vol.5 メイド・インNAGASAKIの豪華客船

前回に引き続き、三菱長崎造船所で建造された船についてご紹介。今回は、誰もが憧れる客船に注目してみましょう。明治、大正、昭和、平成と、長崎造船所で誕生した船舶は、約2,000隻にも上ります。そのなかでも、長崎に住む私達にとって最も身近な存在といえば、客船。そして、客船といえば「ダイヤモンド・プリンセス」&「サファイア・プリンセス」の姉妹船ですね。

いつも見慣れている長崎港において、着々と巨大な客船が出来上がっていく光景は、まさに圧巻そのものでした。近年、度々里帰りをしてくれる「ダイヤモンド・プリンセス」は、長崎に住む人々にとって、親しみ深い子どものような存在。そんな気持ちは、きっと、時代をさかのぼった私達の祖先も同じだったかもしれません。

長崎造船所における本格的な大型客船建造の歴史は、日露戦争後の明治41年(1908)に竣工した「天洋丸」と「地洋丸」、また、それらに遅れること3年、明治44年(1911)に竣工した「春洋丸」の姉妹船にはじまります。それらは、蒸気を原動機とするスチーム・タービン採用の船として、当時、大西洋航路に君臨していた外国汽船会社の大型新鋭客船をしのぐほどの世界最大の巨船。いえ、大きさのみならず、速力や設備においても外国客船をしのぐものでした。

「天洋丸」の船内は、イギリス製家具を配し、ヨーロッパ風の装飾をあしらった一等ロッジに、典型的なアール・ヌーボー様式の装飾に日本古代織物の豪華なカーテンを加味した読書室、200名もの調理を一度にまかなう調理室と、当時の最上級クラスのものでした。


「天洋丸」一等ロッジ
写真提供:「三菱造船株式会社」

しかし、第一次世界大戦に続く経済恐慌に伴う打撃が、海運、造船界にも及んだ大正12年(1923)〜昭和6年(1931)、長崎造船所も不況期に突入します。この時期に誕生した客船が、当時、その豪華さから“太平洋の女王”とも称された「浅間丸」。竣工は昭和4年(1929)のことでした。乗客定員一等222名、二等96名、三等504名というこの客船、船内装飾も実に目を見張る豪華さです。一等のロッジや食堂は、18世紀のイギリス芸術の一傾向、早期ジョージアン様式で装飾設計され、支柱にはすべてイタリア産の大理石を使用。また、特別室は、我が国工芸文化の最高技術をもって製作され、居室は桃山様式、寝室の家具には漆を使用し、壁面には天平美人ツヅレ織や日本の四季の草花を描いた絵画が飾られるなど、日本文化をシンボリックに表現しました。また、一等客室には電話も設置。翌年完成した姉妹船「龍田丸」も、その豪華さを受け継ぎました。なんと大理石張りの支柱を用いたローマ様式の一等プールまで設備されていました。


「浅間丸」特別室の居室
写真提供:「三菱造船株式会社」

その後、昭和7年(1932)頃から本格化した政府の海運助成政策によって、海運界は好転していきます。オリンピックの日本開催が内定し、造船熱も高まったその頃、政府の(※注1)皇紀2600年事業の一環として建造に着手したのが、「橿原(かしはら)丸」。昭和14年(1939)、長崎造船所第三船台にて起工されました。当初、“日本の最優秀客船として日本文化を世界に示そう”という官庁の積極的な意向もあり、船内の装飾には当時の一流設計家が動員されました。しかし、「橿原丸」建造が決定されるまでに、政府と海軍との間では “有事の際には軍艦に改造する”という条件を設けられていたのです。起工から一ヶ月半、建造は順調に進み上甲板まで出来上がった昭和15年(1940)10月、空母改装の命が下ります。第二船台で超弩級(ちょうどきゅう)戦艦「武蔵」vol.4 長崎生まれの「艦船」たちが生まれようとしているその時、「橿原丸」は、「仮称第1002番艦特設空母艦橿原丸」という名に改称。日夜空母への改装工事が強行され、日米開戦に先立つこと約5ヶ月半、その巨大な船体を長崎港に浮かべました。その姿は、戦争が無事に終わっても、元の商船に戻すことが不可能な程、徹底した改造でした。そして、昭和16年(1941)、「橿原丸」は軍艦籍に編入され、空母艦「隼鷹(じゅんよう)」として海戦へ参加。空母艦として、その運命を遂げました。

それから半世紀。長崎港に美しい姿を見せてくれたのは、平成2年(1990)に竣工した「クリスタル・ハーモニー」。長崎造船所が約50年振りに手掛けた豪華客船です。現在は、日本郵船の子会社「郵船クルーズ」が買取り、日本人向けに改装され「飛鳥U」として航行。数多くのリピーターを持つ人気のクルーズ客船です。この豪華客船「クリスタル・ハーモニー」の建造を皮切りに「飛鳥」(2006年に売却され、バハマ籍の「アマデア(AMADEA)」として就航中)、そして「ダイヤモンド・プリンセス」&「サファイア・プリンセス」が、この長崎で生まれました。そして2011年11月、三菱重工業は新たに大型クルーズ客船の2隻の受注を発表。今年6月に1番船を起工しました。なんと、それらは「ダイヤモンド」&「サファイア」の両プリンセス号をしのぐ12万4,500総トンもの大型船だといいます。世界最先端の環境技術の粋を集めた次世代クルーズ客船の引き渡し予定は2015年3月、2016年3月。また長崎港に美しい船体が浮かぶ日が待ち遠しいものですね。


長崎港松が枝国際ターミナルに着岸した豪華客船は、まるで巨大なホテルのよう。

(※注1) 皇紀(紀元)とは、『日本書紀』において神武天皇が即位した年を元年として数える年数の数え方で、正式には、「神武天皇即位紀元」。第二次世界大戦前までは、紀元といえば皇紀を指した。昭和15年(1940)が「皇紀2600年」にあたるということで、国を挙げての一大イベントが挙行された。
 
参考文献
『創業百年の長崎造船所』(三菱造船株式会社)

参考ホームページ
三菱重工 http://www.mhi.co.jp/company/facilities/history/corner_06.html
 



【バックナンバー】