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令和3年度第1回 長崎市平和宣言文起草委員会

更新日:2022年3月4日 ページID:038243

長崎市の附属機関について(会議録のページ)

担当所属名

原爆被爆対策部 平和推進課

会議名

令和3年度第1回 長崎市平和宣言文起草委員会

日時

令和3年6月12日(土曜日) 10時00分~

場所

長崎原爆資料館地下1階 平和学習室

議題

令和3年長崎平和宣言について

審議結果

【委員長】

皆さん、おはようございます。

長崎平和宣言の起草委員会に、大変お忙しい中、ご出席いただきましてありがとうございます。昨年は一人も前年と入れ替えがなかったのですが、今年は5名の皆さんに新たな委員としてご就任いただきました。今年は昨年と同様に5月の開催が難しいということで文章をお寄せいただく形でのスタートということになりました。今日がそういう意味では初めての顔合わせの会議になります。

そのいただいたご意見をもとに、本日は文案を作成して、それについてのご意見をいただく会議ということになります。初めてご出席の皆さんもいらっしゃいますのであえていいますと、この会議のときに最初の文案を出させていただくのですが、たたき台という言葉がありますけど、まさしく皆さんに叩いていただくというそういう会議ですので、そして毎回その期待に応えていただいてたくさん叩いていただいてそのおかげで成長していけるという、そういう今日は会議になります。ですから、ぜひ忌憚のないご意見をたくさん寄せていただいてその一つひとつのご意見を栄養にして次回の文案に育てていきますので、ぜひ遠慮なく様々な見方、ご意見をいただければというふうに思います。

後ほど文案については読み上げさせていただきますけれども、今年の文案については皆さんからご意見をいただいた中で、柱として、今年ならではといいますか、今年だから言わないといけないということがいくつかあるという点、皆さんの中にも感じ取られました。

それは、一つはやはり核兵器禁止条約が今年発効したということで本当に長年の被爆者の皆さんが切り開いた流れが大きな流れになってここまで到達したということですので、核兵器禁止条約の発効についてはきちんと触れなければならないという点。

それから、この昨年から続くコロナ禍であったり、あるいはSDGsであったり、地球温暖化であったりというような社会、世界全体の変化というのも皆さん感じておられて、その中に実は核兵器の問題というのもあるのだということをきちんと認識していただく機会にできるのではないかという視点。

あるいは、75周年が昨年終わって、76年目からの新しい、被爆100年に向けたスタートの年になるといった側面。そういった今年の状況を踏まえた平和宣言文にしたいというふうに考えています。

文案もそういった部分をおさえた中での文案とさせていただいていますが、まだ粗削りでまったく使える平和宣言文ではないと思っていますので、ぜひ先ほど申し上げましたように様々なご意見をいただいて、この最初の文案を育てていただければというふうに思います。

それから、今年の平和祈念式典ですけれども、報道等でご存じのように、昨年と同様縮小した形で開催をさせていただきたいと思っています。昨年、縮小した形を体験させていただいて、やはり縮小したからといって、発信する力や、あるいは皆さんの平和の思いが弱まることはまったくないということを感じさせていただいたのが、昨年の式典でもありました。いろんな場所でいろんな皆さんがいろんな形で訴えていただく、あるいは、こういう時代になってネット等を使った皆さんがあの場所だけではなくて、いろんな場所で同時にいろんなことを発信していただくような新たな流れもこれから起きるのではないかということを感じさせていただける式典でもあったと思います。そういう意味では、今年の式典もまたしっかりとした発信力を持ったものにしていきたいと思っております。

今年の起草委員会につきましては、今日を含めて2回ということになりますけども、非常に重要な1回1回の会議となりますので有意義な時間にしたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

それでは、議事を進行させていただきます。まず、平和宣言文起草委員会の公開について、お諮りをしたいと思います。この委員会は長崎市の附属機関でございますので「附属機関等の設置等に関する基準」に基づき、会議の全てを公開してよろしいでしょうか。

(委員了承)

はい、ありがとうございます。それでは例年どおり、今年度も公開することとさせていただきます。それでは、本題の平和宣言文起草に議事を移します。

さきほど事務局から申し上げましたが、今回お配りしている平和宣言文案をもとに委員の皆様からご意見をいただく会議です。それではまず私の方からお届けしている平和宣言文の素案について朗読をさせていただきたいと思います。

(素案朗読)

という内容になっています。では、さっそくお一人ずつご意見をいただきたいと思います。よろしくお願いします。

【委員】

それでは、三つのことについて、少し意見を述べさせていただきます。

まず、1行目から10行目、小崎登明修道士の文章が引用されているところです。この文章について、私はどうやら原点はいわば散文のようなのですけれども、この部分は非常に短い文で区切られていて詩のように読める。それでいて、やはり被爆者の方の核廃絶の思いが伝わってくる、詩を通して伝わってくる部分だと初めて読ませていただいて感じました。今年の核兵器禁止条約の発効に相応しいと感じました。

もうひとつそこに関してですが、小崎登明さんは93歳で亡くなって、亡くなる50日くらいまで体験を語り続けていて、最後はリモートで平和推進協会の人に語られていて、それをテレビで拝見したのですけれども、やはり93歳という年齢でこういう思いを持ち続けて平和を語り続けていたというのは、なにかどこか表れるといいなと少なくとも年齢が書かれていたらいいのではないかと、93歳の命を全うされたということと、そういうことが書けるかわかりませんが、亡くなる直前まで体験を語り続けられた。平和への誓いは今年、92歳の岡さんが述べられます。やはりもうその年齢までも被爆者の方が強い思いを持って活動し続けるということが、この宣言と誓いを通してわかるということが必要ではないかと思いました。それが第一点です。

第二点が40行目、「長崎を最後の被爆地に」とこれまでもずっと使われてきた言葉ではありますが、やはり思えば、一つの都市の名前、世界の中にあるたった一つの都市の名前で、核なき世界の理想を表現できるのは長崎だけだと思います。この言葉は長崎に生きるものとして、大事にしなければいけないと思います。長崎という言葉で世界の理想を表すことができる。そういう意味ではここに引用されていて、それについて、述べられている点も大変いいと思いました。いろんな核廃絶、平和に向けた運動がある中で、被爆者という言葉も英語の辞書に出てくるわけです。だから、被爆地という言葉が、英語の辞書に載るくらい長崎から発信していく必要があると、原爆が落ちた場所みたいな説明的なことがなくても、被爆地と言っただけでも広島と長崎だとわかるくらい、やはり発信していかなければいけないと思いました。それが第二点でございます。

それから第三点は、最後のところで平和の文化という言葉で、これはすべての宣言文を読んだわけではないのですが、さっと見たところ2018年から使われているのではないかと思います。2018年には、「戦争の文化ではなく平和の文化を市民社会の力で世界中に広げていきましょう」と言われ、2019年は「平和の文化を育て続けましょう」というふうに言われ、去年は、「平和の文化を市民社会に根付かせていきましょう」と言われています。今年も平和の文化に言及されるのはとてもいいことだと思いますが、平和の文化を広める、と少し短いというかもう少し何か、世界に広げるとか、少しそういうことをした方がいいのではないかと思いました。どういう表現になるかわかりませんが、平和の文化を広めるというのをもう少し文章を再考していただければというふうに思いました。以上が、私が述べたいと思っている三点でございます。失礼いたしました。

【委員】

私は、まず、小崎さんの文章はなかなかいいと思っています。そういう中で、もうひとつは、この日だけではなくて、その後被爆者が生きてきた生き様をもう少し入れてほしいなと思います。特に、1945年8月から10年間は、また原爆医療法ができる12年間、国は何もしてくれなかったですね。そして、当時はアメリカの占領下で、プレスコードが引かれていて被爆の実情を訴えることもできなかった。しかし、その後、7年後に占領は解かれるわけですが、解かれてからも日本政府は被爆者に対して援助の手を差し伸べてくれなかった。そのことが、いまだに被爆者援護法が国家補償になってないということじゃないかと思います。だからそういったところも、被爆後の被爆者の生き様というか、そのところを一行でも二行でも入れていただけたらいいなと私は思います。

それから34行と35行目のところで「人類を壊滅させるかもしれない」、ここはちょっと弱いのではないかと。もし今度核戦争が起きたら、やはり人類は破滅していくわけです。だから、そういった点をはっきり述べていただきたいなと思います。

それとですね、アンケート中でも書いていたのですが、非常に今、日本の自衛隊の動きというのが専守防衛から集団的自衛権を使えるようなそういう動きというのがずっと続いている。それは、例えばスウェーデンのストックホルム国際平和研究所が今年の4月に発表している中で、世界の軍事費が2.6%増加して、全体で213兆円という莫大な軍拡になっているわけですね。そういう中で、日本の自衛隊費も世界で第9番目の大国です。平和憲法を持ちながら、9条を持ちながら、世界で第9位の大国になっている。そのことについて、私たちは国民に対して、警鐘をならさなければいけないのではないかと思います。やはり原爆を落とされたのは、戦争があって、その結果原爆が落とされた、その時はアメリカ一国が原爆を持っていて、報復攻撃がなかったわけです。しかし、現在では、たくさんの国が、その何十倍、何百倍という核兵器を持っているわけですから、そういう面でも核軍拡競争についても、それから一般の軍事費についてもここで少し述べていただきたいと思っています。

それから64行目、東日本大震災の福島のことについて、去年とこの文章はほとんど変わってないと思っていますが、今年新しいことは、福島のタンクに貯められた汚染水を海洋に投棄するということを日本政府が決めました。このことはやはり、10年経って風評被害もなくなって、そして魚の輸出もできるようになったところで、まだこの汚染水を投棄するということは、これは大変なことになっていくのだろうと思います。それは、巡り巡って九州の方にも流れてきて、世界中の海が汚染されるわけですから。ただエールを送るというだけでなくて、汚染水の海洋放出について、被爆地としては反対だということを述べていただきたいと。以上です、ありがとうございました。

【委員】

委員の皆様の提案提言を読ませていただいて、非常にうなずきながら、意を同じくするという気持ちで読ませていただきました。それからそういった提言を全体的にうまく踏まえてまとめていただいたことに感謝いたします。そうした上で、私の個人的な意見として、申し述べたいと思います。

まず、最初の小崎登明さんのところですが、「被爆者でもあり、被爆体験者の語り部でもあった」というところが若干重複する表現かなと思いました。むしろ、被爆者としての側面と、コルベ神父の語り部としての役割の部分について、世界に発信するということであれば、そういったことを盛り込んで、例えば、「アウシュビッツの聖者と呼ばれたコルベ神父の意思を語り継ぐとともに」、としてはどうかというふうに感じました。それが一つ目です。

それから、核兵器禁止条約に関する部分ですが、15から28の部分です。私は、提案の中では覇権主義について少し触れたのですけれども、若干そこにはこだわりがあります。現在も地域のいろんな不安定な状況をみたときに、例えば、東欧のベラルーシ、アジアのミャンマー、中東のイスラエル、パレスチナといったところで国連がうまく機能できていない背景にそれぞれ覇権国家がある、ロシア、中国、アメリカといった覇権国家がある。やはり、そういったものに対して、向き合う必要があるだろうという思いがあります。そういうところで27番のところ、例えば、「各国の指導者たちの覇権主義を克服する意思と強いリーダーシップ」とか、何か意思のところに具体的な内容を盛り込んではいかがかなと考えています。特に市民社会の障壁となっているのは覇権主義であり、指導者の権力の長期化へのいろんな動きであると思いますので、市民社会を強調していく中で、それに呼応するような内容を盛り込んでいただければというふうに感じています。

それから2枚目、裏のほうに行きますと30番から48番くらいのところですけれど、要望として我々が宣言することも必要ですが、これまでの成果に関する評価も含めてはどうでしょうか。核兵器禁止条約の批准あるいは成立といった成果には市民社会の動きの後ろ盾があったというところをそうした成果としてもう少し強調していければと思います。

それから39番以降のところの、若い世代の皆さんのことですが、いろんな要望や期待を述べることも必要ですけれども、ユースの動きとかそれからアジア青少年交流事業とかですね、あるいは長崎市内の大学が作っているキャラバン隊、高校生では高校生一万人署名とか、あるいは民間ではいろんな若者の動きがあります。そういったものを具体的に包括的に結構だと思いますが、示すことでそうした成果の先にあるものをまた期待として述べるというふうな、いずれも世界の評価も含めるという形で述べていただければ説得力が増すのではないかと感じました。

それから、パンデミックで我々が経験したことなのですが、じゃあ具体的に何かというときに、いろいろな意見が出てくると思います。私は若い人たちのいろんな活動を見守る中で、今年それから去年、オンライン・コミュニケーションというものがスムーズに行えるようになったということが一つの成果なのかなと感じています。オンラインはコミュニケーションの手段としては不完全なものですけれども、物理的に移動しなくても意思疎通が可能になり、非常に世界の若者が時空を越えて繋がることができた。例えば、平和推進協会や高校生一万人署名ではハワイの若者との繋がりを持ちましたけれども、私自身、アリゾナの博物館には行ったことなかったですけれども、もちろんハワイそのものに行ったことがなかったのですが、そこでアリゾナの博物館の様子が具体的にわかる。あるいは逆に、原爆資料館の案内を長崎から発信するということも行われていました。それから、高校生のCIFという会議ではアメリカの若者が調査をしてアンケートを取って、若者の意識として、核は最優先の話題ではないということを明らかにしました。それをオンラインの会議の中でシェアすることができました。いろんな形で若者は新たな動きをしていますので、パンデミック後のいろんな成果というものを何か具体的な形で示せないかなと感じております。

あと、平和の文化のところも、これもちょっと長崎は相互理解を深める場としての発展していくまちづくりというものを一つのテーマにしていますが、何かそういったところも具体的に長崎の特色としてあげることができないかと思いました。以上です。

【委員】

この素案を読みまして私の意見書でも述べさせていましたけれども、核兵器禁止条約が発効されたということで、それに向けて活動してきた被爆者の言葉を入れたらどうかと提案をしていました。この素案を見た時に、小崎登明さんが出てこられて、私もニュースとかで、亡くなる前のニュースとかも拝見していました。全国には知られていないかもしれないけれども、長崎では小崎登明さんがここ最近ではニュースにもよく出られていたので、小崎登明さんでいいのかなと、この方もいらっしゃったと感じました。小崎登明さんの文の引用のところなのですけれども、配布されている文章の赤のところを今回引用されていると思うのですけれども、私はその赤の次のところの、「原爆の地獄を生き延びた私たちは、核兵器の無い平和を確認してから、死にたい。もう二度と、あのような体験をしてはならない」、この文章も捨て難いなと感じています。なので、赤で囲まれた「二度と使いません、核爆弾は」のところを今読んだところに置き換えてみるのもありではないかなと感じました。

そして12行目ですけれども、ここの部分に小崎さんだけが出てきているので、この核兵器禁止条約が発効されるまでには多くの被爆者の方が関わってきていて、核兵器禁止条約が発効されたのを亡くなってしまって、おそらく天国ですごく喜んでいる被爆者の方がたくさんいるということを何とか入れてあげたいなと思いますので、12行目のところを「この小崎さんと同じように、核兵器のない世界の実現を願い活動をし続けてきた多くの被爆者が亡くなったことを忘れてはなりません」と、一行入れてあげたいなと思いました。

それから32行目の「元よりもいい未来に行く」と「行く」という言葉が少しすんなりと入って来なかったので、「未来を築く」とかに変えてみたらどうかと思いました。その上の31行目もですけど、「収束後に、元に」と「に、に」と続くので、「収束後、元に戻るのではなく」とスムーズに文章を読めたらいいのかなと思いました。

それから裏に入りまして、39行目に「長崎を最後の被爆地に」という言葉を皆さん忘れないでください、共有してくださいということなので、やはりインパクトを持って覚えていただくためには、いきなり39行目のところで、「長崎を最後の被爆地に」とまずは言ったほうがいいのではないかなと。聞いていてそのほうが頭に残るかなと思いました。「地球に住む全ての皆さん」も気になったので、私は、若い人だけでなく皆さんなので、そこを入れなくても「長崎を最後の被爆地に」と言った後に、その後に続く「広島が世界で初めて」云々と続いていったほうがいいのではないかなと思いました。

そして43行目、「長崎が永遠に最後であるように」という言葉を、ありきたりではありますけども、今まで被爆者が言い続けた「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ヒバクシャ」と代えてみたらいかがでしょうか。それで長崎を最後の被爆地にというのであれば、その被爆地である長崎はどういう取組みを未来に向けて行っていくのかということも何も出てこないので、最後の被爆地の長崎がこれから未来に向けてどういう取組みをしているのか、ここにいくつか入れたらいいのではないかなと思います。

私は家族証言者で被爆二世として親の被爆体験を語っているわけですけれども、そのあたりも私的には入れたいなということで、46行目「この思いを後世までにつなげようと長崎では被爆者の子や孫が家族の体験を語り継ぐ証言活動が行われています」と、家族証言だけを入れるのもあれですけども、これにプラス、色んな若い人たちの活動も入れたらいかがかなと思いました。

それから61行目、62行目のところの「被爆者援護と被爆体験者に対する救済を求めます」というところについてですが、被爆者だけではなく、被爆二世も健康被害を受けていて、その家族も被災を受けているということで、長崎原爆被災者協議会は二世も一緒に活動をしています。今後、未来に向けて科学的に放射能の影響は解明されていないのですけれども、実際、被爆後、まだ10代の若い二世が白血病になって沢山亡くなったという事実がありました。それによって被爆二世健診を被爆者が求めて、今私たちは被爆二世健診を受けているわけですけれども、それに対して今回、6月に被爆二世健康記録簿というのが全国の二世に配布されるようになりました。国もやはり少しは二世が原爆に影響を受けているのではないかと思ってのこの行動だと思っているので、是非これから被爆者だけでなく、被爆者が亡き後も被爆二世はずっと放射能の影響を受けながら生きていくわけですので、二世、三世も何らかの影響を受けるかどうかはまだ全然解明されていないので、そのあたりも徐々に入れていくべきではないかと思いました。以上です。

【委員】

私は、ちょうど終戦の年が小学校6年生でございましたので、実際に原爆を体験したうえで、反戦・平和というものを本当に心から実感しながら、この問題については、人様と話す時には申し上げお願いをしているわけでございます。そういった意味で、今日の私の最初の話の中では申し上げるつもりはございませんけれども、話の途中で何かそういう流れになってくれば、そういうことに触れながらお話を申し上げたいかなと思っております。よろしくお願いします。

反戦・平和についての問題に触れるときに、ここにいらっしゃる皆さんはそういうことはなくて、皆さんの共感を得るような形で、心の琴線に触れるような形でおっしゃっておられますので、皆さんの共感を得るものと信じておりますけれども、中にはワンワンわめくような形で、反戦・平和を言うだけの人たちが多い。それで、反戦・平和の問題に正面から取り組もうと思っていても、ああいう人たちがそういうことをやっているのなら、それはもう私は結構だろうという形で、遠ざかる人たちが多いというのが現実でございます。そういうことで、皆さんは非常にその辺は真摯な形でこの問題に取り組んでおられることに、心から感謝を申し上げます。

平和、平和と言いながらも、実際に周辺の人たちを見渡しましても、本当にこの問題に効果のあるような形で取り組んでいただく人というのはどのくらいいるのだろうかということを考えます時に、私はもう少し検討する必要があるのではないかという感じがいたします。

私も、そういうことで自ら時々反省することがあるのですけれども、そのおかげで、国内でもさることながら、実際に海外に出て、国際的な交流の中でそういった海外の人たちと接触することが多いので、「長崎から来たのですよ。長崎はご存じのとおり原爆がこうだったのですよ」、とお話しする機会が、私も90歳に近い年になりましたけれども、10年くらい前まではそういった機会に非常に恵まれながら、国際的な交流の中で、この反戦・平和というものに取り組んでまいりました。

南米に3か月まいりました。そして、あとポルトガル、スペイン、そういったところには歴代の十八銀行の頭取が、日本ポルトガル協会の長崎における会長をされておったということもありまして、私はそこの事務局長的な立場で、南米に行きました時に、国の派遣で行ったのですけれども、3か月行ったその1か月は船でまいりまして、移住者と一緒に乗りまして、船中でスペイン語、ポルトガル語を特訓されました。それは国の方の派遣だったものですから、南米というのは英語の通じない国だから、スペイン語、ポルトガル語が最小限分かる程度の理解力がないと、道で迷ってもホテルにも帰れない、レストランに行ってもオーダーができない、それでは困るということでスペイン語、ポルトガル語を特訓されました。

そういったこともありまして、スペイン語圏、ポルトガル語圏の国々については、私にとっては懐かしい思いがするわけでございます。私の生涯で大変思い入れがある地域でございます。

そこでも、私は長崎が被爆都市ということをいろんな形で皆さんに伝えました。本当に、今振り返ってみると、30~40年前のことになろうかと思いますけれども、そういった意味で、国際的な交流で私は反戦・平和の問題については、単に国内だけではなくて、海外に向けての取組みというものは大変であるということを、重要であるということを、あえて申し上げる資格があるのはないかということを申し上げて、私の話とさせていただきます。失礼いたしました。

【委員】

10点ほど申し上げたいと思います。

一つ目はですね、宣言の素案の中に被爆者の証言、手記を取り入れていただいたことにお礼を申し上げたいと思います。

二点目です。4行目のところの書き出しですね、手記から引用しているのですけども、核兵器のことについてもう少し触れるべきではないのかと思いました。手記から引用して、「原子爆弾は、核兵器なのだ」「核兵器は、人類をも滅亡させる」「核兵器廃絶の念願は、そこにある」ということを挿入できないでしょうか。

あと、16行目から17行目にかけて、「『核兵器は国際法違反』という時代が始まったのです」の部分の「という時代」というのに曖昧さを感じています。ですから、ここは「核兵器は国際法違反と胸を張って主張できる」という、少し強めるような表現に変えられませんか。

次は19行目、「本当の意味で」とありますが、これは不要ではないかと思いました。もし使われるならば、もう少し説明が必要ではないかとそういうふうに感じました。

次は22行目です。「現実の脅威」となっていますけども、「現実の」は要らないんじゃないかと。脅威は脅威だと思います。

それと、「それと逆行するように」の「それ」っていうのは何を指しているのか、字面にすると考えてしまう。ここは、「脅威は逆に高まっている」としたらいかがでしょうか。そうすると全体的にスッと流れると思います。

次は23行目。「中距離核戦力(INF)」に短い説明が必要ではないでしょうか。例えば、「米ロが軍縮に転換するきっかけとなった」とかですね、そういう説明がいるかと思いました。

あと、39行目の書きだしは少しくどいのではないかと感じました。「皆さん」というのが何回も出てきます。ただ、先ほど委員長が読み上げているのを聞いていたらそんなに違和感がなかったので、文字で見る場合と聞く場合と若干違うのかなという気がしました。そこは、今から申し上げることを検討していただいて、どちらがいいのかというのを考えていただければと思います。提案としては、「地球に住むすべての皆さん。特に未来を担う若い世代の皆さんと共有したい」という感じで繋げていってはどうでしょうと思いました。

そして47行目。「そして」の前に「コロナウイルス感染症が収束したら、世界の指導者がまず広島・長崎に来て実相に触れてください」というのを加えたらどうでしょうか。50行目に「世界の指導者に訴えます」というのがあるので、この「世界の指導者」というのにも繋がっていくと思います。

61行目。日本国憲法の平和の理念の部分ですけれども、「戦争をしない」の前に「改正国民投票法が成立しましたが、改憲に前進するなどの懸念の声があります」というのを加えていただけないでしょうか。

最後に、62行目の後ろ。「健康への不安を訴える被爆二世の声も受け止めてください」というのを繰り返していただきたいと思います。以上です。

【委員】

V・ファーレン長崎は、長崎県唯一のプロサッカーチームでありますけれども、今回このような場所にお呼びいただきまして大変うれしく思っております。

と申しますのは、V・ファーレン長崎は「正々堂々、ナガサキから世界へ」というスローガンを掲げております。「ナガサキから世界へ」の長崎という文字はカタカナにしております。それは、世界から見られた長崎の姿を意識してのものです。サッカーを通して平和を伝えていくこと、それが私たちの使命だというふうに考えております。そのためにも、全世界で愛されるサッカーというスポーツにおいて、V・ファーレン長崎が世界から注目される存在になれば、この平和の思い、被爆経験というものをよりたくさんの人に伝えられるというふうに思っております。そのためにも強くなりたいというふうに常々考えて活動しております。

私たちがそういった立場であるということと、すみません私個人の話でいうと、今大学院の博士課程で教育思想の研究をしているのですけれども、その中で、シティズンシップ教育という、一般の子どもが中心ではありますけれども、人々がどのように社会に参画をしていくのか、教育を通して実現しようということを常々考えている立場でもあります。

V・ファーレン長崎でも、社会連携活動ということで、長崎市の皆さんと平和活動をずっとやらせていただいているのですけれども、他のクラブでも、同じように社会課題について取り組んでいく中で、平和とか被爆地の思いというものが、その中に並列になることに少し違和感を感じているところもあります。それはやはり、戦争をしないということや、核兵器を廃絶するということが、全世界の人たちにとって当事者であるべき課題であって、ただの一つの地方の社会課題ではないと考えているからです。

そういった意味で、私は初めて参加をさせていただくのですが、この平和宣言の起草という中で、私自身の思いとしては、いかにたくさんの方に当事者になっていただくのかということをテーマに考えてみました。

今回のたたき案の中で、コロナウイルスの問題を通して、人々がただ国のリーダーに任せるのではなくて一当事者としてそれを収束させるためにどうすればいいのかとか、自分が感染しないためにはどうすればいいのかということを当事者として考えられた経験から、同じように戦争を無くしていくためにはどうしたらいいのかということを、一人ひとりが当事者として考えていくことが必要ではないかというようなことを盛り込みたいということを申し上げさせていただきました。そして、その思いを汲んでいただき、このように文章に入れていただいたことに大変感謝をしております。

そういった部分を中心として私の方からは三点、今回のいただいた案について感じたことを述べさせていただきます。

まず一つ目ですけれども、裏面の方に行きまして、39行目の「地球に住むすべての皆さん。特に未来を担う当事者である若い世代の皆さん」この部分に関して、呼びかけをすることによって、多くの方が当事者として感じていただける、すごく重要なフレーズだというふうに考えているのですが、その後に来る、皆さんと共有したい言葉が「長崎を最後の被爆地に」であるという部分に少し違和感を感じました。

と申しますのは、「長崎を最後の被爆地に」という思いは、長崎にいる人たちだからこその切実な思いであって、今、正直全く戦争のことや核兵器のことを考えていない、長崎県外にいらっしゃる若い方たちが、それを自分事として感じられる言葉であるかというと少し遠いような感じがしたからです。なので、ここで呼びかけた後には、その人たちがこのことを当事者として感じていただけるような言葉にしたほうがいいのではないかと感じまして、例えばですけれども、39行目の1~2文目を、46行目以降の「まず76年前に広島と長崎で何があったのかを知ってください」、ですとか、先ほどからあります「核兵器というものが地球を壊滅させるような威力を持っているものだということ、そのことにまず気づいてほしい、それは決してあなた方にとっても他人事ではないのだ」というふうな呼びかけに繋げた方がより伝わるのではないかというふうに感じました。それが一つ目です。

二つ目が、その後ですけれども、世界の指導者に訴えられているのですが、私はその前に、この被爆地である日本のリーダーたちにまず訴えた方がいいのではないかと感じました。これだけの経験をしている地域が日本には二つある、それなのに戦争被爆国であるにも関わらず、オブザーバー参加さえもしていないということは本当にありえないような出来事だと私は感じているので、まず、これだけの経験をした国だからこそ、そこに参画をすべきだという日本政府と国会議員に訴える言葉がまずあるべきではないかというふうに感じました。

そして最後が、64行目の「東日本大震災から10年が経過しました」というところで、「福島の皆さんに心からのエール」という言葉の後に、原子爆弾で亡くなられた方々への哀悼の気持ちというのが述べられているのですが、ここの繋がりというか対比ができるように、「76年前」というワードを入れてはどうかというふうに感じました。

やはり、東日本大震災から今年10年というところで、かなり多くのメディア、人々の注目が集まったのですが、どうしても日が経っていくにつれ原爆の出来事に関しては興味関心が薄れてしまうような事実はあるというふうに思っています。それは76年経った今でも変わらずにずっと語り継ぐべきこととして私たちが心にとめておかなければいけないという訴えをしたいということもありますし、東日本大震災で苦しんでらっしゃる方々と原子爆弾で苦しまれた方々皆が同じ当事者として、痛みを分かるものとして、伝えられる言葉があるのでないかというところで、ここの繋がりがあまりみられなかったので、「76年」という言葉を入れるとか、何か別のワードでも構わないのですけれども、その繋がりがみえるようなことをされてはどうかと思いました。

私の方からは、抽象的なことが多くて大変恐縮ですけれども、以上です。

【委員】

私からもいくつか意見を言わせていただきたいと思います。まず、最初の部分で、一人の被爆者の方に焦点を当てている部分がすごくいいなと感じていまして。というのも、私は県外出身で、長崎・広島以外のところですと、なかなか被爆者の方のご意見を直接聞く機会がないんですね。ですから、被爆者の方々、戦争を体験された方々がどうしても遠い存在になってしまって、そうなるとやはり戦争や被爆体験もどんどん遠い存在になってしまうと思います。だから、こういう一人の方に注目する、その方の意見や体験を直接聞くことができるっていうことで、少し強い当事者意識を持てるのではないかなと思いました。

ですが、その他にもたくさんの被爆者の方たちであったり二世の方たちだったりが活動しているので、その一人の被爆者の方だけではないことも、色々な活動をされている方たちがいる、思いを伝えてくださっている方たちがいるっていうことを少し入れたらいいのではないかなと感じました。

二つ目が、18行目から始まる核兵器禁止条約についてのところなのですけど、核兵器禁止条約ができたからといってそこがゴールではないということを私も意見書で書かせていただいたところもあるので、すごくいいなと感じているのですけど、「すべての国の努力と多くの作業が必要です」というところで、たしかにそうですけど、やはり国だけが対象ではなくて、その国を支えている市民の方とか、市民団体とか、たしかに下段の方に市民社会とかというところが出てくるのでしつこい表現になってしまうかもしれないですけど、すべての国だけではなくて、市民社会も当事者であるという意味のものを入れればいいのかなというふうに感じました。

次22行目の「英国は保有する核弾頭を増やす」というところに加えて、英国が増やしたことで世界全体の核兵器が増えているので、英国だけが増やしたと聞くと、やはり危機感が薄いなというふうに感じていて、「世界の核兵器が増えた」という文言を入れた方が、少し危機感が強まるのではないかと感じました。

で、30行目のところ「私たちの暮らしや社会のあり様そのものが問われていることに気づきました」という点で、「命の大切さというものを見つめ直す機会になった」という点を入れていただきたいなというふうと考えていて、やはり感染症の拡大の影響で自分自身の命が危険に晒されたという人もいますし、やはり自分たちの大切な人とか愛する人たちが危険に晒されたという危機感があったということを言葉にすることで、もう少し当事者としての感覚を強めることができるのではないかなというふうに思います。

次のところなのですけれども、「元に戻るのではなく、元よりもいい未来に行くために」と他の委員も話されていたのですけれども、受動的ではなく能動的な「未来にする」というような能動的な言葉に代えたほうがいいのではないかなと思いました。

で、裏面に行かせていただいて39行目のところ「特に未来を担う当事者である若い世代の皆さん」というところがあるのですけれども、そこに「被爆者の方々の声を直接聴ける最後の世代」、少し長くなってしまうのですけれども、そういう文言が入っていたほうがいいのかなと考えていて、やはり直接聞けるのは私たちが最後の世代という自覚がなかなか薄くなってきてしまっているというところがあって、直接聞けるからこそ私たちがそれを聞いた上で継承していかなければならないという意思を高めるためにそういう言葉があったらいいのかなと考えました。

46行目のところの「まず76年前に広島と長崎で何があったかを知ってください」と言うのがあると思うのですけれども、知るだけでは十分ではないと私は考えていて、最初の手段として知ることは最も大切だと思うのですけれども、そこから自分たちが何を考えて、どう行動していくのかとそこまで言ってしまってもいいのではないかなと考えています。

51行目のところで、「現実から目をそらすことなく」というところがあるのですけれども、今核兵器を保有している国からしたら、現実を見てこのようなアプローチをしていると主張していることが多いと思うので、「現実から目をそらす」ではなく「現実を見つめ直す」、「現実を見たうえで再考し直す」、「今の状態に安住することなく」という言い方にしたらいいのではないかなと考えました。

最後ですが61行目、62行目の「被爆者援護のさらなる充実と被爆体験者に対する救済を求めます」というところで、被爆者の方々とか被爆体験者の方々は色々な苦しみを乗り越えて、今現在も放射能とか核兵器の脅威に晒されて、その影響を心配されている方がいらっしゃることを私たちも活動を通じてそういう方々のお話を聞いて読みとっているのですけれども、苦しんでいるという表現が合っているか分からないのですけれども、そういった文言とか「活動を続けている」とかそういう文言を被爆体験者とか被爆者の前に入れられたらいいのではないかと感じました。

【委員】

私は本当に一市民という目線でここに関わらせてもらっています。今回も第1回が文章提出だけという中でこれだけの文案をまとめていただいて、叩き台といわれるのですが、たぶん、当事者は叩かれなくても、非常に辛い思いをすることも多いのではないかと思いますけれども、今日もよろしくお願いします。

まず、私、これを読んで感じましたことは、小崎登明さんがお亡くなりになられた時に、ちょうどこの文章が紹介されて、とってもいい文章だと思いました。

で、特にカトリック修道士ということは、日本国内ということではなくて、世界に通用するということがこの方の大きな果たされる役割ではないかと思いました。

それから、この文の中で「爆弾」という言葉があるのですね。これは、私は一市民として感じた時に、「核兵器」というよりもとっつきやすいというか、言葉としても平易に表現されていて、いい言葉だなぁと思いました。

で、8行目まではそのままでいいと思ったのですが、私としても何か、他の委員からも意見が出たのですが、被爆された後のご苦労を何か少し表現できないかと常々感じておりました。で、特に今回、コロナで感染された人は、いわれなき差別、偏見、そういうもので外には出られない、という意味では、それと比較できないとは思いますけれども、大きな共通点としてあると思うのですね。そういうことを自分事として捉えることができるように、この中の表現に入れることができれば、少し強いものになるのではないかなと感じました。

それから、30行目からのところで「私たちの暮らしや社会のあり方そのものが問われていることに気づきました」とあるのですけれども、抽象的なので、少し具体的な言葉で、先ほど命のことも出しておられましたけれども、だから、もう少し具体的な言葉で表現して収束後に私たちがどういう社会を作っていくのかというふうに発展的に前向きにとらえていけるようにしていくといいのではないかと思いました。

それから、35行目、すでに出ましたけれども「かもしれない」という言葉。私は、これは削除してほしいと思います。やっぱり「人類を破滅させる核兵器」というふうに強く打ち出していかないと、やさしくなってしまうし、薄まってしまいます。いまコロナでこれだけ皆が命の危険と向き合っているときだからこそ、強く訴えることもいるのではないかと思って、私はこの「かもしれない」は削除していただきたいなというふうに思いました。

それから、37行目の最後ですね、「集結して考えるべき時が来ているのではないでしょうか」とあるのですが、私は、これは今来たのではなくて、もうずっと続いているというわけで、もう少し強い、上手く提言できなくて申し訳ないのですけれども、「もうすでにこういうことは、ずっと続いている。だから、もっともっと強く考えなければならない」という表現に変えた方がよいのかなと思いました。

それから39行目「特に未来を担う当事者である若い世代の皆さん」、若い皆さんはすでにクローズアップされているのですが、被爆者から若い世代をつなぐ間の戦後世代の方もたくさんいらっしゃいます。ですから、少しそういう方も含めた言い回しにしていかないと、「あっ、これは若い人たちがすることね」、と日常的に平和のこととあまり意識をせずに生活をしていると、やっぱり話をしていても他人事になってしまいます。今、特に人が変わりませんと国の政策は変わりませんし、やっぱり、できるだけ多くの市民がその事に関心を持つということは若者だけではないのかなと。何か少し戦後世代の人たちから若者世代をつなぐ言葉ができないのかなというふうに思いました。

それから、44行目ですけれども、「被爆者の変わらぬ思い」と「禁止条約に込められた思い」という「思い」が二つ繋がるのですが、私は「被爆者の変わらぬ悲願」だと思いますね、これは。その中の一つ、スタートが禁止条約という形で実現したということなので、同じ「思い」「思い」というよりは、「被爆者の悲願」であり、その核兵器禁止条約の中にその思いが込められたというふうに、本当に被爆者がいなくなる時に、もっと強い願いというものを表現してあげてもいいのかなと思いました。

それから、先ほども他の委員から意見が出ましたけれども、日本政府と世界の指導者、この訴えは、やっぱり、日本政府を先にすべきだと思います。日本政府がこれだけ変わらないということは、非常に忸怩たる思いを持ちながら、そして、外国に訴えているわけですから、もう少し日本政府とか国会議員には強く先に訴えたいと思いますし、それから58行目のところに「一日も早く署名・批准してください」とあるのですが、これは、私は「一日も早く被爆者と共に目指す核兵器廃絶を実現するために、その姿勢を世界に示してください」というくらいに強く、文言が多くなるのは大変でしょうから、表現の仕方は大変だと思うのですが、もう少し、これを何のためにするのかいうことを改めて強く政府に訴えたいなと思います。

で、どうしてもこういう文章は「してください」という表現が多くなるのですけれども、非常にお願い調になってしまうので、たまには「すべきだ」とか強い言葉を盛り込みながら言ってもいいのではないかと思います。

本当に被爆者の方々は活動できる時間というものがないわけですから、やっぱり被爆者の方々の最後の訴えというものを、もう少し文面の中に強く入れていけたらいいのかなと思います。

それから、61行目からの「「戦争をしない」という日本国憲法の平和の理念」を入れていただいて、ありがとうございます。すべてが戦争をするというところから始まりますので、これだけは絶対外さないで言い続けていただければと思います。

以上です。長くなって、すみません。

【委員】

小崎登明さんの文章から始まる平和宣言を見させていただいて、ここ数年来、ずっと委員長が強調されているような平易な文章で平和宣言を述べたいとおっしゃっていることが今回も踏襲されておりまして、この平易さという点では登明さんの文章というものは、これまでで、もっとも平易な文章だと思います。これは皆さんに、聴かれる方々に威力を発揮できる文章ではないかなと思います。特にこれに関してどうこうするということは考えませんけれども、さっき、どなたかが、「もう核爆弾は二度と使いません。もう捨てます」というような文章の方がよいとおっしゃいましたけれども、ここは同じことを繰り返しておられます。まあ、その中のもっとも響かれる文章を使われたらいいのではないかと思います。

あと、ちょっと細かい点の9行目の「確証を得るまで」、ここは馴染まないというか、登明さんが使われているのですけれども、これまでの平易な文章からは硬い言葉になっていると感じます。まあ、本人が書いておられるからしょうがないと思います。

それから、12、13行目の「でも、その願いは一つの条約という形になりました」とか、「形」というのが何か、とって付けた感じを受けます。

それから、16行目の「新しい地平に立っています」というところにちょっと感動したのですけれども。いい表現だなぁと思って。「地平に立って」、もう一つ今後の未来に向けて核なき世界、いよいよ核なき世界に向かっていくという意気込みがもうちょっと加わると非常にいいのではないかなと思いました。

そして、今年1月に条約が発効したわけですけれども、「『核兵器は国際法違反』という時代が始まったのです」というのは、ちょっと平易なのは平易なのですけれども、何となく他人事のような響きを持つので、「『核兵器は国際法違反』という規範が新たに始まった」とかですね、そういう法律的な言葉が入ってきた方がいいのではないかと。

それと18行目の一行が、ちょっと、この通りなのですけれども、一発たりとも核兵器が核兵器禁止条約で減らされるということが今ないわけですから当然といえば当然ですけれども、これをそのまま書いちゃうと、ここで初めて核禁条約を聞いて考え始める市民の人たちは、「あっ、そんなもんか」という感じの受けとめ方も出はせんかなと危惧します。これはない方がいいのではないかなと思いますね。先ほど言ったように、「核なき世界に向かって新たなスタートを切った」という言葉が入った方がいいのではないかなと思います。まぁ、いずれ核兵器が減り始めるということでいいのではないかなと思いますけどね。

それから、核兵器保有国とその同盟国を核兵器禁止条約にいかに加盟させるかという大きな、大きな問題が今から出てくるわけで、これが核禁条約の第1回の締約国会議の最大のテーマになっていくと思いますので、20行目の「多くの作業が必要です」というところに、核兵器禁止条約と核不拡散条約(NPT)がどうやったら融合できるのかというところを「融合」とか「補完」という言葉もありますけれども、ここで扱って明確に示した方が被爆地の発信としては禁止条約の「禁止」という言葉がNPTでは第6条で「核なき世界を目指す」という約束にはなっているのですけれども、「禁止」という条項はどこにもないです。これは二つが融合していくことがいいけれども、今は、両方の条約を支持するそれぞれの国が分断されていますので、その分断を克服することが今後の大きな問題です。これに成功しないと核兵器は一個も減らないということでありまして、もちろん、日本政府も署名しないことが続くと思います。

それから、「米ロによる中距離核戦力(INF)全廃条約」が23行目に出てきておりまして、これは全廃されているわけですね。しかし、その後にできた「新戦略兵器削減条約(新START)」は長らく米ロの不和というか、対立というか、なかなか延長の要望というものは世界中から出ていたわけですけれども、これが合意して、少なくとも延長はした。で、新たな核兵器禁止条約の多国間協議にこれから入ろうかということだと思いますので、この新STARTの延長は歓迎するということは入れた方がいいのではないかなと思います。

で、26行目から28行目までが、被爆地、あるいは被爆者の切なる願いであるわけですけれども、27行目の「指導者たちの意思と強いリーダーシップ」ですね、「そして対話」、これはいいですけれども、その前提に、やっぱり信頼醸成がないと本当に核禁条約とNPTの融合も不可能ですし、「国同士の信頼醸成を進める」といったようなことをぜひ入れていただければと思います。

それと、そのちょっと前に質の違う次世代の核兵器というのが、ちょっとわかりにくいのかなと思いますので、実際には小型化した使いやすい核兵器の開発であるとか、そして、限定的に核兵器を使って犠牲者を最小限にするとか言っているので、まあ人道的な配慮をしているというニュアンスで新しい核政策が出てきているので、そこら辺はもう少しきちんと述べた方がよいのではと思います。やっぱり使おうと、核兵器で維持しようと、戦争がない世界を、核兵器を保持したまま永遠にというようなニュアンスの政策がまかり通っているわけですから、一方ではNPTでは核なき世界を目指すということを約束しているわけですから、そこの矛盾点を突いていくような文章を作った方がいいのではないかなと。

それとコロナウイルスとの比較というのは非常にいいと思います。まぁ、後ちょっと、地球環境の変動のリスクですね。もう一行入った方が、現代の人もそうですけれども、次の世代の人たち、この三つのリスクに見舞われているわけで、これをいかに解決していくかという問題は非常に大きな問題で、ここで皆さん、何度もおっしゃったように、コロナウイルスというのは、直接自分にかかわってきますよね。だから、ワクチンを打たんといかんよなとか、そういうふうになります。ところが、核兵器は、世界中の地球市民は、核兵器が戦争に使われたらみんなやられるわけで、そういう意味では標準化された即時発射型のミサイルというものに晒されながら世界は生きているわけですけれども、日常的には自分のこととして身を持って、それを恐れていては毎日生活できません。そういう中に75年間、生きているわけです。それが永遠に続くかという問題と、パンデミックに自分にかかってくるという問題と、これが同時にあるということですね。そこを少し表現できればと思います。「核兵器の問題を核兵器の脅威を自らの問題として捉えましょう」とかいう文章が入ってきた方がよいと思います。

それから41行目の「原子爆弾の惨禍を体験したまちとして歴史に記される」という文章は非常にいいですね。いいのではないかなと思いますけれども。まぁ、「歴史に刻まれる」という言葉があって、二回「刻まれる」という言葉が使われるのですけれども、あるいは「人類史上に初めて使われた街として記される」というふうな使い方がいいのかなと思います。

先ほど他の委員が「最後の被爆地」という表現がアバウトなニュアンスで受け止める人も多いのではないかとおっしゃいましたけれども、私は「長崎を最後の被爆地に」というのは75年間、被爆者が叫び続けた願望だと思います。これは最後の被爆地になるのは核廃絶が達成された時に、あぁ、やっぱり長崎の後、三度目の核の使用はなかったということで最後の被爆地になるということで、ですから「長崎を最後の被爆地に」というのは、やっぱり願望ですね。絶対に実現しないといけない。核禁条約でそれを実現していくということですから。広島と違った意味で長崎が意味することがあると思います。これは長崎が25年後、100年まで今までと違った意味で漸進的に訴え続けていくことが大事だと思います。大体、こういうことで私の意見はおしまいですけれども。「長崎を最後の被爆地に」というのが75年続いているわけですけれども、これは被爆者の運動が主な部分を担ってきているわけで、「75年」という言葉が入った方がよいと思います。「最後の被爆地が75年続けられている」ということで「75年」という言葉がもう一度入った方がいいと思います。

最後に、福島は10年目ですが、10年目でも復興途上とか汚染水の問題とか未解決の問題があって、廃炉作業などはまだ50年、70年続くといわれています。その「復興途上」という言葉が入った方がいいのではないかなと。そして、先ほど他の委員からもあったように、まったく何も政府から支援のない状況にあった戦後の10年、15年を経験した長崎からエールを送りますというような表現を入れた方がいいのではないかなと思います。以上です。

【委員】

最初に「長崎を最後の被爆地に」という言葉、私は常々とても大事なキーワードだと考えています。広島が最初だということはということは、歴史、これは何万年経っても変わらないことですが、本当に「長崎を最後の被爆地に」できるかは、これからの努力にかかっています。これを長崎がいかに強調して、世界に理解してもらうかにかかっていると思うので、これはさらに強調したほうがいいキーワードだと感じています。

それと「長崎を最後の被爆地に」という言葉は二つ意味があると思っていて、それはまさに小崎さんの言葉に凝縮されていて、「二度と使いません」、そして最後は「なくすんです」。なくなるまでは使わせないということですよね。この意味は、実は核兵器禁止条約の誕生にとても大事なことがあって、もちろんすぐにはなくならないとしても、この条約をうまく使って、「核兵器を使わせない」ということのツールにしていくことが非常に大事なのかなと。

法律・条約の外にあっても、あなたたちは好きなことはできないです、もはや、という時代に入ったことを、もっと強調することが「長崎を最後の被爆地に」というメッセージに繋がるところが大きくなるのではないかと思いました。

それと、ちょっと抜本的な改革を申し上げてよろしいでしょうか。

まず、前半で政策的な話をされていますよね。条約発効やNPTという。ですので、その後には、まず日本政府へのメッセージをすぐに持ってこられるのがいいと思います。

27行目に指導者たちの意思と、強いリーダーシップ、そして対話、市民社会の声というのがあって、そして、その後市民社会の話に移ります。日本政府への話は50行目からになります。

先ほど他の委員がおっしゃったように、私も日本政府への呼びかけが先に来るのはとてもいいことだと思いますので、28行目の後は日本政府への訴えにすぐ移って、その後、世界への訴えに移る。その後さらに、この政府の指導者や国の政策を変えるのは市民なのです。だから市民社会が大事ですという形で市民社会に移って、そのほうが、市民社会の力に呼びかける方が、インパクトがあるのではないかと思いました。入れ替えをするのはいかがかなと感じました。

61行目から62行目の改めて日本政府の呼びかけがありますので、ここは今一度日本政府に求めますという形で、残すという形がいいと思いました。

もう一点、平和の文化という言葉がありますけれども、これは何を、どういうことを意味されて使われているのか、もちろん定義が難しいし、あまりにも決めつけ過ぎると発展させる楽しみがないということもありますので、微妙ではありますが、ただここでいう文脈で言うと、一人ひとりの生きる権利を守り、人間の生存の基本にある地球を守っていく「平和の文化」ということであれば、だいたいの人に理解していただいて、かつ共感していただいて、そういう文化をつくり育てることに参加していただけるような宣言文になるのではと思いました。以上でございます。

【委員】

最初、読んだ時の感想からなのですけれども、全体の流れとしてはこれでいいかなと思いました。あと、レトリックの問題だと思うのですけれども、リズムが感じられないというか、全体の流れとしてもう少しリズムがほしい。抽象的な言い方なのでよろしくないのですけれど、例えば先ほど一つの提案として、他の委員がおっしゃっていたと思うのですけれども、39行目の「長崎を最後の被爆地に」を体言で止めて、そこから言うのも一つの手法の例だと思います。そういう感じでもう少し力強く言い切るということを含めたリズムが欲しいかなと全般的な印象として思いました。

後は細かいことに入りますけれども、1行目の「命を全う」という言葉が、小崎さんがおっしゃっているこの状態では死にきれないということになると思うのですね。もちろん禁止条約ができたということがちょっと形としてあるのですけれども、小崎さん自身は、核兵器のない世界を確認してから死にたいとおっしゃっていて、そういう意味では、「命を全うした」という言葉は引っかかって。ですから僕は、シンプルに「亡くなりました」という表現でいいのではないかと思いました。

それから12行目は小崎さんの言葉を拾ったほうがいいのかなと思います。小崎さんの資料を読ませていただいて、「核兵器のない世界」ではなく「核兵器の無い平和」という言葉を使っておられるので、この言葉を踏襲してはどうかと。

それから16行目から17行目にかけて、これはどなたからか意見が出ていたと思いますけど、「『核兵器は国際法違反』という時代がはじまったのです」という表現は改めた方がいいと思います。言わんとしていることはもちろん分かります。それから先ほど他の委員がおっしゃったように、この条約ができたことの力強い未来について弱めるような表現は避けたいと思うのですけど、その一方で、色んな周囲の中でも関係国が批准しないと、主要な関係国が参加しない条約の国際法的な規範というものは、ルール違反されていくと思うのですね。そこがこのことに発想が飛ばないようにした方がいいと思います。どこかの国が批准しないと拘束されないことになるのですけれども、批准しなくても多くの関係国がそれに参加した時点でそれは批准しない国も縛るような国際規範になるというのは一般的に議論されていることのようですが、禁止条約について関係国と言えば核保有国とか核兵器に依存している国がいるわけで、ですからこの「『核兵器は国際法違反』という時代がはじまった」という表現だと色々問題提起する人が出てくる可能性がある。かといって先ほど言った最初の市民としての条約への思いを表現したいので、ここはもう少し言葉を工夫した方がいいと思います。私の一案ですけど、いい文案ではないかも知れないのですけれども、「『核兵器は違法』と明記した国際法ができたのです」というようなことではどうかと。

それから19行目で「本当の意味で」はなくてもいいかなと思いました。

それから24行目、先ほど他の委員から質が違うという言葉が分かりにくいとの指摘があったと思うのですけれども、これをどう表現すればいいか考えたいと思いますけど、私は新しい戦争が始まっているというのは歴然としていると思っています。例えば、今回イギリスが核兵器を増やすという決定をしてしまったわけですけれども、その背景にあるのはやはりロシアが全く新しいことをやり始めたことが大きな引き金になっていると思っていて、それはロシアだけでなく、アメリカもやり始めている、一応やり始めている。具体的には極超音速弾頭、極超音速で核弾頭を積んで飛んでくるというようなことをロシアは既に配備しているとなると極超音速弾頭をアメリカもやり始めているし、中国もデモンストレーションしているわけです。ですからこれまでの核兵器のイメージを変えてしまうようなコンバットが始まっているというのがあるので、これをどのように分かりやすい言葉で表現するかは宿題だと思いますけど。ということが警告として必要であると思っています。

25行目で、「新しい次元の核軍拡競争が始まる可能性も否めません」を私は「新しい次元での核軍備競争が始まっています」と断言したほうがいいのではないかと思いました。

それから32行目で、パンデミックの私たち経験で、ここで述べられている一人ひとりが自分のこととして考えるということが非常に大きな経験としてあると思うのですけれども、もう一つ、一人ひとりが我がことと考えることと同時に、人との繋がりですよね。否応なく人と繋がっているわけですよね。人と繋がる大切さをやはり同時に体験していると思うのです。だからその2つのことは当事者として考えることと、そして人との繋がりが大切だといったことを言ったほうがいいと思います。それから、「長崎を最後の被爆地に」ですが、これ大賛成なのですが、他の委員がアンケートに書かれている言葉に私はなるほどと思い、すごく感銘を受けたのですが、このメッセージをもう少し端的に表現する文章がほしいと思いました。

それで43行目で「長崎が永遠の被爆地であるように」というところをもう少し簡潔に、例えば「最初の被爆地は事実の言葉ですが、最後の被爆地は期待の言葉です」というように、先ほど何人かおっしゃったとおり、事実の言葉の中に願望ということが使われたと思いますが、この際「期待」と言ったらどうかと思いました。「最初の被爆地は事実の言葉ですが、最後の被爆地は期待の言葉です」と。

それから政治への訴えは何人かの委員がおっしゃった通りです。日本政府を先にやはりやったほうがいいと私も思います。その時に、言い古されていることかもしれないですけれど、「唯一の戦争被爆国として特別の責任があります」と冒頭で言い切ったほうがいいと思って、日本政府・国会議員に対する強い、私たちからのメッセージの言葉として言い切ったほうがいいと思いました。

それから文章の流れの中で「第1回締約国会議」となっていますけど、これはやはり「核兵器禁止条約」という言葉を入れないと繋がりが悪いと思いました。

それから北東アジア非核兵器地帯の話は「また」で繋げるのではなくて、前の文章の流れで「そのための一つの道として北東アジア地域を『核の傘』ではなく」と繋げたほうがいいと思いました。大体そういうところです。

【委員長】

はい、ありがとうございました。今、一通り皆さんからお話を伺うことができました。たくさんのご指摘をいただきました。これを受けてこれから次回に向けて素案の改訂作業が始まっていくのですけれども、ほぼ2時間かけて皆さんの話をお伺いしたわけですけれども、最初の頃に話された皆さん、または他の委員のご意見を聞いて付け加えたいことなどがあるかも知れないので、そういうことがありましたらせっかくの機会ですので少しお聞かせいただきたいのですが、もしこれは言っておきたいということがあれば手を挙げていただければと思います。

よろしいですかね。では特に付け加えることはないということで。平和宣言に関して、これは毎年のように少しお話をさせていただいているのですけれども、共感が非常に大事だと思っています。たくさんの皆さんに共感をしていただくことでその後に繋がっていくということが平和宣言の重要な部分であって、そのためにはストーリーのようなものが必要だと思っています。様々な要素を羅列すると箇条書きのようになって、結局何を言いたかったのかよく分からないような形になりがちですし、あまり盛り込みすぎると柱が分からなくなって、幹と枝が分からなくなってストーリーを感じることができなくもなります。そういう意味では何を載せるかということと同時に何を載せないかということも非常に重要だと思っています。

そういう意味では皆さんから様々な水をかけていただいたのですけれども、これが幹と枝と花を持ったものになるように、もう一度と整理させていただきたいと思います。今日も本当に具体的なご意見や全体的なものや、多様な視点からご意見をいただけた非常に有意義な起草委員会だったと思います。もし、この後こんなことも気になったということも気付かれた場合には、事務局にその都度ご連絡をいただければと思います。次回に向けてしっかりとこれだったらいいだろうと言っていただけるようなものに推敲していきたいと思います。

今日は大変お忙しい中、貴重なお時間をいただいて様々なご意見をいただいたことを改めて感謝申し上げまして、また次回もまたお時間を作っていただいてご参加いただくようにお願いしまして、私からの最後の閉めの挨拶にしたいと思います。ありがとうございました。

以上

お問い合わせ先

総務部 行政体制整備室 

電話番号:095-829-1124

ファックス番号:095-829-1410

住所:〒850-8685 長崎市魚の町4-1(9階)

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