では、伊王島町のおおまかな歩みなど、予備知識を頭に叩き込んだところでこの町をぐるり一巡りしてみよう。
まずは今や、伊王島の代名詞ともいえる“やすらぎ伊王島”のオリーブ公園へ。宿泊、天然温泉、レストランなどが点在するリゾート施設は、日帰り客にも人気のスポット。近年は、オリーブの島プロジェクトと題し、平和と豊かさの象徴とされるオリーブを島のシンボルとして植樹をすすめていることで知られる。周囲を散策していると、結婚記念や初節句記念などと記されたプレートをつけたオリーブの苗木が植樹されたゾーンがあった。やすらぎ伊王島では、年に一度、植樹されるオリーブの里親を募集しているのだ。サンサンと降り注ぐ太陽に向けて育つオリーブの木は、実もつけるし記念植樹には打ってつけ。島を再び訪れる大きなきっかけにもなりそうだ。
お立ち寄りスポット
【やすらぎ伊王島(伊王島)】
源泉100%掛け流しの天然温泉が人気の複合リゾート施設。テニスコートやキッズガーデンもあり、幅広い年齢層が“やすらげる”スポット。
電話/095-898-2202
※2006.3月 ナガジン!特集「長崎!リゾート気分の天然温泉vs観光スポット近くの町の湯」参照
お次ぎは長崎港の出入口を見渡す高台、伊王島の北端に建つ伊王島灯台へと向かおう。白亜の美しいこの灯台が由緒あるものであることは何となく知っている。何せ出来たのは明治の頃。途中には見張り台や砲台跡が残り、要塞地帯としての当時の伊王島の役割が伺える。とはいえ、今は穏やかな海を見下ろす、なんとも風光明美な地。ぽかぽか陽気のこの日、実はお弁当を持参。灯台帰りの道筋にあるベンチで食べることに決定だ。
伊王島灯台は、明治3年(1870)、日本ではじめて建てられた鉄造り洋式の灯台。英国人主席技師ブラントンによって建てられた。アーチ状のドアの上には、明治4年(1881)に初点、平成13年に改築とある。後へ回り込むと六角形の基礎石組みが!まるで上部のドーム型の灯室をスライドしたように鎮座。ドーム型の天井はすでに130年、この地にたたずんでいるわけだ。しかし、周囲に広がるのは、静けさと言葉にできない鮮やかな海の色。美しすぎた…。
お立ち寄りスポット
【伊王島灯台、灯台記念館(伊王島)】
伊王島灯台とともに英国人主席技師ブラントンが灯台守の宿舎として設計した洋風無筋コンクリート造りの建物は県有形文化財。現在は記念館としてかつて使用していた道具や明治の灯台文化の資料を保存、展示している。
開館/9:00〜17:00
休館日/月曜日
料金/無料
電話/095-898-2011
伊王島灯台バス停横の夕陽ケ丘展望所は、文字通り、美しい夕陽を眺めるに最も適した海を見渡す展望所。いい眺め!
お立ち寄りスポット
【夕陽ケ丘展望所(伊王島)】
快晴の空気が澄んだ日は、五島列島まで見渡す事もできる、伊王島きってのデートスポット。帰りは車。思う存分、夕陽を眺めてから帰宅することも可能だ。
灯台入り口バス停から分岐する2つの道。高台の道を進むと、大明寺教会へと続く。長崎の市街地と同様、坂と階段の町並み、そして、海を見下ろす絶景、大明寺教会の上には「成経と康頼の庵跡」もあり、長崎半島を見渡す絶景が広がる。
お立ち寄りスポット
【大明寺教会(伊王島)】
明治13年(1880)に建てられた長崎の初期教会堂のひとつだった大明寺教会。当時の建物は老朽化のため、昭和50年(1975)に解体され、愛知県の明治村へ移築され一般公開されている。
現在の大明寺教会の近代的な建物は、昭和48年(1973)に建てられたものだ。 町のあちらこちらにキリスト教の墓碑が目につく。浦上四番崩れでは大明寺信徒12人が、岡山、和歌山などに流刑された。昔も今も、伊王島は敬虔(けいけん)なキリスト教徒が多い町なのだ。
先程の道をさらに沖之島方面へと進むと、前述の俊寛僧都が葬られた墓がある。この辺りの丘を、長崎の俳人勝木枕山は、宝暦6年(1756)の著書『硫黄嶋名蹟』に “武庫山”と書き記している。この地は寛永20年(1643)、鍋島茂賢公が沖之島遠見山、伊王島番所に見張り所を置いていた時代。確かに武器庫があった場所だった。現在は毎年多くの人が訪れる桜の名所として親しまれている。
お立ち寄りスポット
【俊寛僧都の墓碑(伊王島)】
俊寛僧都は康治2年(1143)、京都仁和寺の後継ぎとして誕生。若くして僧都の地位に就いた。平清盛が権力を極めていた平安末期に平家討伐を企てた罪で伊王島に流刑された。成経、康頼が赦免(しゃめん)された後、ひとり伊王島に残され、憔悴(しょうすい)しきったところへ尋ねて来た召使いの有王丸から妻子の死を知り、自ら食を絶って他界した。『平家物語』にも記される俊寛僧都の物語。そこに記された死亡日と、伊王島に残された碑文のそれとが違ったが、現地伊王島の碑文に残された文治2年4月22日の死が、真実とされている。
お立ち寄りスポット
【北原白秋歌碑(伊王島)】
俊寛僧都の碑の隣には、昭和10年(1935)に俊寛の遺跡があると聞き伊王島を訪れた歌人、北原白秋の歌碑が建てられている。俊寛の哀史に心打たれ詠んだ「伊王島」と題した長歌一首と反歌は白秋が世を去る直前に発表されたもの。
反歌
いにしえの流され人もかくありて
すえいきどおり海をにらみき
さて、高台の風景を楽しみながら下って行くと、沖之島へとつながる「賑橋」へ出る。この橋を渡ろうとしていると、川の中に恵美須様を発見した。この辺りは漁師町らしい。それを確信するのは、係留するいくつかの漁船とともに、道端や一般のお家の庭先にまつられた恵美須像である。
水しぶきを上げ、沖へと向かう漁船が
橋の下をくぐり抜けていった。
少し脇道に入ったところに「塩町公民館」なるものを発見。“塩町”ということは、昔は塩を作っていたのだろうか? 調べてみたが確認することはできなかった。
一車線の小さなトンネルを抜け、沖之島をぐるっと一周。海岸線には、「畦の岩這(いわばえ)」が広がる。そして、最南端のカーブを過ぎると右手に伊王島大橋!その前方に広がる三菱重工香焼工場のゴライアスクレーンの勇壮たる姿と相まって、伊王島大橋もなかなか堂々としている。橋の近くまで行くと、車道脇に植えられたオリーブの苗木が潮風にたなびいていた。あと数年すれば、まさに「オリーブの島」と呼ぶにふさわしいリゾートアイランドになっているに違いない。
お立ち寄りスポット
【カトリック馬込教会(沖之島)】
伊王島大橋を通り過ぎると、伊王島のシンボル、白亜のゴシック洋式が美しいカトリック馬込教会(沖之島天主堂)が高台に見える。今も伊王島町の住民の半数以上がカトリック信徒であるといい、沖之島馬込に特に集中しているという。この地は、神ノ島と同様に、禁教時代には交通の便が悪いため潜伏するのに都合良く、島原の乱以降より、主に天草方面から避難してきた。現在の美しい入江にたたずむ荘厳な教会堂は、昭和6年(1931)に建立。「聖ミカエル天主堂」と名付けられされ親しまれている。
明治4年(1871)に「椎山小聖堂」と称する木造瓦葺きの会堂が馬込信者一同の手で作られたのが始まり。禁教下である中、この小聖堂は奥行4間、間口2間のものであったそうだ。明治23年 (1890)、マルマン神父の手で、現在地に煉瓦造の本格的天主堂が建設され、続けて司祭館も建設。この天主堂は、煉瓦造教会堂としては旧大浦、出津に次ぐ最初期のものだった。国登録有形文化財。
拝観/土日のみ 10:00〜12:00、13:00〜15:00
ライトアップ/18:00〜22:00
電話/095-898-2054
最後に。
もうじき暑い夏を迎えるが伊王島の夏はさらに暑い。伊王島海水浴場「コスタ・デル・ソル」は、スペイン語で「太陽の海岸」。暑い夏は、その暑さを満喫するに限る。島の陽射しは暑くとも、幸い、島の風は心地よい。ぜひ今年は伊王島大橋を車で渡り、潮風をくぐり抜けて豊かな自然を満喫する夏旅をしよう。
お立ち寄りスポット
【伊王島海水浴場 コスタ・デル・ソル(伊王島)】
ゆったりくつろげる休憩所、温水シャワー、更衣室完備。
期間/7月中旬〜8月31日
さじき開場/9:00〜18:00(8月17日以降〜17:00)※変更の場合あり
料金/休憩室利用 大人400円、小学生以上200円
電話/095-898-2202
参考文献
『伊王島町郷土誌』(伊王島町教育委員会)
『ふるさと伊王島町のあゆみ』(伊王島町役場)
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