文・宮川密義

“汽笛一声新橋を〜”で始まる「鉄道唱歌」(大和田建樹・作詞、多 梅稚・作曲)は明治33年(1900)5月に作られ、大正中期ごろまでの20年間にわたって大流行しました。
当時は長崎から全国に広まった「九連環(きゅうれんかん)」などの大陸メロディーのほか、「カチューシャの唄」や「船頭小唄」もはやりましたが、「鉄道唱歌」は老若男女の別なく愛唱されました。
第1集「東海道」編に続いて、同年9月には第2集「山陽・九州」編、同年10月には第3集「東北」編と第4集「北陸」編、同年11月には第5集「関西」編が出来ました。



1.「鉄道唱歌・第二集」
(大和田建樹・作詞、多 梅稚・作曲)


第2集「山陽・九州」編は神戸に始まり、68節で終わっていますが、第1集に劣らず人気を集めました。
31節から「門司よりおこる九州の 鉄道線路をはるばると〜」と九州線になり、長崎県は59番から66番まで歌われています。
早岐から南風崎を通り、川棚−大村−諌早−喜々津−長与−長崎のコース。
60節の「鎮西一」は「九州一」の意味で、天平時代、大宰府を「鎮西府」と呼んだところから出たものです。
長崎部分で目に付くのは、「南の風をハエと読む〜南風崎すぎて川棚の」「鯛の浦〜鯛つる船も」「諫早の〜いさむらん」など、同音の繰り返しや“掛け言葉”などのような技巧を凝らしていることです。
64節以降は長崎案内で、「百千船(ももちぶね)」は港に集まった無数の船舶のことで、オランダ船でにぎわった昔を偲んでいます。





旧国鉄のキャンペーン
「ディスカバー・ジャパン」にちなんで作られた
「鉄道唱歌手拭」の「九州路」(部分)

*長崎と汽車の歴史
(1) 嘉永6年(1853)ロシア使節プチャーチンが軍艦4隻を率いて長崎に入港した際、旗艦パラルダ号の士官室で、持参の蒸気機関車の模型を円卓の上で、「よき焼酎を燃やして」動かせて見せたそうです。
(2) 日本で実物の蒸気機関車が走ったのは長崎でした。
走らせたのは長崎在住のイギリス貿易商、トーマス・ブレーク・グラバーです。
新橋〜横浜間に蒸気機関車が走る(明治5年)7年前の慶応元年(1865)、上海の展示会で蒸気機関車アイアン・デューク号を買ってきて、現在の市民病院前から松ヶ枝(大浦川近く)までの居留地海岸600メートルにレールを敷き、2両の無蓋(むがい)客車に人々を乗せて走らせました。
もくもくと黒い煙を吐いて力強く走る“陸蒸気(おかじょうき)”に、詰めかけた市民は仰天したそうです。
(3) 長崎〜長与線が開通したのは明治30年(1897年)7月11日でした。今の長崎駅一帯は海だったので、最初の長崎駅は今の浦上駅のところに置かれました。
同じ日に佐賀柄崎〜早岐線も開通しましたが、早岐から長与までは汽船でつなぎました。
(4) 翌31年1月20日に早岐〜大村間が開通、大村〜長与間も同年11月27日に出来て、この日から全線が開通、長崎を起点とする長崎線と、門司を起点の九州鉄道とが手を結んだわけです。
(5) 港湾埋め立てが完成した明治38年(1905)には、現在の長崎駅のところに仮庁舎が出来、4月5日に引っ越し、旧長崎駅は浦上駅となりました。


大浦海岸を走る「アイアン・デューク号」を
描いた長崎の甲斐宗平画伯の作品
(グラバー園所蔵)



長崎市民病院前に建つ
「我が国鉄道発祥の地跡」碑のパネル


2.「鉄道行進曲」
(戸倉広秀・作詞、西条八十・補作、堀内敬三・作曲)



鉄道開通80年に当たる昭和27年(1952)、国鉄はさまざまな記念行事を繰り広げました。
歌も歌詞を公募して記念歌「鉄道行進曲」を選定しました。
これをビクター・レコードが看板歌手の渡辺はま子さんと灰田勝彦さんの歌で、27年9月に。コロムビア・レコードは藤山一郎さんと合唱団に吹き込ませ、3カ月遅れて同年12月に、それぞれレコードを出しています。
歌詞は東京を出発して西に走り、長崎にたどり着いて、再び北に向かっていますが、旅の楽しさを軽快なテンポで歌い上げた“鉄道讃歌”です。


長崎駅(現在の浦上駅)に近づく
九州鉄道の第1号列車(明治30年)


3.「僕は特急の機関士で・九州巡りの巻」
(三木鶏郎・作詞・作曲、霧島昇・二葉あき子・伊藤久男・歌)





昭和22年(1947)10月にスタートしたNHKラジオ「日曜娯楽版」は「モシモシ アノネ アノネ…」に始まるテーマ曲とともに5年間、政治や社会問題を鋭くえぐって諷刺し、国民の溜飲を下げてくれたものでした。
番組と歌の中心となったのが三木鶏郎(みきとりろう)という人。昭和初期の作詞・作曲家でしたが、作詞・作曲・台本から声優・歌手を兼ね、多面的な才能で番組をプロデュースしました。
“僕は特急の機関士で〜” で始まる「僕は特急の機関士で」は昭和26年に放送された番組の中のヒット曲で、「鉄道唱歌冗談音楽版」のサブタイトルを付け、いろいろな線を歌っています。


埋め立てられた現在地に、
明治38年に建てられた長崎駅舎
(古写真2枚は長崎文献社提供)
最も好評だった東海道線をコロムビアがレコード化、三木鶏郎、森繁久弥、丹下キヨ子のメンバーの歌で3月に発売しました。
ビクターも浪岡惣一郎、轟夕起子、服部富子、宇都美清らを起用して、同年5月に「東海道、九州編」「東北、北海道編」を出しています。
この「ぼくは特急の機関士で《九州巡りの巻》」はこれとは別に、コロムビアが霧島昇・二葉あき子・伊藤久男の人気歌手をそろえて出しました。
福岡から長崎〜鹿児島まで、ユーモラスに歌いつづっています。


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