昔、先人達が目にした長崎の美しい風景が“長崎八景”という版画に残されている。それは、山海や地形、四季折々の風情……江戸時代の長崎が鮮やかな色彩で迫りくる版画。“越中先生と行く”シリーズ第6弾は、江戸期の長崎の景勝地の世界を巡る旅!


ズバリ!今回のテーマは

「昔の絶景に今の景色を重ね見る楽しみにチャレンジ!」 なのだ



※御崎道(みさきみち)、茂木街道、長崎街道、浦上街道。ナガジン!では、これまでに越中先生と歩く街道シリーズを展開してきた。先人達が目的を持って切り開いてきたこれらの街道沿いには、数々の祠や供養塔、神社仏閣が点在し、人々が行き交っていた往時の情景を彷彿とさせた。そんな長崎市内に残る街道の紹介も終了。前回から「開港以前の長崎」など、一定のテーマに沿って越中先生にご案内いただいている。今回のテーマは「長崎八景」。さて、どんな場所へ連れて行ってくださるのだろうか。

●ナガジン! 越中先生と行くシリーズ
※旧茂木街道と茂木の町(バックナンバー 2004.2月)
※長崎街道〜市内編〜(バックナンバー 2004.6月)
※みさきの観音詣り参道〜御崎道(バックナンバー 2005.2月)
※二十六聖人が通った道〜浦上街道(バックナンバー 2005.11月)
※長崎、開港以前(バックナンバー 2007.2月)


越中先生
プロフィール
長崎地方史研究家。『長崎ぶらぶら節』に出てくる長崎学の第一人者・古賀十二郎氏の孫弟子にあたる。長崎歴史文化協会理事長を務め、地元のTVやラジオでも広く活躍する“長崎の顔”。長崎史や長崎を中心とした美術・工芸の研究と紹介に努めるかたわら数多くの執筆活動や監修を手掛けておられる。


長崎八景とは?


越中先生「四方八方という言葉がありますね。四方をさらに4つに分ければ八方。つまり長崎の四方八方、全ての景色という意味なんですよ。

長崎名勝図絵という、いわば江戸時代の観光案内書を読むと“長崎八景”には2種類ある。ひとつは崇福寺住職の唐僧・道本編集版。そしてもうひとつ版画、大和屋版だ。


越中先生「長崎版画は長崎において作られた版画の総称で、18世紀中頃にはじまり、色摺りとなって明治まで続きました。芸術品として高く評価されたものもあり、なかでも唐人やオランダ人、ロシア人や唐蘭船など、異国的な題材を取り上げたものは、長崎ならではの“長崎土産”として人気が高かったんですよ。」


長崎八景・立山秋月」
長崎歴史文化博物館蔵

長崎版画の版元は江戸時代中期以来15名以上を数えるが、絵師を兼ねた版元は大和屋の磯野文斎と梅香堂の可敬(かけい)、文錦堂の梅月(ばいげつ)などがいた。なかでも磯野文斎の版画が多い。

今回紹介する“長崎八景”は、長崎版画には珍しい長崎の風景を描いたもの。版画には「文斎堂上梓」あるいは「文彩堂」「大和屋由平板」「文斎發販」とある。


越中先生「磯野文斎という人は、江戸で生まれ江戸で版画を学び、大和屋に婿養子に入ったんです。長崎を全国に紹介した当時の観光ガイド本とも呼べる『弘化版 長崎土産』の著者でもあるんですよ。文斎は江戸で学んだ経験を活かし、“江戸趣味”と呼ばれる技法で、長崎の風景を描きました。」

文斎が江戸で師事したのは池田英泉(1790〜1848)。狩野白珪斎門人で江戸時代後期を代表する浮世絵師だ。英泉は細面に切れ長の目じりを描き、下唇を突き出した妖艶な迫力を持つ美人画様式を樹立させた。

江戸錦絵の精巧な技術を習得した文斎は、素朴だった長崎版画を著しく江戸風な色彩とし、長崎版画に一大革命をもたらした。
版画の中にある花押風(かおうふう)のサインは、“文”と“斎”を阿蘭陀文字らしく組み合わせたもの。江戸の浮世絵と見紛うような色彩や技法で描いたこの長崎風景は、当時の長崎の人々の目に新鮮に映ったことだろう。


越中先生「それでは、いよいよ次ページから長崎八景の世界へと足を踏み入れてみましょう。」

長崎八景
立山秋月
安禅晩鐘
笠頭夜雨
大浦落雁
愛宕暮雪
神崎帰帆
市瀬晴嵐
稲佐夕照

〈1/3頁〉
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