文・宮川密義

長崎の歌には名所名物が数多く取り入れられていますが、1,550曲の長崎の歌から「港」あるいは「みなと」が付いた題名を選び出したところ、52曲ありました。
最も多いのは「女」「娘」「ひと」の93曲、2位は「恋」「ロマンス」「ロマン」の62曲、3位は「夜」「ナイト」の53曲で、「港」は4位でした。
6位の「船」(45曲)を「港」に合わせれば97曲で、最も多くなります。
「港」「船」は長崎の歌に欠かせない素材であるわけです。


1.「片しぶき」
(昭和5年=1930、西岡水朗・作詞、杉山長谷夫・作曲、植森たかを・歌)





昭和初期から数多くの作品を発表した長崎出身の作詞家・西岡水朗(にしおかすいろう)の処女作です。
水朗は海星中学を卒業するとともに新民謡活動を始めましたが、処女詩集「片しぶき」が注目され、同名のこの作品がレコードになりました。
歌詞に地名は出ませんが、しぶきをあげながら勇壮に出て行く艪漕ぎ舟の様子は、長崎港をイメージして書いたに違いありません。
水朗は長崎の海星中学を卒業2年後に「雲仙音頭」を発表します。
これで詩人としての素質が認められ上京、プロ作詞家として活躍が始まります。


水朗の処女詩集「片しぶき」


西岡水朗


2.「ながさき」
(昭和6年=1931、林 柳波・作詞、藤井清水・作曲、根本美津子・歌)




開港して間もない頃の長崎港のにぎわいが伝わってきます。
長崎の歴史を踏まえた歌曲風の歌です。
昭和12年に東京音楽学校(東京芸大)の女子寮で、長崎出身の学生が歌ったのをきっかけに、女子学生たちによく歌われました。


長崎港にオランダ船が入港する様子を描いた長崎古版画「長崎港之図」(長崎文献社提供)


3.「長崎港節」
(昭和5年=1930、長崎民謡、凸助・歌)




凸助(でこすけ)は長崎町検番の芸妓でした。
東検番の愛八(あいはち)より半年前の昭和5年(1930)9月に「長崎ぶらぶら節」をニッポノホン・レコードに吹き込みました。
その片面でこの民謡「長崎港節」を歌っています。
1節目の「鶴の港で…」から「実々そじゃないか」までは「大盃(たいはい)」というお座敷の祝い歌、2節の「旦那百まで…」から先は料亭などの玄関先で歌われた門出の祝い唄「草鞋酒(わらじざけ)」です。
最近歌われている「長崎さわぎ」はこれらを組み直したものです。
冒頭の「鶴の港」は長崎港の形を表すもの。
埋め立てが進んだ今の港では想像できませんが、次のような解釈です。

[1]今の県庁から市役所までの細長い高台を『鶴の首』、その両側に海が入り江となって入り込んでいるので、稲佐と五島町付近の陸地を翼に見立てた説。
[2]逆に、稲佐と五島町付近に入り込んだ海、つまり港が胴体で、首は竹の久保付近までの浦上川がくちばしを突っ込んだように見えたことから、鶴の形をした港という人もいました。


凸助


「長崎港節」のラベル部分


4.「長崎みなと祭小唄」
(昭和10年=1935年、八雲幽鳥・作詞、山田栄一・作曲、新橋喜代三・歌)


長崎では開港360年目の昭和5年(1930)に「4月27日」を記念日に決め『港祭り』が始まりました。
その記念日選定は昭和2年から始まっていました。
長崎商業会議所が古賀十二郎(こがじゅうじろう)さんら郷土史研究家4氏に選定を委嘱しますが、開港を何年とするかで論議が白熱しました。
3年後の昭和5年4月、「長崎町割りとポルトガル定期船入津の年の元亀2年。
月日は便宜上、4月27日」と決定。
その4月27日に第1回記念祭を開きますが、その際、「開港365年には全市挙げて祝賀行事を展開する」ことを決めていました。
「開港365年」に当たる昭和10年の港まつりは4月27日を中心に、式典や旗行列、仮装行列、海上提灯行列などで祝いました。




記念曲は長崎文芸協会が港祭りに協賛、詞を懸賞募集して作られ、歌と踊りで記念日を祝いました。
これは1等当選作です。
八雲幽鳥(やぐもゆうちょう)は長崎市の江博二(こうひろじ)さんのペンネーム。
発表会は袋町にあった市公会堂で開かれ、マンドリンを勉強中の芸者10数人も、この歌を弾き語りしながら市内を練り歩きました。


「長崎みなと祭小唄」の歌詞カード


5.「長崎開港記念歌」
(昭和10年=1935年、川上和泉・作詞、斉藤佳三郎・作曲、東海林太郎・歌)




これは懸賞募集の2等当選作で、レコードでは「長崎みなと祭小唄」のB面に入りました。
作詞の川上和泉(かわかみいずみ)さんは長崎市立高女の国語の先生でした。
格調のある歌詞に東京のプロ作曲家が曲を付け、「赤城の子守唄」などで人気上昇中の東海林太郎(しょうじたろう)さんが格調高く歌いました。
長崎蓄音器商組合は新聞に右掲のような広告を出し、「長崎開港記念歌」「長崎みなと祭小唄」など4曲を掲げ、『市のため、こぞって覚えましょう。
港のため、ふるって踊りましょう』とアピールました。


「長崎開港記念歌」などの歌と踊りを市民に呼びかける新聞広告



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