今年3月、新たに復元された5棟(水門、カピタン部屋、乙名部屋、三番蔵、拝礼筆者蘭人部屋)の建物情報に加え、その建造物を利用した人物にも注目! 復元されつつある19世紀初頭の出島は、発見と驚きに満ちあふれている!
ズバリ!今回のテーマは 「知られざる出島の一面と、そこに住んだオランダ人エピソードに迫る!」 なのだ
もちろん、長崎の町人が出島に入ることには厳しい規制があったし、それは出島のオランダ人も同様だった。 しかし、丸山や寄合町の花街から小舟に乗って出島へ渡る“オランダ行き”の遊女達は、オランダ人の男性は……なんて話や、一緒に食べた西洋料理や飲み物、もらった贈り物などを町の人々に教えて聞かせるだろうし、長崎の氏神様・諏訪神社の秋の大祭である長崎くんちが始められた寛永11年(1634)から20年後の承応3年(1654)。
【日本人側の構成】 出島乙名、阿蘭陀通詞、抜荷(ぬけに/密貿易)を監視する探番(門番)、料理人、出島から自由に出ることができないオランダ人に変わって日常品などを買ってきてあげる買物使。その他草切、火用心番などいろんな役職の人がいた。
彼らを通じ、オランダ人と長崎の人々が何らかの繋がりを持ち、また、親交を深めていったのだろうか?
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