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昭和会病院上のヘアピンカーブは、開国後に幕府が設置した外国人居留地である東山手の丘にあるオランダ坂の一部です。 |

<昭和会病院上のヘアピンカーブ> |
オランダ坂というと、一般に大浦海岸通から活水学院への上り坂や、路面電車の終点・石橋側、東山手洋風住宅群横の坂、または活水学院横の坂道のことをいっています。
しかし本来「オランダ坂」の意味は、居留地に住む外国人達が通る坂道という意味合いだったため、居留地内にある坂道はすべてオランダ坂と呼ばれていたのです。ちなみに南山手の大浦天主堂へ続く坂道は当時の地名をとって「下り松オランダ坂」といわれていました。 |

<東山手洋風住宅群横のオランダ坂> |

<大浦海岸通から活水学院へ続くオランダ坂 > |

<活水学院横のオランダ坂> |
長崎の人は鎖国時代に出島に住んだオランダ人の印象が色濃く残っていたため、開国後に様々な国の外国人が入ってきても東洋人以外をすべて「オランダさん」と呼んでいたのです。
それでは居留地に住む外国人が何故この道を行き交ったのでしょう?
それはちょうど昭和会上のペアピンカーブを上った右上に、1862年(文久2)、日本初のプロテスタント教会「英国聖公会会堂」が建設されたからでした。
居留地に住む外国人達はこの高台にある教会へ礼拝するために各方面の坂道を上り下りしたのでしょう。今では『英国聖公会会堂跡』の石碑が置かれているだけですが、この脇の石段から見下ろす風景は、石畳、マントルピースがある洋館、そして長崎港がセットになった東山手風情といわれ、長崎らしい風景が見られる場所です。 |
<日本初のプロテスタント教会
「英国聖公会会堂」跡地>
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<東山手風情といわれる風景> |
ぜひ、オランダ坂の語源を踏まえ居留地跡を歩いてみてください。石畳の坂だけでなく、石垣、レンガ塀、樹木……ベストショットを決めるアイテムがたくさん溢れていますよ。
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