さて、界町から芒塚町にかけてのグルグルくねった古道を上りきると国道34号線に出る。ここを左折して20m程進むと日見トンネル。トンネルの入口が見えてきたところで右折。トンネル上部に当たる日見峠へと向かおう。日見峠は、かつて長崎の要所で番所が置かれ、長崎を旅立つ人々を見送った場所だ。

2.芒塚句碑(すすきづかくひ)〜長崎街道ここに始まるの石碑


峠へ向かう前に、道沿いにある県指定有形文化財の「芒塚句碑(三基)」へ立ち寄ろう。


越中先生
「松尾芭蕉の高弟10人を“芭蕉十哲”といいますが、向井去来はその中で最も優れた俳人で、大阪より西の方では芭蕉の跡取りとしては一番だったといわれている人です。
住まいは京都でしたが、長崎が故郷ですから去来は何度か帰ってきているんですね。
故郷に帰って再び京都へ戻る際に、長崎の親戚がみんな送ってきたんですね、本当は蛍茶屋までで見送りはおしまいなんですが、日見峠上まで送ってきてくれて、みんなが手を振ってくれたんでしょうね。
『君が手もまじるなるへし花薄(はなすすき)』
この辺りにススキが沢山あったんでしょう。ススキの中に“さようなら”とみんなが振る手がありますよ、という句を残したんです。そして去来が亡くなってから80年程経った天明4年(1784)に芭蕉の門下、蕉門(しょうもん)の一派の人達が、“さすがに去来先生の句はいいですね、記念碑を作りましょう。どの辺りで詠んだんでしょうか、たぶんこの辺りでしょう”といってこの芒塚の句碑を作ったんですよ。」


当時流行っていたという印鑑を模した珍しい形が印象的な句碑。その句碑の前には去来とはどういう人かを刻んだ石碑が立てられている。

芒塚の脇には、まさに日見峠まで続く長崎街道の古道が通っている。


振り返った先には、矢上普賢岳がそびえ立っていた。

越中先生
「山の形は変わりませんからね。ここからの風景は当時もこんな感じだったことでしょう。」



 さすがに先程の古道を登るのは大変。再び車に乗り込み日見峠へと向かう。

途中、崖を切り込んだ場所に頭上に馬の頭が刻まれた“馬頭観音”が祀られていた。馬も通った長崎街道。
大事な馬も無事難道を通り目的の地へ辿り着けますように……と道中お祈りしたのだろう。

車で行ける限界地点まで到着。

越中先生
「今私達がいるのは切通しです。これは明治15年(1882)にこの険しい山を切って、人力車も通れるように新しくつくられた道路です。これは、日本ではじめての有料道路なんです。通行人からは五厘、人力車は二銭、荷車は三銭、馬車は五銭の通行料を取っていたといいます。」


では、ここから日見峠の頂上まで、険しい山道を散策してみることにしよう。

以前は石段だったと思われる急な坂を登りはじめると、すぐに間近にウグイスの美しい鳴き声が聞こえてきた。

越中先生
「お前達何しにきよるか、っていいよるとかもしれんですね。(笑)」



本当に息が切れる程の急な坂道。私達はゴム底のスニーカーを着用しているが、当然昔の人達はわらじ。さぞ疲れたに違いない。

越中先生
「当時わらじは今でいう運動靴。普段は下駄でしたからね。シーボルトはもちろん靴ですよ。わらじは擦り切れるからしょっちゅう替えるんです。それが宿場宿場に売ってあったんですね。」
 

しばらく進むと右手に「日見峠関所跡」という立て札が見えてきた。

越中先生
「峠を下りたこの場所には関所があったんですよ。いつもあった訳ではないんですが、奉行が必要なときにだけ設置したんです。」




ひたすら急な坂道を進むと右手に立派な石垣が見えてきた。

越中先生
「こんな大きな屋敷跡があるということは、やっぱりこの辺りは重要な場所だったということですよね。」

神社の鳥居をくぐると、この町の守り神が祀られた祠の下には大小様々な石が積み重なった趣きある石垣がある。それらを横目にますます緑濃くなっていく古道を一歩一歩進んで行く。


絶え間なくウグイスの鳴き声が響き渡り心癒される。
最高!
と、前方左手に何と稲佐山が見えてきた。

越中先生
「昔はこんなに木は繁ってなかったでしょうから、もっと視界が広がっていたことでしょうね。“あれが長崎の町だ!”って、登ってきた人はうれしかったでしょうね。」


少し進むと茶屋跡があった。

越中先生
「これが水飲み場。この辺に茶屋があったんです。人が飲む水はここから出ていたんです。今でもきれいな水が出ていますよ。そして下の方には川があって、そこでは馬が水を飲んだそうです。」



茶屋跡からしばらく進むと、杉林と竹林に包まれた日見峠の頂上に辿り着いた。



ひっそりと咲くアザミの花を発見!


長崎の町へと続く下り道は竹林に包まれていた。


明治新道から峠の頂上まで往復20分のトレッキングを楽しんだところで、今度は車で移動。本来の長崎街道はさっき後にした峠の頂上から下り、本河内水源地の中央部だったのだというが、現在は通行不可能。明治新道を利用して本河内、そして蛍茶屋へと向かう。

明治新道は今新緑が最も美しい季節。
ウォーキングをしている数人の人とすれ違った。


本河内から国道34号線を30m程進み右折。細い脇道へと入って行った場所に蛍茶屋跡〈一の瀬口〉がある。




越中先生
「ちょうど電車の発着点、蛍茶屋の車庫の裏が昔の長崎街道です。ここには『一の瀬橋』という橋がありますが、これは長崎街道ができたときに造ったんですよ。この橋は橋名の上にローマ字で『ICHINOSEBASHI』と刻まれているのでも有名ですが、これは明治20年頃に架け替えられたときに刻まれたものです。
かつてはこの辺を一の瀬といったんですね。“一番はじめのところ”という意味なんです。ここに「一瀬の茶屋」という茶屋があったんですが、清流が流れていて蛍の名所だったことから、いつの間にかみんなが「蛍茶屋」というようになったんです。
『送りましょうか 送られましょか せめて一の瀬辺りまで』
といって、ここまで送ってくるんです。
『傘を手に持ち 皆さんさらば いかい(たいへん)お世話になりました』
と小唄にもうたわれているんですよ。
今は狭いですけど、昔はずーっと広いところだったんですよ。ここまでみんな送ってくるから茶屋ができたんですね。現在ここは一の瀬口という史跡になっていますが、ここが天領・長崎の入口だったわけですよ。『延宝版長崎土産』という長崎のことを一番はじめに紹介した1670年代に作られた本の中で、一の瀬にきたら何ともいえないにおいがしたと綴られているんです。私はおそらく異国的な色香の匂いだと思うんですけどね。(笑)」



蛍茶屋跡の石碑が立つ辺りから現在の国道に延びた道が長崎街道。街道沿いのため、多くのお地蔵さんが祀られている。

また、一の瀬橋を渡った場所には、長崎街道、長崎〜諫早までの道のりを示す案内板が設置されていた。



蛍茶屋から八幡宮神社側の道を一筋上に上がり、すぐに右折。昔ながらの細い路地に入って行くと左手にお堂・大師堂が見えてくる。

越中先生
「お地蔵様の格好からして、一の瀬橋や古橋ができた頃にできたものですね。このお堂は後から建てられたものですが、中央はお地蔵様ですから本来は地蔵堂ですね。弘法大師も祀られているからみなさん“大師堂”とおっしゃるんでしょう。お地蔵様は道を守ってくれるものですから、街道沿いに祀られているんですね。いいお地蔵様ですよ。」




大師堂から中央部分のみが石畳の坂道を下って行くと、市指定有形文化財の石橋、古橋〈中川橋/なかごばし〉だ。

越中先生
「古橋は、横から見るとわかりますが石が上に積んであるんですよ。階段があるでしょう? かつては階段までの高さだったんですよ。有料道路を造るときに坂段をなくすために道を高くしたんです。大師堂からの坂道を今はトロトロ坂といっています。昔は坂段だったから“中川(なかご)の段々”っていってましたよ。長崎の坂道はほとんどが昔は坂段だったんですよ。」




長崎街道も古橋から以降は今は『シーボルト通り』としてしっかり定着している。

シーボルト通りをそのまま突き進むと、新大工町商店街に入る15m程手前右手にビルにはさまれた鳥居がある



ここは威福寺跡(いふくじあと/現在の桜馬場天満宮)。長崎の町へ入る際は旅装を解く場所であり、江戸参府などで江戸へ出発する際には別れの宴と旅支度をあらためる場所だったのだという。

越中先生
「昔は隣のビルや奥の部分も含めた広い敷地に立つ由緒ある大きな寺で、明治元年に神仏混淆禁止令で天満神社と改称したんです。いつの時代も宗教の争いは恐ろしいものですよ。」





そして新大工町商店街に入る手前の十字路の左側、電柱に寄り添うように石碑が立っている。

長崎街道ここに始まるの石碑
だ。

越中先生
「ここはかつての町境。長崎の町と長崎村桜馬場郷との境だった場所なのでここに記念碑が立っているんです。長崎街道の始まりは正確にいうと小倉(一説には大里)ですが、現在、私達が歩くときに長崎街道がここから始まるというのも間違いではないですよね。私はその方が夢があっていいように思っています。」




長崎街道の名残を求めて物見遊山! 先人達の追体験を試みる旅もここで終了。
今回は日見峠のトレッキングを除き車での移動だったが、皆さんが実際に訪れる場合には、今日は長崎から日見峠まで、次回は日見峠から井樋ノ尾峠までなどと区間を決めて実際に歩いてみるのもいいだろう。
今ではすっかり忘れ去られたロマン漂う古きよき道・長崎街道。
沿道には今まで見落としていた遺構や風情ある道筋、そして自然が織り成す美しい風景が溢れている。

●長崎街道〜市内編〜の地図はこちら


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