現代のオランダ人の目に映る“NAGASAKI”

リチャードさんが長崎大学に留学した平成16年4月、ライデン大学より受け入れた留学生を中核にした「留学生センター交換留学生プログラム」が長崎大学・ライデン大学・長崎歴史文化博物館(長崎県・長崎市)3者の連携事業として企画、開講。このプログラムは、江戸時代の「長崎蘭学」を中心とした文化交流の歴史に関する授業と、蘭文や和文の古資料を調査研究する演習から構成されていて、リチャードさんは、3年前、長崎歴史文化博物館でボランティア体験をした。
リチャードさん「長崎歴史文化博物館では、出島で働いていた阿蘭陀通詞、本木良永がオランダ語で記した資料を日本語に翻訳する作業を行ないました。オランダ語でも古い言葉で書かれているから大変だったけど、そこで、いい勉強ができて、楽しくなってきましたね。」
長崎歴史文化博物館

その後、阿蘭陀通詞に興味を持ったリチャードさんの卒業論文のタイトルは「近代長崎阿蘭陀通詞本木氏―本木氏の四人はなぜ成功したかの一つの考え方―」。論文では、阿蘭陀通詞の本木家を例に取り、養子縁組をしてまで世襲を貫いた阿蘭陀通詞の世襲制のあり方に、当時の日本の“家族”の捉え方や、それぞれの個性を生かしながら発展していった姿を独自の視点で分析。とても興味深い内容に仕上がっている。

リチャードさん「オランダはもちろん、世界中で家系を発展させていくために生まれつき才能のある者を養子にするという仕組みはないと思います。これは、当時の日本の特徴だし、とても興味深いことでした。長崎歴史文化博物館のボランティアで本木良永やほかの阿蘭陀通詞たちが書き残した資料を翻訳していたら、ビールの作り方や下ネタまで、本当にいろんなことが書かれていてオモシロかったんです。まだまだ、いろんなことを調べてオモシロイ!楽しい!ことを探していきたいですね。」

※2012.1月 ナガジン!特集「唐通事と阿蘭陀通詞」参照
 

最後にシーボルト記念館へと足を運んだ。

シーボルト居宅跡

シーボルト記念館

以前、奥さまと1度だけ訪れたというリチャードさんとともに館内の展示を観覧。2階、常設展示のシーボルトが出した処方箋の展示に目がとまった……。

リチャードさん「このシーボルトが目の病気の人に出している処方箋に書かれている“ベラドーナ”は、イタリア語で“美しい(ベラ)女性(ドーナ)”といって、うるんだ瞳が大きくなると、中世の貴婦人たちが使っていたという薬ですね。現代では大量に使うと劇薬になるといわれ使われてないはずですよ。」

また、シーボルト、お滝とお稲が描かれているといわれている川原慶賀作の『唐蘭館絵巻(一)蘭船入港図』の展示を前にすると……。

リチャードさん「1851年に長崎に来航し、3ヶ月滞在したオランダ船の船長“アッセンデルフト・デ・コゥニング(C. T. van Assendelft de Coningh.)” (1824-90)が書いた「日本滞在記(Mijn verblijf in japan door)」という本があるんですが、それまで、日本の悪い情報しか伝わっていなかったヨーロッパに、日本のいいところを紹介しているんです。
少し翻訳してみましたが、これがオモシロイ!オランダ船が長崎港に入ってきたとき、雨雲と霧で霞んで陸から見えない間に、20隻もの漁船が近づいてきて、イルカ(“Dolfijn en andere vissen”)や鮮魚とジン(酒)をやり取りしたというんです。その漁師たちは筋肉たくましくて、欧米人を朝ごはんとして食べそうな外見。また、礼儀正しくバンダナ(鉢巻き)を外して”Olanda, mooi, mooi!”(mooiオランダ語で「きれい・美しい・素敵・かっこいい」などすべての賞賛を表わす言葉)と優しくうなずいて礼を言ったとあります。そして、その漁船が使うのがもったいない程磨かれていて美しいとあるんです。
『唐蘭館絵巻(一)蘭船入港図』
『唐蘭館絵巻(一)蘭船入港図』
<長崎歴史文化博物館所蔵>
この絵に描かれた長崎港の海上で、オランダ人と長崎の一般の人たちがそんなやりとりをしたというのは、楽しい!ですよね。」

若きオランダ人、リチャードさんと巡ると、今まで見えなかったかつての長崎風景が見えてくる--。リチャードさんには、まだまだたくさん勉強してもらって、かつてオランダと長崎が結ばれ、築きあげた歴史の未解明部分を私たちにもっと見せて欲しい!と強く感じた。

リチャードさん「長崎は、短い間に深ーい歴史がたくさんある魅力的な町だと思いますね。私の故郷、フリースラント州も田舎町ですが、長崎には私の好きな海も近くにあるし、町中が山に囲まれて自然が豊かですよね。そういえば、山には驚かされた経験があります。普通に住宅地を歩いていたら、いつの間にか岩屋山の山中で“ビックリ”。平地ばかりのオランダでは山の斜面に家があるのも不思議だし、そのまま深い山の中、というのも“ビックリ”でした(笑)。」
   

最後に--。
長崎大好き!オーラを全身で表現してくれる青年・リチャードさんは、不思議なほどに流暢な日本語(それも長崎弁)と敬語を見事に操る。昨年末に4年来の恋を実らせ、長崎の女性とゴールイン! 彼女の存在も相まって、日本大好き!長崎大好き!になったのに違いないだろうが、長崎の歴史、町の魅力をハイテンションで語ってくれるその話し振りに、しだいに、いや、のっけから、長崎人として、新鮮な発見と嬉しさが込み上げてきた。“楽しい!”が口癖のリチャードさんは、行く先々で歓迎され、これまで関わってきた多くの人に愛されているのが一目瞭然。今やこうなることも運命だったと思える程、長崎の町に馴染んでいるのだ。きっとこれから、長崎とオランダの交流はもとより、長崎の奥深い歴史研究に励み、この長崎の町で大活躍してくれるに違いない! 乞うご期待!!

リチャードさん

リチャードさん

リチャードさん

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参考文献
『誉れ高き訪問者たち ライデン−日本 散策ガイド』シーボルトハウス(日蘭通商400周年)


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