長崎ハタ、七つの魅力

ハタ揚げの妙技を観戦! 今とは違う盛況期、白熱の観戦スタイルを見てみよう。
 

長崎ハタの
七つの魅力
6――観戦

これが往時の観戦スタイル!
往時、観戦には、ただ傍観し酒盛り宴会をするのと、場外戦である切れバタの奪い合いをするのと、ふた通りがあったという。

往時はハタ屋も多く、組合を作って毎年持ち回りで大会を開いた。時季になると町中のハタ屋が店頭に看板バタ〈人目を惹くイチオシや新作デザインのハタ〉を掲げて売り出す。前シーズン終了後すぐに次回〈今年〉のハタを注文する人も多かったというが、買い忘れや買い足し、ご新規さんなどもいたのだろう。ハタ揚げ当日の会場でハタ屋は、定紋入りなどの幔幕(まんまく)を張った広さ2間半角の陣屋に緋毛氈(ひもうせん)や茣蓙(ござ)を敷いて客を迎えた。また自らのためにも陣屋を造り、印バタを立てて仮店舗とし、ヨマやハタを販売した。

弁当持参は当たり前。なかには酒肴を並べ、芸子をはべらせて観る者もあったという。好みの紋様で注文したハタをハタ屋に揚げさせ、よく揚がって切り合いに適したところで、受け取って戦うこともできるし、切り合いまでハタ屋や下男にさせることもあったという。その時、自分はというと芸子衆と酒を呑んでいればいいのだ。

そして、いざ勝負がついたなら、勝者をたたえて「ヨイヤー!」と声をあげる。切られたハタは誰のものでもなくなり、落ちたハタを拾った人のものとなる。 切り合いが終わるやいなや、たちまちハタの奪い合いがはじまるのだ。

場外乱闘? ヤダモンのチェーマ!?
ヨマが切られると、切れバタは空から落ちてくる。また、切られたところから手元までの根ヨマ〈こちらもすでに敗者に所有権はない〉も当然落ちてくる。すると、落下ポイントを予測して駆け寄ったネヨマカキとも、ネヨマカスリ(チェーマ/苧麻の糸を奪う唐音読み)ともと呼ばれる野次馬達が、これを奪い合う。野次馬達の中には長い竿にいばら(からたちなど)の枝をくくりつけた“ヤダモン”を持った者もいて、竿を振り回して、それに切れバタや根ヨマを巻きつけて取った。なにせ最初に手にした人の所有となるルールだから、手よりも竿、それも長ければ長いほど有利なのだ(これが語源となり、長崎では、手のつけられないヤンチャ者のことをヤダモンといった)。

しかし実際はまだ空高く漂ううちに取られてしまうことが多かったようだ。ツケドリという竹を炙って鉤(かぎ)状に反らした道具をヨマにつけ、そのせいでブテル〈重々しい〉ハタを合戦の場所から風下にやや離れて揚げ、巧みに操り、切れバタのヨマをからめ取るのだ。なぜこのように奪い合うかといえば、これでお金をかけずに練習するため。ツケドリで壊れることなくハタをいくつか手に入れて、それを使って合戦に参加する、という人もいたのだ。
ちなみに数人が同時に捉えた時は、その糸端を握った者がこれを得る。獲得者が判別できない時は破壊する、というのがルールだとか。


「長崎名勝図絵」
「長崎名勝図絵」出島ハタ揚げの図には、
往時のハタ合戦の様子が描かれている
(長崎歴史文化博物館所蔵)


禁令につぐ禁令。なぜ止められない?
凧揚げに関する禁令は、長崎に限ったものではなく江戸や京にも出たというが、こと切り合いに奪い合いを重ねる長崎においては、それは切実な問題だった。
安永2年(1773)、出島乙名や年番阿蘭陀通詞の掟として「揚げたハタを忍び返しや竹垣に引っ掛けたり、塀に登ってハタ揚げしたりするのはけしからん、今後このようなことのないよう気をつけよ」とハタ揚げを取り締まる訓令が出された。この対象は出島オランダ商館のインドネシア人達。しかし、もちろん市中の長崎人に対しても、何度も出されている。何度もというのは禁令が何度出されても一向に止まなかったから。郊外へ出てハタ揚げし、田畑を踏み荒らし家屋の屋根・瓦を壊すだけでなく、落ちたハタを奪い合って喧嘩になり、果ては刃物沙汰もあったとか。作物のないところで揚げはじめても、切れバタが落ちる先ではそこに何があろうがおかまいなしで激しい争奪戦が起きるのである。

そして文化13年(1816)ついに市中でのハタ揚げも対象となり、その行為のみでなく、所有までもが禁じられ、見つかり次第没収されたという。この訓令でハタ揚げは沈滞した……かに見えたがそれも一時。すぐにまた盛況を取り戻し、嘉永2年(1849)ふたたび禁令が出された。しかし間もなく幕末の混乱騒然の世に入り、奉行所もハタ揚げの取り締まりどころではなくなって、ハタは以前に増して盛況。明治に入ると禁令は一切なくなったが、電線の架設が進んでくると市内町中でのハタ揚げは禁止された。

なんといっても最大の魅力はハタ揚げ合戦に参加すること。その極意に迫ってみよう!
 

長崎ハタの
七つの魅力
7――合戦

ハタ揚げの用意はすべてハタ屋が取り計らっていた往時、祭の縁日が自然とハタ揚げ日になっていた。旧暦3月3日の雛祭り、10日の金毘羅祭礼、21日の弘法大師祭、28日の準提観音祭、4月8日の灌仏会などだ。太陽暦となってからは、日曜祭日、特に3月末から5月上旬に盛んに行われる。金毘羅山、唐八景、風頭山、稲佐山が主な会場で、かつてハタ揚げ場であった城の古址(こし)、合戦場、女風頭山などは土地開発などの影響もあり、すでにその役目を終えている。

ハタの大きさは寛永通宝の一文銭〈直径約23mm〉を縦に並べたその数で表わされる。百文、六十四文、半ヌキ(五十文)、三十二文、二十四文、十二文などの種類があるが、ハタ合戦に用いる最も一般的な大きさは24文。12文が子ども用の小バタである。

いざ、合戦! ハタを揚げる
ここで、主な「ハタ用語」とともに、一般的なハタ合戦の流れを伝授しよう。

【ハタ用語・初級編】
ハタを揚げはじめることを「アゲツケル」、
ヨマを解きほぐすのを「クル」、
ヨマを伸ばすのを「クレル」、
ヨマを引くのを「タグル」、
ハタをコツッと引くことを「コヅク」、
そして、グライダーを飛ばすように前方へハタを投げ、手元の糸をコヅいてハタを立ち上がらせ、助手をつけず自力のみでアゲツケルことを「ツキヤリバタ」という。

長崎ハタの揚げヨマ〈揚げ糸〉は、実は2種類あり、結び繋いで使われる。ハタを高く揚げてしまえば、あとは「根ヨマ」というガラス粉の付いていない麻糸の部分を持って操るのだ。

大会ではいい具合に揚げてから根ヨマを渡してもらうこともできるが、やはり自分で揚げたいという人も多いだろう。しかし揚げヨマの先陣は、ビードロヨマ。相手のヨマを切断する鋭さなのだから素手で扱うことは大変危険だ。昔から「凧揚ぐる男手には皮にて拵(こしら)へたるを指にさす」ようで、歴戦に皮膚の厚くなった男手ですら痛いものらしい。軍手や皮手袋・サック、テープなどで保護するのが安心だ。ただし勝負には指先の微妙な感覚が必要、根ヨマにさしかかったら外せるものがいいようだ。


皮製のサック

まずは下準備。ハタの骨組みの交点と最下端の2か所につけたツケヨマをひとまとめにした所〈または、両端を2か所に結んだ1本のヨマの、中心よりやや上〉にビードロヨマを、さらにその先に根ヨマを繋ぎ、端はヨマカゴにしっかり結ぶ。ビードロヨマが折れて溝があると、たちまちそこから切られるので点検し、ヨマが絡まないようヨマカゴにクル。

アゲツケル時、助手にハタを持たせて遠くに立たせ、自分はこちらで根ヨマの部分を持って揚げる、というのはまだまだ未熟。自分ひとりで一歩も動かずアゲツケル、ツキヤリバタができるようになりたい。それには、ハタの表面を下にして下端を持ち(親指と薬指・小指で下から、人差し指と中指で上からはさむ)、反対の手にヨマをたるませて持ち、紙飛行機を飛ばすように風に滑らせる。それからヨマをわずかにコヅクとハタがこちらを向いて立つので、少しクレル。このコヅクとクレルを繰り返すうち、ハタは風をつかみ、自らからスルスルと揚がっていく――。
ツキヤリバタのコツ

コヅイている時、風の抵抗が強すぎてひとりでに結び目が解けたりヨマが切れたりするのをコヅキキルという。風は弱すぎてもいけないが強すぎても揚げづらいのだ。風力を見極め、ハタを調整したり揚げるハタを替えたりする。風の弱い時には小バタや軽量のハタ、強い時には巨大なものに挑戦するといい。

いざ、合戦!ハタを自在に操るには?
【ハタ用語・中級編】
ハタが急下降することを「トンボウツ」、
故意に戦術として急降下させる技を「トンバオトス」という。

一度コヅイてからヨマを少しクレ、一気にタグルと急速な移動ができる。構造の項でふれた「ハタは尾がなく空中で不安定」こそが方向転換のポイントなのだ。ヨマをクレレば手元とハタの間のヨマがたるみ、ハタは支えをなくして不安定に揺れる。そこでタグレばヨマは緊張を取り戻し、ハタは安定、頭の向いた方向に移動するのだ。

だから当然、頭が下を向いている時に引けば急降下する。長崎の方言で逆立ちすることをサカトンボといったことから、これをトンボウツ〈トンバウツ/トンバはトンボのなまり〉といい、突風にあおられて逆立つこともそう呼ぶ。初心者は特にハタが下降をはじめると慌ててヨマをタグってしまいがちだが、加速させて墜落、一度の切り合いをすることもなくハタがオジャン……ということもあるから注意が必要だ。ハタが不意に降下したら、慌てず騒がずヨマをクレルに限る。

思い通りに操るコツは、移動したい方向に頭が向く一瞬前にタグルこと。ハタまでの距離を考えてのことだろう。タグル速さで移動のスピードも違ってくる。これ以上は実践して慣れ、感覚をつかんでもらうしかない。同じ風は二度吹かないのだから。

過去には達人の妙技もあった。磯田ハタ屋はヨマをクラず手に持って揚げた。井上ハタ屋は大きな百バタ〈百文のハタ/縦約2.3m〉を強い風の反対に揚げ、高く揚げてから順当の位置に直した。どちらももちろん、ひとりでである。
ほかにも何か、人をアッと驚かせる揚げ方があるだろうか? 凧には連凧や大凧などのギネス記録がある。ハタでギネス認定を狙うのもいいかもしれない。

いざ、合戦!楽しみながら技をかける極意
【ハタ用語・上級編】
ヨマがつるみ合い、勝負がつき難いことを「ツブラカシ」、
それに対し、容易に勝負がつくのを「カケル」、
ヨマが触れた瞬間に切ることを「ナデギリ」、
そして、切られたハタがキリキリ舞いすること、またはツケヨマの上下バランスが悪いか、上下どちらかを切られてしまいハタがクルクル回ることを「マイギリ」という。

その語感からか転じて、ハタに銭を費やすあまり身代をつぶす人のこともこう呼んだというが、元々ツブラカシとはヨマをつるみ合わせる=ツルハカシのなまりで、双方のヨマがしばらく絡んでから切れる直前までの状態をいう。摩れ合うやカケルとも同義だったが、今日では容易に勝負がつくのをカケル、なかなか勝負がつき難く高々と揚がるのをツブラカシというようになった。

ナデギリは上下どちらからかけてもいいが、相手より自分のハタが多く風を受ける方向に追うのがよく、同等程度に風を受けている時は上からのほうが有利だという。

金剛砂ビードロという普通のガラス粉製よりも強いヨマや、同じガラス粉でもそれを針金に塗ったハリガネビードロなどがあるが、ハタ合戦はすべて対等の条件で行われるべきものであり、種類の違う強いほうのヨマで弱いほうを切り落とすのは、ハタ道に反する卑怯なことで弁償ものだという。また、ハタを引いて切ることを「引き切り」といい、腕前が互角であっても「引き切り」は、卑怯として行わず、ヨマが限りなく伸びハタが小さく見えるのみとなる頃、ようやく勝負を決することもある。引き切りもひとつの技術に違いないが、楽しむことを忘れてはならないという。
 

最後に――。
お気に入りの長崎ハタ、楽しみ方は見つけていただけただろうか? 今も昔も長崎のハタ揚げ場で、ビードロヨマでハタを揚げたら、いつ勝負をかけられても文句はなし。負けても言いがかりはご法度だ。勝っても負けても楽しむのがハタ揚げなのである。これからハタ揚げシーズンがやってくる。さぁ、春風に誘われて山へ行こう。

ハタ揚げ
今年はぜひ、チャレンジしてみよう!
【2013年 ハタ揚げ大会】
■4月7日(日) 長崎市唐八景公園/※雨天順延 4月14日(日)
メインのハタ合戦以外にも、ハタ揚げ名人による模範演技、ハタ揚げ教室、合戦をしない自由なハタ揚げ、吹奏楽演奏、長崎検番祝舞など。
■問い合わせ 長崎ハタ揚げ振興会 095(823)7423/長崎新聞社 095(844)2111

■4月中旬 金比羅公園ハタ揚げ広場/※雨天順延
山歩きとハタ揚げが楽しめる、金比羅公園ハタ揚げ祭り。
■問い合わせ 金比羅公園ハタ揚げ振興会事務局(田浦氏) 095(826)6738

■4月29日(月・祝)〜5月5日(日) 稲佐山公園
稲佐山つつじまつり・つつじ約8万本が見事に咲き誇る中、民謡・カラオケ大会・子供スケッチ大会、ハタ揚げ、バンド演奏など。
■問い合わせ 長崎市みどりの課 095(829)1171

参考文献
『長崎ハタ考』渡辺庫輔著(長崎県民芸協会)、『長崎ハタ物語 ハタ・凧揚がれ 天まであがれ』井上宗匠著(ビジネス教育出版社)、『長崎文化考 其の1』越中哲也著(長崎純心大学博物館)、『長崎の凧(ハタ)図録』(長崎ハタ揚げ振興会)、『長崎歳時記(長崎県史 史料編 第4)』長崎県史編纂委員会(吉川弘文館)、『長崎名勝図絵』長崎史談会編集(長崎史談会)、『長崎市史 風俗編』長崎市役所編(清文堂出版)、『長崎ものしり手帳 続』永島正一著(長崎放送)、『長崎県方言辞典』原田章之進編(風間書房)


〈4/4頁〉
【最初の頁へ】
【前の頁へ】