【江戸時代の名勝地編】

岩に刻まれた真実
地名は体を表す?

鳴滝
(鳴滝)

鳴滝
鳴滝とはいっても滝なんかナイ!ナイ! そう!滝というにはおこがましい程のこの小さな小さな“水流“が、今も昔も鳴滝なのだ。
もともと、この地域は江戸時代、「平堰(ひらいで)」と呼ばれていた。烽火山(426m)を源とし、七面山がある七面谷から中島川に流れ込む馬込川(現 鳴川)の流域に広がるこの地域は、その地名の通り、“平(崖)”“堰”の景観を見せる山間に堰を設けた田畑が広がっていた。確かにこの馬込川の途中にあった小さな滝の中流に水の落ちる所があったというが、鳴滝の名は、延宝年間(1673〜1681年)、第23代長崎奉行に在職し、10年にも及び長崎再建に尽力した名奉行・牛込忠左衛門の“京都趣味”に由縁する。この地を京都洛北の鳴滝にちなみ、同じ地名を付けたのだというのだ。

現代、鳴滝といえばシーボルトゆかりの地。シーボルト通りに面した橋周辺は、きれいに整備されている。ここから川岸へ下ることができるが、くれぐれも足場がいいかどうかは確認するように! 石段を下りきると、右側に岩が鎮座している。この巨岩が通称・鳴滝岩。川の流れと同じ向きに「鳴瀧」の二文字が刻まれている。

ソロソロと流れる鳴川。様々な大きさの岩が転がり、それを縫うように流れる水。同じ風景を江戸時代の人々も目にしていたのだろうか?などと、ふと思いを馳せてみるのも楽しいものだ。鳴滝岩に刻まれた「鳴瀧」の二文字には諸説あるが、最初、牛込忠左衛門が重用していた唐通事であり書家でもあった林道栄に書かせ、それを彫刻したものだったが風化したために書をよくした晧台寺21代住職の高僧・黄泉の書を再彫したものだろうといわれている。


鳴滝岩
ここから緩やかな坂を上るとシーボルトが鳴滝塾を開いたシーボルト宅跡。静かで住宅地に聞こえる音は、やはり静かで小さな滝の音。

シーボルト宅跡へ


江戸時代の景勝地
小島川に現存する

白糸の滝
(愛宕3丁目)


白糸の滝
現在では長崎バスのバス停「白糸」や、近くの「白糸公園」にのみその名をとどめている「白糸の滝」。今はその知名度も低く、付近の人に尋ねても「?」という方ばかり。かつてはここに住み着いていた6、7匹の白狐が、通行人を化かしていたという伝説が残るように、当時旧長崎村の高野平郷であったこの辺りは樹林地帯で、清らかな小島川が流れる秘境の地だった。江戸時代後期には長崎名勝図絵にも描かれる長崎の名勝地として知られ、その美観が多くの人を魅了した証として詩にも詠まれるなど、人々が日がな一日ここで過ごす庶民の憩いの場だった。

田上方面へ向かって右の「白糸」バス停から、離合不可能な狭い車道を200m程上る。すると右側に暗渠となった小島川の上がポケットスペースとなっていて、「愛宕3丁目自治会」の掲示板があり、電信柱横に柳の木が立っている。この下が白糸の滝の落ち口。滝を下から眺めるには、さっきの車道反対側の民家前の路地を下らなければならない。

ポケットスペース
名前の由来は、ソロソロと流れる小島川の途中に、大きな岩が二段になり、高さ5m程、3条の滝を成していて、その形が機(はた)織りで糸を紡ぐように見えたからなのだという。
全国各地に点在する「白糸の滝」は、一般的に白い糸を引くように細く流れ落ちる滝のこと。
周囲の美しい景観は様変わりしてはいるものの、今もその重厚な岩盤や流れる3条の滝は変わらない。


3条の滝


往時が偲ばれる岩盤
市街地に潜む秘境

轟の滝
(田手原町/旧茂木村田手原名)

江戸時代後期の観光ガイド的存在の「長崎名勝図絵」に紹介されている轟の滝だが、その名は、知らない人の方が断然多い、いわば穴場の滝。しかし、江戸時代、前述の鳴滝や白糸の滝と共に長崎を代表する滝だったという。


轟の滝

市街地から甑岩や飯香浦に行くバス道路を行くと重籠(じゅうろう)というバス停がある。ここを150m程過ぎ、右手へと下る細い道に入っていく。この道は長崎IC横へと続き、茂木方面、早坂方面へ戻ることができる道。かなり狭く荒れた道なのでご注意を。先程の分岐から600mほど下ると、右側にフェンスがあるビニールハウスが見えてくる。その下、左側に轟の滝へ下りる入り口の案内板がある。この案内板、誰が設置してくれたのかは不明だが、とってもありがたかった!
かなり荒れた竹林をかき分けるようにして入っていくと、すでに沢を流れる水音が聞こえてくる。


案内板


荒れた竹林

雨の後で足場は少し悪いが、5分もかからずに辿り着くことができた。
現れた轟の滝の高さはわずか10m程で下にもうひとつ段を成している小さな滝。しかし、薄暗くもかすかに光りの差すその光景は遥か昔の沢そのもの。周囲の崖は湧き出るように潤い、とても美しい景観を見せていた。ここは、茂木の町を流れる若菜川の上流。下流方面は護岸整備されていてちょっと風情にはかけているのが残念。

風情ある轟の滝

周囲には、地蔵像などが祀られ、滝の右岩盤にはすっかり苔むして岩と一体化した不動明王が祀られている。やはりここも霊場なのだ。

長崎名勝図絵に「広さは僅かに二三歩であるが、深さは底知れない」とあるこの滝には様々な伝説も残っている。神龍が潜んでいるとか、夜中に突然あたりが明るくなるなど霊異が多いとも。
そういわれるとゴーゴーと鳴り響く水音の中に、低音のラジオの周波数のような音が聞こえたような……。現在では訪れる人もほとんどいない静かな滝。訪れる際はぜひ大人数で!


不動尊像

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