりします。
やはり長崎は大昔から漁業が盛んだったにちがいありません。
新橋町で披露される、まるでヨーロッパのストリートパフォーマンスみたいなオランダ万才のダンスは、長崎の国際的雰囲気を思い出させます。
長崎は鎖国の間も外国と交流し、貿易によって利益を得て、さらに自分の伝統をちゃんと守りながら、ずっと経済的、文化的な国際関係を続けてきました。
江戸時代、出島貿易によって、オランダ商人が特別のステータスを持つようになったと同じように、長崎は長い間外国の影響を受けることによって、現在も特別なステータスを持つといえます。
四月下旬に行なわれる「長崎帆船まつり」も昔の長崎の雰囲気を感じさせます。
港では、昔と同じく好奇心の強い日本人が、外国の船員にいろいろな質問をしたり、英語の会話を熱心に練習したりします。
長崎の港は緑色の山に囲まれています。
この美しい背景は堂々たる帆船とマッチし、長崎のまちに一番似合う風景です。
「帆船まつり」の時だけでなく、長崎港の景色はいつもすばらしいです。
昼も夜も美しいこの景色をゆっくりと楽しむためには、港の喫茶店やレストランが一番です。
私も時々、港湾の近くにある「夢彩都」で、家族や自分の人生のことを考えたりします。
新しい年が始まると、特に外国人の仲間の間では、中国風の「長崎ランタンフェスティバル」が話題の中心となります。
二週間ぐらいの間、様々な色や形のランタン(中国灯籠)が商店街や中華街いっぱいに輝きます。
長崎は世界に平和を伝える町として知られていますので、私は初めてこのたくさんのランタンを見た時、ひとつひとつの灯りが2001年9月11日の、アメリカ同時多発テロで亡くなった人々の霊魂のために輝いているように感じられました。
長崎にはポーランドのカトリックの聖人、マクシミリアン・マリア・コルベ神父と関係がある場所があります。
聖マクシミリアン・マリア・コルベは1930年、本河内町に修道院を建て、「聖母の騎士」という月刊誌を発行しました。
その修道院へ行くためには坂を登らなければなりません。穏やかな場所で自然の美しさがあります。
そこから下りたら、新大工町の商店街の魅力的な雰囲気を味わえます。和服を身につけたおばあちゃんが笑顔でお互いに挨拶したり、世間話をしたりします。
確かに人々はゆっくり生活しており、とても親切です。
新大工町から少し上ると、長崎大学経済学部の片淵キャンパスに着きます。
ここは春には桜が綺麗に咲きます。
皆様、お休みの時、大都市の忙しさから少し解放されるために、是非長崎にいらして穏やかな道を散歩してみて下さい。
イゴル・ギロフスキさん
長崎大学経済学部に在籍のポーランド人留学生。来日する前に4年程日本語を勉強。
昨年10月に来崎したばかりだというのに、流暢な日本語を操る努力家だ。
次回は、イゴルさんが尊敬する長崎大学経済学部教授で留学生委員長の井手啓二さんにご執筆いただきます。
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