長崎駅を例に挙げると町の発展は駅前から--が常識。首都圏は現代でもその様相を呈しているが、地方都市ではそうとも限らず、素晴らしい自然に包まれた場所において、のどかな風景と併せ、趣きある駅舎に出会うことができる。決して賑やかな通りではないのに、道を歩いていて不思議と「駅の気配」を感じる、見事に町の風景に解け込んだそんな2つの駅舎を紹介しよう。
丘の上の小さな駅舎
肥前古賀駅
Hizen-Koga
市布(2.9km)(2.5km)現川
長崎本線
植木の里として知られる松原町。国道34号線、古賀小学校近くから細い坂道に入り徒歩5分。ゆるやかな坂を登って行くと、左側に駅の気配を感じる。坂を登ると、入り口近くに大量の自転車が駐輪していた。訪れたのは平日。通勤、通学者の残像が浮かび上がるような光景だ。駅舎は、そう呼ぶには貧相で「出改札小屋」と呼ぶにふさわしいコンパクトさ。この小さな出改札をみても、待機整備のない単式ホーム1面1線の構造をとっても、旅心をくすぐる可愛さを持っていた。開業年は昭和47年(1972)、じきに40年を迎える。改札の脇に自動の券売機があり、乗客は慣れた様子で購入し階段を登りホームへ向かって行く。今年、ホームまで車椅子で入れるようにスロープも開設された。この駅は業務委託駅。白く小さな出改札小屋には業務委託された駅長さんがおられ、「みどりの窓口」業務などを行なっているのだそうだ。駐車場に植樹された数本の桜の木が、四季の移ろいを告げてくれるシンボルツリーとなっている。
肥前古賀駅
/長崎市松原町
駅舎のない無人駅1
現川駅
Utsutsugawa
肥前古賀(2.5km)(8.9km)浦上
長崎本線
「肥前古賀駅」同様、国道34号線から帆揚岳方面へ車で5分足らず、のどかな農村地帯を現川に沿って走らせて行くと、左手に駐車場のごとく整列した車でいっぱいの空間が見えてくる。ここが現川駅。幻と呼ばれる「現川焼」のかつての産地で、近くの山中には窯跡が今も残っている。現川駅には駅舎はなく、ただ各ホームに屋根付きの待合所がある無人駅だ。開業年は、肥前古賀駅と同じ昭和47年(1972)10月。長崎方面、300m程のところに「長崎トンネル」が見えるが、このトンネル(新線ルート)が開通した際に設置された駅なのだ。無人駅のたたずまいはとても魅力的だ。2面2線と中央に通過線1線を持っているが、多くの列車は、ここで行き違いと通過待ちをするため、3分程停車する。しばらく待合所でくつろいでいると、列車の到着を知らせるアナウンスが。しかし、多少ズレがあり、それがなんとも愛おしく響いていた。
現川駅
/長崎市現川町
列車の移動は、いつも同じということはありえない。乗り合わせた人、車窓から見える景色……たとえ行き先の決まった通勤通学で、毎日ホームに立つのだとしても、新しい発見、出逢い、風景がある。また、決まった速度で進むことで微妙な季節の変わり目を敏感に感じ取る、そんな瞬間だって少なくはない。
駅舎のない無人駅2
西浦上駅
Nishi-Urakami
道ノ尾(1.7km)(2.9km)浦上
長崎本線(長与支線)
昭和62年(1987)、今から約25年前に臨時駅として誕生した「西浦上駅」は、市内6つの中で最も新しく、また、国鉄最後に新設された駅だった。出改札口のみのシンプルな構造で、片側1面の単線ホーム。今年4月に完全無人駅となった。通勤通学、ショッピング。いつも、ほぼ決まった人が利用している西浦上駅。自動放送の案内に導かれた人々が、慣れた動作で乗り降りする。その光景は、小さいながらも、地域住民にはなくてはならないという駅舎の存在感を感じさせた。
西浦上駅
/長崎市音無町
最後に。
発展を遂げる駅舎というのも時代の流れや利便性を考えると必要だと思うが、どこか懐かしさを感じさせる素朴な駅舎には、できればずっとその姿を留めていてほしいと願ってしまうのは何故だろう。長く足を運んでなくても、やはり駅舎という建物は、人々に郷愁の念を与える心の故郷なのだろう。そして、駅舎そのものが動き出すことはないが、真っ直ぐ伸びた、そのレールのように、どこか見知らぬ世界に繋がるような期待感、いつの時代も駅舎はそんな「希望」を秘めた存在なのだろう。
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