もしかして稲佐山も50周年記念?

このように様々な歴史を持つ稲佐エリア。そしてもうひとつ、稲佐山には別の一面がある。実は明治32年から終戦まで陸軍省の要塞地帯にすっぽりと収まっていたのだ。長崎に生まれ育った80歳過ぎの方に話を聞くと、終戦の頃までは「稲佐山(岳)にはのぼったらいかん」といわれて育ったのだという。おそらく、海岸部や三菱重工業(株)長崎造船所など、軍部の機密情報を見下ろす重要な場所に位置していたため、一般市民が山に入ることが許されていなかったのだろう。では、稲佐山が今のように市民の憩いの場となったのはいつ頃からなのだろう?

稲佐山の姿形を思い浮かべるときに、欠かせないのが、テレビ塔の存在だ。
今年、テレビ放送50周年を迎えたNBC長崎放送。当時の様子をよくご存知で、現在、報道局 ライブラリー部に所属の堀田武弘さんにお話を伺った。

堀田さん「それまでも稲佐山山頂への道路はあったんですが、大きいトラックが通る今のような道ができたのは、当時テレビ塔のある場所に局社を建てる際、建築資材を運んだ昭和33年頃でした。」


実際、昭和8年に稲佐山登山道路は開通しているが、その頃は車自体が少なく、舗装もされていなかった。つまり、昭和34年のテレビ放送をきっかけに、それまでほとんど眠っていた稲佐山が眠りから覚めたように動き出したのだ。

堀田さん「開局当初は、NBCで制作していたのはニュースのみで、昼と夜、放送のたびにアナウンサーを入れて3人で、機材を持ってテレビ塔まで登っていましたよ。稲佐山の局社には展望台もあったんです。」

テレビ塔が展望台だったとは初耳だ。


NBC長崎放送報道局
ライブラリー部の堀田さん


稲佐山山頂に設けられた当事の局社の様子

テレビ塔ができた頃の
稲佐山とロープウェイ

堀田さん「昭和34年元旦の放送開始前に、前年の12月24日、大浦天主堂から生中継をしたんですよ。まだ、中継用のカメラもなかったから福岡のRKBから借りてね。」

確かに当時の新聞のテレビ欄には、試験放送“午後11:30〜 クリスマス特集「クリスマス・ミサ中継」(長崎市大浦天主堂から)”とあり、大浦天主堂の写真付の番組案内記事が掲載され、福岡、岡山、大阪、名古屋、東京の五局にネット(配信)すると書かれていた。

堀田さん「稲佐山山頂に吉井勇さんの歌碑があるでしょう。あの短歌の構想を練ってもらうために、当時の田川市長や郷土史家の林源吉氏が、吉井さんを稲佐山山頂に案内されたんですが、その様子もニュースで報道しましたね。」

”おほらかに 稲佐の嶽ゆ 見はるかす 海もはろばろ 山もはろばろ”

当時のニュース原稿にはこうある。
(吉井氏は)「お世辞抜きに雄大な眺めです。この眺めに負けない歌ができるかどうか…」とすっかり感嘆。短歌はのちほど長崎市へ送られ、市が稲佐山山頂付近に石碑を建てる予定である。(1959年3月12日木曜日)


吉井勇さんの歌碑

このNBCの放送開始から遅れること10ヶ月。昭和34年10月に運行を開始したのが、長崎ロープウェイだ。晴れた日には雲仙、天草、五島列島まで眺めることができる日中の清々しい眺望と、長崎が誇る1000万ドルの夜景を見渡す空中散歩は、50年前からの長崎名物なのだ。
長崎ロープウェイ http://www.nagasaki-ropeway.jp/


車で走っていたら、こんな風景にも出会う


歩いても、車でも楽しめる稲佐山

また、長崎育ちの人々の中には、稲佐山といえば「遠足」という人も多いことだろう。実際、この長崎を見渡せる絶景地であることや、333mという手頃な距離から、市内の多くの小中学生や高校生の遠足の地として定着している。

今回、そのひとつである稲佐山北麓、立岩町方面の登山路から稲佐山中腹を目指しトレッキングを敢行! 木々に覆われた山道は、結構険しく、落ち葉がいっぱいで時折滑り落ちそうになりもしたが、ゴールの稲佐山中腹までおよそ30分、木漏れ日が心地良く、じんわりと汗がにじむ程度の清々しいトレッキングが楽しめた。


はじめは舗装された道を登る


15分も進むとゴツゴツして
歩きにくい山道に

平成2年に開催された「長崎『旅』博覧会」に合わせて稲佐山道路が改良され、公園に屋外ステージが新設、展望台も新調された。近年ではドッグランもでき、愛犬登録した方は、自由に使用することができるようになっている。
稲佐山公園ドックラン http://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/190001/195002/p005145.html
噴水のある遊具広場、シカやサルのいる動物広場、数々の思い出が残る野外ステージ。春には約8万本のツツジが楽しめる稲佐山つつじまつりもある。

稲佐山野外ステージ
いつも憩い客で賑わうステージ前の広場


美しいつつじ
この時期、満開のつつじと
素晴らしい絶景が楽しめる

ときにはお弁当を持参して、家族で「遠足」というのもいいかもしれない。また、今年4月、中腹からの乗り合いタクシーは廃止され、山頂の「稲佐山公園展望台」付近に駐車場が完成し、一般車両が利用可能になった。これまで以上に気軽に稲佐山山頂からの景観が楽しめそうだ。

駐車場:乗用車40台
(山頂・30分100円、最初の20分無料)/(中腹・乗用車400台、バス30台)
年中無休、24時間利用可能。
長崎市みどりの課 TEL.095(829)1171



山頂の駐車場
山頂まで車で行けるから、
時間がない観光客にも便利!
明治44年(1911)、稲佐沿岸の改良工事などを手がけた当時の長崎市長・横山寅一郎氏の功績をたたえ、海岸沿いに桜が植樹され、功労碑が建てられた。今は旭大橋の真下(稲佐側)に「横山櫻」と刻まれた碑があるのみだが、当時、この辺りは桜の並木道だったのだろう。

横山寅一郎氏の功績をたたえた碑
「横山櫻」

今回は、“稲佐山のすべて”と題してまとめてはみたが、実はまだまだ歴史を掘り起こせば面白い話が出てきそうな気配。この続きは、ぜひ皆さんがかつての稲佐エリアの情景を思い描きながら、実際に訪れ、ナガジン!目線でみつけてみてほしい。

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【稲佐山の誕生と地名の成り立ち】
【稲佐の町と、そこに生きた人々/志賀の波止場
【ロシアとの親密関係/稲佐のお栄さん!という人】
【稲佐の町のあんな話、こんな話】
【もしかして稲佐山も50周年記念?】