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平成28年度第1回 長崎原爆遺跡調査検討委員会

更新日:2022年4月19日 ページID:038504

長崎市の附属機関について(会議録のページ)

担当所属名

原爆被爆対策部 被爆継承課

会議名

平成28年度第1回 長崎原爆遺跡調査検討委員会

日時

平成28年9月23日(金曜日) 16時00分~

場所

長崎原爆資料館地下1階平和学習室

議題

・文化審議会の答申について
・旧城山国民学校校舎の補修について
・今後の長崎原爆遺跡の調査・研究について
・山王神社確認調査について

審議結果

会長

本日は、出席委員が半数以上ですので、ただいまから第8回長崎原爆遺跡調査検討委員会を開催します。

それでは、文化審議会の答申についての事務局の説明を求めます。

事務局

平成28年6月17日、国の文化審議会が長崎原爆遺跡を新たに史跡に指定するよう答申しました。今後、指定等の効力が生ずる官報告示を経て正式に史跡に指定されます。

文化庁の史跡等の指定等についての報道発表資料では、長崎原爆遺跡は昭和20年8月9日に長崎に投下された原子爆弾の被害を伝える遺跡である。爆心地、被爆校舎である旧城山国民学校、崖下の小川に滑落した浦上天主堂旧鐘楼、爆風により傾いた旧長崎医科大学門柱、爆風で一本柱となった山王神社二の鳥居から成る。第二次世界大戦末期における原爆投下の歴史的事実、核兵器の被害や戦争の悲惨さを如実に伝える遺跡であるとされ、文化庁が長崎原爆遺跡の価値をこのように評価しているということが分かります。

委員

調査して答申までの間が非常に早かったが、これは国の姿勢として見ていいのですか。

事務局

これまで原爆についてそれぞれ先人たちがいろいろ調べて記録に残していただいたことを取りまとめるという意味では、ほかのこれまでの史跡等の一から調査をしてまとめていくというものからすると、取りまとめに時間がそれほどかからなかったという点は、ほかの史跡と比べるとスタートから今回の答申までの期間が短かった一つの理由ではないかと考えています。

何らか国としても被爆70周年の年という点から、一定のこの長崎の原爆、広島の原爆を今後後世に伝えていくという中での史跡指定というものは、今回の指定の中での要件の中で読み取れますので、そういう意図で原爆を後世に伝えていくという点で、今の時期の史跡指定がかなったものと考えています。

会長

ほかに何かございませんでしょうか。

ないようですので、旧城山国民学校校舎の補修について事務局からの説明をお願いします。

事務局

〔旧城山国民学校校舎の補修について説明〕

○旧城山国民学校校舎の現況をスライドを使って説明

・屋上防水の劣化の状況

・外壁の鉄筋爆裂部分

・内部壁面鉄筋腐食部分

平成28年5月15日に2階部分でコンクリート片の剥落があり、安全対策として落下の可能性のある120か所を安全対策としてハンマーでたたいて落とした。

○補修に際しての基本的な考え方

保存活用計画等を策定し整備までに数年を要するので、緊急性の高い部分について補修をしたい。

この補修については、有識者3名の指導助言を得て補修内容を検討し、この委員会にて報告をしたい。いずれも文化財の建物、又は史跡のコンクリート建造物について非常に詳しい方に入っていただき6月に第1回の会合を開かせていただいた。内容について委員からお話しいただきたい。

委員

6月17日に第1回目の現地確認及び協議をさせていただきまして、A氏、B氏につきましては旧城山国民学校校舎を見るのが初めてでしたので、昨年度までの調査結果等も説明しながら見ていただきました。保存活用計画がまだ策定されていないということで、基本的な考え方としましては、必要最小限の緊急性を要する箇所のみの介入にとどめるということと、可逆性が近年特にコンクリート構造物の文化財系のものでも強く言われるようになってきているのを念頭において、後々技術の進歩があったときに置き換えることができるようにという基本的な方針の確認をしました。

具体的な対策としましては、屋上の防水がほぼ機能していない状態になっていますので、建築物にとって屋上防水は一番重要な事項にもなってきますので、どういう工法をとるか詳細な検討が必要ですが、まず対策が第一であろうということになりました。

5月の天井スラブからのコンクリートの落下片及び叩き落しに関して、緊急を要する所は叩き落しで大丈夫だったと思うが、昨年度までの浮き・剥離の調査から、かなり広範囲にわたって今後落下する可能性のある所がありましたので、その対策として、見学者にコンクリート片が当たることのないようネット(網)等で、落下物があったとしても人に当たらないような対策を至急する必要があるということになりました。

浮き・剥離、ひび割れ、コンクリート強度や中性化の調査をされてはいるのですけれども、旧城山国民学校は鉄筋コンクリートの校舎になりますので、設計図はありますが、特に過去のものですと施工誤差といいますか、例えばスラブの部分ですと下側のほうに鉄筋が寄ってきているということもありますので、非破壊検査等を用いながら配筋の状況、それから実際鉄筋が、特にスラブでほぼ全面厚さの全部にわたって中性化が進んで鋼材腐食、鉄筋の腐食も懸念されますので、そこの確認が必要ということになりました。

特にそこにも関連するのですけれども、スラブの部分、増厚をして補強をするとかというのも考えられるのですが、まだ構造的な安全性や耐震性についての調査・検討は全くされていませんので、差し当たりそういう増厚をして建物自体の重さを増やすことは避けるかたちで、例えば防錆剤を注入するなどの対策を、可逆性を考慮しながら検討していくことになると思います。

それから、特に外部の部分の梁の鉄筋が露出しているような所に対しては防錆処理をするとか、そういう鋼材腐食が進まないような対策が必要かと思います。

あとは、旧城山国民学校、国史跡内のコンクリート構造物になりますけれども、例えば端島やほかの史跡内のコンクリート建造物でとった工法に対する事後の評価がどうであったか類例の調査を丹念にした上で今回の対策も必要ということで、特に長崎市ですと端島が今同様の国史跡内のコンクリート構造物をどうするということは問題になっていまして、学会への委託等で検討も進められておりますので、それらも参考にしながら、市の各部局の情報共有等をしていただきながら、国史跡としてのしっかりとした調査をして、その結果を踏まえて、後々ほかのコンクリート構造物の補修の参考になるような検討をした上で、実際の施工をしていっていただければと思います。

会長

ただいまの事務局及び委員からの報告・助言等につきまして、何か御意見等ございましたらお願いします。

委員

指定の告示がされた後は、現状変更手続等が必要なのですか。

事務局

実際に工法を、入念に調査を行って検討した後、現状変更等の手続も発生すると思っています。

会長

今やっております旧城山国民学校校舎の補修が大体どれぐらいまで続くかの問題です。例えば眺めて見る建物であれば、近寄らなければあまり危険性はないのですが、利用するということが入っていれば、そこへ直に行きますよね。そうなってくると、なんとなく今の委員の説明では今後について耐久性、その他等ということですけれども、そろそろこのような被爆を継承する建物をどのように保存するかという根本的な問題を、事務局を含めて長崎市で考えていただきたいという気がするのです。部分的に水漏れがどうこうと言っても、これ以上はうまく状況はなっていかいないものでしょう。だから、基本的にこういう建物をどうすればより効果的に後世に残していけるかということを、そろそろ基本的にいろんなところで考えていただきたいと考えておりますので、事務局に対する私の要望でございますけれども、よろしくお願いいたします。

ほかに何かございませんか。

それでは、次に今後の長崎原爆遺跡の調査・研究について事務局の説明をお願いします。

事務局

「今後の長崎原爆遺跡の調査・研究について」ということで、資料3をお開きください。今年の3月に『長崎原爆遺跡調査報告書(Ⅰ)』を発行することができました。この中で設定した課題というものが五つございました。1番から「各遺構の補完調査」、2番目が「長崎原爆遺跡を構成する他の遺構の有無について」、3番目が「長崎原爆遺跡を構成する各遺構の保存」、4番目が「各遺構関連遺物の展示環境の整備」、5番目が「被爆資料・遺構・遺跡などの情報の集積及び発信」、この五つを課題として挙げることができました。この課題のうち1番目と2番目につきましては、調査・研究における課題、3番目から5番目を整備における課題と位置付けております。

今後のスケジュールのうち、「各遺構の補完調査」につきましては、平成28年度は山王神社に対する第1次確認調査を予定しております。この後も順次補完調査を進めていきたいと考えております。

また、それと同時に長崎原爆遺跡を構成する他の遺構の有無について、まずは基本的には図面を作成して、被爆前・被爆後の土地利用の問題をきちんと整理し直すということが非常に重要であると思いますので、そういうことを今年度できればと考えております。その後、現地踏査等を踏まえて、補完調査というものの進め方をまた御指導いただければと考えております。

3番目以降につきましては、整備の部分も大きく関わるのですが、平成28年は厚生労働省の補助金を活用しまして旧城山国民学校校舎の応急補修をすることにしております。来年度から保存活用計画を2年で策定して、この中で校舎はどのようにして守っていくべきなのかという、保存に関して共有できるものを作っていきたいと考えております。その後、それをもとに整備基本計画や実施計画を作って、整備ということになっていこうかと思います。特に旧城山国民学校に関しては一度内部も構造補強しておりますが、実際どのような状況なのか明らかにした上で、耐震の問題も含めて今後検討課題として持っております。また、昨年度の検討委員会の際にも御指摘がありましたとおり、3階・4階をどのようにして見せていくのかにつきましても、前向きに検討していかなければならないと考えております。

5番目の「被爆資料・遺構・遺跡などの情報の集積及び発信」という部分に関しては、史跡におけるガイダンス機能を持った施設をどうするのかという部分で、原爆資料館が非常に爆心地にも近いですし、爆心地を除く四つの遺跡の真ん中に近い部分でありますので、原爆資料館の施設・機能との関わり方も併せて検討していかなければいけない課題であると考えております。

委員

基本的なことをお伺いしたいのですが、先ほど会長の方から市に対して旧城山国民学校校舎の今後の保存活用計画について考えてほしいという旨の御発言がありましたが、この委員会として保存活用計画についてどのくらいのところまでは議論していくのかというところを知りたいです。

事務局

まず保存活用計画をしっかり立てていく。その内容として旧城山国民学校を含む原爆遺跡の価値について、今回意見具申したものをベースとして、その価値をどのように今後守っていくのか。そのためにはどれが一番主となるものなのかを、まず柱としていくべきと考えておりますので、その辺の導き出し方、それからそれを今後どのような技術で保全していくのか、時には何を取って何を捨てるのかという選択の段階になるときに、その柱になるものをベースとして共有していれば、比較検討の中でこちらを優先すべきという基本的な考え方の柱になるものを、この保存活用計画の中で作っていくべきではないかと考えて、委員の皆様に助言をいただきたいと思っているところです。

委員

なかなか難しい問題が最後のところで出てくる。先ほど会長がおっしゃったように、実際その建物自体が、現在児童が行ったり来たりする場所にあるという前提をどう考えていくのかで、今後の方針というのは相当変わってくるという感じがしています。

これは、もう人が立ち入らないようにするべきだということを言いたいわけではなく、ここに指定されていないものも含めて生活空間の中にありますので、どのくらいまで生活の中に残すのか、どのくらいの部分に制限をかけることにするのかという難しい判断で、これはこの会議だけで決まることとは到底思えないのですが、最後はそこの判断が問われてくるという印象です。そのあたりでもし何か付け加えることあればお聞かせいただければと思います。

事務局

保存活用計画に関しましては、文化庁が標準的な構成を作っております。その中に基本的な価値がどういうところにあるのか、保存はどのようにしていくのか、整備はどのようにしていくのか、その整備を支えていく、公開を支えていく体制というのはどのようにあるべきか、そういうところまで言及するということが、文化庁が定めている保存活用計画の標準的な構成になりますので、それに沿って今後作っていきたいと思っております。

委員

我々は、遺跡の将来的なことを考えながら検討をしたわけで、検討委員会が今まで8回行われ、原爆遺跡が文化財の指定になって文化財保護法が適用されますが、長崎市は文化財審議会もあると思います。検討委員会と文化財審議会との兼ね合い、どのような仕分け方をしたらいいのか、その辺もある程度整理をしておかないといけないのではないかと思いますが、いかがなものでしょう。

事務局

現在、委員の方々にいろいろ議論していただいている部分については、原爆遺跡の価値がどこにあったのか、どのようなものが価値で、どのようなものを含めていくべきではないのかということを今までお話を進めていただいております。

史跡となったものの保存活用については、審議会を別途立ち上げて、議論していただく組み立てになっております。

委員

文化財審議会、また検討委員会が競合しないように、仕分けはきちんとしていてほしいと思います。調査・検討してきたわけですから、次の活用という問題でどのように進めていくかということにも連動するのではと思います。今回の原爆遺跡の、史跡指定の価値というのは非常に大きいと思うのです。と申しますのは、文化庁がここまで早く答申を出したというのは恐らく例がないのではないかと。そういう意味で、競合しないような状況を作っていってほしいと思います。

会長

検討委員会とそれから活用をどうするのかというとき、全国的に今の日本の中で活用が優先して先走りをするという現象が、よく見受けられるため、検討がただ1年で、「筋道はこれさえ通せばいいのではないか」という感じで動いている可能性は多いということで、この辺が非常に問題であって。それから長崎の原爆遺跡と広島の原爆遺跡が根本的に違うことは、長崎の場合にはコアになるものがいくつかで構成されているという、非常に面的な広がりをもって主張しているということです。これは広島と一番違うところであって、景観とか環境とか保全するという段階においては、広島とは全く考え方を異にしないとどうしようもないのですね。そうなってくると、長崎の場合においては多岐に面的に広がりすぎているので、非常に注意しないといけないということで、これは我々検討委員会の段階では進まないから、その面は市が全面的なまちづくりその他等で考えてくださいというのが私の意見です。そのようにしてやらないと、広島みたいに「あれだけを」という感じに簡単にはいかないのではないかなということです。

そのために、景観をどのようにして守って我々ができるかということは、前回の時からペンディングで残っている、遺跡は本当に旧城山国民学校の所は校舎だけでいいのか、それから本当に爆心地の場合はあの場所だけでいいのかの問題が出てくる。こういう残されたペンディングは、この次のこの機会で是非含めたようなかたちで、最低限度私たちは発言できるような景観の保全というかたちのものをお願いしたいという感じはしています。

そういうかたちで是非事務局にも頑張っていただきたいなと思っています。史跡の指定の答申は出たのが早いというのは私自身も本当に驚いています。これは、多分にも事務局の作られた資料によるものだということを本当は言いたいのです。

 

委員

「保存活用へ」という箇所についてですが、実質的な人の動きを踏まえて考察する必要があるように思います。それと同時に、これまで長崎市が取り組んでこられた教育現場との連携です。つまり、平和教育とどのように連動していくかという視点です。教育に生かせるのであれば、未来への展望になります。ですから、平和教育への活用は重要です。そして、もう一点。教育とは異なりますが、観光面についての活用をどのように考えるか、考察が必要かと思います。人の動きを考えると、観光面の議論になると思いますので、この二点について発言いたします。

事務局

文化庁の保存活用計画の策定の標準の中にも、遺跡を通した教育という部分、又は遺跡を通したまちづくり、観光資源としての遺跡というようなかたちで、標準的なものですので書かれています。長崎における原爆遺跡が「観光資源」という言い方をしていいのかという部分はあるのですけれども、そういう専門家の方に何らかのかたちで御参画いただくことも、今後考えていかないといけないと思っています。

委員

観光という言葉が出てきたのですけれども、戦争の遺跡とその観光ということで、我々も抵抗感は持っています。観光という言葉を置き換えてほしいと思うのです。人に来てもらわないと、平和のアピールというのはできません。そういう意味で観光というのをもう一度見直して、逆にこの原爆遺跡はその観光の面でも大いに活用できると思います。その一方では逆に平和教育への活用ということにつながっていくと思います。長崎観光をただ単に楽しむ場所ということだけではなくて、平和という情報が出せる長崎だということを、将来的な構想の中に入れてほしいと思います。そういう意味で、私は観光という言葉がそこに出てくると思います。そうでないと、活用というのが非常に難しくなってくるのではないかと感じているのですが。

事務局

ただいま御指摘いただきましたように、観光客というのは現実にこの原爆資料館もたくさん来られます。一つには長崎が観光地ですから、原爆資料館だけ来られるというわけでもないですし、この被爆の遺構だけ見るというわけではなく、やはり観光客全般というのは今非常にたくさんいますし、外国からの方々もいます。そういった方々は、やはり今言ったように風光明媚な場所を見るという観光ではなくて、改めて戦争を振り返る、そういったきっかけにするという意味では、是非こういった原爆資料館も来てほしいと考えております。ただ観光という言い方に関しましては、やはり被爆者の方を中心に微妙な反発があって、「我々は見世物的なものではないのだ。真剣に向かい合ってほしい」と。だから、「観光」という言葉そのものは検討が必要と思います。当然地元だけではなく、あるいは学校だけではなく、それ以外の方にたくさん来ていただいて考える場所という意味で、何か適切な言葉も含めて今後の一つの柱になる部分だと思いますので、考えていきたいと思います。

委員

一点だけ付け加えます。近年の学問で「ダークツーリズム」という面でも注目されていますので、その点を加味しますと、新たな発展になるかもしれないと思います。

事務局

一点、御報告が漏れていた部分がありました。資料3(3)ですけれども、「今後の意見具申の予定」ということでそこの説明が漏れていました。申し訳ございません。

まず、一点目ですけれども、平成28年1月に今回意見具申をしておりますが、この部分に関しまして「事務処理が間に合わなかった部分」というのがございます。意見具申の中で、地図の中で史跡を指定していただきたい部分ということで、赤で示しているのですが、その外側に黄色線ということで入れている部分がございます。特に申し上げますと、爆心地の川沿いの部分ということになります。この部分に関しましては、準備を整えて早急に進めていきたいと考えております。

それ以外の「補完調査によって長崎原爆遺跡としての価値が認められるともの」ということにつきましては、調査研究の成果が上がり次第、追加の指定の意見具申をしていきたいと考えております。

委員

「観光」という話については、私たちはよく「巡検」という言葉を使います。それが一般向けの言葉としていいかどうかというのはともかくとして、人が見に来るということをどう置き直して意味を付けていくのかは、非常に重要であるということには変わりはないと思っています。

もう一点、史跡として指定を受けて、あるいは指定を受けないまでも、普通に考えるとあと100年後もそれはそこにあるというふうに想定されるわけです。ただ、例えば、20年後とか30年後ということを見通したときに、平和教育であるとかあるいは戦争への人々の向き合い方というものがどう変わっているのかというのは、気になるところです。日本の場合で言うと、第二次世界大戦の戦争遺跡も含めた様々な遺跡をめぐって、まだ人々の中にかなり心理的に、あるいは記憶として、何かいろいろなものが残っているような状態が、長く続いてきたのだろうという感じはするのです。だけど、それが20年後、30年後に続いているとはちょっと考えにくいところがあるわけです。それは簡単に言えば、身近なところに戦争を体験した人がいなくなるとか、あるいは戦争を体験した人からの話を聞いた経験のある人がいなくなっていくという、そういう問題と絡んでくるのです。それを見据えた上で、もちろんその史跡指定を受けるというときの文法というのは当然あるのだけれども、我々は一体どこまでを守るべき史跡として考えていくのかということを、少し心にとめておいたほうがいいのかなという感じがします。

それは、長崎という場所が「被爆都市」、あるいは被爆者がいてそれぞれの体験があるという状況がそれは30年、50年あるいは100年すれば変わってしまう部分があるのかもしれない。長崎という場所が、被爆ということを、どのくらい日常の中で受け止め続けられるのかということが実はもう一つ問われてくるところで、その支えがありつつ、もう一方できちんとものが残されるというその両面がやはり成立していく必要があると考えています。その場合、やはり史跡として指定する価値があるものということと、必ずしも史跡指定には至らないけれども、あるいはものによっては、それは後からかなり手を加えたものではあるけれども、それも含めて被爆ということを物語っていて、しかもその長崎として何かそれを抱え続けられる、そういう広がりの中で、史跡ということを考えられないかと。だから、全て残せばいいということではもちろんないのですが、でもやはりこれだけ時の経過を経て生き延びてきているものについてはやはり大事にしていきたいし、そうしたものを全体としてどう置き直すのかという、そこの発想というのは重要になってくると思います。

それは、簡単に言ってしまえば2の「長崎原爆遺跡を構成する他の遺構の有無について」とか、あるいは5のところと絡んでくるのでしょうけれども、そこのところをある程度広がりを持って考えていくことで、将来にわたって地域としていろんなものが残っていて、社会がどう変わっていくのか、ちょっと見えにくいところがありますが、そこに意味を持って存在しているかたちを作れないかと思うところがあります。具体的にどうすると言われると、結局は悉皆調査のような話から始めるしかないのかもしれませんが、そこは大事にしたいと考えております。

事務局

確かに非常に難しい、答えがすぐに出ない問題だと思います。

私どもが長崎市として被爆の継承ということで取り組んできている中には、一つは今回の史跡指定ということで、原爆を伝える物としてのかたち、またその歴史的な場所を、しっかりとした位置付けの中で後世にまず残していくという、そのポイントを、今回国からも指定を受けることができたという部分と、それから私どもが独自に進めている都市としての被爆者の記憶をどう伝えていくのか。いずれも長崎市の個人個人の被爆者の記憶を後世に伝えていくことだけではなくて、長崎市が被爆都市として、後世に都市の記憶として残していくものにどのようなものを加えていくのか、どのような構成で作り上げていくのかというのがやはり今後重要になってくるものじゃないかと。その中で、国の史跡としての遺構が残っているというのも一つの要件であるけども、そこで史跡にならなかったものについても、何らかのかたちで総合的に作用していくようなものを考えていくべきではないか、今後いろいろ意見をいただきながらどういうかたちで長崎市として被爆の継承を図っていくかというのが一番大きな目的の一つで、その中で国から史跡の指定を受ける遺跡も活用するというもので、いろいろな構成を作っていければ、後世にうまく残っていくという考えは持っているのですが。

委員

私自身も今回の調査に関連して、被爆した方々に聞取り調査を実施しました。その聞取りの内容の中に、重要なお話があり、今回の遺跡の保存と活用に関連してもそうですが、長崎が引き継ぐべきものはその中にあるように思いました。それは、「原爆体験という悲劇は他の誰にも遭わせたくない。長崎が最後の被爆地に」という被爆者のメッセージです。原爆の遺跡を見る被爆者は、あの時の悲惨な光景が目に映る、とおっしゃいます。そしてあの悲惨な光景を思い出すと同時に、「他の誰にも同じ思いをさせたくない」という「核兵器廃絶」に向かう被爆者の意志と姿勢も存在するということです。遺跡と共に、原爆投下後の「惨劇」と「核兵器廃絶」という被爆者のメッセージも同時に伝える必要があります。私自身が一人の委員として聞取り調査に関わらせていただき、メッセージを受け取った者としてお伝えいたします。被爆者の意志を継承していくこと、この意志を軸に据えて展望を開いていくということで、実は非常にシンプルに進めるのではないかなと思っています。

委員

先ほど事務局が言ったことは非常に大事なことだと思います。それは会長がおっしゃったように、「長崎市の原爆遺跡は個々のものが集まって構成される、集約されている遺跡です」と言われたことです。これがいい意味で、広島と異なっているところではないでしょうか。

最初の会議の時に、文化庁の主任調査官が、「重要文化財の指定ではありません。史跡の指定です。史跡というのは面の広がりがあります」ということをおっしゃいました。そういうことを頭におきながら進めていけば、市長が8月の祈念式典の時に言った「新しい継承者というのを作り上げていくのだ。だんだんと被爆者が亡くなっていく中で、次の新しい証言者というのをこの遺跡で考えるのだ」ということを私は非常に強く印象として持っているのです。そういう方向に持っていかなければということで、先ほどおっしゃった会長の「どのようなかたち、面としてとらえていくのか。これが長崎市の原爆遺跡の特色になるのではないか」ということは、頭に置くべきではないでしょうか。

会長

次の議題、山王神社確認調査について事務局からお願いします。

事務局

山王神社二の鳥居と大正期の石畳の参道は史跡に指定される見通しとなりましたが、境内地については調査が十分でなく、歴史的価値を明らかにするには至っていません。地上に分布するものだけでなく、地下にどのような遺構が存在するのか明らかにし、原爆被爆との関係の有無を検討するために調査を行います。

確認調査とは、埋蔵文化財包蔵地の範囲・性格・内容等の概要を把握するための部分的な発掘調査のことをいいます。

山王神社の概要ですが、江戸時代に創建された円福寺が神仏分離により村社の山王神社となり、1884年に県社・皇大神宮が合祀され、現在の形となりました。1945年8月9日の原子爆弾によって、爆心地から約800mの地点に位置していた山王神社は甚大な被害を受けました。社務所、拝殿、幣殿、神殿の建造物及び由来書や宝物等が崩壊、焼失し、三の鳥居と四の鳥居も倒壊しました。神殿は8月中に再建され、1950年に正殿、1960年に拝殿、1961年に手水舎を再建、1977年に社務所新築、1987年に幣殿を再建し現在に至ります。

山王神社のこれまでの調査についてです。平成26年度に境内地・参道の地形測量を行い、平面図を作成ました。そして関係者にヒアリングを行い、聞き取った内容をもとに、その平面図に被爆前から現地にあるとされるものを落とし込んでおります。平成27年度には、被爆写真の整理と境内に被爆当時のものがどれだけ残っているか現地踏査による確認を行いました。

現時点で明らかになっていることとしましては、写真資料の所在が確認できております。被爆前の写真は長崎市史に載っている写真や空中写真があります。被爆状況を示す写真には、1945年8月に原爆の調査に訪れた藤田哲也氏や、日本映画社の社員として10月に長崎を撮影した林重男氏の写真があります。被爆後の復旧の状態を示す写真には、原爆から6年後に長崎を訪れた池田秀氏の写真があります。また、現地に残されている遺構・遺物がどれかということもある程度分かっております。境内に関しては、中央を走る石畳、四の鳥居の基礎の片方、石垣、位置が移動した可能性もありますが獅子狛、大クスなどの樹木が被爆前からあるものです。

地上に分布するものだけでなく地下にどのような遺構が存在するのか明らかにし、原爆被爆との関係の有無を検討するために調査を行います。一つは現在露出している四の鳥居の基礎と対になる基礎遺構の検出を目標としています。鳥居の基礎は被爆当時のものと確認できる痕跡が周囲の土層から確認できないかと考えています。もう一つは、ヒアリングにより被爆時点で存在していたとされる土塀遺構の検出を目標としています。土塀遺構はどこまでが範囲か確認するため、両端を検出したいと思っています。

会長

発掘調査と言えば考古学的な手法を用いてやるわけですけれども、この遺跡が普通の考古遺跡と違うことは、面的な広がりを重要視しないといけないということですね。この件では、今後調査をやられる中において非常に注意していただきたいということです。通常は、面的な広がりと、時間的な経過が見られるのですけれども、この原爆遺跡というのは基本的には時間的な経過というのは今日と対比する以外はないのです。何年前にこうだったなんだという感じはないのです。そういう面では、通常の考古調査のようなかたちではいかない面が出てくるのではないかという気がしております。そのあたりを非常に注意されて、やり方自体は考えていただきたいと思っております。

委員

山王神社の境内地については史跡指定の範囲には入っていないのですね。

事務局

はい。入っていないので、より歴史的な価値を見出すための調査をしたいと考えております。

会長

今回の事務局で考えている調査というのは、この成果をもとに、史跡の追加指定も目指したいということでしょう。そうしないと、山王神社の参道だけになってしまって本殿がならないのでは、どうしようもないですよね。

委員

指定された後の現状変更は認めてもらえるものなのですか。

城山小学校運動場周辺も全部できないかと事務局に尋ねたら、教育委員会が現状変更するときに、なかなか難しいからということを言っていたので。現状変更といってもそんなにがっとブルドーザーを入れて変更するわけではないですから。その辺うまく行政上は手続ができるのかどうかということです。

オブザーバー

先に現状変更の考え方ですけれども、現時点では、保存活用計画を策定していない状況ですので、保存活用計画を策定して、その策定に当たっては、例えば史跡の本質的な価値が何なのか、それとその本質的な価値を守るためには、どこまでの現状変更なら許されるのか、あるいは、ここから先は許されないというものもある程度あらかじめ策定しますので、その基準に基づいたかたちでそれぞれの現状変更の範囲を見ていく。これは当然開発行為に対してもそうですし、あるいは活用に当たっての行為に関しても多分そうだと思いますし、あるいは発掘調査等についても同じようなところで基準を決めた中で判断をしていく。ですので、まずは保存活用計画を早急に作った上で、何が保存すべきものなのか、どこに本質的な価値があるのかというのをはっきりと確定させた上で、そういったところのことが出てくると思うのです。ですので、昔だったら本当に釘1本打ってはいけないとかいろいろな話がありましたけれども、極端なことではなくて、どこまでだったら許されるかというのを決めていくということになるのは通常だと考えています。

会長

ほかに何かございませんか。

ないようですので、それではこれをもちまして長崎原爆遺跡調査検討委員会を閉会します。

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電話番号:095-829-1124

ファックス番号:095-829-1410

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