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令和元年度第1回 長崎市平和宣言文起草委員会

更新日:2021年6月3日 ページID:036686

長崎市の附属機関について(会議録のページ)

担当所属名

原爆被爆対策部 平和推進課

会議名

令和元年度第1回 長崎市平和宣言文起草委員会

日時

令和元年5月11日(土曜日) 14時00分~

場所

長崎原爆資料館地下1階 平和学習室

議題

令和元年長崎平和宣言について

審議結果

【委員長】

みなさんこんにちは。令和元年度という元号が変わった中での最初の平和宣言文起草委員会1回目を開催させていただくことになりました。新しいメンバーで、今年の新しい状況の中での平和宣言文を皆さんと一緒に作り上げていきたいと思います。引き続き起草委員を引き受けていただいた委員の皆さん、ありがとうございました。

昨年の平和宣言文の中でも核軍縮に向けた誠実な取り組みを、ということを申し上げたわけですけども、現実は、この一年間INF条約の発禁であったり、イランとの核合意が思うように進んでいないというような状況であったり、様々なマイナスな状況が進んでいる中にあります。

先日、ちょうどGWの最中にNPT再検討会議の第3回目の準備委員会がNYの国連本部で開かれまして、出席をしてきましたけども、やはりそういう動きの中でベースとなるべき各国の信頼関係が崩壊していっている中で、準備委員会も非常に難しい中での運営を強いられるといった状況がありました。また、今後被爆75年に向けてということで考えますと、非常にマイナスな状況というのはたくさんありますけども、そういった中で、国連事務次長の中満さんとお話しする中では、そういう厳しい状況はたしかにたくさんあるけれども、私は楽観的に考えています、道が必ずあって、いろんな方法を考えています。各国の大使の皆さんもお話をしていると。そういう厳しい状況にあるからこそ、楽観的に考えるというのは非常に大事な要素で、国連では大事な資質のひとつですとおっしゃったんですけれども。いくつかの国の大使と話す中でも、そういった感覚を持っている方はいらっしゃいました。いずれにしても、厳しい厳しいと言っていても前に進むわけではないので、その中で何ができるかというのをしっかり考えるのが大事だということだと思います。決して楽天的ではなくて、この道だったら前に進めるんじゃないかということをしっかり見つけていってそこに力を集中していくという意味の楽観的な見方をしているんだろうと思いました。そういう意味では、それぞれにできることをしっかりしていただいているんだと感じました。一方で、市民社会の方もそういう意味では役割がきちんとあるはずですので、それをしっかりと長崎からの発信ということで、言葉にしていく平和宣言にしていければというふうに思います。

今回も活発なご議論をしていただく中で、来年が被爆75周年ということで来年は特別な年になりますけども、今年はその前の年ということで、今年の平和宣言をどういう形にしていけばいいのか、皆さんに様々なご議論をいただくなかで作り上げていければと思います。活発なご議論いただきますことをお願い申し上げまして、今年度の冒頭にあたってのご挨拶とさせていただきます。よろしくお願いします。

【委員】

私は多くの方から、「長崎市の平和宣言文は心に響くものがある。」とのご意見を拝聴します。その立ち位置も、踏み込みかたも良いように思います。この良き伝統は、続けてほしいと願っています。

さて、昨年5月に、米国は、米英仏独ロ中の6カ国とイランが締結した核合意からの離脱を表明するとともに、本年2月には、INF(中距離核戦力)全廃条約の破棄をロシアに通告いたしました。また、同じく2月、ベトナムの首都ハノイで2回目の米朝首脳会談が開催されましたが、「合意なし」ということで事実上の決裂に終わっております。

核兵器をめぐる情勢は、全く、ここにきて不透明な状況であると私は考えております。

一方、核兵器禁止条約の批准国も現時点で23か国となりまして、早期の発効が大いに期待されているところでございます。

このような中で忘れてはならないのは、被爆者が間違いなく超高齢化、平成30年3月末の統計ですが、平均年齢81.67歳と全く超高齢化しているのは事実であります。これまで被爆者は「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えて、世界の核兵器廃絶に向けた取り組みに大きな成果を残しております。

(公財)長崎平和推進協会は、本年4月から被爆継承の5事業を、長崎市から受託して、被爆継承に取り組んでいるところでございます。今後、5年~10年の間が本当の正念場ではないかと思いまして、早速手を付けております。今後もずっと、ますます盛んにやっていきたいと思います。

私は、これまで被爆者の想いを、きれいな言葉や文学的な表現ではなく、もっとドロドロに人々の魂に訴える表現をして欲しいと訴えてまいりました。「この長崎で何が起こったか、何を失ったか?」と、それから、被爆者の方がその後の生活をどんなに苦しんでおいでになったかということを、それこそ非人道性極まる体験を克明かつ丁重に訴える必要があると感じています。

今だからこそ、被爆都市の長崎でしか言えない、「長崎を最後の被爆地に!」との強い想いを、今年の平和宣言文のメッセージとして、力強く発信して欲しいと願ってやみません。

以上、簡単ですけどそういう気持ちでおります。

【委員】

私は大まかに言いまして、まず「これまでの成果の継続」ということと「次世代への責任」ということで考えてまいりました。

昨年は地球市民集会が開かれました。そこで以下の5項目が具体的な行動として要請されています。

1つめが核兵器禁止条約の早期批准とNPT第6 条の誠実な実行。

2つめが「核抑止力」への依存から「地球市民の安全保障」に基づく安全保障政策への転換。

3つめが南北対話、米朝対話の進展と北東アジア非核兵器地帯設立に向けての交渉。

4つめが若い世代をはじめ、すべての世代の相互協力による被爆者の経験の記憶・継承。

5つめが日本政府は唯一の被曝国として、核兵器への依存の終了、北東アジア非核兵器地帯促進への努力によって国内外の信頼を回復する。

簡単に要約しましたが、この5つの要請をしました。そういったことを一貫した主張として述べていただければと思っております。NPT準備委員会での田上市長の「2大核保有国、米露の対話の要請」ということも、これに加えてもいいのではないかと思います。

2つめの「次世代への責任」ということですが、私は毎日10代の若い人達と生活をしております。若い世代に負の遺産を残すということは我々にとって非常に許されないことだと感じております。

まず1つめに、ちょうど平成天皇の退位のときにいろいろなマスコミでの報道などがありましたが、そこで私が非常に感じたのが、平成天皇の相互理解の諸外国から、普段は敵対的な言説もあるような国からも、尊敬と信頼の声が寄せられた、ということです。そこには憲法の平和主義を、象徴として体現してこられたご姿勢が見られました。私たちが目指さねばならないのは、このように諸外国からの尊敬と信頼によって、非軍事的に世界平和に貢献するという国家・国民のあり方・役割であろうと考えます。従って、軍事行動の拡大や核保有への懸念をはらんだ憲法の改変は認めない旨明言したい、というのが私の意見です。

2つめが核との訣別ということです。ヒバクシャをつくらない。これはよく言われるカタカナの「ヒバクシャ」です。トランプ大統領の核戦略見直しと中距離核戦力全廃条約の破棄、これと歩調を合わせるかのようにロシアと中国の兵器開発が進められています。脅威はどんどん高まるばかりです。軍拡ドミノは止まらないという状況の中ですが、その中でも、小型核は使える核としてテロリストや紛争地域への流出も含めた実際の使用が懸念され、安全保障上の脅威となっています。

このような中で、先日、原子力規制委員会はテロ対策の不備を理由に9基の原発の運転停止を決めました。対策の総費用は約4.4兆円とされています。経団連の中西会長、原発メーカーの日立製作所の会長でもあります、が年頭会見で原発製造はもう立ち行かないというような発言もありました。原発は安全保障上も経済合理性の点からも負の遺産にしかならないという状況になっています。ここ1・2年でそういった状況の変化も起こっています。

また、保管先も決まらないまま増え続ける過剰なプルトニウムのストックは、核開発転用の疑念や、特例的に保有が認められている日本に対する非核国の不満を生んでいます。このことが朝鮮半島の非核化と安定の阻害要因にもなっています。北朝鮮の非核化を言うときに、引き合いに出されるのがこのことです。

さらに、北東アジアに立地する海外の原発は西日本と至近距離にあり、なんらかの事故が起きれば当事国並みの被害も想定されます。隣の韓国、それから中国の原発に対しても共同で安全管理をしていくという提案をしていかないと、放射能にまみれたPM2.5が飛んでくるということになります。以上、「ヒバクシャをつくらない」ことも宣言の中に含めていただければと考えています。以上です。

【委員】

私は日頃、子供たちに出前講座という形で平和を語っているのですが、やはり、その時に一番考えるのが、限られた時間内で子供たちに何を残すか、興味を持ってもらうためにどうするか、どうやってその子供たちのイメージを膨らませることができるだろうか、ということを常に考えています。やはり、この宣言文も限られた時間のなかで、限られた文字のなかで何を伝えるかということを、どこが大切かということを着目しないといけないということを考えたときに、去年の宣言文で、一番最初に被爆者の状況を必ず頭に持ってきた方が良いのではないかという御意見があったかと思うのですが、私は一番初めの一声目はインパクトのある言葉を持ってきた方が引き付けられるのではないかと思ったんです。そのときに、毎年同じように、枕詞のような、「被爆者の74年前、長崎はこういう状態で」という言葉で始まっていいのだろうかと最初考えました。

宣言文を読む場所が、平和公園ということで、後ろに平和祈念像がありますから、そしたら、その平和祈念像に着目して、そこに引き付けて「どういう意味を持つのだろうか」と聞く側に疑問を持つような、考えさせるような言葉から始まってもいいのではないかと考えました。そこで考えたのが、福田須磨子さん「ひとりごと」という詩があるのですが、その「ひとりごと」という詩は被爆10年目に福田須磨子さんが書かれた文章で、それは正に平和祈念像ができた年に「この祈念像にはどういった意味があるのだろうか」と問いかけた詩になります。その詩の文章を資料にも付けているのですが、その全文は今読んでも響くものがあると思います。『平和!平和! もうききあきました』というのは今の状況にも通ずるものがあるのではないかと。それと同時にやはり、平和文学ということに関しては、横瀬理事長は「文学的な・・・」と言われるのですが、その時の詩、文章であったり、魂を込めた文章の中には必ず訴えるものがあると私は考えていて、その平和文学が74年経った今、あまりにも忘れられているという恐ろしさを考えています。やはり平和文学にも注目していただきたいし、福田須磨子さんの詩をとおして平和祈念像を見て、その後ろに隠されている被爆者の苦しみ、魂の訴えというものを宣言文の中で訴えることができたら、「祈念像にはそういう意味があるんだ」ということを改めて皆さんに考えていただける文章になるのではないかと思い、最初の文章はメッセージ性のあるものをもってきたらいかがかと思いこれを提案させていただきます。

今年の11月の末に、ローマ・カトリックのフランシスコ法王が来られますし、去年日本国中をとおしてこのカードが作られまして、日本のカトリック教会で、20万枚だったか、配られました。ということは、このカードを近くのカトリック教会に行ったらもらえる可能性があるということです。フランシスコ法王も言いましたが、「この1枚の写真から受け取る言葉は、どんな言葉よりも重いものがある」と言われるようにこの写真からそれぞれ考えていただくものがあるのではないかと思います。これが長崎の写真であっても日本国中どこでも手に取ることができる、それを手に取ってそれを思い返すことができるということはとても重要なことではないかと思っています。

宣言文と言うのは長崎のメッセージですから、長崎特有のものを発信していただきたいし、それは聞くだけではなく、いろいろな各地から長崎に来たいという気持ちを持っていただきたいし、長崎に来てこれがこの写真、これが祈念像かということを見ることによって、そこで改めて平和を考える場になってほしいと、そういう宣言文ができたらいいと思っています。

最後に「聞く」から「考える」平和教育というのは、被爆体験伝承者の全国無料派遣が始まりまして、私も一番遠いところで去年は川崎に行かせていただいたのですがその時に学校の先生方が言われるのが、「被爆とか平和に関しての講話を外部講師から受ける恐ろしさがある」と言われます。「それはどうしてですか」、と言うと、私たち長崎にいると、ICANの問題であったり、普通に語られていることが、それが「政治的につながる」ということで、「そういうことを語ってほしくないという気持ちがある」、と言われます。だから、国内でもこういう格差があるんだということと同時に、今年選挙がありましたように「政治離れ」が言われているなかには、学校で政治を語ることができないことから「政治離れ」につながっているに違いない、とそこは矛盾を感じます。被爆者の山川先生等も「政治的」という言葉が大嫌いだと言われたのですが、確かに私も、出前講座等できちんと政治を語ることが、自分の意見として語ることができて、子供たちからもその意見に関する感想等が返ってきたらどんなにいいだろうと思うのですが、それをしてしまうと出前講座の場が失われてしまうおそれがあるということで、私は少しでも政治的なことに関わることは言わないように気を付けているのですが、それではもっと「政治離れ」が進んでしまうのではないかと思うので、そこを大人の人たちがもう一度、長崎からメッセージとして政治に触れる恐ろしさであったり、そこをきちんと正してやらないと「政治離れ」がどんどん広がってしまうのではないかという恐れを感じます。それは長崎から発信できることなので、原爆とか戦争等をとおして、学校教育の場であったり、家庭の場で語る必要性というのがきちんと発信できたら、とても良い宣言文になるのではないかと思い、私はこの3点を挙げさせてもらいました。

※福田須磨子/詩人・作家 1974年(昭和49年)4月2日、52歳で死去

ひとりごと 1955(昭和30)年8月8日 発表

何もかも いやになりました 原子野に屹立する巨大な平和像

それはいい それはいいけど そのお金で 何とかならなかったかしら

「石の像は食えぬし腹の足しにならぬ」

さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です

ああ 今年の私には気力がないのです 平和!平和! もうききあきました

いくらどなって叫んだとて 深い空に消えてしまうような頼りなさ

何等の反応すら見出せぬ焦燥に すっかり疲れてしまいました

ごらん 原子砲がそこに届いている

何もかも いやになりました 皆が騒げば騒ぐほど心は虚しい

今までは 焼け死んだ父さん母さん姉さんが むごたらしくって可哀想で

泣いてばかりいたけど 今では幸福かもしれないと思う

生きる不安と苦しさと そんなこと知らないだけでも・・・・・

ああ こんなじゃいけないと 自分を鞭うつのだけど

【委員】

皆さん初めまして。今年初めてこの場に関われてすごく緊張しているのですが、そして、隣で調さんがすばらしいことをおっしゃったので緊張しているのですが、私が考えてきたことをお伝えしたいと思います。

まず最初に、私がナガサキ・ユース6期生の意見として出させてもらったのですが、せっかく私がこういうところに関わる機会をいただいたので、私の意見だけでなく、私の仲間たちがどのようなことを考えているのかということも、まずお伝えしたいと思います。

ナガサキ・ユース6期生のメンバーは、昨年、ジュネーブでNPT再検討会議の会場の中で、会議の一室を借りて何を伝えたかと言うと、「原爆の歴史」というものを「長崎・広島の歴史」または「日本の歴史」ではなく、「人類の共通の歴史」として認識する必要があるのではないかというメッセージを発信しました。私はそれを聞いた時にすごく共感して、そういう捉え方をすることができるのかと思いました。原爆がどこに落とされたのかと聞かれたら、広島、長崎、日本という答えは出てくるかと思うのですが、彼らが言ったのは「人の上に落とされたのだ」ということを言いました。しかもそれは、「人の手によって作られたものが、人の意図によって、人の上に落とされた」。そこがすごく重いのではないかというのが彼らのメッセージだったし、私もすごくそれに共感したのでこのようなメッセージを伝えたいと思いました。もちろん、「人類の歴史として」というものを、いろんな「世代」、「地域」、国内もそうですし、世界各地、縦と横に継承していくことが必要ではないかと考えています。

2つめが核兵器禁止条約についてです。私がICANのホームページを見たときには、署名70、批准22だったのですが、今批准は23となっているようです。核兵器禁止条約ができたことの意味と、それが発効に近づいているということは、世界的に核兵器は良くないもの、良くないものと言う認識はあったはずですが、それを保有して自分の国が強いというアピールをすることが時代に即していないものであって、多くの国がそれを望んでいないということを、はっきりと示している証拠だと思います。そこに、日本が逆行するような動きを取っているということは、非常に考えるべきところだと思うので、これについて言及していただければと思います、

あと、ここに書けていないのですが、私が核兵器禁止条約の交渉会議の第1回目のニューヨークに行かせてもらったときに、初日だけ日本の高見沢大使が話をされたのですが、そのときに傍聴席で話を聞いていて、私は「日本の意見」と聞いて、「日本の意見」は誰の意見なのだろうとすごく思いました。国の意見として発信されていることが自分の意見と違うと思ったときに、どうやって国の意見は決められていくのだろう、ということを考えました。

私たち一人ひとり、市民一人ひとりが考えていく必要があって、それをさらに発信して国の意見として出してもらえるようなことを私たちはしなければいけないのではないかと思いました。

3つめが日本の現状です。私も今までに平和の出前講座をいろいろなところでさせてもらったのですが、私が対象にしていたのは主に小学生、中学生、高校生くらいですが、核兵器禁止条約の存在であったり、日本が核の傘に依存しているということであったり、さらに日本が核兵器禁止条約に反対の姿勢を示しているということをほとんどの子どもたちに、「知ってた人」と聞いたときに、ほとんど手を上げません。それは長崎県内でも同じで、聞いたことがないとか、あれだけノーベル賞の話やICANの話がニュースでも取り上げられていたはずだけど知らないという子がすごく多くて、しかもそれは私と同じ世代の大学生でもそうだと思います。

どうしても過去の問題と捉えられるようなものが、今私たちが考えなければいけない、当事者としての意識を持たなければならない問題であるということを伝える場や、知って考える場、それは教育のような場になるかもしれませんが、そういうものを設ける努力をしなければならないのではないかと考えています。以上です。

【委員】

お手元に配られている資料は8日に提出させていただきました。今日ここに来る直前まで読みながら、補足したものもあるのでそれも踏まえながら述べさせていただきます。

まず、核兵器禁止条約が発効しない中で、NPT(核拡散防止条約)の存在意義というのがやはり大きいと思います。2020年に開かれるNPT再検討会議に向けて、条約の第6条で加盟国に義務付けた「核軍縮」、これを確実に果たすよう、特に核兵器国に強く求めていただきたいと思います。それとニューヨークで開催中の第3回の準備委員会でどのような成果が出るか流動的ですが、その結果も反映させていただきたいと思います。

次に、核兵器廃絶への大きなプロセスとなる「北東アジア非核兵器地帯」。これの早期創設の必要性を強く訴えていただきたい。

「唯一の戦争被爆国」を唱える日本政府に対しては、核兵器禁止条約に署名をして、条約の早期発効に向けて各国への働き掛けに努めるよう強く求めてほしいと思います。

先の戦争の反省から生まれた日本国憲法。特に9条を変えるべきではないと主張してほしいと思います。

戦争加害の反省についても、やはり触れるべきだと思います。

「被爆体験者は被爆者である」ときちんと位置付け、長崎の被爆地域は是正するべきだと強調してほしいと思います。

核兵器(原爆)使用がもたらす惨状と、被爆者がどういう思いで、今、体験を語っているか、そこには重きを置いた内容にしていただきたいと思います。

原子力利用の脅威を示す、東京電力福島第一原子力発電所の事故がもたらした影響、これについては引き続き触れてほしいと思います。

核兵器の原料となるプルトニウム。これの日本の保有量が増えている現状は世界に様々な認識を抱かせる恐れがあります。実際に抱かせています。なぜ日本だけがプルトニウムを増やしていけるのか。そのプルトニウムをどう利用していくのか。そういった疑問、不信も持たれています。この点についても言及するべきだと考えます。以上です。

【委員】

私も以前から申し上げておりますように、この原爆禁止という問題については、純粋にこの問題を取り上げて議論の場として、その結果を対外的に訴えていくべきだと申しております。それは当然のことでありますが、この原爆反対という問題が、とかく政治的な活動に利用されることがたまたまあるために、多くの人たちが、本来はもっと自分自身も一肌脱いでという気持ちを持ちながらも、政治活動と同一視されては困るというかたちのなかで、全市民的な運動にならないということが大変残念なことであるということで、私も日頃から感じております。そういった意味で、この問題については純粋に原爆の悲惨さというものを実際に肌身に感じて今日に至っている長崎市民、その立場を純粋な形で世間に訴えていくという純粋な立場を取らなければならないと考えております。それは当然のことですが、改めてその辺は再確認したいと考えております。

それから、これは先ほど調さんからも出ましたが、この問題については内部的な議論に終わるのではなく、対外的、特に国際的な訴えをすることが大変重要であると思います。幸いにして田上市長も国際的な場で広く世界に訴えていくということを今盛んにやっていただいております。それから他の委員の方も国際的な舞台でこの問題を訴えていただいているということは、大変喜ばしいことでございますし、大いに期待しているところでございます。そういった国際的な舞台での訴えというものを、宣言文を作ったことで満足するのではなく、国際的な訴えをするということをもっと、従来からもかなりやってはいただいておりますが、もっともっといろいろな方法があるのではないかと思います。例えば長崎市であれば、国際的な姉妹都市としてポルトガルとか或いはオランダ、或いはアメリカ等、そういった国の複数の都市と、姉妹都市という特別な関係を持っているのでございます。そういった都市の皆さんとも協力をしながら国際的な舞台で訴えていくという、そういったことが、今後もう少しできないものかと思います。

それから、今度ローマ法王がお見えになるということも、国際的な訴えをする大きな機会であると思いますので、そういった場を利用して、と言えば悪いですが、最大限に有効に、効果的に活用して、我々のこういった問題を単に作文に留まることなく、それをどう訴えていくかという具体的な活動に仕上げていかなければいけないと思います。そういうことで、特に国際的な訴えということをもっともっと効果のある方法で行えないかと言うことを常々考えておりますので、その点も今後皆さんと共に、一緒に考えていきたいものだと思います。以上でございます。

【委員】

私が最初に書かせていただいたのは、ずっと起草委員をやっていてやっぱり平和宣言文の内容というのが、世界情勢が変わってきますので段々高度化しているんですね。なかなか我々みたいな一般市民が何の経験もなくそこに思いを馳せるとか活動に参加するというにはハードルが高くなってきているような気がします。今現状を見ますと、やっぱり草の根的に広がっていかないと、日本政府の在り方も含めてやっぱり日本が変わらないというのは、私はある意味国民の責任だと思うんですね。ということは、やっぱり考えることをしなくなっている、想像力を働かせなくなっている。投票率なんか見ますと、これでほんとに成り立っていくのか、この方向なんだという明確に言っていいのかというような低下レベルになっています。そういう時、もっともっと一般市民が考えられる材料の提供というのは、特に市民の代表である市長が発信されるものなので、その辺を少し、難しいことは専門的なことは専門家の方がたくさんいらっしゃいますから、それはやれるとして、やっぱり相手を明確にして、このことはあなたに訴えます、このことはあなたに、というふうに少しメリハリをつけて、今年も工夫をしていただけたらいいなというのが私の思いです。私は本当に日常その辺で暮らしている皆の代表としてまず思いますのは、出だしのところがよく話題になりますけれども、私はやっぱり、まず1945年の何月何日何時何分ということよりも、まず被爆者の方の生の言葉で出だしを作ってはどうかなと思います。語られる言葉というのは長崎弁も入るかもしれませんし、それは色々あると思うのですが、被爆者がだんだん少なくなっている中で、生の言葉で聴けるというのは、継承はしていきますけど、その方の言葉で聴けるというのはあまり時間がないというふうに思います。それを語っていただく、そして、特にこの間語ってこられたというのは非人道性、言葉は最近出だした言葉ですけど、訴えられたことは非人道性だと思います。それとやっぱり日本国憲法、特に9条、戦争放棄を謳った平和の理念、これを絶対守らないといけないというのは被爆者の方の大きな願いだったし、訴えだったと思います。こういうことを被爆者の方はこの間ずっと訴え続けてきたんだということ、それからその結果として、この間ずっと長い間、74年もの間、日本は戦争をしない国として世界に誇れる憲法のもとでやってきた。やっぱり憲法は絶対変えてはいけないし、そこに手を加えることもしないということを明確に長崎市から訴えたらいいのかなと思います。これは世界の財産として、私は評価して、長崎がそう評価してもいいのかなと思っています。そしてその思いを受けて、市民とか世界のNGO、特に若い人たちが被爆者の動きがあったからこそ、それを受け継いで自分たちも何とかしないといけないという思いになってきたと思います。そういう評価をちゃんとしていくべきではないか、やっていることが間違いないということをちゃんとみんなで認め合ってより一層それを強くしていくということが必要なのかなと思います。

それから、特に日本政府には、唯一の被爆国と何度となく聞いてきたんですが、その役割としては全く果たされていない。正すように私たち自身も仕向けてこれなかったという反省を含めて、改めて唯一の被爆国としてのあり方を真摯に考えて、今こそ核兵器禁止条約、特に今近々にできることとしては賛同してくださっている国の力を借りて、それが有効に働くための取り組みに舵を切ってほしいということを強く訴えていただきたいなと思います。

それから先程もおっしゃいましたけど、過去の反省、これは日本という国がアジアの中でなかなか評価されない、位置づけをされないというのは、過去に目を瞑って今の主張だけをしているような気がするんですね。やっぱり過去の反省も含め、アジアの国々と対話を強めていかないと非核兵器地帯というのは夢のまた夢になるんじゃないかなと思います。ですから、目を向けるところがアメリカではなくて、近隣国ともっと融和政策、交流を深め相互理解をし、過去の反省は反省として、核兵器というものは絶対あってはいけないことですから、反省をした上で核兵器廃絶を訴えていかないとなかなか共感は得られないのかなというふうに思います。

今特に気になっているのは被爆体験、戦争体験のない世代が日本の政治を中枢で動かしているんですね。過去に目を向けながらやっていただければいいですが、過去に目を向けないで、未来志向はしなければいけないと思いますが、未来というのは過去の上にたったものだと思うので、その辺に目をむけないで政治が進んでいく国の方向が決まっていくということに非常に懸念を抱いています。不安を抱いているということは、少し言っていくべきではないかと思いますし、だからこそ改めて継承の重要性を訴えて、そしてその伝え方、今長崎では色んな継承の方法が生まれてきておりますから、これからも長崎は継承の方法を被爆者の方たちから学んで世界に発信し続けていきますということを明確に約束し、何かあったらどうぞ長崎にいらしてください、問い合わせてください、色んな材料を提供しますというような位置づけに長崎がなっていかないといけないのかなと思います。そういうことをもっともっと強く押し出していかないといけないのかなと思います。世界に訴えることも大事ですが、私は国内での合意がまだまだ取れていない部分があり、ちょっと何か言うと、政治的発言という現状がまだありますけれども、これは政治とかじゃなくて、人間であれば誰でも平和であり豊かな暮らしをしていきたいと思うのは当たり前のことなのでそのことが政治的だという捉え方をされるというのは、私たちはそのことにめげずに人間として求めるべきことは、特に長崎ですからしっかりと訴えていくべきだなと思います。やっぱり平和というのは下平さんもいつもおっしゃいますけど、誰かが与えてくれるものではなくて自分が行動し守り続けるということがないと平和な社会は構築できないということを多くの人と共有できるような宣言文になっていけばいいのかなと思います。以上です。

【委員】

この意見書に書きましたけれども、一昨年の起草委員会で起草文の全てを変えるのではなく、一部はもう毎年同じ内容を入れてはどうかという意見が出ましたので、ここに掲げているこの3つの、世界各国のリーダーの方々へ被爆地訪問をしてくださいというお願い、そして日本政府に対しては核兵器禁止条約の参加の訴え、そして被爆者援護の更なる充実と被爆体験者の救済を求めるというこの3つをやはり今年の宣言文にも入れるべき文言ではないかなと思います。そして二つ目なんですけれども、私がここに参加させていただいているのは、被爆二世、そして二世として家族証言者として全国の学校で父の体験をお話ししているという立場でここに参加させていただいているのですけれども、先ほどから話に出ていますように、昨年度から厚生労働省がこのように全国各地の学校に無料で広島と長崎から証言者を派遣しますという事業が始まりました。これによって昨年は100件ぐらいの依頼が来たのですけれども、今年度はその倍の依頼が来るだろうという事を見込んで今活動しているのですけれども、私も去年県外に大体13校ぐらいの学校に行かせていただきました。長崎市内も含めますと大体20校弱は行かせていただんですけれども、どうして私が一人でこんなにたくさん行かなきゃいけないかと言うのは、そもそもその継承をしていく証言者が足りないというところが一番の原因だと思います。この起草委員になってから、最初からずっと私が言っているんですけれども、被爆2世の会の会長として会を立ち上げていましたけれども、なかなかその2世の会員が増えない、そして長崎市が家族証言の事業を立ち上げましたけれども証言者が増えない。それはどうしてなのか、常に私も悩みながら活動しているんですけれども、そういう長崎に住む人たち、市民の人たち、そして特に高齢化している被爆者の一番近くにいる家族、2世や3世という人たちが、自分たちが一番身近にいるその原爆の悲惨さを一番知っている被爆者の近くにいる人が語ることが一番今後につながっていくという意識をどうやったら持っていただけるのかなというところも皆さんと一緒に考えていきたいなと思っています。

全国回らせていただいて、特に私が驚いたのは、東北とか北関東の学校に行かせていただくと、修学旅行で広島や長崎に行ったことがない学校というのもいくつかありまして、そこの先生方も実際自分たちが子供の時に広島・長崎に行ったことがないから、原爆について自分たちも生徒に語れないということで私が父の体験をお話したところ、本当に初めて聞く話でびっくりしました、そういうことが本当身近であったんだというのを聞いて驚きましたというふうに先生がおっしゃいまして、その言葉に私が驚いてしまったんですけれども、まだまだ長崎について、日本の中でも原爆について知らないというところがまだまだたくさんあるので、それをどうにかしてこういう家族証言事業、交流証言事業をもっともっと拡大させて、私たちがそうやって派遣で行っていけば少しずつは、草の根運動みたいなものですけど、少しずつは広がっていくのかなと思って私も今後もそうやって証言者として頑張って行きたいなと思っています。

それで、私ごとではありますけれども、長年平和活動してきた父、そして被爆体験講話をずっと修学旅行の学生さんにしてきた父なんですけれども、先月倒れまして、今集中治療室にいるんですけれども、ちょっと前には心臓が止まりまして、もうこのまま逝ってしまうのかなというところまでいきましたけれども、まあ今後語れることはないだろうとお医者さんからも言われました。そういうことを本当に直面して、今まで私もちょっと甘えていた部分があったなとちょっと感じました。被爆者である父がまだ語れるので私はまだ二番手としてまだまだちょっと気楽な感じで証言活動していたんですけれども、本当に被爆者はいなくなる、本当に高齢で証言者が少なくなってきているという事を本当に身近に、つい最近感じまして、ますます本当、身近にいる人たちがどんどん積極的に活動しなければいけないんだなというふうに感じているところです。そのように、この宣言文を聞いた方が自分のこととして考えられるような、多くの人の心を動かすような宣言文を皆さんと一緒に考えていきたいと思いますのでどうぞよろしくお願いします。

【委員】

いつもトップバッターなので、聞くことに集中できるんですが。私からは、昨年に引き続き、これを誰あての宣言文にしたいかっていうところで、私、日頃あまり平和について考えることをしていない、できてない人たちが考えるきっかけになるような文章に出来たらなと思って、そこで私も含めてなんですが、実は昨年暮れぐらいから全く平和活動というか祈念館にも集会にも行けていませんでした。ちょっとあまりにも自分の本業である学生ということが忙しすぎて。そういうところで先月委員になりませんかと声をかけていただいて、本当に悩んだんですね。考えてもいない私がいていいのかなって。

逆に、それが自分たちの同級生とかを反映するのかなと思って、じゃあお受けしますと言って今ここにいます。また委員の皆さんから勉強させてもらおうと思って、すごくちょっと憂鬱でしたが今ここにいます。やっぱそれだけ平和について考えていなかった自分が、昨年と一昨年の平和宣言文を読んだらですね、あれ、昨年、一昨年はすごい響いてた冒頭の文が響いてこなかった、ストンと入って来なかったんですよね。何でかなと思ったら、やっぱ今までは自分はこうやって平和祈念館とか資料館とかに行って考える機会が結構あったんですね、留学生が来て、ガイドしたりとかして。考えることしなかったら想像ができないからこの文章がストンと落ちてこなくて。これって、これはどうしたら響くのかな、どうしたら離れている人たちにですね。やっぱ考えたらもうちょっとこう、先ほどの委員の方が言っていたように、日頃、日常私たちが使っている言葉とか生の声をここに、冒頭に持ってくることでもっとこう平和について考えていない人たちにも響くのかなと思ったんですね。それも、今年の初めから私やっと病院実習が始まって、患者さんに接することができるんですけれど、教科書だったらこう難しい単語を並べられて理解できない病名でも、やっぱ百聞は一見に如かずで、患者さんの生の声を聞くと、この病気ってこういう症状が出るのかとすぐ頭に入ってくるんですよ。だから体験された人たちとか、語り部さんとか、そういう方たちの生の声、きれいにこう整った言葉ではなくて、生の声がやっぱ響くのではないか。そして平和宣言文は、核兵器で一瞬で人の命が亡くなったというところを二度と繰り返してはいけないという事を皆に伝える宣言文だから核兵器、核のない平和な社会を創ろうという軸は外したらいけないと思うんですけれど、人の命を失うっていうところは、核兵器でなくても、今の社会には共通することだから、 平和のことを考えていない人でも、 人の命を失う、なくすとかいう面では考えることができるのかなと思って、生身の声を冒頭に持ってきて、それから今の私たち一般市民が日常で暮らす中で虐待とかいっぱい起こっています。そういう、こう人の命を大切にできなくなっている心の平和を保てない人たち増えているから、そこをうまく人の尊さという面で繋げて、平和について考えることができる機会にこの宣言文がなったらいいなと思いました。

【委員】

私は皆様方の話を聞いて、なるほどなと実感しました。私は年間300校ぐらいの学校の学生さんたちに話すんですけれども、子供たちがね、何も分からないで長崎に修学旅行で来て、そして戦争の愚かさ、平和の大切さを知って、長崎がどんな思いで、長崎の人たちが苦しみながら生きているかということを実感する。泣きながら聞いてくださいます。

過去に目をつむる者は、未来に対しても盲目であるといつも私いうんですけれど、一人ひとりがですね、過去に目をつむらないでください。過去を知って、現在を知って、未来にはもっともっと素晴らしい平和な社会をつくっていくのは皆様方の双肩にかかっていますから、絶対にそういうことを忘れないで。皆様方が歩いている足の下は、7万人という人たちの尊い命の骨がいっぱい入っています。そのお骨を踏みつけて歩いているんですから。その人たちの分までどんなことがあっても、苦しくっても、悲しくっても切り抜けていく勇気を持って生きていって欲しいと話をさせてもらうんですけれども、それも戦争、まず戦争を地球上からなくし、平和な社会をつくっていくのは皆様方の双肩にかかっているだと言いますと、そうだ、そうだという声があがるのです。やはり伝えることは、私たち被爆者の役目だと思うのです。だから皆様方お一人おひとりがしっかりと次の若い人たちに、平和とは何だろう、平和とは人の痛みの分かる心を持つこと。これが平和の原点だ。だからどんなことがあっても戦争は放棄して、平和の道を選んで仲良く手を繋ぎ合っていっていただこうと思っています。そしたら皆さん、そうだ、そうだとおっしゃって下さいます。そして子供たちがですね、「くそババア、死ね」と言っていたのを今日からやめますとかいう声が出てくるのです。やはり事実を的確に伝えることによって、多くの方々の心を動かしていくというのが私たちの役目ではないかなと思っております。

これからも平和宣言と共に、そして私たちの心の中、私も家族全部なくして、やっと生き残って、生き残っても人間らしく生きることも、人間らしく死ぬこともできない。というのは、本当は歩いて、と言いながらも杖をつかないと歩けないという今日この頃です。

こういうことがもう二度と起こらないようにするためには、その原点である戦争、これを放棄して、平和、そして人の痛みを分かる心を持つ、この平和に向かって前進していただくような、世の中をつくるように若い方たちに努力していただけたらいいなと思っています。

【委員】

沢山の意見があって、いつも思うのですけれどもこの会出ると、もう一度原点から考え直す機会があって非常に有難いことだと思っています。

私の方からはですね、今の世界情勢という観点でいくつか今年このことを是非注目しておきたいということを話したいと思います。

1つは危機感、昨年もそうだったのですけれども、より今年のほうが具体的に危機が強まったという認識があります。そこに書きましたけれども、核軍備競争の再来という事を申し上げたいと思いますね。ちょうどNPT準備委員会がニューヨークで開かれている時に、ワシントンでは、アメリカが来年度、今年の10月から始まるアメリカの予算の審議があって、核軍備に関する議会証言が行われていた、ちょうど同じ時期にですね、その中で、割とはっきりとアメリカが今核兵器に関して状況をどう捉えているというのが語られました。彼らは冷戦後、核兵器削減のチャンスがあったと。しかしその時代が終わった。今は米国、ロシア、中国の競争が始まっていて、それによる核の脅威に直面している。というのが根本的な状況認識になっています。去年から出始めてきましたけれども、こんなにはっきりとした表現というのは今年初めてです。それで思い出すのですけれども、NPTの第6条で私たちは核軍縮義務があると、核兵器国は義務を果たせと言ってきたわけですけれど、第6条は2つの約束をしているのですね。一つは、核軍備競争の早期の停止で、2つ目が核軍縮についての交渉をして、条約をつくれという2つのことを第6条は書いてあって、軍備競争の早期の停止というのは一応終わったと、実現をしているというのが大方の認識で、だから核兵器禁止条約をとにかく早期にという交渉に焦点を当てて6条の意味というのをここ数年はそういう強調の仕方をしてきたのだと思います。しかし、アメリカが言い始めているのは、軍備競争が新しく始まったということを言っていて、これは本当に状況が変わったことになるわけです。ですから軍備競争が始まったという認識は、もしかしたら私たちの中で終わっているかも知れない、特に注視しなかったことかもしれないのですけれども、それが改めて話題になっていることをまず認識したいということです。

そのことと関係するのですけれども、アメリカが今度のNPT再検討準備会議で、「核軍備の環境を創出する作業グループ」と言うものを提案して、6月にそのグループの第1回 の会議をやるということを言っています。この言葉はいい言葉で、騙されてしまいそうなのです。核軍備を進めるためには、それにふさわしい環境をつくらないといけない。そういう環境をどうつくるかということについて、核兵器を持っている国も持っていない国も一緒に議論しましょうというような作業グループをアメリカが提案をして、いくつかの核兵器を持たない国が非常にいいアイディアだと、自分たちはそれに積極的に参加したいという意見表明を会議の中でやっておりました。騙されやすいという点をちょっと申し上げたいのですけれども、この背景には先ほど言ったように、時代が変わったという認識をアメリカにはあるわけです。新しい、冷戦後ではない、新しい競争時代に入ったと。そういう新しい環境で、どうやって核兵器を減らしていけばいいのかということを、その環境づくりから考えましょうというような提案で、これはレクナのNPT ブログで、どなたかが書いていたと思うのですけれども、今までやってきたことを一度チャラにしてですね、要するに新しい状況になっているから新しい環境を創ろうという発想にアメリカによって導かれる危険がある。けれども、その環境を創出するという考え方そのものはですね、決して間違っていることではないし、そういうことは必要なことなんですけど、それをどういうふうに正しく、その環境とは何なのかということを平和宣言の中から伝えられないかという事が第2点です。例えば、これまで核兵器国は核兵器を完全に廃棄するという約束を重ねてきたのです、何度も。そういうことを守るということがつまり、アメリカの言うところの環境の創出という事になるのだと。これまでの約束を守ることが、いい環境をつくるのだと言うようなメッセージが必要ではないか、と言うのが第一点です。それから、アメリカとロシアの関係が非常に悪いというのは、悪い環境の最たるものであって、米ロの対話姿勢が示されるということが、まずは環境を良くするための第一歩ではないかと。それが2つ目です。それから、北東アジアを考えると、朝鮮半島で政治のリーダーシップがあって、よい環境が生まれている。これを核軍縮に本当に生かすことができるかどうかということがよい環境を創出することではないか、というのようなことで、環境を創出するということが多分アメリカが言い出して、日本政府も言っていますので、そのことの意味を正しく平和宣言のどこかで現れてくるということは今年の役割としてあるのかなと思っている。

3つめは、日本政府への訴えの仕方で、ちょっと踏み込んだことを書いたのですけれども、今日本が核の傘から出ない、出られないことが日本が核兵器禁止条約に参加できないという大きな障壁になっているわけです。アメリカと日本との間で、核の傘について話し合う協議会、拡大抑止協議会というのですけれども、これが年に最低1回、2回、1、2回開かれています。外務省と防衛省の官僚と、アメリカの対応する人たちが話し合って、日本の核の傘政策をどうするか。日本政府は核の役割を減らせることは一応公約していますので、立場上はですね、核の傘の役割を減らせるための話をそこでやるという事は言ってはいるのですね。ですけども、同時に核の傘が破れ傘ではないという事を確認をする。つまり、いざ必要な時にすぐに使えるのかということも詰めておくという作業もその場でやっている。その場を本当に核兵器の核の傘の役割をなくしていくための場にしたらどうですか、という事を言うのは、一歩具体化する方法かなという感じがします。ただご心配のように、細かくなりすぎるとか、専門的な話になりすぎるとかいう懸念はあるのですけれども、日本政府への要求の仕方としては、ある意味では具体性が増すと思いました。

それから非核三原則という言葉をもう一度北東アジアの非核兵器地帯との関連で言葉にするということが今大事かなと思います。というのは、朝鮮半島の非核化という方向に向かっている、一応交渉は続いているわけです。色々困難がありますし、まだまだ時間がかかると思いますけれども、とりあえず朝鮮半島の非核化のテーマになるのは、朝鮮半島に核がないという事なのです。核がないと言うことの意味は、難しい議論をし出すと一体何を持って核がないということを言うのか。例えば、韓国が核兵器はないけれども核の傘を持ち続けるという状態をいいと考えるのか、どうかというようなことが必ず問題になります。その時に、まずは核がない、物理的に核がない状態を実現するというステップを踏もうという考え方はありうると思うのです。その時に、日本の非核三原則というのはそういうことを、日本が一国でこれまで主張してやってきたというものですから、日本が朝鮮半島の非核化の問題で、自分たちの非核三原則を朝鮮半島でも実現をしようという事をもし日本政府が言うとすれば、それは一つの意味がある、何と言うか、非常に日本らしさを出しつつ今の状況に日本が発言をする、そういう言い方になりうるので、非核三原則ということと、朝鮮半島の非核化という事を結び付けて訴えると。日本政府にそういう役割をさせようというのは、1つの訴え方としていいかなというふうに思いました。

最後の項目はですね、これは冒頭に田上市長もおっしゃったことなのですけれども、状況が非常に悪いです。悪いですけれども、悪い時こそ市民社会が揺るがないで肯定的なメッセージを出し続けるということの価値が非常に高いというふうに思います。中満さんは、今はとにかく平気で、さっきアメリカの話をしましたけれども、核兵器が有用な兵器であると平気で言う風潮が国連周辺でも起こっている、そういうことを指摘しつつですね、そこを乗り越える市民の力みたいなものを彼女自身も強調しているように思っています。そういう意味では被爆者の役割は非常に大きい、平和宣言の役割も非常に大きい一年ではないかというふうに思います。

(このあと、欠席委員の意見を読み上げ)

【委員長】

はい。以上で議場の委員の全員のみなさんからのご意見お聞きしたと。一回、一度お聞きしたということなんですけど。最後に重ねて補足することなどありましたらお願いします。

【委員】

私、さきほどの中でひとつ漏らしたのがあるんですけど、人道的な立場からの核廃絶について、やっぱり地球という、この一つの星を、人類が核兵器を使うと一瞬にして住めない箇所にするというのは、福島の原発事故でも未だにまだ、徐々に解除はされておりますけれども、7年8年経ってもそこに住むこともできないような状況が続くという意味では、なかなか核兵器廃絶という言葉が、ある意味アレルギーになっている部分もあるんですね。そうなると、環境問題から少し。どれだけ環境破壊にとって、これが脅威を持ったものなのかという、伝え方もそろそろなんか違う角度で出てきてもいいのかなという風に思いました。

よく、地球上に何発の核兵器がありますというんですけれども、なかなか我々にとって、一発の威力というものが想像できないんですね。大きさいろいろあるんだろうと思いますけれども、例えば今一発の原子爆弾が使われると長崎の何倍くらいの脅威があるんだとか、少し一般市民が想像できるような表現の仕方というのが、なにか工夫できないのかなと、この間ずっと、我々はここにずっと参加させていただいて、あたりまえのように聞いているんですが、一発の威力というのが長崎や広島に落ちた時と、今あるものとでは全然違うんだろうと思うんですね。ですから、地球上に今ある核兵器、だいたいこのくらいあると、もう地球が全滅するくらいの威力があるんだみたいなことも少し含めて、我々の想像力を膨らませていけるような材料も少し提供していくことができないのかなと、これは検討していただければという風に思います。以上です。

【委員長】

はい。ありがとうございます。ほかになにか補足されることございませんでしょうか。

【委員】

これは世界に発信するときになにか付録といったらおかしいけど、なにかそういうのは、付けたらいけないんですか。

【委員長】

付録ですか。

【委員】

メッセージ。平和宣言文と一緒に理論的なことを詳しく。今、長崎で一番進んでいると思うんですよ。そこらへんを、理論的なものを一緒に同封するというか、メッセージの後ろに。去年のやつを見ても言葉の載ってますけど。もっと。例えば今、何発あって、と。一発、長崎と同じところに落ちたら、どんだけ威力が向上しとるかとか、いうようなことを一緒に送って、そして長崎の平和宣言の中には原子雲の、きのこ雲の下で実際どういうことが起こったか。

例えば、僕の経験なんですけど、ほんと道端に倒れ、もうずっと足の踏み場がないもんですから、着物もズタズタで、火傷されとる上をのっていかんといかんというようなことがあったんですけど。今はとてもじゃないけど僕はそうせろといわれてもできんのですけど。実際、その時は、ただ亡くなった人の上を行って、滑らんように行くというような状態だったもんで、そこらへんをもっと強調して、なんか理論的なことを詳しく、外国から長崎においでになったら、案内人の方でも案内したりなんか。実際、大学でしてもらってもいいんですけどね。

なんか、付録かなんか作り、別のものを。事実を科学的なことは、事実しかできませんので、もっとこんなになるんだよとそういうことを別に書いて一緒に入れて送ったら、メッセージを送ったらもっといいんじゃないかなと思うんですけど。そういうのはできないんですか。

【委員長】

今のお手元にある解説書というのは、平和宣言の、毎年、平和宣言の内容だけではなくて、平和宣言も載っているんですけども、そこにある言葉の解説ですとか、今年は、1ページ、2ページのところは、2ページのとこなんかは、少し、今年の特集みたいな形で取り上げたりもしてますので、そういった中で、今お話があったような、今年は、例えばこの部分を取り上げよう、被爆の惨状みたいなものをこういった観点から、環境の観点から取り上げてみようですとか、そういったこの1ページの部分は毎年、いろいろな話題も取り上げながら、解説もしているので、そういった中で取り上げたりすることはできるかもしれないですね。

たぶん、平和宣言だけではなかなか届かない、今の言葉はどういう意味だったんだろうとか、どういった背景があって、今の話がでてきたんだろうとかいうようなことを感じる皆さんもおられるだろうということで、この解説書を毎回付けて提出して、しかも一番最後のページには、長崎の実際の平和公園の周辺の地図などを載せて、できれば、ここを巡ることでより実感をしていただければ、そこここにガイドさんがおられたり、それから説明があったりするので、そういったものも是非、実感を現場で来ていただければというような意味合いで、この解説書を作られているので、そういう意味では、これもこういったものですとか、あるいはネットですとか、スマホで見れるような、ネットの情報ですとか、いろんなものが疑問をいただいたときにすぐ調べられるような形でというような工夫もまた利用できると思いますので、それはまた、いろいろ取り組んでみたいと思います。

ほかにみなさん。

【委員】

核軍縮ユースネットワークの話で、これはどんなふうに今なっているのか、伝えていただければ。なんか、国際的に名前を出して訴えるような、そういう状態になっているのかどうか、そこを含めて、ちょっと知りたいんです。それがひとつです。

それから、もうひとつは、冒頭の詩の提案というのに、僕はすごく心を動かされたのですが、詩としてすごくインパクトがあるものが、あとどう繋げるのかなというところで、相当苦労しそうなんですけど、なんかそういうことについてのイメージってのはあるんですかね。

つまり、すごくそのものがインパクトが強くて、それで、そこで終わればインパクトがあるんですけど、そのあとを続けるのは、すごくむずかしいなぁということを思いつつ、なんかそういうことについて考えておられることがあれば、お聞きしたいと思いまして。

【委員長】

では、いいですか。

【委員】

はい、ありがとうございます。

核軍縮ユースネットワーク。でも私たちが提案した際の名前は「ユースネットワークフォーピース」という名前で提案させてもらってたんですけど、おそらくそのことをおっしゃってると思います。

で、これは私たち、私たちというか、若者で、そういう活動に取り組みたいという人たちで集まって、一個提案をさせていただいたという感じなんですけど、これで一応、構想として考えているのは、いろいろ、例えば長崎であれば、長崎ユース代表団があって、平和大使があって、平和活動やっている子達がいて、署名活動をやっている子達がいるけども、お互いがなにか協力して、繋がって、なにか一緒に活動したりといった経験が今までなかったよねという話になったんですよね。それで、そういう話から、こういう平和的な活動をやっている、若者に限らずそういう活動をしている団体は日本の中でも、中を見ても長崎、広島にかかわらず全国各地にいるだろうけど、それをつなぐネットワークがないなという話になったので、私たちは、そういうネットワークをつくっていきたいという感じで打ち出してみました。

で、今どのような進捗状態になっているかというと、むちゃくちゃ話が進んでいるわけではないですが、月に2回くらいのスカイプミーティングのようなものを、長崎と京都と奈良と東京にいる学生を結んで、今実際にやっている感じです。

で、目標としては、一応2020年が区切りに一応大きな区切りになるので、そこまでになにかメッセージを発信したりだとかができるようなことを、今年の8月6日、9日ら辺までにつめて、体制として、ホームページをとりあえず大きなホームページを作って、そこで私たちの理念とかを打ち出して、もっと多くの人が関われるような環境を作っていくことが、まずすべきことじゃないかというような話にはなってます。はい。まだ、ちょっとしか進んでないですが、ちょっとずつ進めているところです。

【委員長】

はい。では、お願いします。

【委員】

はい。私は宣言文は言葉だけではなくて、多角的な見方が出来ればなという風に思って、この祈念像に焦点をあてていただきたいと最初思ったんですね。というのは、やっぱり宣言文の映像を見るときに、きっとこの宣言文を読んでくださった後ろに平和祈念像が映し出されるだろうし、きっとその中で、全部を紹介できてなくても福田須磨子さんの詩を紹介してくださるメディアの方だったりとか、あとこういう解説書にも全文が載ることができるだろうということで、それが補足できるんじゃないかなと思いました。

で、やはり私たちが思っている平和祈念像という祈りの地にたっている祈念像ではあるけれども、被爆者の方にとってみれば、その祈念像の裏に隠された悲惨な状況であったり、苦しみをきちんと伝えてほしいということを私たちは案内人としても説明もするんですけど、そこをきちんと伝えなければ、この祈念像の意味はないといつも言われるんですよね。それを私たちは、そういう見方をちゃんとできているんだろうかと考えた時に、その文というのは、この祈念像のことだけに留まらず、その表の表面のことしか見に行かない、裏のことまできちんと考えられない状況が、どのことに対してもあるんじゃないかなと、そのおそろしさを祈念像から感じてほしいということをそこまで伝えられることが出来たらいいなと思いました。だからこの祈念像のことを最初の言葉としてできてきて、祈念像ひとつに対してもそういう裏の意味があるんだ、それを私たちはきちんと気づいているだろうかという言葉のメッセージとして、冒頭に持ってきたら、あと、だから言葉一つに対しても私たちのメッセージを発するだけではなくて、その裏にある世界状況であるとか、教育的な状況であるとか、やっぱり、きちんと裏の意味までも私たちは見るべきではないだろうかということを今一度74年経った今だからこそ、忘れてはいけない事実があるということを、もう一回最初から学び直す必要があるということをつなげていけたらいいんじゃないかなという風に思ってます。

福島の問題に関してもやっぱり原発の問題であったりとか、10年経った今でもこういう被爆者の悲惨な状況があったというのと同じように福島の今というのは、やっぱり2011年からもうすぐ10年目を経とうとしている現状であってもなんら変わりがないというところ。この詩もやっぱり同じように表わしているんじゃないかなと思って、そこらへんにも関わることができないかなということを考えました。

【委員】

ありがとうございます。

【委員長】

よろしいでしょうか?

【委員】

はい。

【委員長】

ほかにみなさん、補足されていれば。

なければ、私も少しお話をさせていただきたいと思うんですけれども。みなさんのお話をお聞きしながら、頭の中で平和宣言をどういう風に組み立てていったらいいんだろうということを考えていたんですけども、私、今年のNPT再検討会議準備委員会に行って、強く感じたことがひとつあります。それは、市民社会がしっかりとひとつになって声をあげていないんではないかということです。さきほど皆さんのお話の中でも広島、長崎とそれ以外の町に行った時の感触であったり、あるいは東京よりも遠いとこに行った時の感触のお話であったり、さまざまなお話がありましたけれども、まだ戦争体験も含めて、被爆体験というのはしっかりと伝わっていないし、そのことに対しての危機感というのが非常にまだ薄いのではないか、今特にこういう平和宣言を毎年皆さんとお話をしながら、これだけメッセージを発信し続けていて、今の状況というのはどんどん悪くなっている部分があって、そういう意味では、もう一度私たちの足元である市民社会をメインの対象にして、しっかりと平和宣言の中で伝えていくということが大事な年ではないかということを強く感じています。特にここ数年ですね、前の委員さんからも出ていた、誰に対して訴えるのかという部分というのは、いろんなみなさんに対して訴えるということは、間違いないんですけども、今年の今の状況でみると、まず足元である市民社会のみなさんと共有するというのが大事な年ではないかと感じています。特に来年が2020年、NPT再検討会議の本番であるということと、被爆から75周年という区切りの年であるということを考えるとその年に向けて、市民社会がしっかりと声をあげたり、いろんな動きをしていくということをしないと、今回の平和宣言文でそれを訴えないと来年の平和宣言では間に合わないのではないかという意味も含めて、今回平和宣言では、いろんな要素があるにしても、まずメインの伝えたい対象としては、市民社会のみなさんに対して、危機感を共有しましょうということをお伝えしないといけないんではないかなという気がしています。その中でも共有する部分で大事な部分は共感の部分であって、言葉でたくさん伝えなければならないのではなくて、先ほどお話のあったような詩であったり、体験の伝える言葉であったり、そういったものをできれば活用させていただく中で、感じていただく、共感するという形の中で、例えばスタートをするという中で危機感を共有する、今の状態が非常に危険な状態になっているということ、それは、もし使われる可能性があって、使われれば、犠牲になるのは市民社会なんだっていう危機感であったり、あるいは、これまで英知を傾けて、みんなでつくりあげてきた条約がひとつづつ、また反故にされてしまうということの危機感であったり、そういった危機感をしっかりと共有するということ。それから、その次には市民社会にはそれを動かす力があって、そして、そのことを肯定的にしっかりと認識する必要があるということであったり、最後に被爆体験や戦争体験を伝えることだったり、あるいは若い人達も動き出していることであったり、それぞれにできることってあるんだということをまさしく、肯定的なメッセージとして伝えるといったような形の中で、市民社会に対して、まず今年は訴えるという部分をしっかりと組み立ててみてはどうかなという気がしました。そして、と同時にそのことが来年の2020年につながるような流れに持っていければということがひとつともうひとつは、もちろんそれだけはなくて、はずせない項目というのがあって、それは、被爆地訪問であったり、核兵器禁止条約であったり、被爆者の援護であったりというお話がありましたけれども、福島のことであったり、北東アジアの非核兵器地帯などもそれに加わるということもしっかりと言及していく。今の世界情勢の部分、社会情勢の部分についても禁止条約をはじめ、いくつか触れないといけない部分もあると思いますので、そういったものにも触れるとしても、メインを市民社会へのメッセージという形で組み立ててはどうかなという感じはしています。2回目の会議の時に素案を示す形になりますので、今日みなさんからいただいたご意見などをベースにしながら、少し案を組み立ててみたいと。具体的に組み立ててみたほうが、ご意見としていただきやすいと思いますので、組み立ててみたいと思いますが、今、お話のあったような、福田須磨子さんの詩のような形で、前回去年は、土山先生であったり、谷口さんの言葉を提案してくださったんですけど、今回もそういった意味では、ほかにもまだこんな言葉で伝えたらどうだろうと、最初の共感の部分をこんな言葉でしたらどうだろうと案もあると思いますので、もしよかったら、早い時期に2回目の出来上がってしまう前に、2回目の時にお聞きすることもできるんですけど、その前に案として、こんなものもありますよというのがあったらご提案をいただければ、2回目にお出しする案の中にそれも検討することができると思いますので、そういったご協力も是非いただければと思います。

いろんな動き、いろんなご意見、いろんな要素が非常にたくさん出された1回目の会議で、例年のことですけど、なんとなくそれでも大きな傾向、大きな方向としては、ここ数年の今日の会議だけではなくて、ここ数年の会議の傾向も含めて、なにか見えてきているような気もしますので、そういうものも少し整理をさせていただきながら、2回目の会議までの準備を進めたいと思います。

もし、今日の会議に加えてまた、いろいろご意見があったり、さきほどお話した、素材、こんなものを入れたらどうでしょうかという案があったら、是非事務局のほうにご連絡いただければと思います。

さて、ほかに何かみなさんのほうで、最後ですけども、言い足りないことありましたら、あと何分か時間ありますけど、ございませんでしょうか。

大丈夫ですか。あとで言っとけばよかったって言わんでしょうね。

では、それでは。

〈挙手〉

【委員長】

どうぞ。お願いします。

【委員】

被爆都市として、市民レベルでの声が国際的な核廃絶の声をリードするというのは、理想だけれども、なかなか難しいと思います。ですからもう少しこの問題については、我々市民レベルでの取り組みと同時に、国の方でももう少し取り組んでいただく、あるいは少なくとも地方のそういった動きについて予算的に援助するとかいうのがあってもいいのではないかと。長崎選出の国会議員の方々も、地元の県民市民の声を反映するというのが、あの人たちの仕事でもあると思うので、そういうことも今後考えていいんじゃないかと思います。ぜひそういった市民レベルのことであれば、当然被爆地長崎、広島が世界的にリードしていくのだろうが、それにはなかなか限界があるのではないかと思うので、やはり国としても何らかの形で直接間接の協力、後ろ盾になってもらわなければなかなか難しいのではないかと思います。その辺のことも今後お願いの仕方も含めて考えなければならないのではないかと思います。

【委員長】

ありがとうございます。今の点については、国といろんなやり取りをする中で、こちらが実際に要望しても出来ることと出来ないことがあるのは事実ですが、その中で少しずつ実現していっている、あるいは国から提案があって形になっているものの一つとしては、若者達が海外で活躍する時のユース非核特使という形で、位置づけをしていただくことで、向こうに行った時にいろいろ大使館のサポートが受けられたりですとか、被爆体験を国内でお話しする時などにも、最近始まったばかりですが、国からサポートが受けられるようになってきたり、被爆のいろいろな遺構を保存するようなことについてもサポートが増えてきたりしています。今、指摘されたことも非常に大事なことだと思いますし、望ましい事だと思いますので、私達も国と一緒に、国全体で守っていくということも望ましい姿だと思いますので、みんなでこれは大事なものだから日本全体で守っていこう、また世界の皆さんも手伝ってみんなで守っていこう、人類の貴重な財産だからきちんとみんなで伝えていこうというようになっていくのが一番望ましいと思いますので、日本政府のそういった動きは非常に大事だと思いますので、これからもお願いをしながら、平和の取組みを増やしていけたらと思います。ありがとうございました。

【委員】

今と関連した話なんですが、日本政府にいろいろ要請してきて、その結果として今の状況ではないのかなと思うのですが。だから先程、市長が市民社会に向けて〇〇しようとおっしゃられたのは、もっともなことで大切なことだろうと思いました。繰り返しになりますが、日本政府に求めた結果として、私たちが要求してきた結果としての状況が、今の状況になっていると思ったのです。そのいろんな世界状況の中で、危機が増しているという状況、それが今物語っているのは、そのことではないのかと思います。一言言いたかったので。

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