長崎から茂木へと続く旧茂木街道は、
長崎を往来する人、鮮魚を運ぶ人、遠足を楽しむ外国人が行き交った
歴史ある道。
今回は長崎の歴史のことならこのかた! 
長崎地方史研究家の越中哲也先生にナビゲーターを依頼。
なにぶん長い道のりのため、徒歩と車を併用して
旧茂木街道を案内していただきながら、茂木町の歴史と見どころに迫ってみた。


ズバリ!今回のテーマは
「先人に習って歩く寄り道小旅行」なのだ



出発地点・正覚寺下電停へのアクセスは次の通り。
●JR長崎駅からのアクセス
路面電車/長崎駅前電停から正覚寺行きに乗車し、終点で下車。
バス/長崎駅前南口バス停から長崎バスの田上、茂木行きに乗車し、崇福寺入口で下車。
車/長崎駅前から約12分



越中哲也先生
プロフィール●
長崎地方史研究家。『長崎ぶらぶら節』に出てくる長崎学の第一人者・古賀十二郎氏の孫弟子にあたる。長崎歴史文化協会理事長を務め、地元のTVやラジオでも広く活躍する“長崎の顔”。長崎史や長崎を中心とした美術・工芸の研究と紹介に努めるかたわら、数多くの執筆や監修をしておられる。



まずは茂木の町について予習
押さえておきたい重要ポイント5

1.“茂木(もぎ)”という地名の由来
“茂木”という地名は本来“裳着”と記し、昔、神功皇后がこの地に立ち寄られた際、モミの浦と名付けられたのが転訛した説、また、この地で裳(衣の下袴)をお着けになったことから裳着になったとの説がある。しかし、現在の地形から考えると草木が繁茂し、魚が群れる浦から地名が起こったのではないかと考えられている。


2.旧茂木街道の成り立ち
茂木の町は今も昔も海に面した好漁場で、漁業の町。古くから町を流れる青菜川の河口を利用した良い港があり、この港から島原、熊本、天草、鹿児島、柳川、佐賀とが直線で結ばれ、船を利用する多くの往来者がいた。早朝に長崎を発ち、田上を越えて、茂木の港から船を出し、順風に乗るとその日のうちに、薩摩(鹿児島)の阿久根か川内の京泊に着くことができたのだという。そこで長崎と茂木を結ぶ旧茂木街道ができ、さらに茂木で獲れた鮮魚を運ぶために年代をおって整備されていったのだ。


3.キリシタン領だった茂木
天正8年(1580)、茂木は、軍事的、宗教的な理由から大村純忠によって長崎6町と共にイエズス会に寄進され教会領となった。茂木は一村すべてキリシタンだったのだ。キリシタンの遺跡に関しては現在何も残っていないのが残念。


4.外国人の避暑地だった時代
茂木の町は居留地に住む外国人の避暑地だった。それによって旧茂木街道とは別に馬車道も整備された。田上峠を越え、田上にある茶屋で一服。茂木に到着すれば洋風料理が楽しめる外国人相手の洋風ホテル(茂木長崎ホテル)も建てられていた。

5.茂木の名物
今も昔も変わらない茂木の名物は、おいしい魚にビワと一口香(いっこっこう・長崎の銘菓)。新鮮なおいしい魚はできれば海岸沿いに佇む“料亭”でたっぷり味わいたい。茂木漁港で獲れた新鮮な魚を販売する直売所もある。



今回の道のりは以下の通り。

◆徒歩コース(約80分/見学時間含む)
 ・正覚寺(しょうかくじ)
 ・高島秋帆旧宅(たかしましゅうはんきゅうたく)(国指定史跡)
 ・八剣神社(やつるぎじんじゃ)
 ・茂木道無縁塔(市指定有形文化財)
 ・傾城塚(けいせいづか)
 ・ピントコ坂
 ・徳三寺(とくさんじ)
 ・田上寺(でんじょうじ)

◆車コース(約90分/見学時間含む)
 ・田上峠
 ・転石(ころびいし)
 ・柳山石橋跡(やなぎやまいしばしあと)
 ・大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)
 ・ビワの原木と記念碑
 ・石の御前
 ・裳着神社(もぎじんじゃ)
 ・茂木植物化石層(県指定天然記念物)
 ・茂木長崎ホテル(後のビーチホテル)
 ・潮見崎観音(しおみさきかんのん)

◆旧茂木街道コース(往復約3時間/徒歩&車&見学時間含む)
 正覚寺下電停〜(旧街道)〜潮見崎観音〜(県道/国道324号)〜正覚寺下電停


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