● 龍馬、長崎での最後の仕事

長崎龍馬の道--30 出島

イカルス号事件vol.23龍馬を悩ませたイカルス号事件の真相。犯人は誰?の疑いが晴れた後、龍馬は最後の商事活動を行なっています。それは丹後田辺藩(現京都府)との産物売買、金銭貸借等の契約と、出島のオランダ商人ハルトマンとの間に結んだライフル銃の購入でした。田辺藩の産物を、海援隊で独占販売するという契約で、その産物の購入にあたっては海援隊で代価の立て替えを行なうこと、産物輸送用の船を用立てることなど、6か条の契約を取り結ぶというこの取引内容については『海援隊商事秘記』に詳しく記されています。海援隊と田辺藩との橋渡しをしたのは、イカルス号事件の取調べ記録にもその名を連ねている田辺藩士松本検吾という航海術修行のために長崎に来た人物でした。 記録に登場する名前から、才谷梅太郎(龍馬)を中心に、海援隊士陸奥陽之助、菅野覚兵衛、土佐藩士佐々木高行のほか、仲介人として長崎の商人、八幡屋兵右衛門、保証人として龍馬の下宿先であった夷町(現恵美須町)の広瀬屋丈吉、鋏屋与一郎などが、この取引に関わったことが分かります。記録された『海援隊商事秘記』には、「海援隊商事」という印鑑が押されていたことから、龍馬はこれを海援隊の本格的な商事活動の手始めにしようとしていたのでしょう。そして、その際の重要拠点は、やはり信頼する商人が数多くいる長崎の地でした。実は残された龍馬の陸奥宛の手紙に、すでにそのための屋敷を入手していたと推測される記述が残っています「長崎ニ於、此度取入候屋鋪」(慶応2年11月7日)。また、それについて、長崎の郷土史家・福田忠昭氏は、その場所を新町(現興善町)であったと推測しています。慶応3年9月18日、この取引で手にしたライフル銃を積み込んだ芸州藩(現広島県)の震天丸に乗り込んで龍馬は長崎港を後にしました。そしてこれが、最初の商事活動の成功で意気揚々と航海に乗り出した龍馬と長崎との永遠の別れとなりました。




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