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平成29年度第1回 長崎原爆遺跡調査検討委員会

更新日:2022年4月20日 ページID:038511

長崎市の附属機関について(会議録のページ)

担当所属名

原爆被爆対策部 被爆継承課

会議名

平成29年度第1回 長崎原爆遺跡調査検討委員会

日時

平成29年12月21日(木曜日) 10時00分~

場所

長崎原爆資料館地下1階平和学習室及び山王神社

議題

・会長の選出について
・山王神社確認調査について

審議結果

〔会長選出、職務代理者指名〕

〔会議は公開とすることが決定〕

〔会議録は要点記録とすることが決定〕

会長

山王神社の調査について事務局から調査概要の説明を受け、それから山王神社境内の調査現場に向かいまして状況を確認し、そこで御意見をいただきたいと思います。

事務局

〔前回と同様に平成28年度山王神社確認調査について説明〕

平成28年度の調査をまとめると、境内は神域であったため、改変を受けないまま被爆の痕跡を残す土層堆積や自然遺物が残存している箇所がある一方、生活空間ではなかったため遺物となるものが多くなく、包含層が明瞭に存在しない箇所もありました。

被爆したと明瞭に分かる遺物は限定的な範囲でしか確認されなかったため、瓦礫がどのように処理されたのか、不明な点が残っています。

これを踏まえ平成29年度にも調査を行っています。

調査に先立ち山王神社以外の他の原爆遺跡と共通して使用できるよう、国土座標に沿ったグリッドを設定し直しました。

調査は12月15日から開始しました。

長崎市被爆継承課が調査を担当し、会長の御指導をいただきながら調査を進めています。また調査支援業務委託の受注者が現場で図面の作成などに当たっています。

〔平成29年度山王神社確認調査について説明〕

委員

土層の上面に原爆による熱線が当たればそれ相当の温度になっていると思います。一定以上の温度が加われば、そこに磁場が発生しますし、他の土と残っている土で数値の相違が出てくると思うんですよね。そういうところも一回やってみたら、さらに明確に被爆当時とそれ以前とがよく分かるのではないかなという気がします。

5層の面が被爆の面と分かったことは非常に大きな成果ですね。

会長

原爆は強烈な熱線が一瞬走ったときと、それから派生する二次火災等の惨状が主であって、倒れるものがないところは倒れていない。それから木の根っこを見るとほんの一瞬の間に、地上に突出している所を走っているわけですから、そこだけが多分、その熱線の影響を受けたのだと思います。だから、ほとんどの植物体で覆われているものが何かあれば生命体が残る可能性はあった。原爆で枯れた木は、よほど小木であって、あとは多分二次火災が発生したときに枯れるのではないか。そのようなかたちで整理できるような様子が出てきたのは、非常に物自体は少なかったけど、成果としてはよかった。

委員

宮崎県の椎葉村では焼き畑をやって表面は温度が400~500度上がるが、5センチメートル下にはその温度は届かないから植物が生きて残ると言われています。焼き畑は30年に1回やられても、さらに生命が再生できると言われています。だから、さっき会長がおっしゃったように表面を熱線が払っても、その下は残っているのではないのかなという感じがします。

会長

もちろん長い間にわたって、それで上部の現れたところの細胞が破壊されていって、徐々にそれから木が弱っていって、その部分の根が腐っていくとかいうようなことはあるのかもしれません。しかし土の中では直接的に熱線が影響していないということは言えるのではないでしょうか。

委員

瞬時の熱線を受けた場合と火災である程度の長時間にわたり熱を受けた場合の変質は、熱伝導解析などをしていけば、どの程度の深さまでどの程度の温度を受けたかとか、どの部分でどういう変質をしたかとかの分析調査にも両方つながっていって、もう少し知見が得られるのかなと思いました。

会長

70年しか経っていないし、これ以降決してこの原爆遺跡というのを増やしてはいけない中で、限られた数を調査するので、学際研究をフルに盛り込んで、やれるところをやっていきたいなということが私たちの希望ですので、事務局でどこまでやれるかですけれども検討をお願いしたい。

委員

他の地域が復興に伴う開発により被爆当時の状況が分からなくなっている中、科学的な調査により、再開発されず被爆当時の状況がそのまま残っている遺跡という意味合いを持たせることが必須ではないかなと思います。

将来的には、追加指定の候補に挙がる場所でしょう。

事務局

こういった議論を踏まえて、十分な実績なりデータなりがそれぞれに必要かなと我々も考えております。現在の史跡指定が鳥居とその周辺部分だけになっていて、本殿の部分も必要かなというふうに考えていますので、この議論の結果がそういった方向に行くことと思います。

委員

委員の2年間の任期の間に追加指定の方向性をある程度見出せるような状況ができないか。文化庁の佐藤主任調査官が長崎にお見えになった時に、やはりこの長崎原爆遺跡の重要性というのは、面的な広がりをいかに捉えるかが肝要ということで指摘を受けています。

鳥居とか、門柱とか校舎はそれぞれ一物件なんですよね。その時佐藤主任調査官が話されたのは、あくまでも我々はその面的な広がりで長崎を押さえていきたい。それで国の史跡だというような意見を述べている。

会長

そうですね、何度も言いますように、単体指定ではただ単なるモニュメントとして残るだけであって、やはり長崎の場合は面的な広がりを持ってきているということは、被爆の前と被爆した直後と、復興した今日との三つを時間的にはつないでいきたいということが一番だと思うんです。だから、過去を振り返るときにその資料を理解できるように、例えば旧城山国民学校は被爆校舎だけでなく、遺体を火葬したグラウンドあるいは職員で亡くなられた方がたくさんおられると思いますけれども、御存命の時に入られた防空壕がある。こういうものも一連の遺構として取り込むべきという気はしております。

史跡となった以上、是非所有者を説得しながらどんどん進めていって、より理解しやすいかたちを作っていってもらえたらと思っております。それが我々の要望でございます。

委員

面的な広がりをすると長崎というのは実際にそこに人々が現在生活をしている場所があるから、最終的に法律がどのように規制するか知りませんが史跡指定した後も現状変更はあり得ると思うんです。そうでなければ地域の人たちに国の史跡指定に同意をしてもらえないのではないか。国の史跡指定のもともとの目的は現状をそのまま残すということですが、生活環境の中にある長崎の原爆遺跡ですから、柔軟に我々も捉えて、時と場合によっては部分的な現状変更もあるという姿勢を持っておかないと、地域住民の人を納得させることはできないという感じがします。

今までにはなかったような史跡の取り上げ方で逆に現在の生活とマッチした史跡にしていけば地域の人たちの協力もある程度得られるのではないか。そういう意味でこの山王神社の境内の調査というのは非常に意味が大きい。特に神社という境内でもあるし、一つの聖域の場所でもありますから、そんなに大きな現状変更もないでしょうし、追加には比較的地権者の人たちも賛同してくれるのではないかなという感じはします。

〔山王神社確認調査を行っている現地へ移動〕

事務局及び受託業者

〔平成29年度山王神社確認調査の現場説明〕

腐葉土をはぎ取って、黄褐色の比較的固い土が見えている。背後の南側・東側が若干高くなっているということからここ自体が埋め土ではなくて、ある程度の地形の傾斜があったのではないかと考えられる。

側面を面取りしていたり、ノミ痕があったりする石造物が新たに確認でき、灯籠か何かの基壇かと考えられる。

鳥居の扁額が3か所確認できた。山王宮と書いているものが1か所と日吉神社と書いているものが2か所である。離れたところにあった一の鳥居をここまで持ってくることは考えにくく、二の鳥居は元あった場所の近くにあることや、二の鳥居は花崗岩でありここにあるものと石材が違うことを考慮すると、この三つの扁額は三の鳥居か四の鳥居のものと考えられる。

灯籠の台座は、写真資料を参照すると、笠と宝珠が上に載っていたと考えられる。

委員

〔主な意見〕

原位置をとどめているものと、復旧等の際に変わったところを区分けする必要がある。

境内の石垣、社殿の基壇、石造物等も記録にとどめておくこと。

被爆前から存在していたと見られる樹木も調査すること。

お問い合わせ先

総務部 行政体制整備室 

電話番号:095-829-1124

ファックス番号:095-829-1410

住所:〒850-8685 長崎市魚の町4-1(9階)

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