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令和5年度第4回 長崎原爆資料館運営審議会小委員会

更新日:2024年4月25日 ページID:042025

長崎市の附属機関(会議録のページ)

担当所属名

原爆被爆対策部 平和推進課

会議名

令和5年度第4回 長崎原爆資料館運営協議会小委員会

日時

令和5年10月19日(木曜日) 16時00分~

場所

長崎原爆資料館2階 会議室

議題

1 協議事項
(1)小委員会としてのまとめ
(2)展示全体を通したストーリー性、展示の配置や観覧動線

審議結果

1協議事項
(1)小委員会としてのまとめ

〔核兵器をめぐる国際情勢〕
事務局から資料説明 

〈協議内容〉

【委員】
難しい問題なので、委員のお考えを一つお聞きしたいと思います。今年の78周年の平和祈念式典の時に、鈴木市長が話された平和宣言の中に、「核抑止力」というものをどう考えるのかについて市長のご意見を述べられています。つまり、何を言われているかというと、広島のサミットは、核抑止力が前提となって、そういうことで、核廃絶というか、核戦争をしてはならないというアピールをしたということです。
鈴木市長が言われているのは、「被爆者が被爆の実相を訴えることこそが抑止力になっているのではないか」という発言をされていて、戦争の抑止力とか核抑止力というのは、国際政治学の一つの置き方というのがある気もするのですが、でも実感としては鈴木市長のおっしゃる世界の今の人々や被爆者の方々が実相を訴えている、そのことが、例えばベトナム戦争で核を使うかどうかについて、キッシンジャーの回想録の中に、やっぱり世界の核を使ってはならないという運動とか声とか見ると使えなかった、という回想をしていたと思うのですが、そのことと市長がおっしゃっていることは、ものすごく近いと思います。その辺、展示の中でどのような形で示していくことになるのかということですが、委員の一つの考えをこの際聞いておきたいなと思っています。 

【委員】
大変重たい問いであって、難しい問題に適切なお答えができるかわかりませんが、また、この分野の第一人者の委員もいらっしゃいますので、何かありましたらぜひ補足していただければと思いますが、今回の広島サミットで、従来とやや違うメッセージとして、二つのメッセージが、政府から、また岸田総理から出てきました。岸田総理は元々広島の出身ということで、申し上げるまでもなく、ライフワークとして核廃絶ということを目指し、広島の声を反映して、ある意味ではそれを今まで取り組んできたわけですので、今回広島で二つのメッセージというのは非常に色濃く出たということです。
一つが今申し上げたとおり、「核廃絶へと進んでいく、核廃絶を目指す」ということです。これは従来の日本政府の方針であるとか、あるいはライフワークとして岸田総理が言ってきたことと変わりがないと思います。
そしてもう一つ重要なメッセージが、私は新しいというか、日本政府、あるいはG7のメッセージとしては新しい重要な点と思うのですが、「核を使わせない」ということなのですね。つまり、これは何度かこちらの会議でも申し上げましたが、長崎で核兵器が投下された、長崎のこの原爆資料館でいかに悲惨で長い時間を経て放射能の被害が持続しているか、そして長崎以降一度も戦争では核兵器は使われていない、という、これが私は非常に重要なメッセージだと思います。
だけれども、やはり核兵器はこれから使われる時代になってきている。せっかくですので私の方から、小委員会各論点のまとめ案と結びつけながら発言しますが、3つの核の時代ということで、冷戦時代、全面核戦争の危機感があったというのは、異論は無く、皆さんそう思われるだろうと思います。
第2の核の時代、ポスト冷戦体制というもの、これは核兵器廃絶に向けて努力を重ねた時代だったと思います。
具体的に申し上げれば、1994年にはウクライナがNPT体制に入って非核化に合意しました。これがブタペスト覚書ですが、2005年には北朝鮮がいわゆる6者協議の中で核兵器の開発について、非常に難しい合意でございますけれども、一定程度非核化への合意をしたと、つまり、この1994年のウクライナの非核化や、2005年の6者協議の合意、そして、2009年のオバマ大統領が核なき世界を語ったプラハ演説に見られるように、この第2の核の時代には、核兵器を世界から減らしていこう、という最大のメッセージが「核廃絶を実現しよう」ということで、その中核にあった一つがNPT体制ということだったと思います。
ところがその後、北朝鮮は核保有をし、核兵器の数を増やし、そして核ミサイルでアメリカを脅す、そして今回のウクライナ戦争では、ロシアがウクライナに対して、あるいは西側諸国に対して核兵器使用の威嚇をしているということで、第3の核の時代においては、最大のメッセージは、核廃絶の実現をするということだけではなくて、より短期的な、「核兵器を使わせない」ということが重要な課題になっていると思います。
第2の核の時代と第3の核の時代は質的に違う、その質的に違う中で、今回のG7広島サミットで岸田総理が2つのメッセージ、従来通りの核廃絶の実現と、もう一つ、核兵器を戦争で「使わせない」ということ、この二つのメッセージは、私は適切だと思っておりますが、
「核兵器を使わせないためには抑止が必要だ」というのが、基本的に政府の考え方であり、今いただきましたご発言の趣旨にも重なってくるだろうと思います。
ここで重要なのが、「『抑止』と『核抑止』とは違う」ということです。
つまりは、相手に核兵器を使わせない手段として、「こちらが核兵器を持って相互の核の抑止というものを実現する」という考え方と、「こちらは核兵器を持たないけれども、相手に使わせない」とか、「通常兵器を含めて抑止というものを考える」この抑止という考え方には通常の『抑止』もあれば『核抑止』もあるわけです。
あるいは今おっしゃられたように、『抑止』というものはかなりの程度、信義の問題である以上は、単に、相手が核兵器を使わない要因として、「こちらが核兵器をもっているから使わない」という『核抑止』だけではなく、先ほど指摘したような、市民の側からのあるいは世論の側からの、核兵器の使用に対する非常に強い圧力、今回は例えば去年の秋ですけれども、ドイツのショルツ首相がプーチン大統領に対して電話で「核兵器を使うな」ということを言っています。そして、習近平主席も中ロの電話首脳会談で核兵器を使わない要請をしています。
ですから、核抑止で相手に核兵器を使わせないだけではなくて、今申し上げたとおり、外交交渉ではなく世論のメッセージで相手に核兵器を使わせない、という考え方もあると思いますので、この、「相手に核兵器を使わせない」というメッセージを、必ずしも私は『核抑止』とイコールだとは思っていない。だから、もしも『核抑止』以外に相手の核使用を止められないのであれば、日本は核兵器を持たなければいけないわけですね。だけど日本は非核3原則で核兵器を持たないという政策をとっておりますので、私は基本的にこれを支持しています。ですから、日本が核兵器を持たなくても「相手に核兵器を使わせない」という『抑止』は可能だと思っていますし、また『抑止』というのは「相手に核兵器を使わせない」という手段の一つと思いますので、そういった意味ではこの第3の核の時代において、「相手に核兵器を使わせない」ということの重要性、そしてそのための手段が必ずしも『核抑止』だけに限定する必要がないという、日本が非核3原則の施策を続けている以上、核兵器を使わずに、相手に核兵器を使わせないような政策が必要だ、ということを考えております。 

【委員】
委員からお話いただいた日本政府の岸田首相からのメッセージということで、ご発言の中の一つの核廃絶、それから使わせないという日本政府のお話から引かれてそういったお話をされたと思います。
第1から第3の核の時代の話に関連させてお話になられたので、私の方から、もし付け加えるとしたら、とりわけこの第3の核時代というのが、勿論日本政府や核を持っている国の視点もあると思いますけれど、同時に、もう一つはやはりその核兵器禁止条約の誕生した時代であって、圧倒的に世界の大多数の数である非核兵器国の立場からしてみれば、「核兵器を使わせない」ということにとどまらず、「使わせないための唯一の保証というのが、核兵器廃絶に他ならない」という、これが真理であるという到達点を明記する、ということが、「使わせない」で決して終わってはいないと、そのためには廃絶だ、という明確な線が引かれているのが核兵器禁止条約の根幹にある話であり、また多くの非核兵器国の考えであると思います。
ですので、第3の核時代を説明されるときに、「核を使わせない」という、勿論これは核保有国もまた核の傘の下にいる国も主張しているというのは共通の視点であると思います。そのためのリスク削減等々が重要であり、究極的な核兵器廃絶という話になると、委員も含めたそういったお話をされていることは重々承知しているのですが、やはり文言として特に長崎の思いとしてはですね、「使わせないということは、だから核兵器廃絶なのだ」ということを明記することが重要であるということを、申し添えたいと思います。 

【委員】
時代区分のところ、この用語は、政治学ないし歴史学の中では確立しているのでしょうか。そこがよくわからないのですが、これで区分を聞かされると来館者はなかなかイメージがスタートしない。なぜならば、核の開発あるいは核実験の成功とか、いわゆる核時代の幕開けというのがあって、それからしばらく実際に使われているわけです。それを冷戦時代っていう言葉だけで、「第1の核の時代(全面的核戦争の危機の時代)」とだけで展示するのは、結果を先に持ってきているような感じで、やはりイメージ形成には非常に良くないと思います。
それから「ポスト冷戦時代」という言葉と、次の「ポスト冷戦後の時代」という言葉が、本当に適切な言葉なのかですね。「ポスト冷戦時代」というのがその前にあって「ポスト冷戦後の時代」が次にきて、そこで明確なイメージが果たして来館者はわかるのでしょうか。括弧内の説明的なものを見て、やっとわかるというか。そういうところが今の展示の、入口のところで躓く原因になるだろうと。用語の定義というものの不徹底さというものがあって、あまり親切じゃない時代区分じゃないかなと思います。 

【副会長】
用語の定義については、もう少し検討するということで、よろしいでしょうか。

〔被爆医療や放射線等に関する展示〕
事務局から資料説明 

<協議内容>

【委員】
一番目に付くのは、原爆の爆風、熱線とか、最初により多くの人が亡くなった直接の原因になるものがあまり入っていないということです。放射線を主に取り上げるのは悪くはないのですが、放射線影響というのは、後から次々に出てくるということです。いわゆるタイムラグですね、そういうところがわかるような用語を、ちょっと工夫していただければと思います。
それから、ストーリー性というのは、10歳以下で被爆した方が、現在80代になっているわけですから、生涯にわたって精神的な被害も含めて、がんの発生とかいろんなものから逃れられないと、この2番のところの書き方をちょっとそういう意味で、次々に出てくるというところを強調していただければと思います。
3番目の、「原爆が単なる大きな爆弾ではなくて、特殊な爆弾であるということをわかりやすく展示する」というのは、ここに書いてある通りなのですが、それを具体的に、熱線・爆風・放射線という3要素で説明して、最も重要なのが放射線被爆でこれが生涯持続性に繋がることを整理していただければと思います。 

【委員】
半分委員への質問にもなるのですが、医学的知識がないままお聞きしますが、核兵器の非人道性に関する議論の中には、医学的見地からジェンダーの問題というのが大きくクローズアップされていると思います。
その「ジェンダーと核兵器の被害」というところを重ねたときに、当然、その身体的なものもありますし、またその差別、結婚や就職等の差別といった社会的な問題というのももちろん関わってくると思います。
これは私が休んでしまいました最初の頃の小委員会の記録の中にもジェンダーという言葉が入っていないということもあり、もし被爆医療をまたご質問等を含めたですね、被害というものについて今後よりわかりやすく書かれるということであれば、ぜひどこかに記録として、ジェンダーの視点というのが非常に重要であるということは必要ではないかというふうに思います。そういったことで理解して委員のご意見をお聞きできればと思います。 

【委員】
ジェンダー問題は完全に学問的に解明されていないのです。なぜ放射線の障害の影響が、女性の方に感受性が高いのかということを合理的に説明できる、動物実験とかいろんなことも含めて少し欠けているのです。
ジェンダーを強調した発表は、記憶ではウィーンの第3回会議のときに出てきました。ストックホルムの研究所の発表者にダイレクトに、論文の根拠をはっきり出した方がいいのではないかと問い合わせをしたら、残念だったのは、自分は放射線の専門家じゃなく別の方が言っているのを採用した、と、あまり強い自信を持ってジェンダーのことを言われなかったのです。
しかしながら、国連の放射線委員会の2010何年かのサマリーでは、確かにジェンダーのデータをある程度まとめて提示しています。特に若い女性に症状の発生率が高いということは示されていますので、ある程度ジェンダーの事実はあるのだろうと思いますが、まだ確定的ではない。ですから、ジェンダーを述べることはできると思いますが、あまりそれを強調しても、被爆者の医療を長年診てきたものとして、男女差をそれほど見てきた感じはしない、微妙なところがあると思います。
また、原爆に関して言えば、被爆人口は圧倒的に女性が多い。6割7割、統計学的にABCC(放射線影響研究所)のデータで、女性にいろいろな病気が少し多いという傾向は出ます。それは、常に学問的にきちんと出てくるかというと、そうでもないのではないか。論文の数が少ないのです。

〔原爆投下に至る歴史に関する展示〕

事務局から資料説明 

<協議内容>
【副会長】
原爆投下に至る歴史については全員発言をお願いしたいと思います。 

【委員】
枠内の説明はなんですか。 

【事務局】
委員にいただいたご意見を記載しています。 

【委員】
多くの議論があり、事務局が良い形で議論を集約する形でまとめたと思っています。内容については、もちろん非常に難しく、多面的、センシティブな問題ですが、今の歴史研究、あるいは、歴史総合、日本史と世界史を統合させた新しい歴史で学校教育が進められていまして、そういった意味では、私たちがかつて歴史を学んだ時代とは違って、世界の中の日本という視点を、今は歴史教育でも取り入れられていますので、今の現代の潮流に合うか、また、小学生中学生高校生が訪れたときの、自然な形で、世界の中での日本の歩みを理解してもらえるような論点でまとめられたと思います。
併せてもう一つ付け加えますと、まず「原爆投下に至る歴史」という大きな流れがあって、その後に原爆投下があった、そして被爆医療や放射能という形でいかに原爆というものが健康被害を受けるか、ということがあり、その後に、国際情勢といった流れで来館者の方々が見ていただければ、大きな歴史を学び、そして、被爆が、健康、人体に及ぼす影響というものを学び、にも関わらず現代でも核兵器がなくならない世界の現状、という形で核兵器をめぐる国際情勢を、そういった流れ、動線で見ていただけると、まとめられた形で非常に良い形で展示の新しい形での取り組み、姿勢になるのではないかと思います。 

【委員】
私からは一点、平和思想の後退のところが重要なポイントと思っていまして、思想だけではなく国際人道法など背景としての平和思想を認識したうえでの論点かなと思いました。 

【委員】
非常に難しい点をまとめていただき、ご苦労が滲み出ているなと思います。基本的に私の方からまとめそのものに関してコメントはありませんが、この後に続く、とりわけ最後の、若い世代に自分事ととらえての未来志向、にまさにこの歴史問題が直結している、ということをすごく実感しています。
つまり、「過去を正面から見据えることでしか未来志向に繋がらない」ことははっきりしているところであると思います。
従って、今回本当に、今日までの加害と被害、これをどのような形で具体的に記述していくかという検討も、これからおそらく具体的な議論を様々行われていくと思います。
しかし原則として「歴史をきちんと見つめることが未来に繋がるのだ」というその姿勢を、言葉でも、展示の大きな方向性のところでもしっかり明記し、そしてそれに基づいて考えていくという、どちらもその内容は細かいところというよりも、向かう姿勢というか方向性といったところで、そういった過去から未来へという実感をどのような形でも明記していただければ嬉しいと思っています。 

【委員】
委員が言われた、また、第1回目から私も申し上げているとおり、核兵器廃絶という私たちの強い要求というものを実現させていくためには、もちろん核兵器禁止条約に核を持っている核大国も調印してほしい、そして核の傘の下にいる国も調印してほしいと思うけれども、それは第一次世界大戦が終わって世界は戦争のない世界になるはずであったのが、もう一度戦争の世界になっていきました。第一次世界大戦後、最初に他国で戦争行為をしたのは満州事変で、ドイツもイタリアのエチオピア侵略も、ソ連のフィンランド侵略も、と続くので、そういった意味では展示更新の方向性のところの、「戦争という大きな時代の潮流というものをきちんと展示する」ということが、やはり核廃絶していくことを展示する上で、欠けてはいけないところだと思っています。
以下のこの四角の中の4つの視点というのは、委員がまとめてきちんとお話されたことですので、そのことについて私は異論ありませんが、従来の市民を含めた無差別爆撃の話で言われていた、ゲルニカがあって重慶爆撃があり、ドレスデンがあって東京大空襲と、そういう流れの話で錦州が出たので、日本の戦争は第二次世界大戦を考えるうえでも、きちんと示していかないといけない。そのような中で、日中戦争が出てくるわけですし、そういう方向性というのを、戦争という大きな潮流を考えるうえで、押さえておかないといけないかなと思います。 

【委員】
この枠内の1と3について少し意見なのですが、「平和思想の後退」というのは、小委員会で歴史家の先生がお話になって、よくわかりました。特にパリ不戦条約後の、平和思想の後退に日本が一役買ってしまったという歴史があったと思いますが、その事実はやはりタイトルに入ってくるべきじゃないかなと個人的には思います。
それから、3番目の核開発という言葉1つで表していますが、この大量破壊兵器の最終兵器的な存在である原爆が、核分裂物質の発見と核分裂のエネルギーの解放によって核兵器が開発された、歴史的なエポックメーキングなことが明記されていないと思いますが、入れた方がいいのではないかなと思います。 

【副会長】
ご指摘について事務局の方で検討していただきたいと思います。

〔若い世代に自分事として捉えてもらうための展示、未来志向の展示〕
・事務局から資料説明 

<協議内容>
【委員】
前回の議論をよく拾ってまとめられていて、私から内容を付け加えることはありません。ただ、前回あまり議論にならなかった点で少し付け加えるとしたら、もちろんテーマが展示そのものですので、いわゆるハードの何を展示してどのように見せるかというところですが、今回被爆80年から、少しその先に向けて議論をしていくということを冒頭からお話いただいていまして、その観点では、各論点の共通指針のところに、もう一つ付け加えるとしたら、ハードではなくていわゆるソフト、つまり原爆資料館に関わる、とりわけ人的な資源をどう活用して膨らませていくかというところです。
関わる方々も様々で、もちろん課題はたくさんありますが、例えば原爆資料館では、非常に大きな部分を平和案内人の方が担ってくださっているところがありますよね。県外から来られて展示を見終わった方の話を聞くと、もちろんその展示内容に対する印象や思い、ショックであったこと、考えたことたくさんありますが、やはり人間と人間の出会いといいましょうか、例えば平和案内人の方から言われた言葉であるとか、あるいは被爆者の方との出会いとかも含めて、人から受けたもの、そこでいろいろな経験が複合的に来館者の 感想、思いというものに繋がっている、ということを日々実感しております。
そのような意味では、展示を考えるにあたって、いわゆるこれから考えていくべき資料館のあり方と、そしてそこに来てほしい人たちの間を繋ぐ、その媒体となる人でありデジタルツールであったりする、そういったところをもっと重視するような議論をしていく必要があるかなと思っています。
そしてそれを切り離す話ではなく、今本当に一生懸命に展示内容をどうしようかという議論をしているのと同時に、その媒介となるような方たちの層を厚くする、そこに若い方たちへの教育の機会をどうするかとか、いろいろなことをそこで考えられるということを、これを見ながら考えました。各論点共通のところに付け加えたい点として、考慮してもらえればと思います。 

【委員】
委員のご発言をよくまとめられていると思いますが、量が多いといいますか、項目がたくさんありますよね。これをどうやって、若い人たちが館内を回るときにある程度自分の考えに到達できるくらいにアプローチしていくかというのが、この量ではなかなかオーバーフローして難しいかなと思いますので、もう少し整理していった方がいいかという印象を受けます。 

【委員】
この議論は、最後のまとめで非常に大事なことだと思いますが、確かに資料館に入ると平和案内人の方が座っていて待っていますという感じです。
私の知っていることでいいますと、立命館平和ミュージアムでは、「平和友の会」というガイドしている方たちを中心にグループが作られていて、何回発行しているかは知りませんが機関紙も出していて、今後11月から12月に私もお話をしに行きますが、ミュージアムはあまり関係ない感じで、ガイドグループが戦争そのものをきちんと学びたいという形の勉強会もあります。
もう一つ自分が関係している滋賀県の平和祈念館でも、やはり同じように、案内する方たちでグループを作って、例えば戦没した方たちの手紙を皆で読んで議論するとか、様々な学習の場を持っているのですが、平和案内人という方たちはどのようなことをされているのですか。知らなかったので、事務局から答えられますか。 

【事務局】
長崎の平和案内人についても、今先生が言われたような研修会ですとか、そういうことをやっております。 

【委員】
今委員が言われた点は私も同感で、どこまで館内で完結するか、そしてどこから館外の被爆遺構などに移動していくか、それからグループディスカッションなど実施するのにどのような施設の場所を使うのかとか、付随して少し検討課題になっていくのかなと思います。そうしないと、今の面積でこれも全部やろうというのは、とてもなかなか難しいのではないかと思っています。

【委員】
展示更新の方向性のところで、なぜ核軍縮が進まないのかというところは、少し繋ぎが欲しいと思います。

(2) 展示全体を通したストーリー性、展示の配置や観覧動線

<担当委員より説明>

【副会長】
それでは次に、最後の個別論点となります「展示全体を通したストーリー性、展示の配置や観覧動線」を議論したいと思います。この分野については私からお話をしたいと思います。資料は別添「博物館・資料館の展示ストーリーについて(副会長著)」ですが、いくつかキーワードを拾っていきます。
資料「4展示ストーリー」の本題に入る前に、少し前振りをしたいと思っております。博物館の定義と、耳慣れない言葉だと思いますけれども、「3博物館化」の話をして、4の話をした後は、動線、博物館のプロジェクトの話もしたいと思います。
まず初めに博物館の定義ですが、第二次世界大戦以降いろいろな定義が出ています。国際博物館会議(ICOM)(NGO)が音頭をとり、約4万人の博物館関係者、180ヶ国以上が参加して会議を開催しています。
1946年以降、約3年に1回博物館の定義を出しています。以前は割愛しますが、1974年時は、「非営利の恒久施設であって一般に公開されていることが大事、それから、人間と環境の物質的証拠を取得・収集する」ということで、大体1974年から似たような定義でしたが、2019年に、3年間の研究を成果として、京都で開催されたときに次のような定義が発表されました。これはコンセンサスを得るために識者たちから得たものをまとめたものなのですが、京都大会で4千人くらい参加し、一般の方たちが意見を述べる機会を与えたときに紛糾し、頓挫しました。
読み上げてみますと、「博物館は、過去と未来についての批判的な対話のための民主化を促し包摂的(ソーシャルインクルージョン)に、様々な声に耳を傾ける空間、そして博物館は現在の紛争や課題を認識しそれらを対処しつつ社会に託された人類がつくったものや標本を保管し未来世代のために多様な記憶を保護するとともに、すべての人々に遺産に対する平等な利用を保証する。公明正大な存在であり社会正義(ソーシャルジャスティス)、世界全体の平等と地球全体の幸福に寄与することを目的として多様な共同体と手を携えて収集、保管、研究、解説、展示の活動をする」ですが、非常に紛糾しまして、否決、延期されました。
その理由は、時代と共に違うのですが、定義を原爆資料館に当てはめたときに私は非常に良い定義だと思っています。しかし、博物館人の保守的な性格もあって、非常に大反論されました。なぜならば、対話が成立するのか、宗教観が違う、文化観が違う、例えば略奪品はどうするのか、開放と理解するのか、ロゼッタストーンなんかもそうですし、いろいろなものが日本にも来ていますが、そのような対話が本当に成立するのですか、ということと、そのような民主的なプロセスを博物館ができるのですか、それほど博物館は力ありませんよね、もっと国や政府がやるべきことで、それを博物館に押し付けるのは、そのような実力はないのではないですか、という批判の声もありました。
それから、現在の、はっきり申し上げると文化財返還問題とか、脱植民地化などの課題を認識する、これも歴史認識の違いがあって、本当にうまくいきますか、それから社会正義って何ですか力のある方が正義ですか、とか、いろいろな意見が出て頓挫しまして、2022年に、今まで通りの定義に少し付け加えたものになりました。
一番新しい定義の文言は、「知識共有」ということで、これはデジタル情報ということですが、そのように、博物館の定義も社会的な環境の中で変化しています。大きく言うと、17世紀18世紀の啓蒙思想が出てきたときに、博物館が大事だということになって、特に19世紀では、地質関係等で保管の場所として研究資料を設けましょう、となり、それから20世紀では、教育が言われまして、21世紀になると逆に政治利用の場になり、国威発揚と言いますか、ナショナリズム、国民アイデンティを重視する、それから歴史資料を活用した正当性を主張する、例えば領土問題とか侵略ということについて、博物館が政治利用をされていることに対しての反論が、京都大会での大反対につながったという経緯があります。
それから、博物館の使命というのは朱字で書いていますように、文化遺産の保護と伝承、それから教育と学習の支援、社会との対話と貢献を、となっていますが、原爆資料館に置き換えて考えてみますと、収蔵資料以外の民間人が持っている資料、あるいは現在の展示資料以外の周辺の、原爆遺構、委員おっしゃったようにどこまで範囲にするのか、ということは、大きな問題であると思います。
それから教育学習の支援で言いますと、若い世代にこれも非常に大事で、使命は大事と思いますが、こういった使命というのは、アメリカとかヨーロッパでは大体5年とか10年に1回見直されております。
それから、最近では対話の場を提供する、これは国内的で、国際的な場はまだ成立していないのですが、どちらかというと、展示作りに市民が参画する、という動きになっています。これは「パーティシパトリー(参加型)ミュージアム」と言っていますが、学芸員や研究員だけが作るのではなく市民全体が参画して博物館の展示作りをしていきましょうという傾向があります。それも実際上のことを考えるとそれなりの規模でなければ、言うは易く行うは難し、でありますし、先ほど、中村先生のご指摘ありましたように、運営関係に問題が、例えば案内であるとかボランティア活動とか、そういったことをメンテナンスも含めてですが、創業は易く守成は難し、の形になっています。
原爆資料館の使命を紐解いてみますと、ここに提案されている2つ(「被爆の実相と長崎市民の平和への願いを広く内外に伝える」「核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に寄与する」)はもちろん使命だと思いますが、5年10年に1回は見直してもいいのではないかと思います。それから博物館のメッセージ性、このメッセージを発すること自体が、博物館の存在意義、と私は認識しています。
例えば、改築、いろんな建物の意匠もありますが、例えばハルピンにあるような大きな博物館が、上空から見ると巨大な2本の柱が地面に突き刺さっているような、戦争の悲惨さを訴えているそうですが、モニュメント自体が存在意義になっているし、それから、言葉によるメッセージというものもあります。
それから、博物館がないということは、国民あるいは県民、市民の関心が薄いということになるのですが、幸いなことに長崎にはこの原爆資料館がありますので、存在自体がメッセージ性を持っていると思います。
それから、戦争博物館は日本にはありませんが、これは、平和博物館あるいは平和祈念館、平和資料館ということになると認められるのですね。しかし、平和の反対は直接戦争ではないかもしれませんが表裏一体ですので、その認識は、先ほど、過去に直面し直視しようという委員の言葉が表すとおりに、私も感じているところです。
それから、博物館の展示内容とは重要なメッセージで、一般の人から見ると公式見解と見られるのですが、使命とメッセージというのは同じ意味ではあります。ただ、資料館、博物館から発せられるメッセージというのは、過去の歴史の批判ではなくて未来志向の表現の方が、説得力があります。
それから、多様な意見、見解を紹介することが望まれますが、例えば青森県の三内丸山では、遺跡の先生方のいろんな意見をあげていて、あるいは古代出雲の島根県では、出雲大社の昔の想像をしている展示は、両論どころか、5、6案を併記しています。
それから、個人史について、個人史というのは非常に大事だと認識していますが、集団的な記憶と個人の記憶というのは非常に切り分けるのが難しい。博物館としてのメッセージなのか個人的なメッセージなのか、曖昧にならないようにする配慮が必要だろうと思っています。
それから、近年の中国・韓国で建設された博物館というのは、国民教育のための政治利用が多く、ほとんど反日・抗日・排日博物館で、愛国教育重点基地との大きなプレートが博物館の前に出ております。
それから、5ページにいきますが、今展示更新の議論をしていますが、博物館学としてその前提になるのは、我々普通「価値」というと経済的な感じがするのですが、一時的に社会にあるものを博物館の中に持ってくると、展示・保存ということは、博物館的な文脈の中に入ってしまうので、持っている意味が変容してしまうということになります。これは、「モノ」に語らせるという、非常に哲学的というか綺麗事ですけども、シナリオを誰が書くかということにも依存しているということがあります。
本題に入ります。展示ストーリーというのは、今まで何回も出ているキーワードですが、企画側、市側の、資料館で訴求したいコンテンツを来館者にわかりやすく理解してもらうためには、一定のストーリーが必要であるということです。展示ストーリーとは文字の、文学の世界、小説の世界ではないわけですので、基本的には「モノ」が主体ですが「モノ」がもうこれ以上見つからないような場合は、二次資料(写真・映像等)あるいは口述史のような無形な「モノ」を可視化する、ビジュアル化するという作業になります。
映像シアター、今回の場合もシアターありますが、デザインや空間構成、収容人数の設定はできますが、映像の中身、シナリオ作りというのは非常に重要になってきます。
それから歴史的なフィルムの利用というのは、設計与件として企画側は提示できても実際にコンテンツを作るのは映像会社、あるいはシナリオライターですので、そこの制作体制というのをきちんと考える必要があると思います。
一般論として申し上げますと、展示作りをする場合には、学芸員は大体、時間軸か空間軸で考えていますし、先ほど朝長先生が言われたように、どこまで範囲を広げるのか、ということになるとシナリオは変わってきます。
博物館というのはインプット・アウトプット(I/O)機能があって、このI/O機能というのは非常に研究しなければいけないものですが、我々は、受信者のお客様を、どのターゲット層にするのかによって、メッセージあるいはストーリーは違ってきます。
例えば、子どもなのか成人なのか、国籍の違い、宗教観の違う人に対してこちら側が意見を言っているのが受け入れられるか受け入れられないのか。それからI/O機能で重要な働きをしてくれるのは、媒介者、解説員、ツアーガイドですので、その力量が、これは研修をしなければいけないと思いますが今回のこの小委員会の範囲外でありますし、どこがどういう議論をするのか、私もわかっていませんが、そういった運営関係のことについて、こういった議論が必要ではなかろうかと思っています。
それから、限られた空間の中で展示スペースとしているわけですが、空間というのは非常に限られています。ある意味ではメリハリをつけるということになると思いますが、どこでどういうふうにするのか、できないものは、情報空間・バーチャル空間に含めて検討していくのかというようなことも議論しなければいけないと思います。
展示空間、展示ストーリーというのは、展示動線、つまり配置に左右されます。あとで事務局から動線が提案されるかもしれませんが、その辺のことを考えなければいけない。意図を伝えたいならば、自由動線よりも強制動線が望まれると思っています。その中間の半強制、半自由動線というものもあろうかと思います。
最後です。博物館プロジェクト、今回の場合は展示更新ですが、規制といいますか時間が限られておりますので、今回の場合は2年後に実施ということで、今回入らなかった意見についてはもう少し時間をかけるような体制を作っていくことも考えなければいけないのではないか、と思います。
プロジェクトですから、限られた人員・時間・予算の中で最大限の目標を達成するためには、目標を設定して、新しい製品といいますか、展示内容、映像あるいは情報サービスというものを開発していく、あるいは、プロセスを改善していくということも必要だと思います。
3番目の資源管理ですが、プロジェクトは限られた資料を使いますが、今回、(被爆体験の)口述史については非常に時間がかかるため、それについての展示を反映するのはもう少し時間がかかる、ということも聞いていますので、そういったことも必要だろうと思います。
チームワーク、体制作りというのも非常に大事で、そういった利害関係者、特にステークホルダーの合意形成には時間がかかりますし、民主主義というのは時間と金がかかるわけですから、目標達成あるいはチームをどのように組むのかといった面でも、大きな時間差が出てくると思います。
結論としては、「博物館は永遠に未完である」という格言があるように、完成というものはないので常にアップデートしていかないといけないと思いますし、フローの情報よりもストックの情報の方が議論すべきだと思いますが、この時代ではやはりインターネットやデータベースに頼ることになりますので、未完のものを完成に近づけていくといった形になります。 


事務局から資料説明 

<協議内容>

【副会長】
それでは、資料の順番に沿ってまずは「目指す姿・状態」について事務局から何点か示されましたけれども、委員からご意見いただきたいと思います。 

【委員】
「時系列に沿ってわかりやすく展示する」ということですが、時系列だけだとフラットな感じがする、というより今と変わらない感じがするので、論理的にわかりやすくするというのが重要なのかなと思います。
要はその、原爆投下に至る歴史から始まって、現況、そしてなぜ核軍縮が進まないのか、いろんな国際情勢、それでも取り組みは行われている、といったような基本的な流れを知って、あとでゾーニングのところで申し上げますが、論理的にわかるような形で、今は行ったり来たりになっていると思います。 

【委員】
まず委員から大変ご丁寧な、博物館学、展示ストーリーについてお話があり、お話をお伺いしたことで、どういった姿があるべき姿なのかという、私はこの分野の専門的な知見がありませんのでご教授いただきありがとうございました。
続いて、目指す姿として、基本的に今事務局で用意されたもので、簡にして要を得たものだろうと感じています。あくまでも重要な要旨とのことですのでその中で要素をさらに含めることが可能かな、と考えていますので、特に違和感がなく今までの議論の内容を元にまとめていただいたと思います。
そして、ゾーニングについても、AB案ご提示がありました。どのような動線で見ていただくのが最も望ましいのか、専門的な知見を含めて、委員を中心とされる方々でぜひ作っていただければと思います。
やはり、良い博物館というものは、これは私の個人的な感想、印象ですが、情報が過多で、あまりにも多く、小さい文字で書いているとなかなかどうしても読む方も疲れてしまうと。むしろ来館者に考えさせる、疑問を感じさせる、これは先ほど委員がおっしゃったことと関係してくると思いますが、やはり立ち止まって、例えば、なぜこれだけの悲惨な結果となったのにまだ核兵器はなくならないのか、むしろ広がっているのか、そういった疑問を来館者の皆さんが感じていただくような流れ、展示を心がけていただければ、更に来館者の皆さんの強い印象に残る資料館になると考えています。 

【委員】
私からも、先ほどの委員のご説明をお聞きして、学ばせていただきました。とりわけ、今回どこまで目指すのか、またそれから今後継続して議論していくべきものが、もう今この段階でははっきり見えてきているのではないかと思います。それは非常に明確に整理する中で、わかりやすく有益な資料であった、ご説明だったと思います。
その上で、今回はゾーニング案、とりわけやはり大きな一つの変更点としまして、今、そういう意味では大きく、戦略的という言葉がいいかわかりませんが、そういった形で活用されていない、例えば円形スロープのところであったり、いこいの広場のところであったり、またその移動の動線のところでも、同時にこれまで展示目的では使っていないところを活用するというような形で、もちろん情報過多になるということは避けるべきことであるというふうに私も思いますが、これまで展示では活用できていなかった部分も含めて、全体のストーリーを作っていくというところで、大きく工夫をされている案であると思います。
その上で、やはりこれは疑問というか、A案とB案を考えたときに、現状でCコーナー展示の例えば、核弾頭と世界のデータであれば、円形の地球の形があってそこに各国の核弾頭数を展示している、ああいったオブジェというか、モノ全体が、想定するイメージとして、使えるものはそのまま移動するとか、テーマでいくとここに当てはまる、ここに当てはまる、といった現状のものを動かしていくというのも一つありうると思うのですが、それ自体が変わっていく可能性があるのでしょうか。
スペースや全体のイメージを頭の中で想像するうえで、現状のモノとどれくらい変わっていく可能性があるのか、というところはちょっとまだイメージがつかないところがありまして、そのあたり少し教えていただければと思っています。 

【事務局】
第1回の審議会の際にも少しお話があったかと思いますが、今回、C・Dコーナーを中心にということで整理しています。これまでの、例えばAコーナーとBコーナーを変えてしまうとか、そういったことは難しいのですが、Cコーナーの中で全体としてストーリー性をどう構成していくかという意味では、モニュメントやそういったものを現状の位置にこだわらず、さっき申しましたように配置そのものを変えてしまうということも可能と思っています。Cコーナーの中で構成を変えるということは、ありうるといいますか、そこも含めて考えています。 

【委員】
位置を変えるというだけではなくて、必ずしも今あるものを使うという前提ではない、ということですね。 

【事務局】
今あるものを使うという前提にとらわれずに、モノ自体を変えていくことも含めて検討していただきたいと考えています。 

【委員】
わかりました。今のモノを使うとなるとかなり制約が大きいと思いましたので、確認させてもらいました。 

【委員】
委員の博物館学のお話を初めてお聞きして、京都の方でも(博物館に関わる)事業をしていたのですが、どういった使命を持って作っていかないといけないかという、非常に私も門外漢ですが、よく理解できたと思います。
博物館の定義が示された3ページのところは、定期的に見直すにしても、最小限の範囲というのは、長崎市民の平和の願いを伝えることと、核兵器廃絶と国際平和そういう博物館展示になるという、示された使命は、まさにそうだと思います。
事務方から、別冊(ゾーニング案)はたたき台なので、いろいろな議論をしたらいいというご意見もあったので考えていますが、現在のものと大きく変わる点が「日中戦争と太平洋戦争」が消えたような形になっていて、この表現の中でいろいろなことが出来るとは思いますが。
「原爆投下に至る歴史」というタイトルで、どのような開発がなされ、そしてアメリカの投下決定があり、開発はもちろんイギリスも日本もといった話になってくるのでしょうが、そのような中から原爆投下になって、核兵器が広がっていると、まさに原爆に絞られた展示がCコーナーの役割だというようになっているのですが、これは別に日本の戦争ということに絞る必要はないのですが、世界はやはり細谷先生が何度も言われていた、第一次世界大戦というあの悲惨な戦争を二度と起こさないために国際連盟を作り、不戦条約を作り、いろいろな工夫をしていたにもかかわらず、第二次世界大戦という侵略戦争が起こり、その中で、その前から錦州爆撃があったわけですが、市民を含めた無差別爆撃というのが行われて、それの最後の最終兵器というような形で原爆が出てきたという、そういう大きな、戦争の流れというものが、やはり「原爆投下に至る歴史」のところに十分反映される必要があるのではないかと思います。
順序も逆なのではないかなと思います。大きな戦争の流れがあって、そこで諸国でそれぞれ原爆開発という、とんでもないものに着手して、最後に使われたのは長崎だという(流れにすべきではないか)。核兵器に絞ってしまうようなCコーナーの表示しか見えないので、そういうふうに見える、というのは差し支えがあるのではないかなと私は思いました。 

【事務局】
ここは、表記が細かいところまで書けませんので、少し小委員会の論点に合わせて表示していますが、今示しているのは現状の資料館の展示を基本として一旦置いてみている、というところですので、当然、原爆投下に至る歴史に関しては、どの時代から入れるのかとか、そういったところは広く含まれていると考えていますし、原爆投下、開発の歴史、投下に関する発言というのは今現状あります。ここについてはあまり議論がありませんでしたが、現状あります逆三角錐の内容を表現しているだけですので、特に構成そのものを大きく変えるという趣旨で書いているものではありません。 

【委員】
B案の方を見ると、時系列で歴史を見ながら、それぞれのコラムのような四角でまとめたのがありますが、そういうところを見ながら大きな時系列を見ていくようなB案になっています。そちらだと今言われたように、歴史展示というモノもありつつ、それぞれのポイントというのを観覧者が見ながら前に進んでいく、最後に長崎の取り組みのところ、長崎から世界への取り組みというところに行くという時系列の方が、B案を見て、私はわかりやすいかなと思いました。 

【委員】
ゾーニング案で感じるのですが、これだけのA3資料、やはりCコーナーが今焦点になっているわけですから、CコーナーでA4くらいの大きさにして、もう少し細かい項目が、今タイトル的なものが大まかに置いてあるだけなので中身まで見えないですね、もう少し詳しく書いてもらえればと思います。
それからBコーナーのところで「原爆投下までの経過」というのがあるのは、Cコーナーのどこが重なるのか重ならないのか、把握しかねているのですが、なにかわかりますか。

【事務局】
Bコーナーの「長崎原爆投下までの経過」は、今現在ある展示です。一旦C・Dコーナーを中心に議論いただいていましたので、ここも絡めるとなるとまたBコーナーの中のバランスもありますので、現状は対象とはしていません。 

【委員】
Cコーナーの「投下に至る歴史」とは重ならないという理解でいいのですか。 

【事務局】
現状、この「経過」というのは、アメリカが原爆投下の候補地として・・・などの内容ですので、直接重ならないです。 

【委員】
重ならないのですね、ではもう少しCコーナーを大きくして、もう一つ次のサブタイトルぐらいまで入ってくるような図にしてもらった方が、具体的に議論ができるかなと思いました。 

【副会長】
ゾーニング案について他に何かご意見ありませんか。 

【委員】
今のAコーナーもBコーナーも、行ったり来たりする形になっていて、来館者の頭が混乱するのではと思っていました。そう考えると、まず大きな塊として史実関係をしっかり示す、それから次に2つ目の塊が、なぜ核廃絶が進まないかということを考えてもらう。なぜかなと考えさせる塊として説明する。3つ目の塊で、それでも核軍縮に向けた取り組みが行われている、という。
3つの塊と考えると、1つ目の塊が事実関係、原爆投下に至る歴史、だったり、そこにはさきほど委員が言われていたようなことも含まれると私は理解していますが、それから「原爆開発の歴史、投下に関する発言、核兵器開発の被害者、核兵器の現状」と、この4つが事実関係であって、その後に、ではなぜ核軍縮が進まないのか、と来館者は考えると思いますので、それに対するある程度の回答というか、2つ目の塊で国際政治について見てもらうということです。
それから3つ目の塊として、核軍縮の取り組みと、これは長崎に限らず、世界に向けての市民社会主体のいろいろな取り組みをされていると思いますので。長崎だけ別途取り上げてもいいと思いますが。
そういった意味で、行ったり来たりすると論理的に混乱すると思いますので、実際にどう展示するのかは別にしても、論理的にある意味強制動線にできないかなと思っています。行ったり来たりするよりはですね。

【委員】
先ほど少し言及しましたが、どちらもどういう形で見せるのが最も好ましいかというのは、なかなか難しい問題と思いますので、ぜひこの分野の専門的な委員を中心として、普通、あの美術館なんかで、キュレーターの方がおられて、その建物全体の中でどういう形で見せるかあるいは数を配置するか、どういう内容で展示するのがいいのかということを統括する方がおられますが、こちらはやはり委員の専門的な知見を元に、どういう動線が最もゾーニングとして好ましいのかというのはぜひご判断に従いたいと思います。私はA案B案どちらも充実した内容になると思います。 

【委員】
さきほど委員が言われたとおり、この先は細かい話になっていくと思いますが、半分質問なのですが、以前、例えば年齢層によってどこに注目すべきなのかとか、あるいはその展示の仕方が、そもそも私が理解する限りは資料館の展示はかなり専門的であり、言葉の使い方もあり、また使っている内容も、そういった意味では、高校生以上、大人の方をイメージしているものだと思います。
しかし、今回、動線のことを考えるときに、異なる観覧者層、つまり例えば子どもたちが見るとしたらここをこういったところで、もう少しやや年齢層の低い層に少し特化した、わかりやすいような展示を置く、というようなことを、もし検討に入るのであれば、改めてその動線を分けるというのはスペースの問題上難しいとは思いますが、何らかの形でそういったターゲット層という、委員をはじめ専門家の方は常に念頭に置かれている話ではないかと思います。
そういった話題が資料には所々出てきますが、ご発言の中にありませんでしたので、今回Cコーナー全体を考える上でそうした若い人たち、とりわけ子どもたちが、修学旅行で大変訪れる場であるということを前提に考えるべきかどうか、というところは、どこかに入れてもいいかなと思っています。 

【副会長】
こちらも事務局側の記録に残しておいて、課題にしたいと思います。 

【委員】
Cコーナーから離れて、Bコーナーの永井隆博士の件ですが、確かに今展示してある永井博士の白血病の写真とか、これは放射線被害の代表例として展示していますが、実は永井先生は原爆の放射線による被害で白血病になったわけではなく、その前に白血病になっています。
放射線科の助教授として長年、被曝をしながら仕事をしていた結果の白血病ということで、これを原爆の放射線障害だと勘違いしている人はもうたくさんおられます。長崎市民はかなり正確に理解していると思いますが。
ですから、確かに動線として如己堂の方にまとめるというのは、一つ解決策だと思いますね。その代わり永井先生のもっと重要な功績である、著作とか平和思想とか、そういったものを重点的に如己堂の方でやる、というのが一つの判断ではないかなと確かに思いました。 

【副会長】
以上で本日予定されていた議論が終了しましたので、事務局に進行をお返しします。 

【事務局】
本日は、長時間にわたり、貴重なご意見をいただき、ありがとうございました。
会議の冒頭で説明しました通り、基本計画の策定に向けての小委員会は今回が最終回となります。基本計画の素案の作成にあたりましては、小委員会のまとめを中心に、その他必要な項目を補足し、作成してまいります。
今後、第2回の運営審議会において、素案について、説明したうえで、委員の皆さまからご意見をいただき、最終的な基本計画に反映していくこととします。
第2回原爆資料館運営審議会につきましては、11月以降に開催予定としておりますが、今後日程調整を行わせていただきます。
以上で、第4回小委員会を終了いたします。

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