明治期に敷設された鉄道により、蒸気機関車が全国津々浦々を駆け巡るようになった。多くの旅人が往来し、出会いと別れの舞台となった長崎本線。長崎市に現存する6つの駅舎の歴史と今を紹介する。


ズバリ!今回のテーマは
「現存する駅舎風情と、記憶の中の駅舎を訪ねる小旅行!」なのだ




全国各地で鉄道の建設が活発に進んできたのは明治時代。幕末、海外から入手する情報によって「鉄道」への関心が高まり、明治政府は、日本の発展のためには、鉄道建設が重要だと痛感したという。政府は明治2年(1869)に東京−敦賀港間の路線設置を決定し、明治5年(1872)10月14日(鉄道記念日)に開通。次いで大阪−神戸間(明治7年)、大阪−京都間(明治9年)、北海道(明治13年)などで開業していった。

その頃の長崎は、安政6年の開国(1859)によって、鎖国で得てきた独占的特権を無くし、衰退の一途を辿っていた。その衰退を助長したのは、かつては有効に働いていた孤立的な自然環境。周囲三方を山で囲まれ、深い入江と深い水深に恵まれた天然の良港を生かした海上交通の要地として栄えてきた長崎の町において、その山々が陸上交通の発展を阻害していたのだ。

時は過ぎ、九州に初めて鉄道が走ったのは、明治22年(1889)12月11日で、博多−千歳川(久留米)間。そして2年後の明治24年7月に、門司(現在の門司港)から博多−久留米を経由し熊本、8月に鳥栖−佐賀間が完成した。明治21年に設立した「九州鉄道会社」による九州鉄道の路線計画は、門司−熊本−八代と、鳥栖(当初は田代)−佐賀−長崎−佐世保間だったため、明治29年、八代まで開通すると、次は長崎、佐世保間の建設に着工した。
では、長崎市の中の駅でいちばん最初に開業した駅は、いったいどこだろう?
答えは、「道ノ尾駅」である。

昔ながらの木造駅舎
道ノ尾駅
Michinoo
高田(2.5km)(1.7km)西浦上
長崎本線(長与支線)


路面電車の終点で馴染みの「赤迫」電停から歩いて約15分。長崎市葉山1丁目と西彼杵郡長与町高田郷の境目、国道206号から一本入った場所にある道ノ尾駅は、明治30年(1897)7月22日に開業。長崎市を代表する昔ながらの木造平屋建ての駅舎だ。
原爆投下の際、浦上駅や長崎駅が焼失したため、この駅で救護活動が行われ、ここから大村の海軍病院(大村駅)へ救援列車が運行されたという歴史を持っている。現在は1面1線のホームだが、かつて最盛期の頃は相対式2面2線で、列車待ちするための待避線の役割を兼ねたホームがあった。現在の駅舎の反対側のホームである。レールは外されたが、ホームには使われなくなった駅名標が立ち、当時の賑わいを今に伝えている。




道ノ尾駅/長崎市葉山1丁目、
西彼杵郡長与町高田郷
 
 

そして実はもうひとつ、「浦上駅」も道ノ尾駅と同日に開業した駅だ。

長崎初の終着駅
浦上駅
Urakami
現川(1.8km)(1.6km)長崎
西浦上(2.9Km)
長崎本線




しかしこの駅、旧名は「長崎駅」。つまり、今の浦上駅の場所が、鉄道建設当時の終着駅であり、陸の玄関口でもあったということだ。その記念として、駅前広場の一角には、「長崎駅址(ながさきえきあと)」と刻まれた石碑が建てられている。
開業時の写真は、周囲には何もなく、この駅舎がいかに偉大な存在だったかを物語っている。創建当初、寄棟造りで二層からなる瓦ぶきの大屋根の駅舎は、実に堂々とした建物だった。広々した構内を行き交う人力車は、まさしく当時のタクシーだ。そして、この浦上駅の開業から遅れること8年、明治38年(1905)4月5日に路線が延伸され、新たな「長崎駅」が誕生すると「浦上駅」と改称された。



創建当時の長崎駅(浦上駅)
<長崎大学附属図書館所蔵>

浦上駅
/長崎市川口町

 
 

駅前風情というのは、時代が創りだすもの。長崎市の新たな玄関口となった現在地の「長崎駅」は、代替わりを重ね、現在4代目の駅舎となっている。

ドイツ風…三角屋根…
長崎駅
Nagasaki
浦上(1.6km)
長崎本線



長崎駅2代目の駅舎は、大正2年(1913)に建てられた。ドイツ風2階建ての駅舎は、今見ても実にカッコいい。写真に切り取られた光景には、大正初期の頃の市民の暮らしぶりも写り込んでいる。例えば、人力車に混ざる自転車をこぐ人々。または駅前中央に立つガス灯らしき街灯。しかしこの立派な駅舎は、昭和20年(1945)4月の空襲にて半焼、8月9日の原爆によって全焼してしまったという。

長崎駅が開業した時点で終着駅であったため、ホームのすべての路線には“車止め”が設置されたのだが、昭和5〜62年(1930〜87)の期間、上海航路のための「長崎港駅」が開業されたため、1.1km先にまで線路が伸びた。また、戦後、高度成長と共に隆盛を極めた観光産業で、まさに長崎の表玄関となった“駅前”には高めのビルが建ち並び、日中は一番の交通量、夜はネオンがまたたく文字通りの繁華街に。そう!その昭和時代、長崎駅のシンボルとなったのが、三角屋根と丸時計と大きなステンドグラス。多くの人の記憶に刻まれている「長崎駅」の姿だ。


長崎駅2代目の駅舎
<長崎大学附属図書館所蔵>

長崎駅
/長崎市尾上町
 
 

ところで開業当初の列車といえば、もちろん蒸気機関車(SL)。しかも、輸入されたドイツや英国製の機関車が、モクモクと煙をあげ、力強く走り抜けた。蒸気機関車が、これらかつての立派な駅舎をくぐり抜け、西端の町、長崎と他の町とを結んでいたのだ。

SLと言えば、長崎市賑町の中央公園には、黒く大きな蒸気機関車が設置されている。これは、もちろん本物。昭和14年に造られ、長崎−東京間を実際に走っていたC57という車両だ。車両の重さはなんと、115.5トン。以前は自由に乗り降りして遊ぶことができていたと思うが、今では柵が設けられていた。残念。ただ、本物を間近に見られるというのは嬉しいことだ。

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