思えば「校歌」というものは不思議な存在だ。何十年も前に覚え、年に数度歌っただけなのに、何故だかいまだに覚えている。うろ覚えでも、おそらく曲さえ流れてくれば…歌詞さえ読めば…なんとなく歌える自信はある。幼い頃に声を揃え歌ったあの曲はどのように作られたのだろう?


ズバリ!今回のテーマは

「小学校の校歌から見える長崎」 なのだ




虹が丘小学校では、今年、創立30周年を記念したCDが発売された。そう!平成20年度の児童の声が録音された「校歌」がCDとなったのだ。

どの曲を聴いても、心が洗われるような、心が晴れ渡るような、不思議な力を持つ「校歌」。虹が丘に続け!と、今後CD化ブームが来る予感?

それにしても、大人になって改めて自分達の校歌を振り返ってみれば、文語体の歌詞だったり、その頃は到底理解できなかったに違いない難しい表現だったりを歌っていたことに気づく。今だったら、その意味も十分分かる内容のはず。だが、果たして、今、私達は歌えるだろうか? 長崎市内の小学校の校歌は、どんな人が、どんな思いで、どのように作られているのだろう? 出発点はそこだった。

長崎市内の小学校が数多く創立されたのは、明治時代初期。もちろん、現在の小学校の前身で、創立当初はいわゆる寺子屋の延長のような形で、近くの寺を仮校舎として、特に明治7〜8年頃に創立した小学校が目立つ。

もちろん、現在歌い継がれているような校歌は創立当初から作られたのではなく、ずいぶんと経ってから作られたようだ。
琴海エリアにある尾戸小学校は明治7年の創立だが、校歌が制定されたのは、昭和39年。開校からなんと90年も経ってからのことだった。


明治6年創立。昭和10年まで木造校舎だった勝山小学校/白石和男氏所蔵
 

いろんな思いが込められた校歌
その作者と、制作過程に注目!

稲佐小学校は、明治15年創立の長崎市制が施行される前に設けられた歴史も古い小学校だ。現在も歌われている校歌は、大正11年に制定。そこで思わぬ事実を知ることに……。

作詞 長田信男  作曲 エエムアシュボー

えっ? 外国の方? これについて、同校出身の「長崎ふるさと大使」、福山雅治さんも某ラジオ番組で話題にしていた。シュポーさんなのか、アシュポーさんなのか……。そして、おそらく歌詞を見ながら、校歌をラジオで熱唱。 「長崎ふるさと大使」もやっぱり覚えていたのだ!




明治29年に落成したかつての木造校舎/白石和男氏所蔵
稲佐小学校校歌

1. 稲佐の山を名に負える
  我が学校の友よみな
  山の姿をあおぎつつ
  高き心をたもたなん

2. つるの港を下に見る
  我が学校の友よみな
  水の姿をかがみにて
  きよき心をみがかなん

稲佐山の名前を背負った私達は、この山の姿を仰ぎ見ながら、高い志をもとう。鶴の美しい港を眼下に見る私達は、この水のように、清らかな心を磨いていこう。

口語体にすると、このような感じだろうか?

稲佐山中腹にある小学校ならではの、周囲の自然環境に目標を掲げた内容。「つる(鶴)の港」と称する絶景の長崎港は、埋め立て工事が進み、当時のものとは幾分違ってはいるが、稲佐から眺める長崎港の美しい風景は今も健在。これからも声高らかに歌い続けてほしいものだ。

ほかにも校歌の作者には、いろんな方がいる。
作詞部門で、おそらく最も多く手がけているのは、かつて長崎市立博物館で学芸員を務めておられ、歌人としても活躍された島内八郎さん。中村三郎、北原白秋を師と仰いで学び、後年長崎歌壇の重鎮となった方だ。愛宕小学校、西城山小学校、西北小学校、坂本小学校、香焼小学校、作詞は大園小育友会だが、大園小学校を補作されている。

また、この島内氏とコンビを組んで、数多くの校歌を手がけているのが作曲家の木野普見雄(ふみお)さん。木野氏は、原爆で一瞬にして命を絶った山里小学校の児童と教師1,300人の死を悼み永井隆博士が作詞した『あの子』の作曲者である。当時、木野氏は長崎市議会事務局長を務め、自らも原爆症に苦しんでおられたそうだ。校歌以外でも昭和24年、8月9日の平和祈念式典の序幕に浦上天主堂聖歌隊の斉唱で発表された『平和は長崎から』も、島内、木野両氏の作品。この歌は昭和41年から平成6年まで、純心女子高校の生徒によって平和祈念式典で歌い継がれた。木野氏が手がけた小学校校歌は、坂本小学校、香焼小学校、大園小学校、蚊焼小学校などだ。
※2004.8月ナガジン!ミュージアム探検隊『永井隆記念館(如己堂)』参照

また、波佐見出身で児童文学作家、文芸評論家として活躍された福田清人(きよと)さんが作詞を手がけた校歌もある。明治7年創立の土井首小学校と、昭和54年開校の南陽小学校。学校の歴史の長さは違うが、いずれも明治37年生まれの福田氏が、未来の子ども達に贈った、夢と希望ある未来が描かれた作品となっている。

平成8年に制定された桜町小学校校歌の作詞は、当時の長崎県立東高等学校校長、平田徳男氏、作曲は同じく東高等学校教諭の瀬戸口仁志氏。校歌が作られる経緯はさまざまで、地元の教師や本校の音楽教師などが制作することもあるようだ。

そのほか、近年、地元出身の有名作曲家への依頼も目立つ。

平成19年に、南大浦、北大浦、浪の平小学校の3校統廃合とともに創立した大浦小学校の校歌は、作詞は日本国語教育学会理事で元女の都小学校校長、諏訪小学校、小江原小学校、鳴見台小学校、桜が丘小学校の校歌の作詞を手がけている山田喜孝氏。そして、作曲家は、長崎市出身の音楽家で、ドラマや映画音楽を数多く手がけている大島ミチルさんだ。

また、高城台小学校校歌は、あの、誰もが聞き慣れたドラマ『古畑任三郎』のテーマ音楽を手がけた長崎市出身の作曲家、本間勇輔さん作曲だという。もちろん、ドラマ『古畑任三郎』のイメージとは重なるものではないが、子ども達の元気な歌声にふさわしい、伸びやかで美しいメロディの校歌だ。

かつては、開校後に制定するパターンが多かった校歌も、現在は開校前に決めるケースがほとんど。新設学校の地域協議会のような場で、さまざまな検討案件に校歌についても含まれているのだという。

最近は、有名作家への依頼と同様に公募によることもあるそうだ。桜が丘小学校は開校後、歌詞に盛り込む言葉やフレーズを公募した。そして現在公募中なのは、平成22年4月開校の野母崎小学校。地域のアイデアを盛り込もう!と、地域の人に学校に期待することなど、その想いやフレーズを募集。それをゆかりある方に作詞してもらう流れで進んでいるのだという。地域のことは地域の方が一番理解しているということで、実際に歌う小学生ではなくとも、校歌の生みの親として、関われる可能性もあるのだ。

〈1/2頁〉
【次の頁へ】


【もどる】