長崎市名誉市民第一号。今年2月、生誕100年を迎えた永井隆博士のことをあなたはどれくらい知っているだろうか? 今年もまた長崎は8月を迎える。永井博士が残した作品に触れ、ゆかりの地を巡り、世界の平和を祈る作家、という一面に迫ってみたい。

 

ズバリ!今回のテーマは
「永井博士はあなたの中に!」 なのだ





永井隆博士



永井隆記念館

永井隆博士についての概要は…… ナガジン ミュージアム探検隊「永井隆記念館(如己堂)」参照

●永井隆博士ナビゲーター
永井隆記念館館長 永井徳三郎さん
永井隆博士の二人のお子さんのひとり、誠一さんのご子息で、博士とは会うことが叶わなかったお孫さん。現在、永井隆記念館館長として、永井隆博士の遺志を発信し続けておられる。



永井徳三郎さん


永井隆博士といえば、病床に臥しながら二人の子どもたちと過ごした二畳一間の住まい「如己堂」が思い浮かぶ。今も現存するこの小庵の名は、自分と同じように他人を愛するという「如己愛人」の精神からきている。今の時代を生きる私たちにとって、この言葉の中にはできそうでいて、なかなかできない、 とっても難しい課題が凝縮されているようだ。このような博士の考え方の基盤になっているのは、キリスト教との出会いが大きいと想像できる。

■徳三郎さん
「もちろん、宗教的な背景があっての永井隆の言葉です。実際、信者さんを中心にして、祖父の言葉が語り継がれてきたというのも事実ですしね。」


如己堂
医学博士であり、厚い信仰心を持つカトリック信徒だった博士は、レントゲンの検診の際、浴び続けた放射線の影響により、被爆前にすでに白血病を患い、余命3年の宣告を受けていた。そして、原爆によって愛妻・緑さんを亡くし、自分もまた被爆による白血病と戦いながら死の直前まで原子病の研究と発表を続けた。そして、『原子爆弾救護報告』の執筆をきっかけに、病床に臥してからは強いメッセージのこもった作品の数々を「如己堂」でしたためた。

永井博士の著書

永井隆博士のことを知るには、やはり著書を読むのが一番だ。医学と信仰における人類愛、探究心、また博士が見て感じた原爆落下直後の長崎の町と人々の様子。残しゆく子ども達への思い。平和への願い、祈りなど、博士のすべてが詰まっているのだ。
永井隆博士の著書全17作品
『この子を残して』『花咲く丘』『平和塔』『生命の河』『原子雲の下に生きて』『長崎の鐘』『如己堂随筆』『長崎の花(上・中・下)』『原子野録音』『私たちは長崎にいた』『いとし子よ』『ロザリオの鎖』『亡びぬものを』『村医』『乙女峠』(永井隆全集機銑祁悩椽隋


永井博士の著書17作品

『長崎の鐘』『亡びぬものを』などの被爆体験を記した小説、死の床に臥す父親が後に読んでもらうために二人の幼い子どもに向け綴った遺言書的エッセイ『この子を残して』、『いとし子よ』。その他、博士の作品には、身近な出来事をユーモラスに、また機知に富んだ表現で描かれたエッセイや私小説などが多い。そのなかでも、とりわけ「隣人愛」に触れたメッセージが多いのだが、それがあらゆる角度から描かれていて面白い。
わがいとし子よ 「なんじの近き者を己の如く愛すべし」(中略)なぜなら、これは人の守るべき最も大きな掟であるからである。
『いとし子よ』収蔵 いとし子 より抜粋
---サンパウロ




『いとし子よ』

というように、ストレートに表現されていることもあれば、自分のことばかりを捲し立てるように話し続ける見舞い(?)の女客の訪問に際し、

(前略)それはそうとして、私というものの使い途がまだあることが今日わかった。目が見え、手の動くかぎりは原稿を書き、目も手も役に立たなくなったら、口を使って話し、それを人に書いてもらい、いよいよ口もきけなくなったら仕方がない、体はさいわい大きくて動かず、おまけに熱も高いから、敷きぶとんの下に隣人のズボンを入れておけば、アイロンの代わりになろう。しまいに床ずれができたら、ズボンを汚すから、それでいよいよ世の人のお役に立てぬ廃物となるのだ。……と思っていたのだが、あの女客のように、ただおしゃべりを聞いてあげさえすれば、悦んでくれるのなら、さいわい耳の孔は別に努力をしなくても聞いているのだから、なるほど人間というものは、この世の息が通っている限りは、この世の隣人のご用に立つものだわい!
『花咲く丘』収蔵 石地蔵 より抜粋---サンパウロ

と、いうように自身の境遇に照らし合わせ、ユーモアあふれる表現でもって、スッと心に入って理解できるようなやさしい手法で「隣人愛」を語るのである。 それにしても、こんなにも生き生きとした文章で、自分の心の機微を豊かに表現した数々の作品が、病床で、この小さな如己堂で生まれたのだと思うと、感慨深いものがある。

『花咲く丘』

◆ゆかりの地 如己堂(にょこどう)

原爆で無一文となった浦上の人々が、博士のために建てた永井隆博士の病室兼書斎。



如己堂

〈1/2頁〉
【次の頁へ】


【もどる】