日本はもとより、今、アジアを中心とした海外のクリスチャンに注目されているキリシタンの里・外海。角力灘に沈む夕陽が美しいこの町には、苦難に満ちたキリシタンの歴史を今に伝える史跡が数多く残っている。なかでも来年列福される次兵衛神父ゆかりの“次兵衛岩”は今や聖地。


ズバリ!今回のテーマは

「謎の神父潜伏の地、巡礼の旅!」 なのだ



さて今回の主人公は、キリスト教禁教時代に宣教師として活躍し、西坂の丘で殉教した金鍔次兵衛(きんつばじひょうえ)という神父さん。
“南蛮仕込みの魔法使い”という異名を持つ彼は、不思議伝説を数々残し、今もその功績を讃える声が絶えない偉大な人物だ。
それではまず、その次兵衛神父の生涯に触れてみることにしよう。

◆伝説の宣教師・次兵衛神父の生涯◆

慶長7年(1602)、現在の大村市に住む敬虔なクリスチャン夫婦のもとに誕生。現在の南島原市にあった有馬のセミナリヨ(小神学校)で、神学はもとより語学など熱心に学んだのだが、セミナリヨが閉鎖されたためマカオに渡り勉強することに。元和9年(1623)、21歳の時、アウグスティノ会に入会(修道名トマス・デ・サン・アウグスティノ)。やがてフィリピンに渡り、マニラで司祭となった次兵衛神父は、密航により帰国する。そして入牢していたアウグスティノ会日本管区長であるグチレス神父を探すため、長崎奉行所に馬丁(ばてい)として潜入。それから昼は馬丁として忠実に働き、夜はキリシタンの家を訪れるという不眠不休の二重生活を行うこととなる。その間、キリシタン達を励まし、ゆるしの秘跡を与え、ミサを捧げるという日々。弾圧で弱くなった多くの背教者を改心させ、新しいキリシタンには洗礼を授けた。禁教下に次兵衛神父によって洗礼を授けられた信者は実に500人を下らなかったという。
しかし間もなくその存在を奉行所に見破られ大捜索がはじまることとなる。次兵衛神父は2年もの間、追っ手を逃れながら伝道を続けたが、寛永14年(1937)、密告者によって捕らえられた。奉行所は援助者の名前を自白させるため、また捜索に長い時間を費やした恨みを晴らすため、水責め、焼き鏝(こて)など、あらゆる厳しい拷問を試みたが、次兵衛神父は恩人を一人も裏切ることなく苦しみに耐えぬいたという。そして寛永14年(1637)、2度のさかさ穴吊りという最も過酷と言われた拷問によりついに殉教。勇気と熱意ある信仰心に満ちた35年の生涯を終えた。

◆不思議伝説◆
長崎中を駆け巡り、気がつけば江戸へ
変装の達人!? 侍、金鍔次兵衛
馬丁として奉行所に潜入していた次兵衛神父は、昼間は侍に変装。豪華絢爛な金鍔(つば)の脇差をおびて武士に化けていた。鍔にマリア像を刻んでいたという話もあるが、変装して身をくらましているのにわざわざ手がかりを知らせるわけはないので、これは疑問! 昼は馬丁を装いつつもキリシタン達を指導してきた次兵衛神父の存在が密告されると、奉行所は35日かけて大規模な山狩りを決行。ところが、その時次兵衛神父はこれらをくぐり抜け江戸へ渡り、家光の家臣達に洗礼を授けたという足跡が残されている。江戸に渡る際は誰にもわからないように醜く変装。江戸へ着いたら、長崎の経験で立証済みの最も安全な場所、将軍の家へ直行。下働きに扮装して見事に将軍家で働いていたのだ。なんとも常人離れした頭脳と動き! まさに“南蛮仕込みの魔法使い”そのもののエピソードだ。
ちなみに長崎市戸町にある“金鍔谷”という地名は、そこがキリシタン達を出来るだけ効果的に助けるために次兵衛神父が設けた隠れ家だったことを今に伝えている。最後に密告者によって捕らえられたのもこの洞窟だったといわれている。


ここでタイトルにある“列福目前!”について説明。
二十六聖人やフランシスコ・ザビエルのような聖人の位(聖人の場合は列聖)にあげられる前提として、尊者の徳ある行為や殉教によってその生涯が“聖性”に特徴づけられたものであったことを証す「福者」(聖人の前段階)という敬称がつけられる。その福者の列に加えられることを「列福」といい、その式を「列福式」というのだ。現在のカトリック教会では、列福はローマ教皇庁によって行われる。福者になるためには、殉教者の場合以外では一つの奇跡が必要とされ、調査委員会が中心になって様々な資料を集め厳密に調査する。その最終的調査資料のもとで、列聖省の専門委員会を経て同省の枢機卿委員会での会議を通った後、ローマ教皇が列福の教令に署名し、列福式をもって「福者」と宣言されるのだ。

つまり、“列福目前!”とは、次兵衛神父が「福者」の列に加えられる日が近いということ。実際、2008年11月24日(月・祝)に、長崎の地で(日本で行われること自体がはじめて)列福式が行われることが決定した。

ちなみに20世紀の福者として尊敬されているのが、教皇ヨハネ二十三世、マザー・テレサ。2年前に亡くなった教皇ヨハネ・パウロ二世については、現在ローマ教区列福調査委員会が列福のために調査を始めているそうだ。

聖人とは、生存中にキリストの模範に忠実に従い、その教えを完全に実行した人たちのことで、神と人々のために、またその信仰を守るためにその命をささげるという殉教もその証明となる。日本の教会に関係する聖人では、聖フランシスコ・ザビエルをはじめ、日本26聖人殉教者(日本二十六聖人殉教地)、聖トマス西と15殉教者(中町教会)、聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父(本河内教会〈コンベンツアル聖フランシスコ会聖母の騎士修道院〉)と、すべて長崎に関係していることは一目瞭然! 日本におけるキリスト教の聖地として、長崎が世界から注目を受けるひとつの所以なのだ。
今回、この列福目前の次兵衛神父ゆかりの聖地巡礼の旅に誘ってくれるのは、外海が持つ歴史の魅力にいち早く目覚め、キリシタン史跡をおよそ30年余り前から県内外に発信してこられた外海史蹟保存会会長の山崎政行さん。

次ページでは、山崎さんと次兵衛神父との“運命的な出会い”や“不思議伝説の裏話”などを交えながら“次兵衛岩”巡礼リポートをお届けするとしよう。

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