3.観音寺〜御崎の灯台跡

さて、左手に脇岬の海が見えてきたら、いよいよこの御崎道(みさきみち)の最終目的地、みさきの観音様が祀られた観音寺へ。右手に小さなお堂が見えたら、かつては一面水田だったというのも納得の細い畦道へと入って行こう。お寺右奥の駐車場に駐車。正面にまわり見学しよう。

越中先生
「観音寺の入口に石の門がありますね。これは江戸時代に長崎の人が寄進しているんです。設計が長崎の石橋に似ていますね。


<石門>

このお寺には長崎の人が協力した記録がたくさん残っているんですよ。石段を上ると楼門があります。この楼門の左右には仁王様があります。


<楼門>


<仁王様>

楼門を入ると正面に様々な石碑がありますが、なかでも珍しい民俗資料として市の文化財に指定されている“宝篋印塔(ほうきょういんとう)”があります。私はその中でもこの50本と刻まれている道標に注目して欲しいんですよ。つまり、これが道塚なんです。出発地点である十人町の“みさきみち”と刻まれていた道標から50本目にあたるものなんですよ。場所は少し移されていると思います。年号も入っていますね、天明4年(1784)とある。これも長崎の人が寄進していて側面に今魚町とあります。今の魚の町ですね。石灯籠にも長崎の町名が刻まれていますね。とにかく長崎の人々が寄進しているんです。それだけ信仰が篤かったんですね。」


<道塚>

最初と最後の道標を確認。かつて人々はこれだけ長い道のりを歩き、参詣していたのだ。境内には、ほかにも当時の様子を垣間見られる遺物が残されている。

越中先生
「もうひとつの文化財が梵鐘です。これは長崎の鋳物師(いものし)が造った有名なものです。この観音寺は平安時代からあり、その昔、海賊がやって来て当時の釣り鐘を持ち去り、この脇津(わきつ)から船を出したんですが、進まなかったんです。そこで鐘を海に落としたら船が出航したそうです。その後、福岡県のお寺から釣り鐘を持ってきて使用していたそうですが、それも古くなったから長崎の鍛冶屋町の鋳物師・安山(あやま)氏に造らせたんですね。今まで話した鐘の歴史がこの鐘には刻まれているんです。」

<観音寺の梵鐘>


<歴史が刻まれている>

この位置からは、岬の先端に木々が茂った様子がうかがえる。

越中先生
「ホラ、そこに島が見えるでしょ、そこが岬になっていて岬の脇だから脇津と呼ばれていたんですね。だから岬(御崎/みさき)の観音様というんですよ。おそらくこの辺まで海だったんじゃないかと思いますよ。岬の方に行くと灯台の役割をしていた灯籠がありますから後で行ってみましょう。」



<岬の先端を望む>

境内の奥に進むと本堂がある。

越中先生
「観音寺は、約1000年前、平安時代末期に創建され、当初は真言宗のお寺だったのです。さて、こちらの御本尊は国指定重要文化財の千手観音様です。福岡は太宰府の観音寺、大分の富貴寺(ふきでら)、京都の仁和寺(にんなじ)にも千手観音様がありますが、この観音様も同時代頃のものです。何故ここにこんなりっぱなお寺があるかというと、昔からこの港は重要な貿易港で、中国へ渡る要地だったからなんです。ここの港から再びここへ帰って来るように、ここの観音様に願をかけてお詣りしたわけですよ。本堂に入ると左側に鐘が、右側に太鼓、そして正面に観音様があります。ここで、左の鐘に注目してください。この鐘には江戸末期頃の丸山遊女の名前が刻まれているんですよ。彼女らが寄進したんですね。御崎道(みさきみち)が存在した当時は長崎の人々の信仰が篤かったことを証明する品です。観音様は毎月一度、18日のご開帳の日にしか目にする機会がありませんから、是非この日に参拝に来てください。」


<本堂>


<本堂内部>

脇岬はその昔、長崎に向かう唐船が風待ちのために寄港することも多かったと言われている。

越中先生
「それから長崎県の文化財の天井絵は、川原慶賀もですが、江戸時代の終り頃の長崎の絵師の人達が多く描いているんですよ。このお寺は多くの長崎の人々と縁の深いお寺だったんです。江戸時代になると、長崎の人は、必ずここにお詣りに来ていたのですよ。」

県指定有形文化財である本堂内の150枚の天井絵花卉図(かきず/草花の絵)は、かつての船津町(現恵美須町)の商人が奉納したもの。唐絵目利(からえめきき)の石崎融思(いしざきゆうし)一家や、融思の弟子で、シーボルトのお抱え絵師として活躍した川原慶賀の筆による花鳥画は、弘化3(1846)に完成している。その中で慶賀の落款、印章があるものは4枚。電気がつくようになっているが、薄暗く、また約150年もの時を経ているため見えづらい。目を凝らして見ると、シーボルトの元で培った科学的精神で正確な観察によって描かれた慶賀の「むさしあぶみ」「ふよう」「のうぜんかずら」「ぼたん」の4枚を見ることができる。


<天井絵花卉図>

では、先程見えた木々に覆われた岬の方へ行ってみよう。路地に入っていくと、そこは墓域となっていた。

越中先生
「さて、どこにありますかね、昔はこんなにお墓がなかったから下からすぐに見えたんですけど…どうも、右上のアレみたいですね。行ってみましょう。」

墓域の右上へと目掛け上っていくと、越中先生が探している石灯籠を発見。

越中先生
「どうも古くなって補修しているみたいで、きれいになっているから判りづらかったんですね。見てみてください。これが昔、灯台の役割をしていた石灯籠です。海岸に面し、そして山の方を見ると正面に観音寺があるんですよ。」


<御崎の灯台>


<観音寺を望む>

この墓域の裏側に出ると、美しい脇岬の海岸へと出た。


<脇岬海岸>


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【御崎道ってどんな道?/1.御崎道(みさきみち)石碑〜石橋】
【2.出雲町遊廓跡〜川原大池】
【3.観音寺〜御崎の灯台跡】
【★足を伸ばして 権現山展望台(野母)〜正瑞寺(しょうずいじ)(高浜)】