浦上川を俯瞰で見てみよう!

暮しと共にある川−−水害

もうすぐ7月23日がやってくる。あの日から30年、今年は1982年に起こった「長崎大水害」から30年、節目の年だ。1時間の雨量、187mmという日本記録を打ち立てた未曾有の大水害は、死者・行方不明者299名という尊い命を奪い、町を、川を破壊した。日頃、恩恵を受けている雨も、時として私達の暮しを脅かすことがあることを、30年前、多くの人が身をもって実感した。

はっし〜さん「川際に降りてみるとわかるんですが、大水害の直後の復旧工事で、浦上川は深くなっています。そして、この川を守っているのは、今から約80年前に整備された石積護岸です。これは、これまであまり注目されてきませんでしたが、貴重な“被爆遺構”でもあるんですよ」。

大正末期から昭和初期にかけて、度重なる豪雨災害が起き、浦上川は度々被災した。1928年(昭和3年度)から今の茂里町付近から大橋付近までの“空石積”と呼ばれる護岸整備や梁川橋、竹岩橋、下大橋、本大橋などの橋梁架替などの改修工事が行われた。

はっし〜さん「この改修工事、最初は長崎市によりはじめられました。その後、世界恐慌の影響が地方でも深刻さを増す中で、時の大蔵大臣、高橋是清の元で失業対策を目的として昭和7年〜9年度にかけて、時局匡救(じきょくきゅうきゅう)という事業が全国的に行われました。浦上川の改修工事は、この事業を活用して、県が引き継ぎ実施されたものです。この経緯を初めて知り、その後の沿川地域の変化を重ね合わせた時、本当に考えさせられました。被爆直後の本大橋の写真を見ても、川岸に降りる階段などの位置は、今も当時のまま。つまり原爆以前のものであり、被爆、大水害にも耐え、地域を守ってきた貴重な護岸なんですよ」。



中央左・石積護岸
 

暮しと共にある川−−水道水

はっし〜さん「ところで、私達と直接関わりのあることとして、浦上川の水質について調査してみると、現在、下水道の普及などにより、近年では大きく改善し、BOD(生物化学的酸素要求量)の環境基準を下回る良質の水だということがわかりました。実は、浦上エリアの家庭に供給されている水道水は、浦上川沿いの川平地区の水と大井手川の水を貯めた「浦上ダム(浦上水源地)」の水と、「雪浦ダム」「神浦ダム」などから手熊浄水場を通じて導かれた水とがブレンドされたものなんです。知ってました?」。

つまり、浦上エリアに住む人々にとって浦上川は「命の水」ということだ。

はっし〜さん「私は、土日は食器洗いを買って出ています。浦上川のことを知れば知るほど、浦上川の水と触れ合うことができてるんだなーと、ウレシクなってきて(笑)」。
 

暮しと共にある川−−いのち
“川まな”こと「川に学ぼうかい in浦上川(大橋地区)」は、浦上川の流域で暮らす人々や、仕事、学校などで関わりのある社会人や学生などの仲間で構成されている。学生、会社員、大学教員、公務員、定年退職者……それに、森林、河川、水産、海岸、環境の専門家が加わった“川まな”メンバーには、多彩な顔ぶれが揃っている。


川まなのメンバー

はっし〜さん「会のモットーは、この“川まな”の活動を通して、自由な視点で川に学びながら、少しずつ私達のライフスタイルを見直していけたらいいな……というものです。もう少し言うと、私達自身の在り方を川に学ぼうということなんですね」。

身近な自然とのふれあいを重視し、清掃や観察などを主体とした定例活動を2ヶ月に一度行っている“川まな”。ホームページを覗いてみると、“川まな便り”と題したコンテンツに、参加者それぞれの浦上川に対する想いや新たな発見が掲載されていて、とても興味深い。

例えば……。

川にゴミが捨てられるのは残念です。しかし、私たちもゴミを捨てる人たちも、便利で物にあふれた社会の中で、みな等しくこの川の流域に暮らしています。 浦上川の姿は「あなたが捨ててなくても、あなたも自然とのつながりを忘れかけているのでは?」と、静かに私たちに問いかけているようです。(事務局)

「久しぶりのゴミ拾い楽しんでやらせてもらいました。
あらためて現場で感じることの大切さを思いました。アルミかんがボロボロになるまで放置されたのを見て、とてもさみしい思いになりました。そういった思いを感じられるいい活動だと思います。」  (4月から新社会人として長崎を旅立ったトミーさんの感想)


川まな活動の様子1


川まな活動の様子2

会発足のきっかけでもあるのが“ゴミ”であり、活動の主体も浦上川の清掃と観察である“川まな”。今もゴミのポイ捨ては後を絶たず、雨で下流へと流れ長崎港に至り、海の漂流漂着ゴミとなって、川や海の環境や生きものへ大きな影響を及ぼしている。


漂流漂着ゴミ


活動日、ある日のゴミ

はっし〜さん「今のライフスタイルでは、川とのつながりが見えにくくなっています。浦上川を変える、というような革新的なことをするつもりはありませんが、まちのゴミが川ゴミとなって海に流れていっている……とか、私達が常に浦上川や海とつながっているという事実が伝わっていけばいいな、と思っています」。

浦上川に関するはっし〜さんの大発見がある。

はっし〜さん「浦上川の流域を地図上で見ると、なんと!ハトが羽ばたいている形をしているんですよ(笑)」。

差し出された地図に目をおとすと、確かに!ハトの形。浦上川が経験してきた歴史を踏まえると、なんとも感慨深いことだ。

はっし〜さん「私の浦上川への興味は、投棄された“ゴミ”と、歴史から入っていったのですが、今は、歴史を知ることも川に親しむという意味では大切だと思いますが、川の一番の魅力は生きものだと思っています。川に学び、川の生きもの達のことを知ったら、簡単にはゴミを捨てることなんてできませんからね」。

市街地中心部を流れる川のため、高度成長期には随分水質が悪化した浦上川だったが、近年では水質も大きく改善し、アユをはじめ、ナマズ、カワムツなどの魚類や、スッポンやミナミテナガエビ、またアオサギ、カワセミ、マガモなどの鳥類などたくさんの生きものも見られるようになってきた。しかし、戦後しばらくホタルが飛び交っていた大橋地区では、長崎大水害にともなう大洪水と、その後の復旧工事による川の構造上の制約もあり、ホタルを見ることはできない。一方、一時は少なくなった浦上川上流・川平地区のホタルは、地域の人々の取り組みも手伝って、少しずつ数を増やし、生息数も回復。今年も川平地区の川平小学校下付近で、ホタルの飛翔が観察できた。


ナマズ


ヨシノボリ


アオサギ


シオカラトンボ

はっし〜さん「今後も“川まな”では、浦上川に生息するたくさんの生きものたちや、水道水源である帆場岳(三ツ山)、岩屋山、金比羅山、稲佐山……森から海までのつながりなどの環境や防災のこと、平和や歴史などに思いをはせつつ、無理せず楽しみながら息の長い活動を続けたいですね。今まで長崎大学のエコマジックのメンバーとは、7年間、共に歩んできましたし、昨年は川平地区にも新たに会が設立されました。これからも会のメンバーをはじめ、いろんな団体とのつながりを大切にしていけたらと思います。そして、いつの日か大橋地区にもホタルが戻ってきたら……と考えています」。

 

最後に--。
浦上川越しに見る白山墓地の十字架は、悲哀に満ちた浦上の歴史を今に伝える風景――原爆の衝撃で、歴史が途絶えた浦上川を、30年前、再び長崎大水害が襲った。現在、長崎市最大の川、浦上川流域内の人口は、なんと約15万人。市民の3分の1が生活していることになる。川に親しみ、川に学ぶ――被災経験を風化させることなく、川と寄り添い生きる。一度途絶えた浦上川の歴史は、浦上エリアの人々にとって、新たな第一歩を踏み出している。

「川に学ぼうかい in浦上川(大橋地区)」
http://blogs.yahoo.co.jp/kawamana2005/60901125.html

参考文献
「長崎・浦上川  地域活動団体 川に学ぼうかいin浦上川」公式リーフレット


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