さて、銅座銭(鉄銭寛永通宝)を鋳造していた銅座の中に熔鉄を製造する熔鉱炉の釜が設置されていた。その場所が現在も現存する銅座橋の向かい角から西方の弦月形の小路、かつて“銅座釜屋”と呼ばれていた場所だ。今はスナックや居酒屋などが軒を連ねる繁華街。
また江戸時代、この近くに人字形の通りがあって、シバヤンジと呼ばれていたのだそうだ。この聞き慣れない地名は、もちろん俗称。当時この辺りには芝居小屋が点在していた。
つまり“シバヤンジ”とは“芝居小屋の地”あるいは“芝居小屋へ行く路”が訛ったものだといわれている。昔の人は芝居をシバヤといっていたんだって!
|