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令和3年度第2回 長崎原爆資料館運営審議会

更新日:2022年6月15日 ページID:038786

長崎市の附属機関について(会議録のページ)

担当所属名

原爆被爆対策部 平和推進課

会議名

令和3年度第2回 長崎原爆資料館運営協議会

日時

令和4年1月14日(金曜日) 10時00分~

場所

長崎原爆資料館地下1階 平和学習室

議題

(1) 開会
(2) 議事
 ア 展示室Cコーナー「核兵器のない世界をめざして」の展示について
 (ア) 日本平和博物館会議加盟館の状況について
 (イ) 長崎原爆資料館の展示の状況について(展示室の視察)
 (ウ) 意見交換
(3) 閉会

審議結果

(2) 議事

  ア 展示室Cコーナー「核兵器のない世界を目指して」の展示について

【会長】

「(2)議事 ア 展示室Cコーナー「核兵器のない世界を目指して」の展示について」、「(ア)日本平和博物館会議加盟館の状況について」と、「(イ)長崎原爆資料館の展示の状況について(展示内容の説明)」について、事務局から説明を求めます。

その後の意見交換においては、「Cコーナーの展示としてこのようなものがあったら良いのでは」など、様々なご意見・感想を、お一人ずつ発言いただきたいと思っていますので、よろしくお願いします。

それでは、事務局のほうから説明をお願いします。

【事務局】

それでは、私のほうから「(ア)日本平和博物館会議加盟館の状況について」、事前に郵送で送付しておりました、緑色のバインダーの資料「令和3年度第2回長崎原爆資料館運営審議会資料」により説明いたします。

日本平和博物館会議加盟館の状況についてご説明します。

日本平和博物館会議は、戦争の悲惨さを人々に伝え、平和の実現のために役立つよう、協力して調査や研究を行い、平和推進事業を発展させることをめざして 1994 年に結成されており、現在、長崎原爆資料館を含め、10 館が加盟しています。

それでは、お手元に配布しておりますバインダーの資料に沿って、一館ずつご説明いたします。

1ページをお開きください。まずは「長崎原爆資料館」です。

「設置主体」は長崎市であり、「ア 設置目的」については、「本市は、原子爆弾により被爆した都市の使命として、被爆の実相と長崎市民の平和への願いを広く国の内外に伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に寄与するため、原爆資料館を設ける」としています。

直近の改修としましては、米国国立公文書館で新たに収集した被爆の実態の資料等を追加展示するとともに、当時の最新映像機器、情報機器などの導入を図り、被爆の実相や核兵器の脅威をより分かりやすく伝えるため、平成26年度に基本設計及び実施設計を行い、翌平成27年度に改修工事を行っています。

展示については、他館の状況を説明した後に、館長の方から説明させていただきます。

次に11ページをお開きください。「埼玉ピースミュージアム(埼玉県平和資料館)」です。

「設置主体」は埼玉県であり、「ア 設置目的」は、「風化しつつある戦争の体験を引き継ぎ、平和に対する意識の高揚を図り、平和な社会の発展に寄与すること」です。

12ページをお開きください。 「ウ 館の特徴や常設展示の考え方」については、県民に戦争の悲惨さ及び平和の尊さを伝えるものとして、常設展示は、埼玉県内の被害をはじめ、県民と戦争との関わりを中心に展示し、キャプションは中学生年代を意識した用語等の難易度で作成しているとのことです。

直近の改修は、平成25年度で、現状としては、成人、特にご高齢の来館者が多い施設であるため、埼玉県の平和行政関連施設として、埼玉県及び県民と戦争との関連について、次代を担う若い人たちに分かりやすく展示し、学校教育での活用増、児童生徒の来館増につなげることに注力したとのことです。

「ケ 次世代を担っていく子どもたちに平和を伝えていくための工夫について」のうち、ハード面に係るものは2点目の、「館内では疑似体験コーナーやオリジナルアニメ2本を使用した平和学習の実施している」としています。

13ページからは「主な展示内容」を記載しています。

次に23ページをお開きください。「川崎市平和館」です。

「設置主体」は川崎市であり、「ア 設置目的」は「市民の平和に対する理解を深めるとともに、交流及び平和活動を推進し、平和都市の創造と恒久平和の実現に寄与すること」です。

「ウ 館の特徴や常設展示の考え方」は、「平和とは、すべての人間が暴力や差別、貧困や環境破壊におびやかされず安心して生活できる」ことであるとの考えのもと、日本の過去の戦争、戦時中の川崎、現代の武力紛争、兵器、マスメディアと武力紛争の関わりなどの戦争についてはもちろん、国家による弾圧、武力は伴っていないものの、私たちの平和的な生活を脅かす、環境破壊、貧困、差別などについても、平和問題として展示しています。

直近の改修は平成25年度で、平和問題を単に戦争・武力紛争だけでなく、平和な生活を脅かす様々な要素を包括的に提示することを重視したとのことです。

24ページをお開きください。「カ 解決のために実施したこと」として、こどもにも興味を持たせるものとして、戦時中の庶民の暮らしの展示やタッチパネルによるパネルに書ききれない説明の補足などを実施しています。

「コ 次世代を担っていく子どもたちに平和を伝えていくための工夫について」は、

・展示であれば、限られた文字だけの表現になってしまうため、子ども向け及び外国人向けにQRコードを活用したい。

・川崎市平和館は公園の中にあるため、子どもたちを引き込むような楽しそうなものを壁面に表現したい。  とのことです。

25ページからは「主な展示内容」を記載しています。

次に39ページをお開きください。「立命館大学国際平和ミュージアム」です。

「設置主体」は「立命館大学」であり、「ア 設置目的」としましては、「立命館大学の教学理念「平和と民主主義」を具体化するとともに、蓄積してきた平和教育・平和研究を発展させるために設立されました。

「ウ 館の特徴や常設展示の考え方」は、「平和のための京都の戦争展実行委員会および京都平和祈念戦争博物館(仮称)建設準備委員会による協力(資料提供を含む)を得て設立しており、館の特色としては1.国際性と現代性、2.過去の戦争の実相を伝える、3.立命館大学における平和研究・教育の発展に寄与する、4.多くの市民の参加と協力に支えられ、社会に開かれ、地域に根差した博物館の4点があげられる。当初の展示では1.15年戦争の様相・実態・惨禍、2.戦争違法化への努力、3.現代における戦争の脅威と平和への努力の3部構成であった」ということです。

「直近の改修」は平成17年ですが、令和5年のリニューアルオープンを目指し検討中ということで、40ページの「キ 今後の展示更新時期に向けて課題としていること」にあるように、「基本コンセプトとして、1.戦争の記憶を共有するミュージアム、2.平和創造の場となるミュージアム、3.平和創造を支える調査研究活動の拠点となるミュージアムの3点を設定し、新たな展示全体を貫くテーマとして「平和をもとめて(モノが語る戦争の記憶~平和創造への努力)」とし、プロローグ、年表展示、テーマ展示、エピローグの構成とすることを検討している」そうです。

「ク 次世代を担っていく子どもたちに平和を伝えていくための工夫について」は、学生が対象となるため、次の事業を行っているとのことです。

・学生を活用した資料整理、展示案内の訓練

・学生の企画及び運営によるワークショップの実施です。

41ページからは「主な展示内容」を記載しています。

次に51ページをお開きください。「ピースおおさか(大阪国際平和センター)」です。

「設置主体」は公設でございまして、大阪府と大阪市の出資により公益財団法人が設立され、運営は公益財団法人大阪国際平和センターが行っております。

「設置目的」は「大阪空襲の犠牲者を追悼するとともに、戦争の悲惨さや平和の尊さを次の世代に伝え、世界の平和に貢献すること」です。

「ウ 館の特徴や常設展示の考え方」は「次代を担う子どもたちが、大阪と戦争の関係や身近な地域に起こった空襲の事実を通して、戦争の悲惨さ、戦争の背景を理解するとともに、平和を自分自身の課題として考えられることができる展示を目指した」とのことです。

直近の改修は平成27年度で、52ページの「ク リニューアルについて」にあるように、「大阪中心」に「子ども目線」で「平和を自分の課題として考えることができる展示」をテーマにしています。

「ケ 次世代を担っていく子どもたちに平和を伝えていくための工夫について」は、

Fゾーン『私たちの未来をつくっていくために』の展示を見て考えてもらう。

具体的には、「世界で活躍する大阪の若者」の展示、ワークショップスペースのホワイトボード上に掲示している学校の壁新聞や取り組み事例の紹介コーナー、ユニセフの協力による「千円の寄附で何ができるか」のコーナーがあります。

53ページからは「主な展示内容」を記載しています。

次に61ページをお開きください。「広島平和記念資料館」です。

「設置主体」は広島市であり、「設置目的」は、「原爆による被害の実相を世界中の人々に伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に寄与するため」です。

「ウ 館の特徴や常設展示の考え方」は「原爆による被害の実相を世界中の人々に伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に寄与するため、遺品や写真、被爆者が当時の情景を描いた絵など実物資料を基に、原爆によって広島の街に何が起こったのかを展示しています。また原爆による被害だけでなく、原爆の開発から投下までの経緯、現在の核兵器を取り巻く状況、被爆前の広島の歴史などについても展示しています。」

「直近の改修」は平成31年4月で、「被爆者が高齢化していく中で、どのようにして次世代に正確に分かりやすく被爆体験を継承・伝承していくか」というコンセプトでリニューアルしています。リニューアル後の展示の特徴については、昨年11月に開催した前回の審議会でも紹介いたしましたので、省略します。

次に75ページをお開きください。「沖縄県平和祈念資料館」です。

「設置主体」は沖縄県であり、「ア 設置目的」は「戦死者の半数を占める約94,000人が一般市民であった沖縄戦の歴史的教訓を正しく次世代に伝えるため」です。

「ウ 館の特徴や常設展示の考え方」としましては「沖縄戦の実相と歴史的教訓を正しく次代に伝え、全世界の人々に”沖縄のこころ” を訴え、もって恒久平和の樹立に寄与する」という特徴があります。

なお、平成12年の新館開館以降、大幅な展示更新は行っていないとのことです。

77ページからは「主な展示内容」を記載しています。

次に91ページをお開きください。「神奈川県立地球市民かながわプラザ(あーすぷらざ)」です。

「設置主体」は神奈川県であり、「ア 設置目的」は「国際理解や国際平和、地球規模の課題について、考え、行動していくための総合施設として設立されました。

「ウ 館の特徴や常設展示の考え方」は「世界の文化や暮らしについての国際理解や国際平和、地球規模の課題について、日々の生活の中で考え、自分にできる身近なことから行動していくための総合的な施設であり、常設の国際平和展示室は、過去の戦争を見つめ、現在の地球規模の課題を知り、地域からの国際協力を考え、未来に向けて「共に生きる平和な国際社会」とは何かを学習するとともに、現在の世界における紛争、難民、環境、開発、貧困など人々の生存を脅かす地球規模の課題解決の必要性を学べるように展示内容を設置しています。」

直近の改修は令和2年3月で、「難民」に関するパネルに掲載された情報が10年前のデータであったため直近の内容に更新したそうです。

92ページをお開きください。「ケ 次世代を担っていく子どもたちに平和を伝えていくための工夫について」、ハード面に関することしては、「平和に関するアニメを放映する映像ホールや絵本コーナーの設置」などです。

また、今後の課題として、子どもが怖がらない動線の工夫や、子ども向けのクイズなど親しみやすい工夫が必要であると考えているとのことです。

93ページからは「主な展示内容」を記載しています。

次に99ページをお開きください。「ひめゆり平和祈念資料館」です。

「設置主体」は民設でございまして、公益財団法人沖縄県女師・一高女ひめゆり平和祈念財団が運営しています。

「ア 設置目的」は、ひめゆり学徒の戦争体験を通し、戦争の悲惨さと平和の尊さ、教育の大切さを訴えるために設立されています。

「ウ 館の特徴や常設展示の考え方」は、「元ひめゆり学徒隊の戦争体験者が建設から展示制作・運営に関わってきたことが大きな特徴。戦争の悲惨さ、平和であることの大切さを伝えるだけでなく、教育の大切さを伝えていくことが重要という認識のもと、「戦争と教育」をテーマに掲げている。また、戦争で亡くなった学友・教師の鎮魂を理念としています。」 

「直近の改修」は令和3年4月で、100ページの「ク 次世代を担っていく子どもたちに平和を伝えていくための工夫について」に記載しているとおり「時が経つにつれ、戦争が遠くなっていくため、沖縄戦を知らない世代にひめゆり学徒の手術の様子などが、これまでは文字であったが、こういった場面をイラストで目に見える工夫を行ったとのことです。

また、ひめゆり学徒の笑顔が多い学校生活の写真を展示して同世代に身近に感じていただけるように工夫されています。

101ページからは「主な展示内容」を記載しています。

次に105ページをお開きください。「対馬丸記念館」です。

「設置主体」は公設で、国と沖縄県の出資により公益財団法人が設立され、公益財団法人対馬丸記念会が運営を行っています。

「ア 設置目的」は、対馬丸事件の犠牲者の鎮魂と、子どもたちに平和と命の尊さを教え、事件を正しく後世へ伝えるためです。

「ウ 館の特徴や常設展示の考え方」としましては「館内展示は1階・2階と分かれ、館は船の形をイメージしており、館内入り口を2階に設け、タラップから館(艦)に乗船するイメージとなっている」とのことです。

直近の改修は平成21年度で、「エ リニューアルについて」に記載のとおり、遺影展示コーナーの拡張、生存者の証言や学童疎開、戦前の教育の展示など内容の充実を図ったことにより、対馬丸事件および当時の状況をより理解しやすくなったとのことです。

106ページをお開きください。「オ 次世代を担っていく子どもたちに平和を伝えていくための工夫について」、ハード面に関することとしては、5年ほど前から、展示内容が伝わりやすいように、男の子(きよしくん)と女の子(けいこちゃん)のキャラクターイラストを要所で付加しているとのことです。

107ページからは「主な展示内容」を記載しています。

私からの説明は以上です。

【事務局】

それでは、「(イ)長崎原爆資料館の展示の状況について」、こちらの館内の平面図を見ながらご説明をさせていただきたいと思います。

皆さん一度は見ていただいたことはあると思いますが、資料は3ページ以降に、各コーナーの概要や主な写真の方を載せておりますので、そちらの方も併せてご覧になりながら、説明を聞いていただければと思います。

まず、長崎原爆資料館は、導入部として正面玄関から螺旋状の長いスロープで下の方に降りていくようになっていますが、これは時を遡って展示室へ入っていくというコンセプトになっており、スロープには2000年から1945年までの年号を5年刻みで表示をしています。

展示室入り口のところに、11時2分で止まった柱時計を展示しています。ここは1945年8月9日11時2分という日時を強調するとともに「長崎を最後の被爆地に」というメッセージを掲示しているところです。ここから展示室の中へ入っていくようになります。

ここから始まるAコーナーとよばれる部分ですが、ここに被爆前の長崎の写真というのを展示しています。ここには主に街の様子がわかるような写真を展示しています。その後に、8月7日に米軍が撮影した航空写真を掲示しており、このような長崎の街が8月9日の11時2分に一瞬にして廃墟と化したということを強調する展示となっています。

この導入部の展示につきましては、他の館の特徴ある展示として、広島平和記念資料館やひめゆり平和祈念資料館では子どもたちの笑顔の写真であるとか女学生の笑顔の写真を入れて、こういう子どもたちが被害に遭ったんだという展示の仕方をしているのですが、戦時中であったとしても今の私たちと同じように友達や家族がいて笑顔で暮らしていた、その笑顔が戦争や原爆によって奪われた、ということを実感し、身近に引き寄せて感じてもらう展示として、特にひめゆり平和祈念資料館の方では笑顔が多い学校生活の写真を使うことにより女子学生と同世代、戦争から遠くなった世代が身近に感じるような工夫をしたということを聞いています。

次にBコーナーです。最初に「原子野と化した長崎の街」の展示では、建物や構造物の現物やレプリカ等比較的大きな被爆資料を展示するとともに、照明を少し暗くし、音は飛行機の音を流すなど、そのような形で原爆の直後の長崎の街の惨状というものをあらわしているコーナーです。特にこの浦上天主堂のレプリカをここに造っていますが、ニューヨークの国連本部に展示されている聖アグネス像もあり、ここのコーナーは特に外国人の方がかなり関心を持って見ていただくというエリアになっております。

ここを抜けると、いわゆる被害の状況を現物で示したコーナーに入っていきます。まず、壁のところに「長崎原爆投下までの経過」を年表形式で展示をしています。ここには目標都市のことや、核実験の成功から投下までを年表形式で展示をしているところとなります。

この丸い部分は「被爆した長崎の街」というコーナーです。ご覧になった方も多いかと思いますが、プロジェクションマッピングを使って長崎の立体的な地形図を用い、被爆の状況がわかりやすく説明できるように平成27年にリニューアルをしています。広島平和記念資料館にも導入部分にプロジェクションマッピングを使って原爆の投下の様子を投影していますが、そちらは地形図ではなく白い平面に当時の写真を映してカラー映像で広島の原爆の投下の様子を映し出す形です。

次に、プロジェクションマッピングの隣には、ファットマンの実物大の模型を展示していますが、こちらも平成27年のリニューアルにおいて現物と同じ黄色に色を塗って改善をしているものです。この模型の裏側は原爆の構造を展示しています。なお、広島平和記念資料館の原爆の模型については、直近のリニューアルの際に原寸大の模型は外し、8分の1の金属型の模型が展示されており、そこには長崎型と広島型と形や大きさなど併せて比較がされているものとなっています。

このファットマンの模型を過ぎると、ここからが原爆によって引き起こされた熱線や火災、爆風による被害というものを、主に現物資料をここに展示をすることにより皆さんに被爆の実相を知っていただくコーナーになっています。例えば、溶けたガラス瓶や黒焦げの弁当箱など、そのような特徴的な展示、また、従軍カメラマンの山端庸介さんが撮影した黒焦げの少年の写真や、谷口稜曄さん、山口仙二さん、吉田勝二さんのケロイドの被害の写真を展示しているところです。また、その先には爆風で背中にガラス片が刺さった洋服の展示をしています。

ここまでが主に現物を使った展示となり、ここから先は「放射線による被害」ということで、この部分が他の空襲と違うところとして、原爆は落とされたときの被害だけではなく、その後も10年20年経って病気を引き起こすこともあるということを説明する展示がされております。

この先は「救援・救護活動」です。ここも現物資料や当時使われた物・写真を交えた展示としており、永井隆博士についてもこちらで展示をしていますが、ここの展示は永井隆記念館が全面改装をする前に設置をされた展示となっておりますので、こちらについても、今後どのような展示にするのかを検討する必要があるのではないかということを課題として認識しております。

反対側の壁面ですが、こちらには「被爆者の訴え」ということで、救援列車やふりそでの少女の絵画などを展示しております。また、原爆絵巻の「崎陽のあらし」という長い原爆の絵があるのですが、平成27年のリニューアルの時にデジタル化をしまして、タッチパネルで見ることができるような形でのリニューアルをしております。

こちらには外国人被爆者を含む被爆者の方の手記や証言ビデオというようなものを見ることができるようになっております。

ここまでが、導入からA・Bコーナーまでの説明となります。

次に、今回私たちの方で検討をしているCコーナーになります。

Bコーナーまでは、資料の保存のためということもあり、少し照明を落としたような展示をしていますが、ここを抜けたときに、暗い照明から部屋全体が明るい感じになります。こちらで戦争、核兵器、平和について考えるコーナーというのが、Cコーナーということになっています。

Cコーナーに入りますと、まず、壁面に日中戦争と太平洋戦争についての年表がありますが、これは昨年の審議会でも説明したとおり、年表の表記について検討が必要な部分があるのではないかということを認識しております。戦争の被害だけではなく、日本が戦争に向かっていった経過というのはこちらの方で展示をしているのですが、このような展示につきましては、他の館においてもそういう展示がなされているところがあり、例えば埼玉ピースミュージアムの「戦争への道」とか、川崎市の平和館の「日本と戦争」といったものです。中身まで詳しく分析をしているわけではないのですが、コーナーの名称で見ると、約半数の館で同様の展示がなされているとことになります。

また、広島平和記念資料館のように「戦時下の広島と戦争」や、ピースおおさかの「戦時下の大阪のくらし」などのように、そこの地域と戦争の関係について展示している館もありました。

次に、ここの「原爆投下への道」には原爆の開発から投下までの年表を展示しており、Cコーナーの部分で、ここまでは原爆投下前までのことを解説しているということになります。

こちらの「核兵器の時代」というところは、被爆後の動きの年表ということになるのですが、こちらにつきましては、「核兵器開発の歴史」、「戦後の国際情勢」、「世界の反核運動と長崎市の平和活動」を並べて年表形式で掲示をしていますが、こちらもこれまで課題として認識をしているということで説明しましたとおり、2008年までで展示がいったん終了しており、その後の分についてはその横のモニターで解説をしているという状況になっております。ここは、見える展示としては2008年までで、後の部分は来場者の方が自分で探すというような仕組みになっており、そこが年表形式というところの難しい部分ではあるのかなと考えているところです。

それから、皆様から色々な意見が出ています復興の歴史についてですが、ここの年表の中で、例えば平和祈念像の完成であるとか国際文化会館の完成であるとか、そういうものはこの中に項目として挙がってはいるのですが、先日ご案内しました復興の歴史の企画展をした際には、長崎の皆さんの生活や街並みが、どのように復興していったのかという展示をさせていただいたのですが、常設展では、そのような内容の展示というのは現在はできていないため、そのような展示が必要なのではないのかというご意見をいただいているところです。

次に、こちらが「現代の核兵器」、「核兵器開発・実験の被害者達」の証言映像ですが、立体物を使った形での展示をしております。

このあたりが核兵器の状況というものを皆様にご理解をいただくようなところになっており、ここも随時数字が変わっていくものになりますので、ここの展示につきましても随時更新をしているところではあるのですが、元となっている造形物については、当初作った当時のままの状態となっていますので、展示として少し古いような印象が否めないなというご意見をいただいているところです。

最後に「長崎から世界へ」として、このエリアが「未来に向かって」というような位置づけになり、長崎市平和憲章や長崎平和宣言文、あと平和首長会議と日本非核宣言自治体協議会とかこちらの方で展示をしているところです。

こちらの方で、他の館も課題としております、若い世代が「自分たちが未来に向けて何ができるのか」というような展示が今後必要ではないだろうかという課題があるということを認識しております。

ここから企画展示室を見ていただいて、スロープを登って最後は、Dコーナーのビデオルームがあり、こちらの方では原爆の被害がわかるようなビデオ、核兵器禁止条約に関するビデオなどを上映しております。

こちらはQ&Aコーナーとして、タッチパネルで特に修学旅行のこどもたちが利用しているコーナーとなります。

そして、こちらから出口に向かって行く、というのが現在の原爆資料館の現状です。他の館との比較も含めて説明しました。

先ほども言いましたように、これからの若い世代に伝わる展示を、どこの館も共通して認識をしていて、すでにリニューアルをしたところ、今後リニューアルを予定しているところ、というのも含めて、私たちの展示の在り方を考えるうえで、大変参考になると考えておりますので、今後も先ほどの他の館とかとも情報交換を行いながら進めていきたいと考えております。

本日委員の皆様におかれましては、今回のCコーナーの見直しというのが主なテーマになっておりますが、先ほどの他館の説明であるとか展示の考え方とか含めたうえで、館全体としての意見もございましたら併せてお聞かせいただけたらと思っております。

私からの説明は以上です、よろしくお願いします。

【会長】

ありがとうございました。

それでは、ただいまの事務局説明を踏まえ、原爆資料館の展示室Cコーナー「核兵器のない世界を目指して」の展示について感じたことなど、お一人ずつ意見を発言いただきたいと思います。

委員の皆様全員から意見をいただきたいため、発言は、お一人2分以内でお願いします。なお、発言が2分を超え長くなるようでしたら事務局から合図を出しますので、ご協力をお願いします。

それでは、座席順に発言していただきます。

【委員】

今後の展示更新に向けて、原爆資料館において認識されているところは私の認識と一致しています。ICTなど情報伝達手段が発達して、瞬時に世界の情報を知ることができる時代に、Cコーナーの年表に近年の核兵器を巡る情報がないことや、15年間も現在進行形の情報が欠落している資料館はやはりその存在意義を問われてしまいかねないと思っています。

先ほど情報提供ありました、神奈川県のかながわプラザの表示ディスプレイは量産できる機器に更新されていたり、先日お話しした広島平和記念館はタッチパネルなどでこれまで蓄積され、アーカイブ化されている資料に、来館者が触れられるようになっていたりします。

私は、長崎の先人たちが残してくれた貴重な情報と、またその情報の編集力と情報の速報性、早くそれを伝えていくことに注力してほしいと思っています。以上です。

【委員】

私もCコーナーに関しては、前々回に申し上げたとおり、2008年で終わってその後のすごく変化がある年代が、タッチパネルを使って自分で操作しないと見られないというのは、やはり人の流れがそこで一人止まったりすると、後ろの人が見られないとかがあると思うので、集団で見学しているときに流れに沿って現状が分かりやすく子どもたちに伝わるような展示に変えてほしいと願っています。

それと、やはりどこの館でも挙げているのが、次世代の子どもたちに向けてどういうことを書かれているのかということです。原爆資料館の今後の課題の中にはそれがちょっとないようなので、そういったこともあとでお聞きしたいと思いました。以上です。

【委員】

私は、Cコーナーだけではなくて、入口のところの「長崎を最後の被爆地に」という表記について最近気になるようになりました。というのは、意味するところはとても分かるのですが、広島・長崎の原爆以降にも、たくさんの核実験が行われて、いまでは世界各地に被爆者がいるわけです。核実験の被害者について、確かにそういった展示はありましたが、どれくらいたくさんの人が地球上にいるのか、ということがもう少しわかるような形で展示があるといいなと思いました。入口からの関わりで申し上げました。以上です。

【委員】

私はCコーナーのことではないことについて発言したいのですが、バスを降りたときに、一本柱鳥居や浦上天主堂の10分の1なら10分の1の模型的なものを外に作って、そこの円の真ん中にきて東西南北として、ここから何メートル先は一本柱鳥居ですとか、こっちは浦上天主堂ですよとか、そういったことも原爆資料館のA、Bコーナーの中に写真とかはあるわけです。しかし、原爆が爆発したときにそれがどこまでいっているかというのが分かりづらいので、玄関の外、バスを降り立ったときに分かるようにしていただけたらと思っています。

【委員】

さきほど、全国の平和関係の施設や資料館の説明がありましたが、それを聞きながら、昨年12月に、子どもたちと修学旅行に行ったときのことを思い出していました。そのときに行ったのが、針尾の無線塔、無窮洞という大きな防空壕、浦頭の戦地から引き揚げてきた港です。全然自分が勉強不足で、そのあたりを知らなかったのですが、戦争の始まり、戦中、戦後という流れをたどるようなコースを回ったのですが、それを知ることによって、自分自身の戦争や平和に対する考え方が少し変わってきたなというふうに感じています。子どもたちだけはなく、いろいろな事実を知るということが、その後に活きてくると思いますので、そういう施設になったらいいなと思っています。

原爆資料館なので、原爆に特化した施設になると思うのですが、長崎県内にもいろいろな平和遺構や施設があると思いますので、それらを少しでも紹介していただければ、ここを訪れた人が次はここにいってみようというふうに広がっていくのかなということを感じました。以上です。

【委員】

私は、原爆資料館に見学にくるのは子どもたちが一番多いと思っています。ですので、子どもたちに本当に分かりやすいようなそういう展示の仕方、それから長崎では、被爆の継承をどういった人たちがしているのかを全国から来た人たちに分かってもらえるようなコーナーも必要ではないかと思います。

それと、被爆者が戦後の苦しい地獄の中から立ち上がって、会を作って、運動をしていくといった、原爆の被害を受けた人々がどういうふうに動いていったのかということ、そして、例えば今のような法律を作っていったとか、そういったことは別に設けて、アーカイブスといった問題をする新しい館の開館も計画の中に入れてほしいなと思っております。以上です。

【委員】

私も若い世代に伝わる展示というのが課題認識をされているというところで、そこの点でいかがかなと思うのがあります。皆さんも記事とか報道でよく聞かれていると思うんですが、最近、他県の若い世代の方たちが、すごく核兵器廃絶について関心を持たれているというのを耳にいたします。それで、私はやはり、被爆者の方々との対話、若い世代との対話というのが、一番発信力があると思っております。その対話の様子というのを、こちらの方で発信というか、放映というか、そういうことができると、配信を見るだけで若い人たちが興味を持って、もっと身近に感じてもらえるのでないかなというので、ちょっとハード面で大変だと思うのですが、そういう工夫はいかがでしょうかと考えております。以上です。

【委員】

委員になって2年目なので、まだ十分に把握していない部分が多いんですけども、この「核兵器のない世界を目指して」というコーナーですね、Cコーナー。これを今後改定していくときにですね、最近の知見ですね、たとえば長崎原爆がどういうふうにして投下決定されたかとか、いろんなことが広島の原爆投下も含めてですけども、それと日本の降伏とかですね、そういうのがアメリカの歴史学会とか非常に検討が進んでて、一番最近の本ではジョン・ダワーさんの「戦争の文化」がいま上下巻出ていますけども、その下巻はですね、原爆に関しての歴史的な情報が満載されてますね。ここまで研究されてるのかというぐらい。ああいうのを参考に取り入れないと、この2022年の状況での原爆資料館の展示の仕方は決まらないんじゃないかなと思いますね。その内容がですね。それが一点です。

それから私の専門の原爆症の問題ですね。放射線障害の問題も、最近までに障害持続型とか新しい知見がたくさん出て、その証拠の医学的な染色体の問題とか、そういうのが出てますから。こういうのは国際的に発信すると非常にインパクトがありますので、ぜひ改定時にはそういうところの検討も、サイエンスの方、あるいは医学の方の進歩も取り入れていくと。だから、そういうリサーチが必要なんで、この委員会でそれまで手が届かないと思いますので、やっぱりこの審議会の分科会のような検討会を設置していただければと思います。

それから、これはどうしようもないんですけども、資料館のですね、面積が、これだけの量の歴史的な経過とか現在の問題までも含めて、被爆者の問題とか非常に多岐にわたるんですね。だから2階があると非常にいいんじゃないかなと思うんですけども。この面積をもう少し広げて、ゆっくり観て回れるような。非常にコンパクトでよく作ってあるんですけども、そこに一つの限界があって、やっぱり面積を将来的にはどういうふうに克服していくかということをぜひ検討いただければと思います。以上です。

【委員】

やっぱり大学で教えていますと、やっぱり若い世代の原爆への知識が欠落している。特に県外の学生たちは知らないというのがよく分かります。そのため、問題意識としては一緒なんですけども、被爆の実相を継承して、平和希求の精神を涵養するということが、この展示館の大きな目的だというふうに思います。やっぱりインパクトのある展示というのは非常に難しいとは思うんですけども、視覚、あるいは触覚、聴覚に訴える展示というのは非常にいいと思いますから、プロジェクターでマッピングするという、そういった工夫は非常にいいかなと思います。

ストーリー性のある展示というのは、ずっとされているというふうに思いますが、76年前の実相をまた新しくリバイス(校正)して、若者に伝えるというのは工夫が必要になってくるんじゃないかなと思っています。

Cコーナーに関してはですね、やはり原爆投下への道がどういうふうに至ったかというのが、ぜひ分かりやすく説明する必要があると思うんですよね。やはり人間として踏み入れてはいけない領域に、どうやって人間が踏み込んでいったのかということを、若者に伝えるということですね。

それとやはり、若者が自分たちでこれを考える工夫をする必要があると思います。大人が与えてやるだけではなくて、それを材料にして次どういうふうにするかということを考えるような工夫というのを皆様方で考えていきたいなと思うところです。以上です。

【委員】

私は市内の高校でソフトテニスの指導をしているんですけども、5~6年前のインターハイが沖縄であったものですから、終わった後に、子たち10人ほど連れて行ったんですけども。せっかくの機会だから、平和資料館とか、それからひめゆりの塔を観に連れて行きました。そしたら、ひめゆりの塔のところで語り部の、私たちから見るとおばあさん、お母さんといいますかね、説明をしてくれたんですけど、終わってから10名の女の子全員がですね、もう涙ボロボロボロボロ流してました。普段、この子たち泣くのかなっていうぐらいの感じの子なんですけど、やっぱりそれだけ大きなインパクトがあったんだなと。じゃあ、これを長崎、被爆地として長崎・広島、こういった語り部の方がだんだん少なくなっていくなかで、先ほどから言われた次世代へどうやって伝えていくのかという、これは本当に難しい問題だとは思いますけども、本当にいま、真剣に考えないといけない問題だなと思います。特にこのCコーナーにおいてはですね、これからのことについて、どうやっていくのか、本当に難しいと思いますけども、私もどうすればいいというのは分かりませんけども、皆さんと一緒にいい方向に向かって行きたいなと思っております。以上です。

【委員】

私は4点、提案をしたいと思います。

まず、若い人に分かりやすくというのはもちろんのことなんですけども、それと同時に外国の人に、しっかり分かるような展示にしてもらえればと思います。文字はいろんな言語で書かれていますけども、内容的にやはり国際化を意識した展示が必要ではないかと思っております。例を挙げるとですね、シンガポールの平和資料館を見学したことがあります。そしたら、一番最後には原爆の写真が展示されていて、「原爆によって戦争は終わった、日本の侵略は終わった」という記述で終わっています。私は大変衝撃を受けたんですけども、多かれ少なかれそういう展示が行われている例はたくさんあります。そういう面では、ぜひ、国際化はどういうものかというのを考えていただければと思います。たとえば、アウシュビッツの収容所の展示は、すごい戦争への深い反省のもとに展示がなされているのを、ひしひしと感じます。やはり、戦争への深い反省が根底になければですね、どんな展示をしても、外国の人、あるいは日本人の中にも理解が得られないのではないかなと思っております。これが1点目です。

2点目はですね、在外被爆者の記述がビデオを中心に行われているんですが、やはり展示の中にも入れていただきたい。これは1の論点と被るんですけども、たとえばオランダの碑が今度できましたけど、オランダやイギリスやオーストラリア、台湾、韓国、いろんな国の人が被爆者になっているわけですから、そういう人たちが形成された過程であるとか、状況も踏まえて、展示にしていただければと思います。これは広島では、ちゃんとそういうことがなされているというふうに、私は感じました。

3点目はですね、先ほどの委員のご意見と同意見なんですけど、やはり被爆者の抱えている課題について、やはり被爆者援護の制定の過程であるとか、現在であれば黒い雨や被爆体験者の問題であるとか、あるいは現在も続く被害としてですね、被爆二世の問題であるとか、そういったところに、Cコーナーとは限らないんですけど、言及しながら、原爆の被害は多岐に渡っているということを示すのもいいのではないかなと思いました。

最後にですね、未来を見つめてというのは、皆さんがおっしゃるように私もそう思います。長崎にはですね、ユース代表団とか、永遠の会とか、あるいは高校生平和大使とか、当館もV・ファーレンのサッカーチームと連携をしています。そういった若い世代の活動についても触れられればいいのではないかなと思いました。

私からは以上4点です。

【委員】

皆さんおっしゃること、ごもっともで、入れていかないといけない、これが足りないというもの、まだまだたくさんあると思いますし、これからも増えていくと思うんですけど、じゃあどうするかというのを考えたら、それこそ先ほど委員が言われたように、広島がやったように建物2倍、3倍にしましょうってできるのかってことにならないと、ひとつは新しいの入れたら古いの削らないといけない。じゃあどこを削りますかという議論は全然されてないし、削っていい部分なんてあるんだろうか。じゃあ、限られたスペースにどうやって効率よく入れるのか。これ、私なんか大学生向けの教科書を書きますけど、必ず改訂するたびにページ数増えてくんです。それで10年、15年経って、4~5回改訂すると2倍ぐらいのボリュームになるって、珍しくないことなんです。新しいの入れなきゃならないし、これも触れてほしいってリクエスト来ます。そうすると、もう教科書としては使い物にならないんですね。こんな分厚いもの一学期で読むんですかって言われちゃう。そうならないようにするためには、いかに効率よくコンサイス(簡潔・簡明)に必要な情報を伝えるか。分かりやすく。しかも、対象は若い人、戦争を知らない世代。これは相当、専門の技術が必要だと思います。残念ですが、私はこれ分かりません。ICT使うってのはいいですけれど、たぶんこの中にICTの技術に精通された方いないと思うんですね。それはハードです。ソフトとしてどういうふうに見せるかっていうことの編集技術に長けた方も、委員の中にはたぶんおられないと思うんですね。これも先ほど委員が言われましたけれど、そういう専門家のチームを作って、実現性とか効率性っていうのを、どこかで一回きちんと再検討する必要があるんじゃないかなというふうに思います。私からは以上です。

【委員】

たぶん、この中で私が一番古く関わりあいがあります。約40数年間、原爆資料館と共に議論してきました。今日の立場は地区代表で来ている。そのために申し上げますが、Cコーナーの中に埋もれてしまっているのが、外側から学習してきた子どもたちがどこでおさらいをするのか。どの位置にあるのか。どこが出発点でどこが終着点なのか。ということが全然見えない。ここを出て行って、ここで学習して地域を回っていくのか。ここに帰ってきて、今まで見てきたもののおさらいをして記憶に留めるのか。というものが一つのストーリーとしてない。その中には城山小学校があり、浦上天主堂があり、旧長崎医科大学門柱があり、一本足鳥居があり、クスノキがある。こういうものがすべて歩いて学習をしている子どもたちの終点になっているのか、出発点になっているのかが明快ではない。それが第一点。これは何とかしてほしい。

もう一つは原爆被爆対策部長なのか、長崎原爆資料館長なのか知りませんが、すでにこの原爆資料館というよりは平和会館、これ45年経つ。これは作り替えという形が生きているはずなのです。というのは、平和会館は欠陥施設なのです。体育施設を使えない。そして、原爆弔慰施設を造る時に容積率その他に対しての疑問点が残っています。だから、すべて解体をしてやろうと。それまでについては、今までのを使ってくださいという形で、資料館もできた。ホールもある。そして、茶室その他があったので茶室は切ってしまった。平和会館、これは建て替えなければならない。この計画を今、複数の委員も言われました。これはもう時間の問題。分かっている人がいる内に、そして分かっている人たちと協議をして、わからない新しい時代の知見を持っておられる方を入れた形で早い内に、目標を定めて5年先なら5年先までにこういう形にしたい。そうしなければ、このコロナ禍の中でどう経済状況が変わっていくかわからない。長崎が持っている遺産をどう引き継ぐかという大きな課題のもとに、元に戻った形、歴史を振り返った形の施設の整理の仕方をしてほしいということだけを申し上げておきます。

【委員】

先ほど、委員がバス停に設けようという話がありましたが、長崎の場合、観光客、小学生、中学生にしてもグループで電車で回っている訳ですね。場所的に浜口にしろ、松山にしろ、8月9日の写真をパネルで電停にしてもらえれば、費用的にも、場所的にも、電車を降りたらわかるということで、電停には看板がでておりますが、特に松山にしても何もない訳ですよ。その時の8月9日以降、1年前後位の写真はここの資料館にもあると思いますから、その辺を提供してパネルにすれば、もう少し修学旅行生の子ども辺りもわかるのではないかと思います。

それともう一つ、広島は場所のパネルはけっこうあるのでしょうね。現場に行けば。長崎では原爆当時のパネルって、あんまり見かけません。というのが簗橋に小さな入口に写真がありますが、これももうだいぶ経って消えかかっております。一つ、長崎の県営野球場、それから市民プール、ラグビー場、この入口に、もう少し大きなパネルをすれば、長崎市民もけっこう来ますから原爆後はこんな状況だったけど、今、立派な野球場ができています。プールができておりますという感じがするのではないかと思います。

もう一つ、今、サッカー場ができておりますが、その辺も費用の問題があるかもしれませんが、特にサッカー場は人はけっこう来るでしょうから、長崎の人は忘れないように、こんな被害があったということをもう少し考えて、この資料館だけではなくて長崎市全体を覚えてもらうというか、実際にこういう被害があったということを知ってもらうためにも考えてはどうかと思います。以上です。

【委員】

先ほどから子どもたちに親近感を持ってということで、とにかく親近感を持っていくことであれば、まず笑顔があって見られるような施設、これは当然のことだと思います。そして、入った中で訪れた子どもたちが恐怖を抱かないような施設にして、これは当然していくべきだと思います。

また、次に関わっていくのは少し角度を変えて、私どもは長崎原爆遺跡、「もの言わぬ語り部」と言われている、この長崎原爆遺跡をこのCコーナーから発展させていって、子どもたちは回るわけですから、このCコーナーを起点にかけてCコーナーをどう回っていくのか、それをしっかりとわかるような形で、起点としてできるように、この世界共通の言語であるSDGsに基づいて、しっかりと整えた上で、そして、そこを起点として長崎原爆遺跡、この史跡となった被爆遺構をしっかりと見て回れるような、そういう歴史がわかるような場所等にしていきたいと思います。

そして、最後に子どもたちが出ていく時には、恐怖もあって悲惨だなというのはありながらも、前回の審議会でもございました。いろんな資料館に来られた方々、平和公園に来られた方々の世界のリーダーのメッセージ、これをしっかりと確認ができて、このメッセージのもとに少し子どもたちや来た人たちが夢を持てるようなメッセージをしっかりと確認ができるような掲示板でもボードでも結構です。しっかりと最後に確認して、いろんな人が確認ができるようなものを設置していただければと思います。以上です。

【委員】

今話を聴きながら、ずっと前から思っていることなのですが、戦争の問題とか原爆の問題というのは、世界規模の動きの中でいろんな問題で起きていることは間違いがない訳で、先ほどから子どもたちが将来、日本ももちろんなのですが、世界が平和の方向に向かっていくためには何を考えていくべきかという時にですね。一番中心に考えてもらう時に、一番戦争原因を考えてもらう展示というものが必要なんだろうと思うのですよ。今、資料を見てみたんですけれども、日本の被害と加害、まあ、原爆ということが頭にあったから被害というものがあったのでしょう。一方、日本の加害というものがあるじゃないかということで、被害と加害ということで考えられている資料館がいくつかありますよね。今日の資料を見ておりますと。こういうようなことが世界規模で起きている訳ですので、原爆資料館として、ものを考えてもらうとすれば、私は一つの方法として世界地図を貼ってもらうと。「戦前」「戦中」「戦後」。全く違いますから。そして、この間に日本が関わった戦争があるということなのですね。日清戦争から大東亜戦争まで、日本が戦争したのは7回あります。この戦争がある度に大きく変わってますから、ほとんどが植民地支配だったのが、今は世界で196か国ですか、独立国があるはずですよ。そして地域を入れると200か国になると思うのですが、こういう風に、平和な世界規模で大きな流れができていることは間違いないと思います。それは、日本の戦争がすべて悪いような、まあ、今のCコーナーでは本当は言いたいことがあるんですが、これは控えますが、Cコーナーのところは非常に重要な意味を持っている訳なんで、日本の戦争の意味、世界史的な意味、こういうものが考えられるように、まあ、これもいろんな異論があるので難しいのですが、一番いいのは、世界の「戦前」「戦中」「戦後」、こういうのがあって日本はこれに関わって来たよというような展示をするのはいかがでしょうか。これは、あくまでも私個人の想いなのですが。そうすると、日本の戦争でどういう風に変わってきたのか、この戦争って、どういう意味があったのだろう、なぜ、この戦争が起こってしまったのだろうということを若い人たちが考えていくようになるんじゃないでしょうか。もう私たちが、これからどうこうできる問題ではありません。若い人たちが、自分たちの世界を、日本を、どうつくっていくかという時には、戦争原因が考えられる、その単純なものは、私は世界地図を見てその変化を考えることは、非常に意味があると思いますので、こういうのはいかがでしょうかということを申し上げておきます。以上です。

【委員】

山里地区の連合地区の代表として、ここに出席させていただいておりまして、そういう意味では本当に委員の皆様、今日の発言もそうでございますけれども、ご指導いただいておりますことに心からお礼と感謝を申し上げたいと思います。

子どもさんの話が出ましたけれども、実は山里小学校と城山小学校を新しくしましょうという話が昔出ておりまして、そして、やろうということになりまして、それでは、どっちからやるかということで、城山小学校からスタートした訳ですね。それから、その後に山里小学校がスタートしたのですが、その中で城山小学校さん原爆に関する皆さん方の後押し、バックアップをいただいたことも事実であります。また、学校の先生方にご指導いただいたことも事実でございますけれども、一部残そうということで、一部の校舎が残って、今ある訳です。山里小学校の中にも山里小学校の中に原爆資料室というものを作らせていただきました。一部は合有財産というものでつくられたものは、新築をするために壊さないといけない。その見返りにということもあったのですが、とにかく市の方に、これこれこういうことでということでお話をしましたらOKが出ましてスタートしました。その中で、原爆被爆対策部の部長さん、そして、原爆被爆対策部の皆さん、それから市長さんもそうでありましたけれども、「このままじゃ、この資料室も潰れてしまいます」ということで、ちょっと長くなってすみません。今、山里小学校は、これ(この部屋)よりも、もっともっと狭い三分の一くらいの資料室なのですが、コロナの前は、年間4万5千人の観光客の皆さんたちとか、修学旅行の子どもたちとか、いろんな方がその資料を見ていただいて、学習をしていただいて、そして必ず持って帰ってもらって、「広めてくださいね。平和の取り組み頑張ってね」と。これは城山さんもそうでありますけれども、学校の敷地内に大体年間14万人入ってきます。だから、いわゆる、やろうと思えば、これは行政もそうでございますけれども、私ども地域も、関係する皆様方のご尽力いただければ、やるかやらないかなら、やるで結果は必ず出るんだということで私は思っておりますので、ただし、一つだけ皆様方に少し申し上げないといけないのは、私はこの年でありますが長崎市の子ども会の会長を数十年させていただいておりますが、もうそろそろ子ども会が解散というところまで追い込まれました。少子化になりました。子どもたち、いなくなりました。運営ができません。会費を、子どもたちから少しのお金をいただいて入会していただくのですが、それすらもできないということで解散するかというところまで、来年度は相談していくかなというのが現状でございます。そんな意味での現状をご理解いただいて、いろんな意味でのバックアップをお願いします。

【委員】

全国の博物館の多くがですね。次世代の子どもたちに平和を伝えていくための工夫、いわゆる子ども目線ということに重点を置いているように思えます。多くの委員の中にも、そういうような意見が出たように思えます。長崎の被爆の実相と被爆体験の継承というのは、喫緊の課題でありまして、外国人も含めて、長崎の被爆の実相を知らない人や若い世代に伝えていくことに、さらに重点を置くべきだと思います。その中で、長崎の被爆というものは、戦争の中で起こったことであり、「絶対に戦争をしない」という不戦の誓いということが大切だと思います。そのためには、戦後50年の村山談話、60年の小泉談話にありますように、加害を含めて、日本の過去の戦争責任についても、きちんと認識したものでなければ長崎の被爆について、諸外国の理解を得られることは難しくなると思います。Cコーナーにつきましては、私は世界の最新の核情報を展示すべきだと思います。国連の核兵器禁止条約、これに参加している国はどこのどういう国なのか、それから、ドイツなどオブザーバー参加の国もあります。それから、最近の度重なる北朝鮮の超音速ミサイルの発射実験、それから、核戦争による地球最後の日までの残り時間を表示している終末時計ですね。これを展示してほしいと思います。終末時計はアメリカの科学雑誌の「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」に記載されています。オバマ元大統領が2009年のチェコのプラハ演説で「核兵器を使用した唯一の核保有国として、核兵器のない世界を目指して具体的な秩序を取る」と述べて長崎市も歓迎の意を表したのですけれども、オバマさんはこの時、何と言ったかといいますと、「同時に敵の核攻撃を抑止するための核は維持する」と述べているんですよ。その後、オバマさんの「核兵器のない世界」の展望が遠のいたため、終末時計がさらに1分進んで、残り5分ということになった状況があるのです。今年になって核保有5か国が「核戦争に勝者はない。決して、戦ってはならない」という共同声明がありましたけれども、これは当たり前のことであって、私たちのぬか喜びにならないよう、今後の動向に注視すべきだと思います。Cコーナーでは、そうした核兵器の最新の情報を展示してほしいと。それから、いくつかの平和博物館にある戦争の疑似体験やマネキンの展示は、長崎原爆資料館にはふさわしくないと私は考えます。原爆被爆の疑似体験は「何だこんなものか」と誤解される恐れもありますし、マネキンではなくて、やっぱり被爆の実相ですね。生の資料で訴えるべきだと思っております。私の意見は以上です。

【会長】

以上で、委員の皆様20名のうち、18名からご意見をいただきました。欠席のお二人については文書で意見を徴取して原爆資料館運営審議会20人全員の意見を集約したいと。それを集約したいと審議会としては思っています。

皆さんが協力していただいて、予定より若干時間がございますので、補足的に、さっき言い足らなかったというようなことがあれば、若干時間を割いて賜りたいと思いますが。いかがですが。

【委員】

私が言いたいのはですね。平成8年に今の資料館ができたのですが、この時の報道である新聞記事を読みますと、「核廃絶のために日本の加害の歴史を展示する」と大きく出てましたよね。ご記憶の方、多いと思います。これが今のCコーナーになっていると思うのですけれども、これCコーナーの中身の、これ詳しくは言いませんが、これ本当に中を見られている方、何人いらっしゃるんでしょうか。これ私見て感じていますのは、中国共産党の歴史が入っていますよ。中国やソビエト、臨時政府、うんぬんとか、そういった言葉がうんと入っていますよ。そして、一番上が太平洋戦争欄ですが、太平洋戦争はほとんど空白ですよ。こういったことがあるとご指摘しておきたいと思います。当時の経緯ということがございますでしょうから、今すぐどうこうということは言うつもりはありませんが、そういうことがあると指摘したいと思います。以上です。

【会長】

ありがとうございました。他に意見いかがですか。

【委員】

すみません。先ほど時間がなくて、駆け足で言ってしまったのですが。私は太平洋戦争も含めて、やはり根底に戦争に対する反省がなければならないということを申し上げたつもりだったんですけれども、今、議長がまとめられたことに賛成します。やっぱり、戦争がなければ原爆もなかったというのは自明の理であります。そういう意味で根底に流れるものをどういう風に流れるか、先ほど委員からもありましたけれども、日中15年戦争を起点にして、もちろん太平洋戦争のことも触れるべきだと思いますが、その触れ方ですよね。触れ方はやっぱり戦争に対する深い反省、これは加害とか被害とかいうのではないと思います。戦争というものがどういう結果をもたらすか、先ほどシンガポールの博物館の例を出しましたけれども、これはアジアの各地の戦争資料館を私見て参りましたけれども、大概、原爆によって戦争が終わった。解放されたという記述になっている訳です。世界の人口の半分はアジアの人達ですよね。そういう人達に理解されなければいけないという観点からですね、この展示を見直していただきたいと。まあ、中国共産党がどうのこうのとかは末節的なことであって、そういった根本的な思想をもった展示であってほしいと思います。そういった意味では、ぜひこういった立派な資料を作っていただきましたけれども、日本だけでなくて世界の平和資料館、例えば、アメリカ・ハワイのアリゾナ資料館とか、いろんなところではいろんな観点で述べられていますよね。スミソニアン航空宇宙博物館では原爆を投下した観点で展示されている訳ですから、あまりナショナリズムに走らないような合理的なものを求めていきたいと。文言の使い方については事務方の方で求めていきたいと思いますし、ぜひこれを世界に広げて、皆さん方から誰か見学に行かれてですね、原爆資料館のあり方を参考にしていただければと思います。どうぞ行ってください。コロナが収まったら。以上です。

【会長】

ありがとうございました。それでは、委員、どうぞ。

【委員】

すみません。先ほども申しあげたんですけれども、他の館の中では、最後に必ず「次世代を担っていく子どもたちに平和を伝えていくための工夫について」の項目があって記入がされているんですけれども、長崎原爆資料館としては、どのような工夫がされているんでしょうか。

【会長】

これは質問ですからお答えいただきますか。(事務局へ)

【事務局】

これは、今回資料を作らせていただいたうえで、私たちが課題として認識しているということで、他の館のヒアリングをする際に、その点を重点的にお聴きしたことでこのようなつくりになっているということでご理解いただければと思います。私たちも次の世代にどう伝えていくかということで資料館だけでなくて、市としてのソフト面の取り組みとしてもですが、平和の文化として、いろんな切り口から平和を考えようとしている中で、展示にどう活かしていくのか、どのように展示を感じていただくのかということは課題として認識をしておりますので、今日いただいたご意見を参考に今後どうしていくのかということを今後検討に入らせていただきたいと考えておりますので、また皆様方には御協力をお願いしたいと思います。よろしくお願いします。

【会長】

本日は、いろいろな意見が全員の方に発言いただきまして御協力ありがとうございました。数々の貴重な意見が出ましたので、これを事務局の方で取りまとめたうえで、次回の審議会の資料に反映させたいと思います。これで意見交換を終了したいと思います。本日の議事はすべて終了しましたので、ここからの進行は事務局にお返しします。

【事務局】

最後に事務連絡です。本日、様々なご意見をいただいたところですが、本日ご欠席の2名の委員からの意見聴取と、出席委員のうち本日発言ができなかったことなど、追加で意見聴取を行うよう文書を出す予定としております。

また、次回の審議会につきましても、委員の皆様にあらかじめ日程のご相談をしながら開催日を調整したいと考えておりますので、ご協力をお願いします。

これを持ちまして、令和3年度第2回長崎原爆資料館運営審議会を終了とさせていただきます。委員の皆様、本日は審議会へのご参加と会議進行へのご協力をいただき、誠にありがとうございました。

 

(終了)

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電話番号:095-829-1124

ファックス番号:095-829-1410

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