◇互いに与えた影響の違いをチェック!
■8.オランダとの交流
出島が果たした役割の偉大さを痛感

日本人にとってヨーロッパを知る唯一の窓口だった出島は、ヨーロッパの人々にとっても日本を知る唯一の窓口だった。阿蘭陀通詞、カピタン、商館医、蘭学、江戸参府…行き交う双方のモノや文化。日本人の目がとらえたオランダと、オランダ人の目がとらえた日本。お互いが受け、与えあった影響がこのゾーンで見えてくる。


◆越中さんおすすめポイント!◆
「やはり、この『解体新書』ですね。授業で勉強して知ってはいるけど、実物を見るのは初めて、という修学旅行生が熱心に観ていますよ。また、シーボルトなど出島オランダ商館に滞在した人物が持ち帰った日本の美術工芸品などで、オランダのライデン国立民族学博物館に収蔵・展示されている“オランダの日本コレクション”も見物ですね。その中には、工芸品だけではなく、職人達の製作過程を模型にしたものがあって、日本がヨーロッパにどのように紹介されたのかがわかりますよ。」

◆解体新書


◆ライデン収蔵品

☆ナガジンおすすめポイント!☆
ナガジンが着目したのは、『蘭癖』&『おらんだもどき』というキーワード。江戸時代の人達はオランダ人のことを紅毛人と呼んで、オランダ人によってもたらされた文化を紅毛文化と呼び、一般の日本人の間でも大変な人気で模造品が出るほどだったとか。また、287冊にも及ぶ随筆『甲子夜話』にその豊かな教養を記した、名君の誉れ高い平戸藩主・松浦静山などのほか、オランダ文化を愛し傾倒していった大名などが続出したらしい。長崎人の“初物好き”も、いい意味でこれに通じるものがあるのかも?


★蘭癖


★オランダもどき

◇長崎くんちの変遷をチェック!
■9.くんち

長崎っ子の血が騒ぐ、豪華絢爛の町くんち

諏訪神社の神事である奉納踊は、中国やオランダとの貿易の影響も加わり衣裳や演(だ)し物はとってもエキゾチック! しかし、中には上方や博多などの祭で行われているものを取り込みアレンジしたものもある。踊町(おどりちょう)の先頭に立ち、町のシンボルである傘鉾は、博多どんたくの松囃からといわれる。長崎くんちは国内各地の祭り、そして長崎ゆかりの中国やオランダとの影響を受けてきた祭りなのだ。貿易港として栄えてきた長崎の心意気を見せつけるかのような豪華さ、和洋折衷の彩り、そして、各踊町、今も進化をし続ける見どころ満載の長崎くんちも、決して外せない長崎の歴史の一端だ。


☆ナガジンおすすめポイント!☆
ナガジンは、享保年間に描かれた『諏訪神事御供町道行之図』(複製)に断然注目! 細部に目をやると、傘鉾の垂れが今と違って風にたなびいていたり、松森神社への参道である今でいう松森通りで流鏑馬(やぶさめ)をしていたりと、当時の長崎の町にいろんな発見ができるのだ!


★諏訪神事御供町道行之図

◇長崎に学んだ遊学者をチェック!
■10.長崎遊学

学問を志す者が憧れた長崎遊学

海外からもたらされた最新の学術文化を求め、長崎へは全国各地から遊学者が訪れたことは皆さん周知の通り。江戸幕府による鎖国政策が続けられる中、海外から物資、情報、文化の窓口であったのが長崎。医学・天文・物理・詩歌・書・絵画・思想・語学・軍学・砲術…その分野は驚くほど多岐にわたり、知の最先端である長崎に多くの遊学者が集まり、学び、その知識を全国へと広めていった。幕末から明治にかけて活躍した人物や、近代化をすすめた人々の多くにそんな遊学者いた。その師は阿蘭陀通詞や唐通事、シーボルトのような商館医もそうだ。開国後の幕末には、幕府の伝習所で外国人から直接学ぶものも多かったそうだ。


☆ナガジンおすすめポイント!☆
ナガジンはここにある“知の先端ここにあり”というパネルに注目! 市中の地図が描かれているのだが、やたらと版画屋さんが多いのだ。『長崎の美術』の項でも紹介したが、当時、長崎ならではの土産物として、当時オランダ船で輸入されたゾウの絵などタイムリーな話題が次々に摺られ人気を集めていた。長崎版画が、市中に点在するこの数々の版画店で摺られていたというわけだ。 

◇長崎港の最強の警備体制をチェック!
■11.長崎警備

異国船の入港はリレー式で連絡

異国船の来航に備え、長崎警備は万全の体制を整えていた。野母の権現山に遠見番所、長崎の斧山に烽火台が設置され、その後遠見番所は小瀬戸、十人町、観善寺にも設けられた。野母で異国船を発見すると信号旗が掲げられ、野母から小瀬戸、小瀬戸から十人町、十人町から観善寺へリレー式で伝達され最後に現在歴博がある長崎奉行所へと伝わり、確認の検使が派遣されたのだという。この警備の強化はポルトガル人の追放に対する報復を恐れてのもの。また、貿易の統制とキリシタンの取り締まりの意味もあった。1641年以降は福岡藩と佐賀藩、1653年以降は平戸藩も加わっての強力な警備で、幕府にとって海外からの情報を統制する上で長崎警備はとっても重要だったことを物語っている。


◆越中さんおすすめポイント!◆
「ここでは、『露西亜(ロシア)船渡来ニ付港外警備之図』に注目してほしいですね。実はこの表題は誤りと見られていて、実際はオランダ軍艦バレンバン号の可能性が高いと思われています。長崎港に入ってくる異国船に備え設置された遠見番所や、旗合せという暗号の交換で確認したオランダ船を曳航する曳船などの様子が描かれています。この手の図はまだたくさんありますので、今後も入れ替えていくと思います。」

☆ナガジンおすすめポイント!☆
長崎警備でナガジンが目をつけたのも同様の図。17年12月に開通した※女神大橋は、この図に見られる長崎港内で一番狭まっている戸町と西泊にかけられた橋なのだ。戸町、西泊双方には番所が置かれ、近辺には数々の台場があったため、警備が強化されていた様子がこの図からうかがえるのだ!

※詳しくはナガジン2006.1月『いよいよ開通!! Well came女神大橋』へ


★警備之図(部分)

◇長崎で開いた近代化の花をチェック!
■12.日本の近代化と長崎

海外交流史に彩られた長崎ならではの近代化

海外との交流を重ねていく中、長崎の地は自然と日本の近代化の入り口としての役割も果たしていくこととなる。幕府はオランダの協力を得て、長崎に海軍や医学伝習所を開設。その後英語伝習所、活版伝習所も次々に設置された。各伝習所はその後の日本の近代化の礎となったのだった。

◆越中さんおすすめポイント!◆
「日本の近代化に貢献した人の中でも、長崎出身の上野彦馬と本木昌造の活躍に注目してほしいですね。彦馬は日本写真術の創始者のひとり、本木は近代出版の創始者、つまり現代のマスコミの先端を行っていたわけです。」

☆ナガジンおすすめポイント!☆
ここでナガジンは、現在の三菱長崎造船所の前身である長崎製鉄所の模型に注目! 約20台もの工作機械類が揃った、これぞ日本で最初の近代的な工場! また、商館医であるポンペの講義禄も貴重な資料だ。

★バーチャル・トリップチェック!★
もしも、この時代にTVニュースがあったら、きっとこんな感じに違いない!というのを再現してくれたバーチャル映像。黒船来航周辺の3年間のニュースを現代風にアナタに届けマス。それにしても、コメンテーターや、出島からの中継にはマイッタ!



◇長崎で誕生した工芸品&味をチェック!
■13.その他のおすすめ施設(入場無料ゾーン)

常設展示の他にも楽しみながら学べる施設が充実!

伝統工芸体験工房では長崎市が実施している長崎伝習所事業、長崎市伝統工芸人材育成事業で活動してきた5つの塾の塾生がボランティアで工芸品の制作体験をサポート! 体験できるのは、“銀細工ペンダント制作体験”“現川焼の技法によるろくろ体験”“長崎の染めの技体験”“ステンドグラス制作体験”“長崎刺繍体験”などなど。また貸工房では、長崎べっ甲の職人さんが制作する過程を見学することも、べっ甲細工を購入することもできるのでぜひ覗いてみよう。




また、創業昭和5年(1930)、長崎の老舗西洋レストラン『銀嶺』が博物館内に復活。目前には芝生が敷かれ、清々しい気分で喫茶や創業以来の伝統料理などの食事を楽しむことができる。

☆ナガジンおすすめポイント!☆
1階エントランスホール横にあるミュージアムショップにはぜひ立ち寄ろう!
長崎に関連する書籍も揃っているし(ナガジン本も発見!)、歴博オリジナルの奉行所グッズ、伝統工芸品なども販売している。




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