長崎生まれの作家 佐多稲子。父18歳、母15歳の子として誕生。波乱に満ちた幼少期を過ごした彼女が11歳まで過ごした長崎の町は、いつまでも稲子の心の中にあった。彼女が原爆をテーマに描いた小説『樹影(じゅえい)』、長崎時代の回想録『私の長崎地図』に触れながら、佐多稲子の世界に迫る。


ズバリ!今回のテーマは
「長崎の夏!」なのだ




佐多稲子が描いた原爆
二人の男女が抱えた影
多くの人が抱えた苦悩

諏訪神社に隣接する長崎で最も歴史ある長崎公園。市街地にありながら自然に囲まれた風光明媚なこの地は、古くから「諏訪の杜」として多くの人に親しまれてきた。その証として長崎の賢人の功績やこの地を訪れた文人墨客の足跡が、賢人像や句碑などの記念碑としてこの地に点在している。長崎公園の一角、丸馬場と呼ばれる広場の片隅にひとつの文学碑が建っている。これは、長崎出身の作家 佐多稲子の小説『樹影(じゅえい)』文学碑。この作品は、戦後25年が経過した昭和45年に執筆に着手し、同年8月から2年に渡り『群像』に連載、47年に出版された。彼女がとらえた戦後長崎の「原爆問題」が主題となっている。
あの人たちは何も語らなかっただろうか。
あの人たちは本当に何も語らなかっただろうか。
あの人たちはたしかに饒舌ではなかった。
それはあの人たちの人柄に先ずよっていた。


『樹影』冒頭の文章が刻まれたその文学碑は、ほぼ終日、覆い被さる木々の影にひっそりとたたずんでいる。碑面の文字は稲子の直筆だ。

戦後三年目の夏。長崎の街はまだ荒廃の中に放置されていた中で被爆後遺症に悩む長崎の画家と華僑女性の悲恋を描いた物語『樹影』には、実在のモデルが存在し、いずれも稲子の親しい友人だった。主人公の画家 麻田晋は、大正九年、本古川町生まれの画家、本名 池野清。茶房「茉莉花」を営む華僑女性 柳慶子は、作中同様、清が設計した銅座橋際の喫茶店「南風」の女主人、本名 林芳子だった。

慶子は、いつしか妻子ある麻田と不倫関係となる。しかし、原爆が投下された直後、救護のために浦上へ行った麻田は、残留放射能を浴びて被爆していた。そして戦後十数年の間、画壇で活躍するが、最後に『色のない絵』を描き、昭和35年、原爆の後遺症肝臓ガンでこの世を去る。そして、慶子もまた、終戦の翌日、たまたま爆心地を横切っただけで残留放射能を浴び被爆しているのだった。

麻田は被爆者であり、慶子は華僑であるという点で、二人の人生には共通するように影の部分が存在した。そして二人は、死の影の不安におびえながらもひたすらに生きていく。

稲子は終戦から5年が過ぎた昭和25年、25年ぶりに帰郷した際、友人の紹介で池野と出会っている――。

戦後25年もの月日が経ってから、稲子が「原爆問題」をモチーフにした作品を描いたのには二つの出来事が関わりを持っていたようだ。

敗戦後間もなく、疎開で広島に帰郷中に被爆した作家 大田洋子は、占領軍に多くの大事な部分を削除されながらも『屍の街』を世に送り出し、原爆投下したアメリカの悪を摘発した。その後、稲子は見知らぬ男性から手紙をもらう。 その手紙は、“佐多稲子は長崎が故郷なら、何故、長崎の被爆を描かないのか”というものだった。

そして、被爆後遺症で命を落とした池野が描いた『色のない絵』が、彼女を突き動かした。稲子が『樹影』のあとがきに寄せた文章「著者から読者へ 主題と実感の間」には、こうある。

  「彼の死のあとに展覧会場に出品された彼の画は、黒のリボンを添えて展示され、
  その絵は殆ど白一色に見えるほど色を失っていた。白と、微かな黒で描かれた
  三本の立木は、彼の身心の苦痛を表現しているように見えるものだった。この絵
  を見たとき、長崎の被爆ということが、私の心に直接の感情をもたらしたとおもう。」

その後に描いた短編『色のない絵』をぜひ長編に、という編集者のすすめがあり、小説『樹影』が書き出されることとなったのだという。実に『色のない絵』を目にした池野の死から10年ほどの歳月が過ぎていた。


池野清の遺作集より。これには稲子の
『色のない絵』の冊子が添えられた。

被爆後はじめて帰郷した昭和25年、稲子は今では帰る家のない故郷へ向かう列車の中で、“故郷が原子爆弾を受けた”という事実を受け止め、心を重くした。長崎駅へと入ってゆく列車の窓からは、新しい家が建ち並ぶ浦上の丘は白っぽく見えた。この時、長崎人の気質からなのか長崎の友人達は、稲子に原爆を語らなかった。そのことで、稲子は長崎の被爆を忘れたのだという。再びあとがきの文章を引用する。

  「友人が原爆を語らないということで、私もまた、長崎の被爆を忘れた。というより、
  私の友人たちには原子爆弾は関係しないというふうにおもったようである。これは
  私が鈍感であったということになる。」

幾重にも色を重ねていくと、ついには色の無い世界にたどり着く。『樹影』冒頭の文章を含むプロローグは、『色のない絵』をはじめて目にした稲子の心を覆った感情だったのだろう。『樹影』は、リアリティを持って心の襞にじわじわとにじり寄ってくる。
 

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