楠本イネ開業地跡 
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さっきの銅座橋の通りにあるパチンコ店えびす会館の一部は、かのシーボルトの日本人妻・楠本タキと、娘のイネの住居であり、後にイネにとって腹違いの弟・アレキサンダー・フォン・シーボルトが長崎滞在中に住んでいた場所。もともとタキの実家・コンニャク屋だった場所だ。二宮敬作などに西洋医学教育を受けた日本人初の女医だったイネは、明治3年(1870)に東京・築地で開業。宮中御典医も務めた。

シーボルトの2度目の来崎の際、彼を迎え入れるため、安政6年(1859)、帰郷しこの地で開業したのだそうだ。おおよそ、現在氷屋がある辺りだろうか?


この氷屋の周辺で現存する洋館を見つけた!







さらには銅座町が有する2つの守神を思わぬ所に発見した!

大師堂 MAP8

ちょうど氷屋の向かいのビルの1階奥にみつけた大師堂。普段はしまっているみたいだ。


銅座稲荷 MAP9

そして、なんとビルの屋上に稲荷神社があるのだ。この稲荷社にはとってもあらたかな御利益があるといい伝えられている。そのうちの2つを紹介しよう。
まず1つ目! 明治の初めの頃、銅座町付近に大火があったとき、お稲荷さんが神社の屋上に現れ、白い御幣をお振りになって類焼を免れたというのだ。
そしてもう1つ。日露戦争で銅座町から23名が出征したとき、お稲荷さんは町内の2人のお婆さんに、「わしは出征した町内の人達の守護にこれから戦地に出向くから留守の間を頼むぞよ」とお告げになった。すると、本当に銅座町23名の出征軍人が全員無事に凱旋することが出来たという。
何とも心強い守神!
今はビルの屋上なので気軽には詣ることができないが、ビルの下に立ってお詣りしてみてはどうかな? パンパンッ!



さて、大師堂を思案橋方面へ進み、右手に銅座川が見えてきたら、ここが銅座の境目。お隣は船大工町になっている。この左手にあるのが戦後に出来た市場だ。

銅座市場 MAP10

「えっ? こんな場所に市場が?」と驚いてしまうが、ここは昭和26年から続いている老舗市場であり、今も約40以上のさまざまな店舗が並んでいる。場所柄がうかがえるのが、スナックなどで見かけるおつまみを販売している店や、クラブやスナックなどに勤める女性を常連さんに持つ靴の修理屋さんがあること。鮮魚店や野菜屋さんなど、新鮮素材を扱っている店も多いので営業時間はバラバラ。おつまみ店などは夜10時頃まで営業している。






 close up! ◆長崎くんちの銅座町

一艘の南蛮船を迎え入れたことによって開かれた長崎開港の歴史にちなみ、長崎くんちにおける銅座町の奉納踊りは『南蛮船』の曳物だ。戦前は、前述したように永見徳太郎によって奉納された傘鉾を町印としていたが、全て原爆によって失われた。平成元年、銅座の町名にちなんで諏訪神社への銅製燈籠奉納の意を込め、老松の下に燈籠を置き秋の紅葉を配し、幕の模様は銅座町が昔、海岸だったため金糸銀糸波涛の図を刺繍した豪快な傘鉾に新調した。銅座町が次に踊町をつとめるのは、平成22年! 銅座町の歴史背景、往時の地形などを踏まえ目にすると、これまでと違って見えるに違いない。楽しみ!

長崎くんち・銅座町南蛮船のHP http://www1.cncm.ne.jp/~douza/


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