名誉市民の方の偉業に触れる!

名誉市民として最も認知されているのは、名誉市民第1号に選ばれ、国会でも表彰された永井隆博士だろう。原爆症と闘いながらも、病床から『原子病概論』『長崎の鐘』など原爆の悲惨さと平和への願いを込めた数々の著書を発表。博士が書き記した作品を読んで感動した多くの人達が、見舞いのため博士が暮らした2畳一間の如己堂を訪問した。天皇陛下のお見舞いを受け、ローマ教皇も特使を派遣し、ヘレン・ケラーも訪問している。今も姿をとどめる如己堂には、毎年多くの人が訪れる。被爆後、復興途上にあった市民の精神的支柱となり、全国民に、世界に愛と平和を訴えた永井博士のメッセージは後生に受け継がれているのだ。昭和26年(1951)5月1日、永井博士は長崎大学医学部附属医院で亡くなり、5月14日、長崎市葬が行われた。


永井隆氏
2008.8月ナガジン!特集『この夏読みたい! 永井隆の世界』参照
2004.8月ミュージアム探検隊『永井隆記念館(如己堂)』参照
 

カロライン・S・ペカムという人は、40年余にわたって、長崎市の女子教育に尽力、多くの人材を養成した人物だ。文化向上のため様々な文化事業に進んで協力。生涯のほとんどを長崎市の教育文化の向上のために捧げたのだという。
 

原爆被災により荒廃した長崎医科大学(現在の長崎大学医学部)の復興に、献身的努力を重ね今日の基礎を築かれたのが、長崎医科大学の第2学長古屋野宏平氏。岡山出身の古屋野氏は、大正11年(1922)から長崎医学専門学校教授として着任し、後に教授となり学生の指導に当たっている中、被爆。同様に被爆し、重症となった当時の角尾晋学長に後事を託され、被爆直後から学長代理として再興に尽力された。退官後も公安委員会の委員長、各種の文化団体等の要職を務めるなど、文化活動に励まれ、幅広い活動を続けられ市民福祉の向上、学術文化の振興発展等に貢献された。長崎大学医学部構内には、平和祈念像の作者、彫刻家・北村西望による古屋野先生の銅像が建てられている。


古屋野宏平氏
 

田川務氏の名前は60代以上の長崎市民には忘れられないものだろう。昭和26年(1951)から16年間、市長として、原爆で荒廃した本市の復興に献身的な努力を重ねた18〜21代長崎市長。戦後まもなく、悪夢のような被爆から復興をなしとげ今日の躍進の基盤を築きあげると共に、市民生活の向上・発展にも大きく寄与した功績に贈られたのだ。平和祈念像、原爆落下中心地の塔、グラバー住宅前のグラバー胸像などは、田川市長時代に建立されたもの。田川氏のパーソナリティな部分は、長崎市立図書館二階、地域の本エリアで閲覧できる『抄伝 田川務』にたっぷりと描かれている。市民会館にある胸像は、北村西望の長男・北村治禧によるもので、題字は西望の筆だという。

田川務氏

田川務氏胸像

西望の筆
 

田川市長に続き、昭和42年(1967)から12年間、市長として、広域産業都市や国際観光文化都市の建設に日夜尽、市民の福祉の向上に大きく貢献されたのが諸谷義武氏。毎年、長崎原爆犠牲者慰霊平和記念式典で市長が行う平和宣言における「平和宣言起草委員会」は、諸谷市長就任時に設置された。平和な長崎、また芸術を愛した諸谷市長は、長崎市における芸術文化の礎を築き、その振興発展に大きく貢献された。田川市長同様、長崎市立図書館二階、地域の本エリアで閲覧できる『諸谷義武伝』は、市長へのインタビューや関係者との座談を交え、諸谷市長の生涯が描かれた貴重な一冊となっている。

諸谷義武氏
 
 
被爆復興に尽力した
3人の長崎大学医師

長崎大学医学部は、世界で唯一、原爆の被害を受けた医大だ。被爆直後の長崎は、周知の通りかつて世界中の誰も経験したことがない悲惨な状況にあった。
被爆し被害を受けた医師も一般の人と同じ一被爆者。しかし、この瞬時にして廃墟と化した荒れ野の中で懸命な救助活動を行い、復興に尽力した医師がいた。
炎上する病院を逃れ、多くの大学職員や学生、患者は、近くの穴弘法山に一時避難。その後、焼き焦がれた附属医院において、重症の角尾学長の代理を任された古野屋宏平教授(名誉市民)を中心に、医療救護の第一歩がはじまったのだ。調来助教授(栄誉市民)が組織する滑石救護班と永井隆助教授(名誉市民)が率いる三山救護班が、医療救護活動を行い大きく貢献した。当時の記録を調教授は『原爆被災復興日誌』に、永井助教授は『原子爆弾救護報告書』に詳細に書きとどめている。

この貴重な原爆についての資料は、現在両書とも長崎大学医学部原爆後障害医療研究施設に保存され、そのレプリカが医学部内にある「原爆医学資料展示室」に展示されている。(平日9:00〜16:00/095-819-7123)また、長崎大学医学部原爆復興50周年医学同窓記念事業会が平成7年に発行した記念冊子『忘れえぬ日』に、古野屋、調、永井三教授が書かれた内容が記されている。こちらも市立図書館で閲覧、貸出できるのでぜひ一読し、古野屋、調、永井三教授の偉業に触れてみよう。


原爆医学資料展示室


原子爆弾救護報告書


原爆被災復興日誌

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