◇海外文化の入り口である長崎をチェック!
■1.大航海時代
長崎に富と文化をもたらしたヨーロッパ

入場すると長崎開港の頃の『オルテリウス世界図』が足元に広がっている。今から約500年前、西ヨーロッパが近代へと歩み出した頃、ポルトガルやスペインをはじめとする国々は大西洋やインド洋に進出するようになった。その目的はキリスト教の布教と貿易や領土の拡大。この彼らの進出が、世界を結ぶ東西交流を生み出し、日本の中でこの長崎の地がその大きなうねりにのみ込まれることになった。入り口の『オルテリウス世界図』は、ヨーロッパから日本に向けての海路を示すものとなっている。彼らが命懸けで漕ぎ出した航海にはじまるこの時代は、まさに『大航海時代』と呼ぶにふさわしい。このゾーンでは、平戸開港にはじまり、出島の誕生、鎖国期の国際貿易港・長崎など、海外との交流に関する一連の流れから、伝来したキリスト教、南蛮文化などにも触れられている。


◆越中さんおすすめポイント!◆
「ここでのポイントは、末次家の絵馬でしょうね。長崎県文化財でこれまでなかなか目にすることができなかったものです。保存環境を維持するため暗くて見にくいですが、御朱印船で儲けた長崎商人の証と呼べるものですね。」

☆ナガジンおすすめポイント!☆
ナガジンがこのコーナーでプッシュしたいのは、寛永長崎港図。元亀元年(1570)長崎開港の翌年、日本初のキリシタン大名・大村純忠が、長い岬先端に行った6ヶ町の町建てにはじまり、長崎港中心に栄えていった様子がうかがえるのだ。



★寛永長崎港図

★バーチャル・トリップチェック!★
17世紀初期『南蛮人来朝之図』(国認定重要美術品)には何が描かれている? この屏風前のモニターでは、取り込まれた画像の詳細を目にすることができるので、南蛮人の服装や顔つきで、宣教師か商人かを判別することや、犬や馬など運び込まれた動物、それに対する侍らしき日本人の反応などをじっくり楽しむことができる。



◇幕府の窓口として機能した対馬藩をチェック!

■2.朝鮮との交流
国と国との正式な外交を結んでいた朝鮮と日本

大航海時代、ヨーロッパ諸国との間で盛んに行われた貿易は、いわば商人同士の商い。しかし、鎖国時代、日本と朝鮮は国と国との正式な外交関係を結んでいた。その立て役者が長崎県の対馬藩。対馬藩は幕府の窓口として朝鮮と友好的な関係を築いた結果、12度にも及ぶ“朝鮮通信使”が来日。この通信使との交流は対馬〜江戸間で展開され、約500名にも及ぶ華やかな大行列が行われ、通路にあたる各地の大名達は彼らを接待するために莫大な出資を強いられ、さらに各地の文化にも影響を与えたといわれている。このコーナーには、朝鮮通信使の華やかな大行列を描いた『朝鮮国信使絵巻』のレプリカも収蔵しているのでチェックしてみよう!


◆越中さんおすすめポイント!◆
「ここでは雨森芳洲ですね。日本と朝鮮との友好に尽力した対馬藩の儒学者です。「真文役」として朝鮮外交を担当した人物で「たがいに欺かず、争わない」、芳洲は善隣外交こそ『誠信の交わり』であると唱えたといいます。」



◆雨森芳洲

☆ナガジンおすすめポイント!☆
ナガジン取材班の目に飛び込んできたのは、TVの某鑑定番組で高額をはじき出していた記憶のある陶磁器。対馬藩が朝鮮の※倭館(わかん)に設けた釜山窯で焼かれた日本向けのものとか。16世紀後半、日本で侘茶が流行していた頃の茶陶だけに、深い味わいを持つ品だ!



★釜山窯陶磁器

◇輸出入品によって誕生した文化をチェック!
■3.長崎貿易

美術、工芸、建築、食。互いに異文化の花開く

足元にゆらゆら揺れる水色の光。出島の入り口である水門をイメージしたゲートを進むと、次は上方に長崎の町が目に飛び込んでくる。海外からの貿易船が目にした光景が再現されているというわけだ。まだ唐人屋敷や新地荷蔵ができる前の時代の長崎の町だ。長崎港を取り囲むように立ち並ぶ家々。この時代、この長崎の町全体が海外と数々の貿易を行っていたのだ。長崎貿易では、当初、銀や金を中心に輸出していたが、改鋳によって品質が悪くなると、銅が輸出の主力となり、アジア諸国の銅銭の原料や、オランダの船の艦載砲の原料となった。ほかには、全国各地の産物 “俵物(たわらもの)”、陶磁器や漆器、葛飾北斎や安藤広重などの浮世絵がヨーロッパへ渡り、モネ、ゴッホ、ロートレックなどの画家達に強い影響を与えたといわれている。


◆越中さんおすすめポイント!◆

「煎ナマコやフカヒレ、干アワビなど全国から集められた各地の産物は、俵に詰めて輸出したために“俵物”と呼ばれ、この俵物は中国貿易で人気を集めたといわれています。」



◆長崎俵物


☆ナガジンおすすめポイント!☆

長崎名物のカステラの原料でもあり、長崎の郷土料理をちょっぴり甘めにした長崎貿易の主たる輸入品・砂糖の行方を紹介したモニター『砂糖の旅』! 出島で輸入されていた砂糖は今でいう“ブランド品”。白砂糖300籠で2億円だったというから驚かされる。大阪や江戸へと運ばれたこの砂糖はかの“大奥”でも消費されていたというが、なんとその消費量は1日に600キロ! なんとも派手な消費ぶりにびっくり。



★砂糖の旅

★バーチャル・トリップチェック!★
さてさて、当時、象牙やカナリアっていったいいくら位で取引されていたのだろう? このゾーンにあるモニターは、当時の物価をヒントに、アナタ自身がモロモロの商品の値段をはじき出し、競り落とすことができるお遊びモニター。ぜひチャレンジしてみよう!


◇長崎に今も息づく中国をチェック!
■4.中国との交流
長崎に、日本に、多大な影響を与えた中国文化

江戸時代、中国との貿易の舞台となった唐人屋敷。その唐人屋敷に滞在する中国人達の信仰を支えた唐寺。彼らは長崎の地に詩文や絵画、書など、生きた中国文化を直接運び込んだ。ペーロン、龍(じゃ)踊り、精霊流し、中国盆会、春節祭(長崎ランタンフェスティバル)などなど、今も受け継がれている長崎の祭りなどには中国文化の影響を受けたものが数多く、長崎では四季折々に“中国色”を体感することができるのだ。


◆越中さんおすすめポイント!◆

「これまで、絵巻などで唐人屋敷の構造は知らされてはいたのですが、きちんとした模型がなかったんです。だからこの模型は必見ですね。」


◆唐人屋敷の模型

☆ナガジンおすすめポイント!☆
模型といえば、戦前、原爆で伽藍(がらん/寺院を構成する建物の重要な部分)が破壊される以前は国宝に指定されていた長崎三福寺のひとつ、福済寺の模型も見逃せない。こんなに素晴らしい伽藍だったなんて……驚き!


★福済寺


眼鏡橋のパズル

◇町民の暮らしぶりを細かくチェック!
■ 5.貿易都市長崎
四季に敏感!天領・長崎の町人は特別優遇!

唐船やオランダ船の入港から出帆に至る一連の業務や、管理などは長崎の町人の負担であり、役所普請の費用負担や長崎奉行への八朔礼銀(はっさくれいぎん)なども義務となっていた。しかし、貿易業務や船の警備などを取り仕切る宿町・付町を担当した町にはそれぞれ宿町銀・付町銀が支給され、長崎町人の特権である箇所銀・竃(かまど)銀と呼ばれる地下配分も配られた。つまり、当時の長崎の町民はとっても豊かな生活を送っていたということなのだ。そのため、正月の年始まわりや雛祭り、端午の節句など豪華なしつらえをする家が見られた。このゾーンでは、絵師・川原慶賀が描いた作品を参考に当時の町屋を復元し、季節ごとのしつらえを楽しむことができる。


◆越中さんおすすめポイント!◆

「長崎奉行が町年寄に命じて作成させた長崎総町80ヶ町の長さや幅、面積、箇所数、竃数、人家、人口などを記した貴重な明細帳が発見されています。これによって、町年寄の1年の仕事内容も把握できたんですよ。」


◆市中明細帳

☆ナガジンおすすめポイント!☆

今では見られなくなった、豪華な正月飾りに驚嘆! 取材時は1月だったため正月飾り、正月料理などがしつらわれていたが、復元された町屋では準じ季節に応じたしつらえになるのだそうだ!


★正月飾り


★バーチャル・トリップチェック!★
これは桶屋町の町年寄の1年間の仕事が紹介されている。お勉強モニター。町年寄ってとっても忙しいのだ。


◇海外の影響を受けた美術をチェック!
■6.長崎の美術
美術もまた長崎経由。全国へ広がった長崎派のアート

江戸時代の長崎は、美術の分野においても中国やオランダとの交流から強い影響を受けた。漢画、南画、洋風画といった新しい絵画様式の先進地となり、当時の日本画壇に新風を吹き込んだ。そして隠元禅師によってもたらされた黄檗(おうばく)宗の影響で肖像画を中心とする黄檗画派も誕生。これらの絵画は総称して“長崎派”といわれた。また、書の分野も中国の影響が強く、ダイナミックな新しい様式は、“唐様の書”と呼ばれ国内に広まり流行したという。長崎版画は、当時オランダ船で輸入されたゾウの絵などタイムリーな話題が次々に摺られ人気を集めたという。
※このコレクション展示室は、豊富な収蔵品の中から2ヶ月に1度は入れ替えられる。

☆ナガジンおすすめポイント!☆

1月中旬に訪れたナガジン取材班の目に留まったものは、崇福寺に入山した即非禅師の勢いのある美しい書や、長崎の町年寄である高島家の出身で砲術の祖としても全国に知られる高島秋帆の実直な性格が伺えるような書。また、かつて中島川の畔にあった中島聖堂玄関の壁面に掲げられていた壁画が興味深かった!


即非禅師の書

高島秋帆の書

中島聖堂の壁画

◇質、技、豪華絢爛さをチェック!
■7.長崎の工芸

今は幻となってしまった長崎工芸に触れる

長崎は古くから国際貿易都市として繁栄してきたことから、ポルトガルやオランダ、中国などの影響を受け、異国趣味あふれる工芸品が作られてきた。このコーナーでは、日本から盛んに輸出された南蛮・紅毛漆器や長崎青貝細工、県内各地で作られた陶磁器類、金工、べっ甲、珊瑚細工、長崎刺繍、長崎ガラスが展示されている。


亀山焼



長崎刺繍


長崎青貝細工

☆ナガジンおすすめポイント!☆
なんと豪華絢爛な家具! その、手間暇のかかった細工とフォルムの美しさに一見して感嘆の言葉が飛び出すに違いない! 鮑の貝殻を薄く研ぎ出して模様の形に切り抜いたものを漆器の上に貼りつけ、その上からさらに漆を塗り重ねて最後に研いで仕上げるという青貝細工。19世紀、長崎ではヨーロッパ向けに小さなお盆などの類いから展示されているような大きな箪笥のようなものまで、長崎青貝細工と呼ばれる工芸品が製作されていた。大正3年(1914)に青貝細工の技術は残念ながら途絶えてしまったので、この江戸時代後期〜末期の大キャビネットは必見なのだ。

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