■ 乙名部屋に住んだ乙名に接近!

出島に出入りする日本人役人の詰所!
典型的な日本建築・乙名部屋

長崎奉行直轄! 地役人の長である町年寄の支配のもとに貿易が行なわれていた出島和蘭商館には、その町年寄の下僚である出島乙名や阿蘭陀通詞など、出島に出入りする日本人役人が200人程度いた。そんな日本人役人の詰所となっていたのがこの乙名部屋だ。しかしここが使われていたのは交易時のみで、2階部分が乙名の住居となり、夜は島に滞在できない倉庫番役人、夜警の番人、オランダ船と出島とを行き来する小船を見張る番人などが日中ここに滞在した。


乙名部屋
外観も内部も、カピタン部屋に比べると典型的な日本家屋といった印象。カピタン部屋の裏側あり、カピタン部屋の1階通路を通り容易に出入りできるようになっていて、間には中庭がある。
復元された乙名部屋の1階では、乙名の仕事を分かりやすく紹介している。

● 乙名の仕事
出島で働く日本人を管理!出島町の町長さん
長崎の地役人である乙名(おとな)は、町役人として町の支配を任され、市政、貿易を専業としていた。時には新たな仕事や専門的な仕事を引き受けるために付け届けまでするほどに運動をしたという。長崎では80ヶ町以上に町が増えることがなかったため、乙名の定数も増えることはなく、町役人というよりも、組織における中間管理職的仕事を担っていた。ここでもケンペルの表現をお借りすると、彼は町年寄のことを長崎奉行の下に使える“4人の市長”と観察していたが、その下で市政、貿易の仕事に関わる実務の責任者であった乙名は、長崎の町を支えた、いわば“町長”的存在だった。乙名は総計85名。その内訳は、一般住民の居住する77ヶ町の乙名である惣町乙名が77名、丸山、寄合の傾城(けいせい)町が各1名の計2名。唐人屋敷乙名4名に、出島乙名が2名だった。
出島乙名の役割は、もちろん出島管理の日本人責任者。主な仕事は出島での道路や家屋の工事の世話、出島に出入りするための門鑑(もんかん/通行許可書)の発行、火消し場などの公共施設の監視、商館員の使用人の割り振り、商館員の生活や行動の監視などがあった。出島乙名は、はじめ出島を築造した際に出資した25人の出島町人から選ばれたが、後に町乙名から選ばれるようになり、初めは1名だったが元禄9年(1696)から2名になった。貿易船滞在期間中は乙名部屋に滞在し、上記のように貿易や商館員の交代に関わる仕事を、貿易の時期以外には出島内の建物などの修繕工事の責任者としての業務を行なった。

●乙名の悩みパート1
もしかしてリストラってことも?

町年寄が長崎発祥以来の世襲を誇っているのに対し、乙名は発祥が元禄以降からの世襲制。特に江戸時代になってから任命された家柄が多いという。乙名職の約半数にあたる40家は2度3度と支配を預かる居町(いまち)を替えるのが通常で、これは乙名が町代々の住人ではなく、ちょうど現在の公務員のように転任する可能性が大いにあったことを示している。いきなり出島乙名を命じられ戸惑った乙名もいたことだろう。しかも、転任はおろか容易にリストラされることもあったのだという。町年寄に昇格した薬師寺家は例外で、町年寄のいうことは絶対!の上下関係。まさに上司(奉行、町年寄)の考えに左右される不安定な中間管理職だったのだ。

●乙名の悩みパート2
日雇い労働者達の面接には神経ピリピリ?
出島に出入りする日本人の中で、出島役人や諸商売人より群を抜いて数が多かったのが荷積み荷下ろしなどの作業を行なう“日雇い労働者”。彼らは末端の労働力ではあるが、対外貿易に従事することに誇りを持って“日雇い渡世”を送っていたが、オランダ船の停泊中、しばしば荷物の一部を盗むという悪習があった。彼らの傲慢さに荷物を警備するオランダ人とトラブルが起こることもあり、オランダ側は奉行所に嘆願を繰り返した。
そう!このことは本来ならばカピタンの悩みなのだろうが、その後の展開に中間管理職である乙名の辛さがある。嘆願を受けた奉行所から乙名に「……オランダ船の荷役に関わる日雇いたちは日雇い頭から末々の者にいたるまでその町乙名はよく吟味し、少しでも怪しいところがある者は荷役に出さないように。もし少しでも日雇いたちに不法な行為があったら当人だけでなくその町の乙名組頭まで処分が及ぶこととなる……」という通達が出されたのだ。日雇い労働者達の人柄を重視する選定は、きっと乙名達の頭を痛める仕事だったに違いないのだ!

川原慶賀筆『唐蘭館絵巻・蔵前図』
(長崎歴史文化博物館蔵)
 
コラム★絶対食べたい!出島のうまいもん!

明治36年(1903)、現在グラバー園内にあるリンガー住宅の住人、英国人フレデリック・リンガーによって建てられた英国式洋風建築物・旧長崎内外クラブ。この建物は外国人居留地時代、長崎に暮らす外国人と日本人の交流の場として賑わった場所で、当時バーやビリヤードなどがあり様々な催しが行われていた。
この建物の1Fを利用した喫茶レストラン“オランダ茶屋”は、出島にゆかりのある食材や長崎古来のメニューをアレンジしたフード&ドリンクメニューはもちろんのこと、出島から輸出した古伊万里を彷佛とさせる器や、オランダ東インド会社のVOCマークを刻印したオリジナルの器など、細部にまで“長崎・出島”にこだわりを持って接客しているショップ。

“オランダ茶屋”
●営業 10:00〜18:00/金・土曜〜20:00(※〜10月9日までは夜間営業〜21:30)
※長崎さるく博’06 開催中のみの営業予定(〜10月31日)

Check it! 出島でランチ!【南蛮カレー】800円
見てビックリ! 旬の野菜たっぷりの極上カレー
サフランライスの上にびっしりのせられた具材に仰天! それは、チーズ入りオランダハンバーグと地元の野菜。実は食肉の伝来もこの出島からなのだ。また、野菜は旬のものを使用するため、春にはたけのこやワラビまでもがトッピングされたのだとか。日本におけるカレーのルーツは、銀のスプーンで食べる習慣を考えてもイギリス海軍説が有力候補。しかし、ポルトガル人がインドで発見したスパイスをいち早く長崎に持ち込んでいた可能性もなきにしもあらず……ということで、出島の最初の居住者、ポルトガル人にちなみ南蛮カレーと命名された訳。この“南蛮カレー”は長崎さるく博’06の食さるくの定番メニュー。各店その特徴は様々で、さるく博期間中、市内「食さるく」ののぼりが立つ食事処で味わうことができる。

南蛮カレー

Check it! 出島でブレイク!【出島バーガー】350円
出島に伝わったキャベツがポイント
今年4月のオープン以来、各方面で“旨い!”と評判を呼んでいるのがこの出島バーガー。バンズに挟まれた具材は、レタスとミンチカツ、それにチーズ!その間にデミグラスソースとマスタード、そして決め手のオリジナルポテトソースが加わる。出島バーガーが出島バーガーである由縁はこのミンチカツとジャガイモにある。ミンチカツにはみじん切りにしたキャベツ(オランダ菜)が入っているのだ! 日本ではじめて出島に伝わったジャガイモ、食肉、オランダ菜のコラボバーガー。お味はいかに? 写真奥は出島阿蘭陀コーヒー350円。
出島バーガー

Check it! 出島でクールダウン!【出島ミルクセイキ】400円
すっかり定着?長崎名物食べるミルクセイキ
添えられるのはストローとなぜかスプーン! 運ばれてきたそのグラスに、驚く観光客は多数! 九州初の喫茶店を擁する土地柄のせいか、他県にみられない独特のミルクセイキが長崎には存在する。というか、長崎ではこれが普通のミルクセイキ! 牛乳とたまごの素朴な味わいと、シャリシャリの食感。ひとしきりその食感を楽しんだら、ストローで飲み干す。長崎のひんやり夏メニューをご賞味あれ!
ミルクセイキ

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