ここから本文です。

令和2年度第1回 長崎市平和宣言文起草委員会

更新日:2021年6月3日 ページID:036833

長崎市の附属機関について(会議録のページ)

担当所属名

原爆被爆対策部 平和推進課

会議名

令和2年度第1回 長崎市平和宣言文起草委員会

日時

令和2年6月6日(土曜日) 10時00分~

場所

長崎原爆資料館地下1階 平和学習室

議題

令和2年長崎平和宣言について

審議結果

【委員長】

みなさん、おはようございます。

まず、今年も平和宣言文起草委員会委員をお引き受けいただきましたこと、そしてお忙しい中、こうしてご出席いただきましたことに感謝申し上げます。ありがとうございます。

今回、本来であれば今日が2回目ということになるわけですが、1回目の起草委員会は新型コロナウイルス感染症の影響を受けて文書でお寄せいただくという形の会議のスタイルということで、いつもであれば、ご説明していただいたうえで補足していただけるわけですけども、今回は文書のみという形でスタートしました。今日がそういう意味では1回目の起草委員会という形になると思います。

今日の起草委員会のスタイルも、少し皆さんも距離をおいて座っていただく新型コロナ対応スタイルになっているわけですけども、今年はあらゆる分野でそういった影響がみられています。

NPT再検討会議も延期になりましたし、オリンピック・パラリンピックも来年に延期ということになりました。そういう中で、今年の平和宣言あるいは平和祈念式典のスタイルも少し変わってくることになると思っています。

平和祈念式典に関しましては、4,000人ほど例年でしたら入っていただいていますけれども、今年は500人に限定させていただいて、自由な参列は式典の間はお控えいただいて、終わった後に参列いただくという形にしておりますし、少し時間等も短縮できないかということも考えていますし、合唱等についても例年と少し違う形になるのではないかという風に思っています。

そういった中で行われる平和宣言については、ある意味例年以上にその使命が大きいと言えると思いますし、75周年という年は来年に移すということはできませんので、そういう意味でも今年の平和宣言は重要な発信の場になると思っています。

内容については、後ほど皆さんから様々なご意見をいただきたいと思いますが、次の会議で仕上げていくというイメージを共有しながら、今日活発なご意見をいただくことが次の会議に良い案を出せることに繋がると思いますので、様々なご意見をいただければと思います。

改めて、大変お忙しい中、またこういった状況の中で今日の会議にご出席いただきましたこと、お力添えをいただきますことに心から感謝申し上げまして私からの冒頭のごあいさつにさせていただきます。本日はよろしくお願いいたします。

では最初に、この平和宣言文起草委員会の公開についてです。この委員会は長崎市の附属機関であるため、附属機関等の設置等に関する基準に基づいて会議の全てを公開するかどうかを決めることになっていますが、会議の全てを例年通り公開することとしてよろしいでしょうか。

ありがとうございます。それでは、例年通りの公開とさせていただきます。

まず、本題の平和宣言文の起草に入っていきますが、今回皆さんからお寄せいただいた意見を参考にさせていただきながら、第1回目の文案を作成させていただいております。

今年の宣言文は、被爆75年の節目ということで、非常に大きな意味を持つものと元々考えていたところがあります。

昨年の最後の3回目の終わりにも少し申し上げたかと思うんですけれども、オリンピック・パラリンピックがあったりNPTがあったり75周年があったりと、本当に様々な要素、国際情勢も様々な動きがあって要素が非常に多い平和宣言文になるであろうと、それをどういった形できちんとしたストーリーのあるものにまとめていくかというのが来年はそういう意味では難しい平和宣言になるであろうということを皆さんとも共有して終わったというように思いますけども、それが実際には、先ほどお話ししましたように新型コロナウイルスの影響で状況が変わってきています。

一方で、新型コロナウイルスという新たな危機に私たち全員が直面していると、こういう状況、すべての人たちが当事者であるということを認識できる状況というのは、核兵器の問題を共有していただくためには、非常に重要な機会でもありチャンスでもあるという風に捉えることができると思っています。これは皆さんからお寄せいただいたご意見の中にも多数ありました。

そういった意味で、平和宣言については、新型コロナという世界中の皆さんと共有している体験をベースに、核兵器についても全員が当事者であるという認識を広げていく一つ大事な要素になるものというふうに思っていますし、また、様々な国際情勢の動きなどについても、新型コロナと結びつけて考えられる部分が大いにあるものと思っています。

そういった視点をきちんと盛り込みながら、今年の平和宣言を作り上げていきたい。 来年ではない今年だから発信できる、今年だから伝わる、そういった平和宣言文にしたいと思っていますので、ぜひ活発な議論をお願いいたします。

大体、2回目に出した最初の案というのはいつもボコボコにされますので、ぜひ遠慮なくボコボコにしていただいて、今日の議論が次にまた成長した案を出すためには必要ですので、ぜひお願いいたしたいと思います。

それでは、私の方でまず最初に、今お出ししている平和宣言文の最初の案について朗読させていただきますのでよろしくお願いいたします。

(素案朗読)

こういう内容になっています。文量としては、2,000文字を切るくらいで、例年と同じくらいの文量になっています。

では、ここから、この文案について様々なご意見をいただければと思っております。

では、よろしいでしょうか。

【委員】

まず、全体の印象なんですけど、毎年思うんですが、事務局の方々と市長の行動力に本当に敬意を表するんですが、皆さんからいただいたご意見をですね、本当によくまとめていただいていると思います。非常によくできていると思います。

私がですね、気になったことは二つあるんですが、一つは、被爆75年、NPT50年というのを最初に持ってくるかコロナを最初に持ってくるか私自身も悩んだんですけども、私自身は、やっぱり長崎からの平和宣言ということで、あえてNPTや被爆75年を先に持ってきたほうが、かえってインパクトがあるのかなと思っていたんですが、今回の文章で読むとスムーズに読めましたので、これでもいいのかなと思いますが、順序を入れ替える案も検討していただければと思います。

それはなぜかといいますと、現在の脅威についてなんですが、終末時計の100秒前というのは入れていただいて非常にいいと思いますが、核兵器が本当に使われるリスクというのがですね、去年も書いていただいたんですけども、去年にも増して現実なものとして脅威として感じているということをぜひ強調していただきたいというのが一つ。

それからもう一つはですね、連帯、それから分断、相互不信と信頼というキーワードですね、これは文章全体にですね、散らばしていただいているんですけど、これはやはり非常にいいメッセージだと思いますので、これもやはり最初と最後に強調していただくのがいいかと思います。

あとは細かい話で、文章そのものについてちょっといくつかお話させていただきます。まずは11行目の核兵器の数、弾頭数はまもなくレクナが発表しますのでアップデートしていただければと思います。

それから22行目のですね、「人類が作った最低限のルールです」というのとですね、24行目に「この最低限のルールさえ」っていうのがあるんですが、これはちょっと意味が違うので、この上のほうはですね、私はNPTは人類がつくった最も重要な決まりであると言っていいかと思います。次の24行目のほうはNPT第6条に示された軍縮に関する最低限のルールと区別していただくといいかなと思います。

それから、23行目のことですが、ここで先程申しましたが、中距離核戦力全廃条約等核軍縮関連の条約をすべて反故にするだけでなく、ここにですね新たに付け加えていただきたいんですが、そして使用を想定した新たな核兵器の製造や配備を進めるという現実にですね、ただ単に核戦略として核の使用を前提とした核戦略ができているわけですが、それを今ですね、すでに配備して現実に動き始めているというリスクをですね、長いですけども考えていただいてですね、そこの違いがここ2、3年急速に進んでいるというリスクを強調していただきたいと思いました。

それからですね、次のページに行きまして、35ページの若者のところですけども、ここでですね、実はナガサキ・ユース代表団の8期目のこの間プレゼンテーションがあったんですが、自分たちが被爆者になりうるだけでなくて、被爆者をつくりうるというメッセージを今回出されたんですけども、ここにそれを入れていただきたいと思いまして。

一つは核兵器の使用の話を入れていただきたいので、36行目ですね、「あなた方は核兵器を無くす力になることができます」というところですね、「あなた方はこれ以上の核兵器の使用や戦争を防ぐために必要です」と。

要するに、できますではなくて必要だと言っていただいていいんじゃないかと。核兵器の使用や戦争を防ぐ、要するに無くす前にまず起こしてはいけないし、使わせてはいけないという、そのために若者の力も大事だということを言っていただきたい。

もう一つですね、核抑止に頼ることが新たなリスクを生むということを核兵器で守られると信じることは新たに被爆者を生むことに力を貸すことになりますというメッセージをいれていただきたい。

それから38行目の核兵器の維持と近代化のために投じられている巨額の費用なんですが、ここもですね、核兵器や軍事力の維持拡大、要するに近代化の話は去年も出ていますが、私は今行われていることの一つに、コロナウイルスの感染のおかげで、やはり軍備では平和は守れない、人の命は守れないというのがわかったということで、ここは核兵器だけではなくて軍事力も入れていただければと。

それからあとはですね、39行目ですね、世界の人たちの命と社会を守るために投じるという考え方について話し合ってくださいとありますが、ここもですね、投じるなど命と平和について話し合ってくださいと、考え方について話すというよりは実際に命と平和の関係について話し合ってくださいのほうがいいんじゃないかと。

それから40行目に「被爆者がそうであったように未来の可能性を信じ」と言葉がありますが、ここはこれまで声を上げ続けてきた被爆者の皆さんとともにという連帯のイメージで、ただ倣うのではなく、被爆者と一緒にというメッセージをつけていただければと。

あと49行目ですね、「日本政府に訴えます」というところですが、昨年も何人かの方が言われたし、今回も何人かの方がコメントされているんですが、国会議員に声をかけるというのが大事かなという気がしますので、「日本政府及びすべての国会議員に訴えます」という、明確に国会議員に訴えるという文章があってもいいかな。そうしますと、50行目の「知る国の政府」の政府を取って、国としてでいいかなと私は思います。

それから52行目の「今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者」というところなんですけども、これ被爆者の方々にとって大事な文章だと思うんですが、世界の被爆者との連帯というのを挙げていただくのがいいかなと思いまして、「今なお原爆や核実験の後障害に苦しむ世界の被爆者に対し」という、そういう文章にしていただければいいんじゃないかと。

私からは以上です。

【委員】

昨年のですね、平和宣言文は非常に良かったなということを福岡の友達とか広島の友達まで聞いていたんですけど、ちょっと変わっていたものだから。

昨夜3回くらい読んだんだけど、心にビシッとくるのがないんですよね、なんか薄っぺらでスーと通り越すような感じで。今、委員長が読まれたことで僕が感じたことよりももっと深く感じた次第です。

それで、どこが違うのかと思ったんですけど、やっぱり、去年は原爆で家族なんかを亡くした女性が綴った詩を紹介して本当に入りやすかったというか、目を閉じてお聞きくださいということで、えっと思って目を閉じていたんですけども、そういうことがあって非常に入りやすいと耳に順応して入りました。

今、委員長がお読みになったのを聞いたら、非常に良くまとまって良くできている感じがいたしました。

ただ、例えば14行から16行のことで、終末時計のことですけど、17行の「目の前にないから存在しないのでありません」というところは、ここはなんか目的がないというか何を言っているのかなというようなことがあって、そう聞く人がいるんじゃないかなと思うんで、17行は削除してもいいんじゃないかなという気がしました。

それから、31行から33行のところに長崎が被爆75年草木も生えないと言われていたんですけど、見事に長崎市は市民の努力で、福島のことを悪く言うわけじゃないんだけど、日本中からボランティアに出てもらってという時代じゃなかったものですから、長崎の被爆した人が、5日か1週間か経ったら、片づけたりなんかされてたという写真もございました。そういうことで、市民の努力により見事に復興したということを入れてほしいなという気がいたしました。

それから34行から41行まで若い世代の皆さんというところですけど、俺たちはもうしきらんと、お前たちに任すけん頼むばいということが入ってくるような感じがして、なんか投げやり的な感じがいたしました。

若者に任したまま去るのは本当に心苦しくて残念ですと、世界中の若者は英知を発揮して一緒に核兵器廃絶のために頑張ってください、ごめんねという気持ちを表してほしいなと思います。ください、ください、という言葉が耳に読んだ後残っていました。

それで、そのNPT再検討会議が新型コロナウイルスの世界的な拡大で延びたということは、むしろ意味ある合意が達成するための仕切り直し、スタート台というかまた考える余裕ができたという、まだ考えてくださいというようなことが、時間ができたということがかえって良かったんじゃないかなと僕は考えました。

平和推進協会は、被爆者に寄り添いながら被爆継承に取り組んできているところでございますが、原子爆弾の非人道性で到底命あるものと絶対共生できないということは万人が知っていることでございます。それで、いつも傍で模様を聞いておりまして、広島と比べるわけじゃないんですが、広島はギトギトしたところを必ず入れてあります。長崎はそういうところを全然入れてない。浦上川が血の海になったとか、水に顔突っ込んでそのまま串のように並んで亡くなってたとか、赤ちゃんだけ消えて蒸発しとったとか。もっと、原子雲の下で起こって、その後も苦労されとる被爆者の方のご苦労とか入れてほしいなと思います。

昨年、長崎新聞の8月10日号の水や空というのに載った、継承部会の方がおいでになります。彼女は、平和の紙芝居ということで制作から上映から全部しておられるんですけども、本人もがんを患って、その間にいつもニコニコしながらどうもないような感じで紙芝居を作ってもらったりなんかしておられます。その時に気を付けているのが、言葉遣いをなるだけそのまま生かす、それからうまい表現とかきれいな表現に置き換えない、肉声を伝えるようにしたいということを言っておられたというのを論説員の方は書いておいでになられておりました。

55行から61行の福島をはじめ世界の人々に連帯を呼びかけるにしても、長崎市として被爆継承に取り組む強い決意を長崎として発信していただくような文章ができないもんかなという気がしていました。それが結局、核兵器廃絶と世界の恒久平和の実現を日本の信条としている平和推進協会とも一致しますんでよろしくお願いします。

すみません長くなりました。

【委員】

最初にですね、私たち被災協は75周年の記念誌を刊行に向かって努力をしてるんですけども、表紙の「平和を」という文字を書いていただいて本当にありがとうございました。ここからですけども、お礼申し上げます。

私は、全般的にこの文章を読んで、非常に良くまとまっているけども、しかしなんかビクっと響いてこないという感じがしました。

特に、去年の案は最初に被爆者の被爆体験の詩が書いてあって、感情面から入ってきたという感じがあったんですね、そういった点で、今年の文章の中にはそういう被爆者の生々しい被害の状況をちょっとはやっぱり入れてほしいなと思います。

私が意見を出したのは大抵入っているわけですけれども、世界の核兵器の状況がもう少し強く文章の中に入れられないのかと。

それはやはりINFの破棄それから新STARTも来年になると期限が切れてしまう一方で、低爆発力の核兵器をアメリカが配備をしているし、ここ2日前くらいにはロシアが通常兵器で攻撃しても核兵器で報復するんだということを発表しています。

特に、今、米中の覇権争いで本当に危険が迫っているというかな、そういったのをやはり文面の中に入れてもらったら、もっとこう危機感がですね、脅威感が出てくるんじゃないかと思います。

具体的に言いますと、文章の中では、53行目の「被爆者のさらなる援護の充実」というのは、私たち被爆者はもう1956年に被団協を作ってから、国家補償に基づく援護法というのを柱においてるわけですね。だからそういった点も、被爆者全体がそういう思いを持っているんだという国家補償に基づく援護法の制定を強く求めていくということを示していきたいと思います。

それから、55行目のですね、福島に対する応援ですね。これ、どういう応援を今しているのかということをね、こういう応援をしたいとそういうことを具体的にやっぱり示したほうがいいんじゃないかと思います。

それから、49行目から51行目に関して、日本政府に対して書いてあるんですけれども、核保有国とか核の傘にいる国ですね。やっぱり広島、長崎を訪問してほしいと首脳陣はですね、そのことを訴えていくべきじゃないかと思います。

簡単ですけども、私の意見に代えさせていただきます。ありがとうございました。

【委員】

私はコロナの問題、それからローマ教皇の色々なご発言、そういったところを中心に述べさせてもらいましたけれども、うまくバランスよくそういったものを盛り込んで全体的な主張にしていただいてありがとうございました。

ここでは、私は日ごろ平和活動をしている若い人たちと接する機会が多いので、その立場から一つ申し上げたいのですけども、先ほど他の委員の方からも出ましたけども、34行目以降の若い皆さんへの呼びかけというところですけども、実際今回もですね、昨日の新聞、地元紙だったですが、うちの生徒たちもですね、オンラインで頑張ってやっているところを取り上げていただいたのですけども、本当に若者の活動というのはこれから本当に期待すべきところが多いと思います。

ただですね、期待だけを語るのではなくて、私たちの世代の責任もやはり問うといいますか、確認していく必要があるだろうということがあります。

とにかく人生100年時代なので、まだまだ我々には成すべきことですね、何ができるかと考えるべき責任があると考えています。環境問題では、スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんが世界の若者に呼びかけてあれだけの行動を起こすことができました。 これもやはり我々が後の世代にツケを残さないということで呼応することができると思います。平和の問題も一緒だと思います。

それから私、レポートに経済政策のことについて言及したのですが、違和感を感じられた方もいらっしゃると思うのですけども、これもやはり後の世代にツケを残すという点では同じでしたので、これも含めて述べさせていただきました。

実際ですね、今コロナで学生たちが非常に苦境に陥っていて、奨学金という借金を抱えながらやっていかなければならないということで。文言に盛り込んでいただく必要はありませんが、様々な困難に直面する若者に頑張ってくださいというだけでなくて、やはりその責任も、大人の責任も一言どこかで述べていただければと思います。

それから、教皇のご発言ですが、あそこでは「各国の指導者に」というところが強調されていたと思います。ここでは46行目「世界各国に」となっていまして、これもやはり責任の問題になると思うのですが、やはりあの言葉の重さというのは指導者に訴えているところにあるのではないかなと思いますので、あえて強調されたところを踏まえて、「世界各国の国民及び指導者」というような形で責任の明確化をしていただいた方がいいのかなと思いました。

以上2点です。

【委員】

平和宣言文の案を書いていただいて、たたき台というのがあるから私たちは勝手な意見が言えるわけですけど、やはり全体的に読んで私も何か足りない、何か違うという感じがしていたんですが、委員長が言われるとそれなりにいい文なんだなと感じながら聞いていました。

ということで、昨日までに考えたことを今から発表させていただきたいんですが、全体的にやっぱりコロナウイルスに関連する言葉っていうのが多くて、だいたい11行ぐらいにわたるんですよね。確かにコロナは大切だけれども、宣言文の中にそれだけ費やす必要性はあるんだろうかというのは少し感じました。

で、その意見書の中にもほとんどの委員の方がやっぱり去年の宣言文の被爆者の詩が良かったという風に言われてるのが多かったようですけれど、私は、毎年宣言文の中で冒頭に枕詞のように言葉がくるのは、それは作文になるから人の心に届かないんじゃないかなというふうに思っていて、去年は本当に人の言葉として人々の心に訴えかけるものがあったということで、私は今年もやはりどなたかの言葉を入れていただきたいなというふうに思いました。

で、私がそこで誰を入れてほしいかなと考えたときに木野普見雄(きのふみお)さんを入れていただきたいと思っておりまして、木野普見雄さんをご存じの方もいらっしゃると思うんですけども、原爆歌曲とか小中学校の校歌とかを作曲された方なんですね。祈念式典の前半の部分が多分被爆50周年から歌が変わったとは思うのですが、「平和は長崎から」という曲を作られたり、あとは今でも祈念式典のなかで小学生が歌う「あの子」とか「子らのみ魂よ」とか曲を作ったのが木野普見雄さんなんですね。

木野普見雄さんは、ご自身は長崎市役所にいらっしゃったので助かるんですが、ご自宅は爆心地から近い城山町にあったので、そこで奥様と5歳の長女と3歳の長男を失うんですね。

で、市役所での業務を終えて夜中の12時に自宅へ戻るときの手記っていうのがあって、それをちょっと紹介させていただきます。

「8月9日の深夜、私はただ一人爆心地をさまよった。爆心地は生き物の影一つなく、死体の焼ける血なまぐさい腐れたにおいがむせ返るように鼻に突き刺さってくるのであった。しずかに耳を澄ますと、風のようにとぎれとぎれのうめき声。浦上川の川沿いの道を急ぎ足で進むと、か黒い人間の塊があちこちにうずくまっている。身動きもできない、うめき声も聞こえない、すでに力尽き魂は昇天してしまった肉の塊の群れであった。」

これは一部なんですが、爆心地を通っていた時の様子っていうのが本当にきちんと書かれています。

木野さんは奥様とお子さんを亡くすのですが、その後、歌を通して原爆の苦しさだったり、犠牲者の魂にささげる哀悼のしるしということで作曲をし続けたりした方なんですね。私たちはいつも聞いているけど、こういう曲を作ったりとか詩を作ったりされた方に注目を浴びることがないので、やっぱり75周年という区切りはもう一度呼び起こして、そういうことの一つひとつの歴史を築いていく年にしていただきたいなというふうに思っています。

それで8行目の「思い起こしてください」という言葉があるんですが、これにかかるのは核兵器ではなくてやはり被爆者の姿だったり、人の存在っていうことを思い起こしてほしいというふうに、人というのをもうちょっと大切にしていただきたいなと思いました。

22行目になるんですが、私も「NPTは核兵器の危機を感じ人類がつくった最低限のルールです」というのにすごい違和感を覚えるんですね。NPTというのはいったいルールなんだろうかという違和感がありまして。

あと、24行目の「NPT第6条に示された、この最低限のルール」という言葉はこの1行では何のことか分からないというふうに思うんですね。どこに言葉がかかるのか分からないし、一体それは何だろうと。聞いただけでは分からない言葉なんで、これもちょっと考え直したほうがいいんじゃないかなと思います。

逆に、29行目の「核軍縮があまりにも遅すぎるのです」というのは力強くてとっても好きな言葉でした。

31行から41行までの若者のメッセージなんですが、なんか考え方にブレを感じてしまうんですね。

32行目の、被爆者を「その数も」という「数」という捉え方が、私はなんか被爆者に対してとても失礼なような感じがして、その表現は変えたほうがいいんじゃないかと思いました。核兵器に関しては被爆者がいなくなるから考えるのではないし、若者すべてが考えていないわけではないので、それにコロナに対する行動は若者だけに発するものではないと思うので、なんかここら辺の文章が私はちょっと受け入れられないというか、なんかおかしいなというふうに思ってしまうんですが。

最後の「話し合ってください」という言い方も、どうしても押しつけがましく感じてしまうので、若者だけにそう言わないでと思います。

あと、「被爆者の高齢化」という言葉が出てくるんですが、わたしは高齢化という言葉よりも他の委員が意見書に書かれていた「戦後、戦争さえなければという思いと死んだら負けという思いで必死に生きてきた、生きていればこそ生き抜くことが平和につながると信じている」という、こういうメッセージのほうが、75年間そういう思いを考え続けて生きてきたっていう、そういう人の想いを伝えたほうがその75年の重みがもっと伝わるんじゃないかなというふうに思います。

核兵器に関する費用の問題は、私は国が考えるべきことなので若者が別に考えなくて、若者としては問題提起する立場として、こうしたらどうだろうかというふうな、なんか立場が違うんじゃないかなと思いました。

あと、コロナに関してなんですけど、この外出自粛というのは新たな発見があって、さっきもレクナのユース代表の人たちがリモート会議をしたりとか、ICANの若い人たちがリモート会議をしたりとか、そういうことを聞くと、新しい形というか時とか距離とか年齢に関係なく自由に発言できる新しい形の平和の発信のスタイルというのが出来てくるんじゃないかなというふうに思っているので、若い人に関しては、考えてくださいという受け身ではなくて、訴えてくださいというか、あなたたちの言葉で世界の人たちに訴えてくださいという前向きのほうがいいんではないかなというふうに思います。

宣言文の中にも「被爆地を訪れ、見て、聞いて、感じて」という文章があるんですが、このコロナで、ウェブ会議なんかで見てても、特に来てもらわなくても発信することができるんじゃないかなというふうに思います。それが新しい形になるのであれば、やっぱり新しい人の考え方をもってこういう長崎であったり広島であったり、いろんなアイデアと行動力をもって世界に訴える力があるっていうことを前向きに言ったほうがいいし、私たちも受け入れるだけじゃなくてそういう若い人たちの活動を多様的に見ていますというような、なんかもっと広い視野をもって訴えたほうがいいんじゃないかなと思いました。

あとローマ教皇の言葉なんですけど、平和と安定、連帯と対話ということがなんかキーワードになっているとも思うんですが、この43行から48行の言葉なんですが、どうしても言葉がこう羅列が続いて意味として伝わりにくいんじゃないかなと。聞いてて、なんか単語、単語がこう順番に重なっている感じがしてこれは伝わりにくいんじゃないかなと思いました。

55行目の東日本大震災の発言なんですけど、これ東日本大震災の原発事故というふうになってるんですが、東日本大震災のなかには原発事故も含まれているのでとくに原発事故まで入れないで「東日本大震災から9年」と切ってもいいんじゃないかなというふうに思います。なにをどのようにって私もそれは思ってて、長崎はやっぱり原爆という経験をもとに福島の人たちの未来の創造に貢献するということが目標の一つでもありますし、具体的にそういう言葉をいれて、それも含めて応援し続けますというほうが、この応援してますだけでは言葉としてとても薄いような気がして、ただ言ってるだけという気がするので、やはりそれに重ねて何をというのを入れたほうがいいと思います。

57行目の医療関係者の方々のことはとても重要だと思いますし、あと58行と59行目のこの漠然とした言葉ではなくて、今回のあの大型クルーズ船のコスタ・アトランチカの件とかを入れてみたらどうかなと思います。あれはとても長崎らしい事柄の一つではないかというふうに思いますし、それまでは恐れとか不信とか敵意とかを感じて、あの船が来たからという思いを持っていた方も誠意をもって寄り添うという形にして、それが船の方々に伝わって連帯を生み出すということはとても平和的なことでもあるし大切なことなので、これは長崎の一つの例としていれていただけれがば良いんじゃないかなと思います。

毎年、解説書の裏表紙に長崎市民平和憲章というのが書かれてるんですが、私もあまり重要視して見たことはなかったんですが、このクルーズ船のことに関して国際人としてどうあるべきか、平和をどう構築していくか、とてもよく書かれた文章なので再認識してもいいんじゃないかなというふうに思います。

色々見ていると、最初の祈念式典の時にデルノアさんとかいらっしゃった時に、長崎というのは最後の被爆地という言葉よりもpeace from our Nagasaki、平和は長崎からという言葉のほうが長崎市としてはとても合っているんじゃないかという言葉がありまして、これは木野普見雄さんの「平和は長崎から」という歌のタイトルにも繋がっていますし、コロナでみんなが気持ちが落ち込んでいる中だからこそ、言葉の強さっていうのを今回の平和宣言文では感じてほしいなというふうに思うので、もっと前向きに未来を想像できるような宣言文にしていただけたらなというふうに思いました。

【委員】

私も、最初に読ませていただいた時に、非常にこれだけ多くの要素をよくここまでまとめていただいたなと思って読ませていただきました。

私の印象としては、今目の前にある世界と結びついているっていうところが非常に読みやすいというか、だから大事なんだというところが気付きやすいのかなというふうに思っていまして、当事者意識をより促すみたいなところがすごく若者としてというわけじゃないですけど、非常に大事なメッセージなのかなと思って読ませていただきました。

先ほどから、多くの方から若い世代の方へという部分に関して色々意見が出ているかと思いますが、私も同じようなことを思ったりしました。ただそれより、自分に対してこれは言われていることだとして受けとりやすいのは、「あなた方」というすごく丁寧な表現を使っていただいてるのですが、かえって「あなた」といわれたほうが個人的に、あなたには力がありますとか、あなたの行動が必要です、とここは複数形じゃなくて「あなた」といっていただいたほうが伝わるかなと思いました。

「加害者も被害者もない」というようなところなどで、ハッとさせられる表現が多いので、そこをどう読まれるかがすごく重要なのかなというふうには思います。

17行目のところは、先にちょっと指摘がありましたが、「目の前にないから存在しない」のところは、この文章が目の前に文字として出てたら、そうだよなと思わせられるんですけど、耳で聞いていたら若干分かりにくいのかなというのはありましたので、ここを「目の前にないからといって存在しないのではありません」というふうに言っていただいたほうが、まだ分かりやすいのかなというふうに思っています。

他の委員と同じなのですが、32行目の「被爆者の高齢化とその数」というところの「この数」というのは、私ももう少し適した表現があればそちらにしていただければいいかなと思っています。

【委員】

コロナのことは今年の宣言でやはり触れるべきだと考えていたので、そこがこの文案の中に反映されたことについては評価をしたいと思います。

ただ、他の方もおっしゃってましたけど、先ほど委員長の読まれる文を聞きながら思ったんですけど、やはりこう淡々と表現されていて胸にグッとくるものが、そこの部分が落ちているんじゃないのかなと、足りないんじゃないのかなという印象を持ちました。

その補い方については、他の委員さんも色々発言をされました。そこについては、まだもう少し工夫をしていただいたほうがいいんじゃないかなというふうに感じました。

それと、アンケートにも書かせていただいたんですけど、今回のコロナで世界が一つにコロナと戦ってコロナと向き合ってどう乗り越えていくのかっていう、一つの方向に向いて行動したっていう、それは例えば、核兵器をなくすっていう目標に向かっていく時に同じような行動ができるんじゃないかって、そういうヒントと言うんでしょうかね、示唆するものを僕は感じました。

ですから、先程誰かおっしゃっていましたけど、核兵器を使ったことが何をもたらしたのかって当然この中でも触れていただきたいんですけど、それをみんなが同じ共通の認識として持ってもらうために、世界の指導者の人にはぜひ被爆地を訪れてほしいという部分は入れてほしいのと、一方で色々なウェブを使った表現、体験の話もそうですけどそれが世界の距離を縮めて無くしてしまったと、それで色々な被爆者の方の想いに触れる機会というのがすごく増えている、本当に自分の身近なテーブルの上で見れるわけですよね。そういうことにも積極的に接してほしいというふうなことも触れていただきたい。それで、世界中が地球上が同じ目標に向かっていけるっていう下地ができるんじゃないかなという感想を持ちました。

細かいことです、10行目のところに「原子爆弾を3個作った」という表現があります。兵器をつくる場合、普通は「造」のほうを用いるんだろうと思うのでこれは変えられたほうがいいのかなと思いました。

そして「1つが実験に使われ、残りの2つが広島と長崎に落とされました」という部分。ここに核兵器を使ったという人の意志っていうのがあるわけだから、ここはその表現をもう少し強くしたらどうなのかなと思いました。1つで実験をし、残りの2つを広島と長崎に使いました、というような感じとかですね。

あとは、44行目のローマ教皇の言葉は「延長する」ではなくて言葉で「述べる」っていうことでしょうから。以上です。

【委員】

皆さんの方からも相当出ましたので、私もできるだけ簡略化して述べさせていただきたいと思います。

昨年の宣言文案は、走り出しの部分で詩を引用しておられましたので、多少美文調に流れているのではないかなという感じを持って見る人もいたのではないかと思いますが、今年の文案は、私はそういう意味では非常に、全く非の打ち所ないような素晴らしいものではないかと思います。

ただ、この文案をいかに立派なものとしてもですね、ただ8月9日の原爆記念日に市長があの場でこれを読み上げるということだけで終わるということであればですね、私はどんな意味があるのかなと。もっと、本当にそれが世界の人々に訴えるという力のある訴え方をしないと。ただ単に、あの日の読み上げ文案をつくるということだけでは、我々がしていることは空しい感じがしないわけではないと思います。

つくる文章が世界中の人々の心の琴線に触れるような形で、もちろん訴えるわけですが、どういう形でそれを世界の人々に訴えるのか。原爆記念日にあそこで市長が読み上げられる、訴えられる、それが世界の人々に本当に訴える力があるのか。

私は、委員長もご挨拶の中で少し触れられておりましたけれども、国会議員などがこの問題についてほとんどタッチしていない。私は特に、長崎出身の国会議員などは国会という場で広くそういう世界に訴える力を色々と手段的にもお持ちであろうと思いますので、そういう国会議員なども一緒になって、この問題についてただ文案を作るということだけでなくて、それがいかに効果のある世界的に訴えのある力になるのか、世界中の人々の心の琴線を揺れ動かす、そういう訴えになるのかということを考える時に来ているのではないかなと思います。

そういう意味で、今後はこれをいかに世界中の人々に共感のあるような形で訴えていくかということを考える時に来ているのではないかと思います。ただ作文を作ることで終わるということでは空しいのではないかと。

私も12歳の時に被爆いたしまして、ちょうど出島のあたりに住んでいましたので、申し上げたことがあるかも知れませんけれども、先程どなたかのお話の中にも出ていました、浦上川に死屍累々とした形の被爆者の遺体が積み重なっていたのが流れてきて、出島岸壁の辺りですね、そこの角にありました水上警察の人たちがそれをすくい上げてという形で、それを私も目の当たりに見ておりましたので、本当にその当時の記憶が蘇ってまいります。

そういったことを見てもですね、私は本当に長崎あるいは広島、そういった被爆地でなければ訴える力がない、そういった背景があろうかと思いますので、是非皆さんの力を結集して、効果のある、世界に対する訴え、それを続けていくべきではないかと思います。

是非そういったことで今後とも皆さんのお力を結集して、世界に訴えるというその効果がどういう形で表れてくるのかということを単に作文を作る、宣言文を作ることに終始するのではなくて、実際に効果のある訴えとしてどう今後取り組んでいくのかということについての私たちの知恵を出す場にできないかなと強く思う次第でございます。

簡単ですが、以上でございます。

【委員】

最初に、毎年のことですけれども、みんなの意見を集約して第1回の文案を提起していただく、事務局はボコボコにされるのを前提で、みんなの意見を網羅していただく努力をしていることに感謝申し上げます。

今、皆さんの意見を伺っていると、自分の気持ちが揺らぐところがありますけども、私の意見はアンケートの方で述べさせていただいております。これを読ませていただいて率直に感じたことを発言させていただきます。

まず、今年75周年ということで、やはり宣言文の持つ意味ですね。何のために私たちは長崎からこれを発信しているんだということを、75年も経ったからこそ、もう一度改めて世界の人、それから特に国内の人たちに、風化する中で訴えていかないといけないということを強く感じています。

というのは、今年8月9日を祝日にしようという動きがあって、そうはなりませんでしたけど、そういう意見が出ること自体が、本当に国会の場でも風化しているのだということが、私たち国民としても強く強く感じないといけないかなと思っています。

この中で、憲法問題を取り上げていただいたことは感謝したいと思います。やっぱり、すべて憲法のなかで私たちの生活が論議されていきますので、できればもっと踏み込みたいところです。戦争の放棄というところは絶対踏み込みたいところですが、それは今からのところだと思います。

それで、これをいただいて、私も何回か読みました。今日、委員長が読んでいただいたのを伺うと、目で追うよりは分かりやすいし、言葉も平易だったんだなと思ったんですが、とても中身が難しく感じたんですね。我々一市民が、市長が発信される宣言文を読んだり聞いたりしたときに、どこに私たちは「そうなんだ」と共感を持って、「じゃあ、私も何かしなきゃ」という風に捉えていけるのかというのが、非常に分かりにくかったということ。

それと、相手を明確にというのは私も書かせていただきましたけど、宣言文はいろんな立場の人が、全部じゃなくて、そのなかの一部分から、ここは自分が感じたから動き出そうという何かきっかけづくりのような役割も持っているんじゃないかなっていうふうに思いました。訴える相手と訴える中身が多いということが、この宣言文の大変なところじゃないかと思いますが、この中の全部を全員の人に理解してもらうのではなくて、そのなかの一部でいいから、それぞれの人がそれぞれの立場で考える材料をつくれる、そういうものができないのかなというのを感じました。

それから出だしのところ、コロナは私たちが一世紀を過ごす中でとても大変なことなんですが、コロナを全体に引用することがいいのか、ある程度まとめて、コロナでこういう風に世の中が変わって、そういうことを踏まえて核兵器に繋げていくことを考えないと、全体がコロナに押されてしまって私たちが願う訴えが弱くなってないかなと感じております。

それと、出だしの文でとても良かったと思うのは、これを読んでいて、核兵器のこと、それから終末時計のこと、なぜそれをいまだに問題にしているのかというと、それは被爆を体験した人の悲惨な生活があって、その後の生活があるからこそ核兵器に反対しているわけで。これが一過性のものだったら、ここまでなってないと思うんですね。それを継続してきたから、いまだに75年経っても核兵器を廃絶しようと言っているのであれば、やっぱり被爆の実相がそこにあって、その中でコロナに結び付く。コロナのことも私たち色々言いますが、被爆者の人たちがあの当時の生活と結びつく部分っていっぱいあると思うんですね。

そういうのを、もう少し我々に教えていただけるような中身にならないのかなということを感じております。ですから、被爆の実相で、皆さんこういうことがあったから核兵器は非人道的なものであり、地球上から無くさなきゃいけないんですよという、何か共感できるような訴えをしていかないと、全体が非常に網羅されている分、分かりづらくなっている。それから説明がある程度あるんですけど、省ける部分は説明を省いて、もう少し深く入れる部分は深く入れるというふうにしていったほうが、分かりやすくなるのかなと思いました。

なかなか、自分自身が理解していることが浅いので、どこをどうしてということにはなりませんけど、それぞれの分野の専門的なことは専門家が深めて、それをどれだけ多くの人により分かりやすく伝えるかだと思います。

ただ、今回最も自分で読むのと言葉で聞くのとの違いが大きい文章だと思いましたし、委員長がとても淡々と発信してくださるんですけど、私は「ここ」と思うところは感情を押し出してもいいのかなと。だんだんスマートな宣言文になってきていて、その方が世界には通じるのかもしれませんが、人の心を打つという意味では、やっぱり泥臭い部分とか目を背けたくなるかもしれないけど、平易な言葉で、辛くない言葉でやっていかないと受け入れる人が少なくなっていくのではないかなと感じました。以上です。

【委員】

最初の素案というのは、皆さんの意見をうまく網羅して作っているので、こういう淡々とした文章になるのはすごく分かります。本当に皆さんの意見が綺麗に網羅されているなというのは分かりました。

ただ、その反面、心にくるものが感じられなかったというのがありました。すごく失礼な言い方になるかもしれないですけど、被爆地長崎でなくても書ける文章じゃないかなと思って、もっと長崎らしさ、被爆地長崎だから言えること、訴えることを入れていかないといけないのかなと感じました。

まず、平和宣言文というのはやはり、被爆地長崎市民の代表として市長が発するものなので、文章ではなく言葉なので、普通に使う言葉で分かりやすく発するというのはとても大事なことだと思いました。

まず、この素案と一緒に送られてきた「平和宣言の起草にあたって」という文章があったと思うんですけど、正直この文章の方が響いて。

特に、三つ目のかたまりのところに「新型コロナウイルスと同じように、核兵器の問題も私たち一人ひとりが立ち向かう当事者です。特に若い世代が新型コロナウイルスにより不便な暮らしを体験し、自ら社会をよくすることにつながる体験をした今、核兵器廃絶に向けても当事者として考える契機となる平和宣言文にしたいと考えています」って。すごくこの文章が心に響きました。

この素案の中で、やはり被爆75周年という節目はすごく大きくて、私達長崎被災協は、75年の記念誌を発行することになっております。たくさんの被爆者の方、そして被爆二世三世、そして平和活動をされている一般市民の方から文章を募って記念誌を作っているんですけども、特に被爆者の方は、高齢化って言葉は使いたくないですけど、75年経ってもその頃の当時のことが忘れられずに、強い思いをもってしっかりと文章を書いているのを読んでみて、やっぱりその当時のことを忘れられずにずっと持ち続けているんだなというのを感じました。

そういう被爆者の想いというのが、この文章からは読み取れないので、去年の被爆者の詩は特に被爆・原爆のことについて分からない方でも、詩を聞くことで、そんなにひどい状況だったんだと初めて知る方もいたと思うんです。そういう状況だったというのは、どこかにやはり入れてほしいと思いました。

先程他の委員さんがおっしゃった木野普見雄さんの詩というか文章、当時のことは、私も初めてそれを聞いて、すごく分かりやすい。やっぱり当事者の声というのは、是非どこかに入れてほしいなと思います。

コロナ、コロナで埋めてしまうのはどうなのかって話も出ましたけど、やはり今回のコロナによって、日常の何気ない事が出来なくなったことによって、これまでの日常が大事だった、平和だったというのを感じている人はとても多くいると思います。

私も家族証言者として全国の学校を回っているんですけど、子どもたちに話していても、どこか実感がわかない子どもたちは多いと思うんですけど、今回のコロナのことについて、いろんな制約があったりとか、突然元気な人が亡くなったりとか、そういうのに接して、本当に命の大切さ、平和の大切さ、日常の大切さというのを感じていると思うんです。やはり、そこに訴えるというのが今回の宣言文では大事だと思うので、特にこうとは言えないんですけど、やはり心に訴えるような文章を入れていきたいなというふうに感じています。

皆さんの意見書を読ませていただいていて、やはり一番若い光岡さんの意見書の中で、本当に素直に、このコロナの影響で行きたいところに行けない、会いたい人に会えない、勉強や遊びができない不自由を感じる場面が多いということを、今だからこそ、制約が多い当時の戦争の状況を実感できるのではないか、できたのではないかというふうに書かれているんですけど、本当にその通りだなと思って。

素直に、綺麗な文章を作るのではなく、普通に使っている言葉を入れることが、聞いている人に響くのではないかなと思いました。以上です。

【委員】

色々皆さまのご意見をお聞きして、「なるほどな」と実感いたしました。

私も10歳の時に親兄弟を亡くし、8歳の妹と一つ上の姉と一生懸命生きてきました。

しかし、多くの人の尊い命を奪い、若い人の夢も希望も奪ってしまうのが戦争であり、核兵器です。このようなことが二度と起こらないようにするためには、いまこそ多くの人たちが被爆体験を聞いて、次の世代の人たちに伝えていっていただけたらいいなと思います。

被爆者が年々少なくなっています。核兵器の悲惨さ、残酷さが伝わらなくなるのではないかなと、私は心配しています。そういうことにならないように、どんなことがあっても伝えていくように私たちは努力しています。

私達がどんな思いで生きてきたか。今日は死のう、明日は死のう、いや、がんばって生きていこう。生と死の間で生きてきた私達。そういうことが二度と起こらないようにするために、私達一人ひとりが心を合わせて、この地球から戦争を放棄し、核兵器を廃絶することを願っています。

そして、私が一番心配しているのは、これから被爆者がいなくなったら、その被爆者の気持ちを伝えることができなくなってしまったらどうなるのかなと恐れています。

今年も、被爆体験が伝わるような文章を、この平和宣言に盛り込んでいただきたいなと思っていますけど、その平和宣言を聞いた方々が「自分がもし核兵器の被害を受けたら、どういうことになるのかな」と想像できるようにしていただきたいと思います。

過去に目をつぶらないでください。過去を知り、現代を見つめ、未来にはもっともっと素晴らしい平和な道をつくって、一歩一歩前進してほしいと思います。このように、平和宣言で働きかけていただきたい。

また、今年は新型コロナウイルスの影響で、ほとんどの被爆体験講話が中止になりました。毎日3、4校あったんですけどね、ほとんどもうありません。でも、なくてもいい。次の世代の人の命がしっかりと守られて、命を大切にしていただいて、この中から後で原子爆弾の悲惨さ残酷さを知っていただけたらいいなと思っております。

私が言いたいのは、核兵器とコロナウイルス、人類の共通の課題であるということを次の世代の人たちに伝えていっていただきたい。核兵器もコロナウイルスも、多くの人を傷つけ、破壊することに変わりはありません。核兵器もコロナウイルスも、叡知を結集して、被害者を出さないよう努力しなければならないと思っております。国と国が非難しあうのではなく、努力しなければならないと思っております。手をつなぎ、いかなる方へも一歩一歩前進してほしいと心から願っております。

今回の新型コロナウイルス感染拡大によって、このことに気づいた人もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。平和宣言でも、このことに触れて、核兵器の恐ろしさが、新型コロナウイルスと同じように身近な問題なのだと訴えていけたらいいなと思っております。

そして、また多くの人々が核兵器廃絶の声をあげていただいて、二度と戦争のない、今の平和を保っていただくよう、努力していただくように、平和宣言が促していただきたいと思います。

私は、爆心地から800mのところで被爆して家族全員いなくなり必死に生きてきましたが、妹は途中で生きることに負けて列車に飛び込んで自ら命を絶ちました。そうやって、多くの人がせっかく生き残っても、人間らしく生きることも人間らしく死ぬこともできないで列車に飛び込む。そういう時代があったんだということを頭の隅に置いていただいて、次の世代の人たちにしっかりと戦争の愚かさ、悲惨さ、残酷さを伝えていっていただけたらいいなと思っております。

命は地球より重いと言われています。その地球より重い命を大切にして、これからも私達のもとから戦争のない平和な社会を創っていく、その第一歩としてこの会議を開いてくれた皆様に心から感謝申し上げます。

私の意見、お粗末ではありますけど、気持ちを伝えさせていただきました。今日はどうもありがとうございました。

【委員】

皆さんからの意見が集約されて、このたたき台ができたわけですけど、そういう意味では非常によく皆さんの意見を集約して平易な文章でここに提案されているわけですけども、委員長が読まれると、さらにそれがスッと入ってくるものですから、これでもいいのかなと思ってしまいますけど、やはりちょっと平凡だと思うところがありますね。それはなぜかなと三日前から思っているんですけど、やっぱり75年の年にコロナが、パンデミックが起こったという偶然、これは偶然だと思うんですけど、これの意義、75周年の意義に少し焦点が合ってないような気がするんですね。

僕は、すでに書いているけど、新しい核時代が始まってからもう75年、核軍縮の運動も長らく続けられて、核兵器禁止条約もできて3年目、いよいよ発効する直前にですね、全然核兵器が無くなると考えられないような状況にあるということが、この75年目の現実であってですね。そこに目を向ける平和宣言でないといけないんじゃないかなと。

そこにコロナが加わってきますと、我々医者は奇しくもIPPNWを発足させた時に、世界大会のときに、核兵器は医者の目から見たらパンデミックだという言葉を使ったんですね、実際に。結局、パンデミックは世界の政治家の中の心に広がっている、核抑止による核政策と言いますか、国々の政策まで持ち上げられた強固な体制ですね、これが現在も続いている。

そこに対して核兵器禁止条約が登場してきて、いよいよ今から新たなステップを踏んで核のない世界の実現に向かわないといけないわけですけど、なかなかそれができない。分断と連帯の不足ですね。これはとりもなおさず信頼の欠如だと思うんですね。

コロナウイルスを克服するにはどうしたらいいかを世界中の人が考えているわけですけど、極端な例ではブラジルの大統領みたいに「人間は一度は死ぬんだ」とかですね、「何十万人か死ぬかもしれないけどコロナは収束するんだ」とかですね。妙な割り切り方。トランプさんもそういう傾向があるようにちょっと思いますけど。そういうことじゃなくて、本当は世界中にグローバルに感染が広がっているわけですから、本当は大変なことなんですね。

そういう意味では、核兵器を持つ国が世界中に広がって、なかなかそれを人類が廃絶に持っていけないことと非常によく似ているわけです。一方は人間の体に巣食うウイルスで、一方は人間の心の中に巣食うパンデミックだと思うんですね。

それに、トゥンベリさんが世界の大人を叱りつけた、例の気候変動の問題も同時に進行しているわけですから、この三つの危機に直面しているこの75年目という捉え方が大事で、これを克服するためにはやはりローマ教皇がおっしゃった責任の所在ですね、一人ひとりの市民が責任をもって一致団結しなければならない、そして世界の指導者もそのことをしっかり自覚して核廃絶への一層の努力をしてほしいとおっしゃったわけで、まさにこれから、被爆75年目にして未だ核なき世界を展望できない我々は、世界の新たな秩序を目指して信頼醸成に努力していかなければいけない。

そういうところが入ってくるような文章を、もうひとつパラグラフを作っていただくと、この平易な平和宣言案も締まっていくんじゃないか。

あと、被爆者が75年前に体験したあの悲惨な状況をですね、2~3行で表したほうがいいんじゃないか。これはどなたかの詩人のご紹介があっていましたけど、そういう方の言葉でもいいし、実際の写真であってもいいし、やはりあの75年前の浦上の原野において見られた世界の終わりのような光景を彷彿とさせるものを入れていただければ、平和宣言としては非常に形が整って発信力が生まれてくるんじゃないかなと思います。以上。

【委員】

今回はこういう形での参加を許していただいてありがとうございます。見ていると私だけマスクしていないのですけど、私は今自宅の書斎でこの会議に参加させていただいています。

色々な人の意見が出ていて、ほとんど私が言いたいことがカバーされているという感じがあります。読んだ時に、まず本当に起草していただいた方のご苦労を思いました。

多分私が起草しようとした時に一番苦労するだろうなと思ったのが、今のコロナの状態で人々の心に生まれている感じ方ですね。それを核兵器廃絶の問題にどうつなげて表現したらいいのだろうかというところで、大変苦労なさったのじゃないかなと思いました。

先程他の委員も指摘なさっていたと思うのですけど、「起草にあたって」という文章についてです。そこに起草の意図が完結に説明されていて、コロナとの関係について、すっきりと今の悩みだろうなというところをまとめていらっしゃるのですね。だから、少し抽象的でも割とそういうトーンで、あまり行数を使わないで伝えたいことを表現した方がいいのではないかというのが第1点気になったところです。

考えてみると、コロナの問題で一番私達が感じるのは、皆が自分のことと考えている、そういう問題になっているというのが一つ大きいことだと思うのですね。自分のことであるから、自分はどういうふうに振る舞おうか、自分はどうすればいいかということを皆考える。それはなんというか、色んな考え方があって間違った考えをする人もいるかもしれないけど、ともかく我がこととして感ずる。そのことによって、自分が少し勉強したり、これどうなっているのだろうと調べたり、そういうことを誰もがやっているという姿だと思うのですね。それが私達にとって核兵器の問題もそういう問題なのだということがどう伝えられるかと思うのですね。そこを言葉で伝えるよりも、そう言われただけで皆それぞれ感ずるのでは。

核兵器の問題も、パンデミックよりやや抽象的かもしれないけど、やはり一人ひとりに忍び寄っている。自分の身近に忍び寄っていることだということで感じている。共感の触覚というか感覚みたいなものにちょっとでも聞いている人に触れられれば、そこから人々は色々想像して、核の問題も身近な問題だと感じてもらう。そういう感じで留めた方が、細かく言い出すと、コロナで生まれているその共感を作っていくことに成功しないかもしれない、ということを感じました。具体的にどうかというとなかなか全く考えられないという感じなのですが。それが第1点です。

それから、それと関係するのですけど、全体として何名かの方が言われましたけど、やはりちょっと訴えが弱いと感じました。平易にいろんなことが語られているけれども、心を動かすところが少ないかなと。そこは全体としては工夫する必要があると思います。

2点強調したいところが私なりにあるのですけど、1つは、先程他の委員もおっしゃいましたけども、75年の意味をもうちょっとしっかりと訴えたいということがあります。

私の意見のところでも少し書いたのですが、私の場合は逆算をして被爆100年というのを本当にエポックメイキングな年だと思うのですね。ところがそのNPT が無期限延長されてから25年なのですけど、この25年は、本当に一生懸命頑張ったけど核軍縮は本当に進まなかった。もう25年経つと100年になるのですね。だから75年というのは100年前の25年で、25年というのはNPTが無期限延長を経験していることと重ねると、やはりもう一度初心に帰って核兵器を無くさないといけないという意思を明確にする、それを強く訴えるべきではないか。

で、その時に私は、日本政府に襟を正して被爆国の政府、それから国会議員というのも非常に大事だと思っていますけど、そういう日本の国を代表している当事者があと25年というのに対して何をできるのか何をすべきなのか、襟を正した姿勢を求める。そういうふうに75年という意味を日本政府の姿勢を正す、そして議員の姿勢を正すメッセージとしてその意義を語ることが一つ方法ではないかと思いました。それが2つ目です。

それから3つ目は情勢に関わるところで、この素案では、21行目から29行目にかかるところなのですけれども、他の委員が指摘なさったと思うのですが、使用という核兵器を使うということの感覚が非常に緩んでいるというか、使用に対しての制約が緩んでいることへの危機感というのがこの2,3年すごくあります。

それはアメリカの政策がそうですし、ロシアがそうですし、ともかく核兵器を使うということを平気で口にして、そのことによって自分の国にも力があると誇示するという姿勢で、これは国連の中満さんもしばしば言われていることですけど、核兵器についての抑制感の緩みというかそういう危機感、使用に対する感覚を敏感に捉えていないというふうに感じる、感覚の衰えみたいなもの。そういう国際情勢の危機感をもっと強調する必要があるのではないかなと思います。そういう意味で、中距離核戦力の話が出てくるのですけど、言葉として言われていると思うのですが、中距離核戦力もきっちりとアメリカとソ連がNPT6条の義務を果たすために結ぶというふうにちゃんと書いてある。それを平気で破棄してしまうということで、NPTが先程言われたように最も重要な人類の財産であって、合意だという感覚が今失われているということも一つの表れとして、INF条約を簡単に捨ててしまう、他の条約も簡単に捨ててしまうような風潮に繋がっていると思うので、現状に対する危機感をもう少しよく訴えてほしいというふうに思います。その3つくらいかな。大きいところです。

ちょっと細かいところではですね、9行目にあるコロナの問題をどう書くかによって変わってきますが、コロナの問題で核と繋げる時に、今日も色々話が出ている被爆の実相について非常に具体的なイメージを喚起したほうがいいと思います。

その9行目に書いてある「核兵器のない世界」から「核兵器のある世界」への変化というのはちょっと抽象的すぎる表現なので、実際の被爆に思いを馳せる言葉で、75年前と現在のコロナ状況への境界への道筋を作ったほうがいいと思います。

それから、それに続いてなのですが、次の10、11行はちょっと外した方がいいのではないかなという感じがあります。1945年にアメリカが核弾頭を持っていた事実がこれでいいのか自信がないのですね。5個とか6個とか読んだ事があります。ただ一番最新状況がどうなっているのか実際知らないので、ご存じかも知りませんが、数がいくつでどうこうと言うことは避けた方がいいかなと思うのです。

それから、25行目で「中距離核戦力全廃条約などこれまで築き上げた約束」というところに繋がっていると思うのですけど、その後に「反故にする動き」という言葉があって、それが主語になっている。そうすると、全廃条約の破棄が例になるのではないかと。つまり「全廃条約の破棄などこれまでに築き上げた約束を反故にする動き」その方が続くのではないかと思います。

それから、世界各国に訴えるという言葉を指導者としたほうがいいというご意見がありましたけども、私もそこはそうだと思っています。

それから、日本政府のところに国会議員が入った方がいいということと、それから良い繋げ方が思いついていないのですが、50行目から53行目に「核兵器禁止条約に署名・批准」することと「北東アジア非核兵器地帯の構築を検討」することの繋げ方なのですけど、2つが同時というニュアンスでいいのか、理屈的に言うと、「核の傘に依らない政策をとって署名・批准をする」という順序にならざるを得ないのでそういう順序をどう表現するかということが気になります。

あと58、 59行目で、この宣言を読み上げる時のコロナ状況がどうなっているかと関係するのかも知れないのですが、「見えない恐怖と闘ってくれた」という過去形とか、次の「励ましてくれた」という過去形とかというのが言葉として引っかかったのですけど、現在進行形である可能性が高いと思います。以上です。

【委員長】

様々なご意見をいただきました。今ちょうど一巡して時間がきている状態なのですれども、次はこの議論を踏まえて次の案を作る過程に入っていきますので、これは付け足して言っておきたい、皆さんの意見を聞いてこんなこともどうかと思うといった、そういうご意見が最後にもし何かあれば、ある方は手を挙げていただければと思います。

大丈夫でしょうか。

今回1回目の会議が無かったために、この「起草にあたって」という文章を、いつもは1回目の終わりごろに発言させていただく分について文章にしたものをお付けするという形になったのですけども、全体をお聞きしていて、方向性としては共有する部分が非常に多いのだけども、表現としてそれが伝わっていないとか、足りないという部分もかなり見られましたので、今日のご意見をまた糧にさせていただいて、次の会に提出させていただく案を頑張って練ってみたいと思います。

色々と、分量の問題とかもあるので、具体的にどんな形になっていくのかやってみないと分かりませんけど、皆さんの共有のお気持ちといいますか、アドバイス等については今回本当にすごく分かりやすい形で出た部分もありますので、しっかりとご意見を踏まえながらもう一段良い案になるように練ってみたいと思います。

次の会議については最後に事務局からお知らせしますけども、今回も本当に時間のない中での作業になって、皆さんに直前に文章が行く形で本当にお時間のない中での作業だったと思いますけども、真摯にご覧いただいて、様々なご意見を整理していただいてお伝えいただいたことに本当に感謝申し上げたいと思います。

読み方もまた頑張って練習したいと思いますけども、とりあえず読み方の前に文章をきちんと仕上げていきたいと思いますので、もう1回お付き合いいただくことになりますので、その時はまた是非、同じぐらいの時間になると思いますので、是非ご協力をいただければと思います。本当にどうもありがとうございました。

お問い合わせ先

総務部 行政体制整備室 

電話番号:095-829-1124

ファックス番号:095-829-1410

住所:〒850-8685 長崎市魚の町4-1(9階)

アンケート

アンケート

より良いホームページにするために、ご意見をお聞かせください。コメントを書く

観光案内

平和・原爆

国際情報

「行政運営・審議会・指定管理者・監査」の分類

ページトップへ