◆立山秋月


「長崎八景・立山秋月」
長崎歴史文化博物館蔵


現代版立山秋月

立山といえば長崎奉行所があった場所。おそらくこの奉行所があった高台から見た風景なのだろう。画面左側の遠景正面、やや見下ろす角度に若宮稲荷神社がある。

また、中央よりやや右にオランダ国旗の三色旗を掲げた蘭館(出島和蘭商館)があり、その左側、海中に突き出た方形の埋め立て地がシンチ(新地荷蔵)。それぞれの近くにオランダ船、唐船が碇泊している様子が描かれている。手前の高く伸びた松に遮られているが、唐館(唐人屋敷)の最奥にある媽祖様を祀った天后堂に建つ二つの赤い旗が見え、その左横に長い階段の上にある大徳寺も見える。


天后堂


越中先生「秋月とは秋の夜の月のことですよね。これは立山の秋月ではなく、立山から眺めた秋の月が美しい、という意味ですね。芭蕉十哲の一人、向井去来も“たふとさ(尊さ)を 京でかたるも 諏訪の月”と詠んでいます。立山やお諏訪さんから眺める月は当時から美しいと評判だったんですね。」




海と空の鮮やかな青が印象的だ。 去来句碑


◆安禅晩鐘


「長崎八景・安禅晩鐘」

長崎歴史文化博物館蔵


現代版安禅晩鐘

版画全体に描かれているのは長崎市民の氏神様である諏訪神社で、安禅寺という寺院に関わるものは、わずか左下方に見える本堂と鐘楼が描かれているのみだ。

越中先生「安禅寺という寺は、現在の日銀の辺りから長崎公園の丸馬場にかけてあった寺院で、僧・玄澄というお坊さんが正保2年(1645)に創建した真言宗の寺です。明治初年に廃寺となってからは、その敷地のほとんどは、長崎市の公園敷地に吸収されたんですよ。」

しかし、日銀長崎支店から長崎県立図書館横を通って長崎公園へと進んでいくと、安禅寺時代の伽藍を彷彿とさせる遺構がわずかながら残されている。

越中先生「この寺には上段に東照宮が祀られているんです。長崎公園の入口辺りに立って上を見るとわかりますが、そこから東照宮までまっすぐつながっているんですね。そして参道には葵の御紋が刻まれた安禅寺時代の石門が今も残されていますね。この石門横の石垣も当時のものです。古地図を見ると安禅寺の鐘楼は現在の東照宮向かって左側にあったようです。この鐘楼の晩鐘が、お諏訪さん一帯に染み渡るように響き、独特の風情だったのしょう。」

東照宮石門


かつての石垣


◆笠頭夜雨


長崎八景・笠頭夜雨」
長崎歴史文化博物館蔵


現代版笠頭夜雨

雨の日の夜景のため、朱色のはずの崇福寺の山門も、木々も家々も暗黒色となっている。
風頭山は緑が重なりあって陰を作っている静かな山。東からの風はまず頂きに吹いて西側の麓に下るから風頭山といい、笠頭の文字は誤りであるともいわれているが文人墨客は好んで笠頭という字を使っている。

越中先生「こっちは女笠頭で、立山の方を男笠頭というんですよ。」

中央下には崇福寺の山門が描かれ、その左横にアンテナのようなものが2本立っている。おそらくこれは現在もある旗を揚げるための支柱“刹竿(せっかん)”。当時よりこの刹竿の奥には海神媽祖を祀る媽祖堂があり、長崎港へ入港してきた唐船の人々が、この刹竿に掲げられた旗を目印に媽祖様を拝んだのだという。それにしても昔は風頭からこんなふうに海を見渡せたとは……さぞ絶景だったに違いない。


崇福寺刹竿

越中先生「正面に鳥居が見えるのは現在の淵神社です。昔はここに万福寺というお寺があったんです。当時、神仏混淆で弁財天も祀られていたので鳥居があるんです。その手前、海中には石灯籠が立っていますね。」


唐船と阿蘭陀船と小さな和船。そして日本古来の鳥居と唐寺の三門。なんとも和洋折衷な一枚だ。


◆大浦落雁


「長崎八景・大浦落雁」
長崎歴史文化博物館蔵


現代版大浦落雁

鴨より大きく白鳥より小さい水鳥、雁。長崎にも雁が渡って来ていたのだろうか?

越中先生「雁は今でも飛来しているんじゃないでしょうか。右側に松が描かれていますが、これが下り松ですね。現在ホテル(全日空ホテルグラバーヒル)が建っている辺りが下り松があった場所ですよ。“松が枝町”という町名にだけ、この松が残っていますね。当時はこの大浦辺りは大村領で、幕府が外国人居留地を造成するために天領だった古賀村とこの大村領の土地を交換し、どんどん埋め立てて現在の松が枝町になったんですね。梅ヶ崎中学校の後ろも崖になっているでしょう。あの辺りも全部埋め立てられたんです。」


梅ヶ崎中学校

下り松がある崖地はかつて大村候が唐通事・林道栄に与えたことから“道栄崎”と呼ばれ、弁財天を祀った小さな祠と鳥居があった。現在も、大浦天主堂下電停から大浦天主堂方面へ進む際に通る大浦川に架かった橋を“弁天橋”というのは、この頃の名残なのだ。これは天領に編入され居留地になる前の風景で、雁のねぐらとする葦群、数棟の漁家など、当時の大浦の静けさが伝わる作品。ちなみに左の山は“どんの山”で右側は“星取山”。橋は現在石橋付近にあった木橋を描いている。


弁天橋

〈2/3頁〉
【前の頁へ】
【次の頁へ】