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平成30年度第3回 長崎市平和宣言文起草委員会

更新日:2018年11月2日 ページID:031975

長崎市の附属機関について(会議録のページ)

担当所属名

原爆被爆対策部 平和推進課

会議名

平成30年度第3回 長崎市平和宣言文起草委員会

日時

平成30年7月7日(土曜日) 10時00分~12時00分

場所

長崎原爆資料館地下1階 平和学習室

議題

平成30年長崎平和宣言について

審議結果

【委員長】
 今日はいよいよ三回目の起草委員会なので、これが全体で協議する最後の機会となる。前回基本的な宣言文の構造についてはご了解いただいたような形の中で、今回の三回目の文案については、文言の整理や修正を行ったというのが一点と、二つ目の段落で、特に、少し原点に返った形で、「核兵器の廃絶」が私たちの目的であって、そして今の動きというのはそれと少し違っているんではないかということをしっかり訴えるということを少し強調するような文案になっている。もう一つ、市民社会への呼びかけの部分で、できるだけ入口を入りやすいかたちの文章、提案が発信できないかというご意見を受けて、少しこの部分も手を入れている。前回の文章と違っている点もあるので、ご意見をいただいて、最終案に仕上げていきたいと思っている。ぜひ今日も忌憚のない意見をいただくことをお願いしたい。

~(素案朗読)~

【委員】
 前回の委員会での意見をすごく取り入れてくださってありがとうございます。今後何をしていったらよいのかという45~50行目の所も、私が「どうしたらいいですか」と言ったら、「自分の好きな音楽やダンスで」と、ちゃんと入れてくださっていた。今回読んで、どうしたらいいんだろうと悩んだが、4か所。

 まず、最初の1~6行目。当時の情景を表す所で、もう少し自分事として捉えられるような言葉を入れていただければ、もっと良くなるのかなと思う。前回、子供とか大人とか入れたほうがいいという意見があって、入れてくださって、もう一声何があるかなと思ったら、親とか兄弟という言葉があった方が、それに惹かれて自分事として捉えるのかなと思った。あと、この文章で、宣言文を聞いているいろんな世代、若い人からご高齢に方までいらっしゃると思うので、みんなに伝わるためには、あまり難しい「殺りく」とか使うのではなく、もっと生々しいもっと簡単な言葉で表したほうが、より、その当時のことが伝わるのかなと思った。

 次、18~25行目。前回は違和感がなかったが、前回の委員会の時に、ここ長崎から、日本からやっていくべきじゃないかという意見が出ていたので、私もそこ共感して、今回この順番を、先に反対している国々の方、そして世界の皆さん、そして日本政府となっている所を、最初に日本政府と言って、次に反対する国々の方、そして24行目の「世界の皆さん。多くの国々が核兵器禁止条約を批准し、一日も早く発効するように、それぞれの国の政府に求めましょう。」という所、「求めましょう」というのは言葉が弱いのかなと思って、この宣言文は長崎から訴えていくものとするのであれば、「政府に求めていきませんか」とか、「求めてください」とかした方が説得力があるのかなと思う。ただ、26~27行目の日本政府は~という所を頭に持って来たら、28~32行目の北朝鮮の所にどうやって繋げたらいいんだと思って、そこはちょっと私はわからない。

3つ目は、土山先生と谷口さんのお話があった後に、前回は、「次世代への遺産として、語り継いでいかなければなりません。」とあったのを「語り継いでいきます」として、長崎の態度を伝えたいという意見があったが、やはりこの文章は残してほしいなとすごく思って、語り継ぐっていうことはわかっているが、やはり文章に残してみんなの耳に伝えた方が、よりいいのかなと。そして、語り継ぐっていうことを言って、そしてそのためには私たち市民社会にできることはありますって、42行目に繋げたほうが、ここの文章がスムーズにいくのかなと思った。

あと、43~44行目で、「被爆体験や戦争体験を聴く機会をつくることはその一つです。」と書いてくださっているが、ここにもう一歩ハードルの低いこととして、長崎・広島に来て、見て、感じることなのかなと思うので、字数は厳しいと思うが、「被爆地に来て、見て、感じる」みたいなことも、「その一つですよ」と付け加えていただけたらいいなと思った。

【委員】
 私からは3点。まず、18行目、「反対する」という文言だが、後に「批准」という言葉もあるので、文脈によっては国連決議での反対の意味に混同されかねないなという感じがした。国連決議では、反対は1で、あとはもう不参加と。棄権がシンガポール、反対がオランダ、あとは不参加ということなので、不参加も含めて反対の態度という意味だと思うので、ここは反対するではなくて、「支持しない」とか「否定的態度をとる」とか、そういった文言にしたほうが通じやすいのではないかなと感じた。

 それから、二つ目は、31~32行目のあたり、日本政府に対しての要望だが、前回は改憲の議論に踏み込み方が足りないというご意見もあった。私も同じことを感じた。現在の日本政府の動きを見た時に、2013年に特定秘密保護法、2015年に安全保障法制、2017年に共謀罪という風に、いずれも強行採決で国の方針が決められてきたということがある。じゃあその先に何が起こるのかという所、改憲の議論には非常に筋の通った意見などもあって、確かに多様な意見があると、それは尊重しないといけないと思うが、今申し上げたような文脈の中で憲法の問題を考えた時には、非常にやはり危惧するものがある。だから、こういった動きの中での改憲の動きに対して、釘を刺しておく必要があるのではないか。そういった意味で、平和憲法が、この非核兵器地帯を創る時に、日本に対する信頼を担保する非常に重要な根拠になるのではないかということ。だから、日本が平和、非核兵器地帯をリードするということに対しては、やはり日本政府の取る態度が、裏付けされたものがなければならないのではないかという風に考える。だから、そういった文言を少し入れていただけないかと、そういったリードするためには、やはり武力で解決する動きに対して非常にオルタナティブ(alternative:代替の、取って代わる新しいもの)な動きを進めていく必要があると、その辺りをもう少し強く表現していただけないかなということ。

 それから3つ目は、50行目の後。今朝の新聞で日本政府が核兵器禁止条約に参加しないことへの意見書が5つの自治体で可決されたという報道があった。前回、委員長の方で平和首長会議の話題が出されたけれども、市民社会の動きを受け止める自治体の動きというものも、やはり踏まえたものになればと感じた。

【委員】
 よい文章になっていると思う。これからも私たちみたいな被爆者が二度とつくられないようにするために、しっかりと我々は核兵器廃絶の声をあげて、世界に向かって、戦争をしたらいけない、命は地球よりも重いのだから、その地球より重い命を大事にしなきゃならないんだということを、しっかりと多くの人に伝えて、次の世代の人たちが安心した生活ができるような世の中をつくっていくのが、我々の責務だと思っている。そのためには、やはり過去を知り、現在を見つめ、未来へと向き合いながら、これから先、我々が何をすべきか、何をしなければならないか、ということをしっかりと把握して、今日の文書を読ませていただいたが、まさにこのとおりだと思う。これをとして、私も被爆者の一人として、次の世代の人たちが絶対に核兵器に遭遇しないようにするためには何をすべきか、何をしなければならないかを考えながら、一歩一歩前進していかなければいけないのではないかと、そう思っている。被爆者もどんどんいなくなっていくので、被爆の実相があまりわからなくなってくる人が多くなってきた。そういう人たちに対して、やはり、しっかりと文章として残しておいていただけたらいいな、皆さん今おっしゃられたように、この文章の中から抜粋して、素晴らしい言葉を残して、次の世代の人たちに手渡して、平和な社会をつくっていっていただけたらいいなという思いでいっぱい。今日はあまり勉強してこなくて申し訳なかったが、土山先生や谷口さんたちの言葉を胸に、私たちも、親兄弟が黒焦げになって死んでいったあの姿を、毎日毎日手を合わせながら二度とこのようなことがないように願っていた今日この頃だけれども、これからも、もう私たちもいなくなるので、その後は次の世代の人たちに託して、素晴らしい世の中をつくっていっていただけることを願いながら、今日の会議に参加させていただいた。皆様方の御多幸を祈念申し上げたい。

【委員】
 私も文章の片言隻句(わずかな言葉、ひとこと)を取り上げて、いろいろと物申し上げるつもりは全くないけれども、4行目の、「川には水面を覆い尽くすほどの遺体が浮き沈みしていました。」という所が、私は被爆時点で12才、小学校6年生で、たまたま出島に住んでいたので、当時浦上川から遺体がずっと流れてきて、長崎港内にかなり流れてきた。それを出島岸壁で、すくい上げて、というよりも遺体だから拾い上げてという形で、あそこの状況を見てる私にとっては、「川には水面を覆い尽くすほどの」という表現では、あの当時の悲惨さを表現するには何かちょっと物足りないような感じがする気がするので、川面だけではなくて、長崎港内を覆いつくすという表現はオーバーになるけれども、かなりの遺体が長崎港内にも流れてきたという、その悲惨な状況というのを語ることなくして、ただ単に浦上川に遺体が漂っておったという状況とは全く違うということだけは、何か言葉にしていただけないかなという感じがする。

 それと、前回も申し上げたけれども、被爆地である長崎あるいは広島、そういったところの被爆地ではなくて、あくまでもこの発言が、呼びかけが世界の共感を得るものでないという所が最終目的であるはずだと思う。したがって、被爆地から声をあげることだけで満足感を得るのではなくて、世界的、国際的な共感を得るような発言でなければならないと思う。したがって、前にも申し上げたとおり、国際的な舞台の発言がかなり大きく効果を結びつつあって、本年も国連を代表するような立場で、事務総長あるいはそれに代わるべき人がおいでになるという可能性が非常に大きいということは、先生方の国際的な舞台でのご活動ご発言が、かなり実を結びつつあるんではないかと思って、私は大変喜ばしいことではないかと思っている。そういったことで、あくまでこの核兵器廃絶の運動というものは、地元だけの自己満足的な運動に留まることなく、国際的な共感を得る大きな国際的なムーブメントであるべきだと思うので、そこの基本的な考え方を、今後我々ははっきりと持ち続ける必要があるんではないかと思う。

【委員】
 まず20行目。核兵器の材料となりえる核物質が増えたりしている状況というのが、私にはちょっと理解できない。どういったもので核物質が増えているのかということ。そういった点では、米露を中心とした核兵器の近代化が進んでいるということを含めたらいいのではないかと思う。

被爆者の年齢は、2日前の新聞に82.06歳となったので、小さいことだが、「82歳を超えました」がいいんじゃないかと思う。

 憲法問題については、先ほどの委員の意見に本当に同感だと思っている。私たち被爆者は、この戦争があったからこそ、原爆を投下されたんだということ。だから、日本が今の憲法を持つようになってから、73年間日本人が戦争で殺されたり殺したりしたことはなかったわけ。それがやはり現憲法の第9条の戦争放棄と戦力不保持、そのことが今の日本を築いてきた。そして経済的にも発展してきたと私は思っている。そういう中で、残念ながら歴代の政権で憲法が拡大解釈をされて、今では集団的自衛権も憲法に合憲しているんだというような話があって、それが実行されている。総理大臣も特別公務員だから、憲法を守らなければならない立場にある、その人がやはり憲法をないがしろにして、この9条に自衛隊を書き込むということを言っている。国際的な憲法学者の中には、新しく書き換えた方が力強くなって、言うならば、今の憲法にあるような言葉がだんだん力を失っていくんではないかと私は思っている。特に、皆さんもご存じのように、スーダンにPKOで自衛隊が派遣された時、日報が国会で明らかになっているように、国会で日報はないとしていたのが1年後に日報があるということがわかって、そういう中で出されたわけだが、ほとんどが黒塗り状態。いうならば、日本国民が知らない間に、非常に危険な所に入っていっていると。だから黒塗りをされたんだと私は思っている。そういう中で、私は今の憲法9条を守っていくというのは、この核兵器廃絶と大きくつながっている、私はそう理解している。そういう中で、やはりこの憲法問題に触れることができるのは、長崎の平和宣言以外ない。そういった面では、ぜひこの憲法問題については、一言二言入れてほしい。これが被爆者の願いであるということ。

【委員】
 私は先ほど委員長が読み上げられたのを、文章を読まずにあえて耳だけで聞いていて、そこで感じたことが4つと、言葉のニュアンスの問題で細かいことが2つあるなと思った。

まず初めに、1行目から6行目の最初の段落について、どうしてもすごくマクロな視点の印象のみを受けた。「おびたたしい数の黒焦げ亡骸が」と言うこところとかも、想像しようとしてみたが、黒い物体が唯々あるだけとしかあまり想像がつかなくて、そこに一人ひとりの生活だったり、大切な人がいたという所が見えてこないなと思った。もっと生々しや、どろどろしさが必要になってくるなと思った。

2つ目は、34行目から40行目までの土山先生と谷口さんのお二人の言葉の所、40行目で谷口さんの言葉で終えてしまっていて、それを受けての結合の文書が欲しいなと思う。この二人のお言葉を書いて、それをどう受け止めるのか、どうしていきたいのかをやはり一言入れて、42行目に繋げていったほうがいいなと思った。

3つ目は、21行目の「核兵器は絶対悪なのです」という所、 長崎や広島の人、今ここで委員としてやっている私どもにとっては、核兵器は「絶対悪」というのはすごく当たり前のことだが、他国の若者だとか、核兵器の話を今まで全然学んで来なかったり、そういう話を聞いたことがない人にとっては、私たちにとって当たり前の「核兵器は絶対悪だ」ということ自体がよくわからないと思う。それをどうやって「絶対悪」なのだよと伝えるかというか、その根拠は非人道性を伝えることであって、だからこそこの1~6行目でおどろおどろしさを出すことで、少しでもわからないなりにも核の非人道性を伝える必要があると思った。

4つ目は、憲法の話。核廃絶の云々を話すにあたって、大元は戦争する、しないの話になってくる。日本で戦争をする、しないの話をするとしたら、憲法の話は避けて通れないと思う。なので、どういう触れ方をするのかという程度はあるが、やはり触れるべきなのではないかと私は思った。

あとは細かい話になる。20~21行目の文章は、読んだらわかるのですが、耳で聞いた時に何ともはっきりわかる人はそこまで多くないのかなと思った。29~31行目も、耳で聞いたら結構長くて、結局すんなり入って来なかったなと思うので、 言い方を少し短くしたりだとか、工夫が必要かなと思った。

【委員】
 私も前回冒頭の、長崎原爆の描写がややあっさりした印象を受けたので、できればもう少し詳しく語ったほうがいいのではないかというようなことを申し上げた。それで、今回の案文もとてもよく書かれていると思うけれども、やはりもう少し文量的に増やしてもらいたいなと感じがする。先ほど委員が具体的な目撃された方の証言としてのことも話されたけれども、前回の案文と今回の案文で量的、全体の比率としてここの部分は変わっていないので、それで私は目撃者ではないので、どう表現すれば、どう書けば、増やしたところで短い文章に変わりはないので、そこがどうすれば効果的になるのかというのはこの場で提案する力はないけれども、何とか長崎原爆の描写をする部分というのは、毎年同じ、必要なことと言う意味では同じではあるけれども、やはり他の部分と、同等以上の重要性があると思うので、具体的でなくて申し訳ないが、何とかしてほしいというように思う。

次に憲法については、今日も言及が皆さんからあっているけれども、私も再度この点は被爆地長崎として政府に主張していくべきことはあるはずだと思っていて、今この現在の書き方では少し足りないのではないかなと思っている。加えて言うと、今回特に、土山秀夫さんと谷口稜曄さんについての言及があえてこの案文の中でなされているが、お二人とも長年この起草委員会の中で、主導的な強い発言をされてきた方たちであって、このお二人の主張と言うのは、まさに憲法について、特に土山先生、谷口さんも前おっしゃっていたのだと思うけれども、土山先生は必ず毎回おっしゃっていた。そういう意味では、皆さんがそこのところを今回の起草委員会でおっしゃるというのは、難しい話ではあるが、土山先生が言ってきたこと、谷口さんが言ってきたことを代弁しなければならないというお気持ちがあるのではないかなというように推測をする。

次に、原発事故に関する言及に関しては、前回よりも具体的になっていると思った。 もっと書いてくれたら言うことないけれども、一応前回よりも具体的になっていると思った。

一番今回拡張されているのは、朝鮮半島の非核化に関する言及というのは、量的に一番増えていると思った。これも少し無責任なのだが、ではこれでいいのかというところが正直私わからなくて、専門家の皆さんのご意見を拝聴して勉強もさせてもらいたいと思うが、こういった方たちの、被爆地長崎から発する言葉として妥当な、効果的な文章をひねり出していただきたいとお願いする。

【委員】
 この案というのは非常に全体的にまとまっていて、 事務局のご苦労に敬意を表する。本当によくできていると思った。ただ、少し気になる点があるので、できるだけ簡単に述べさせていただきたい。

1~6行目の被爆の実相の部分。前回と比べるとかなり改善されている。 聴く人にも伝わるものと思っている。もう一つお願いするとしたら、原爆の非人道的な側面をもう少し強調できないかと考える。例えば、「原爆は、人間が人間らしく生きる尊厳を無残にも奪い去るものなのです」と、すらっと流してあるような感じがするので、もう1センテンス入れて、「原爆は人として生きる尊厳さえも一瞬に情けなく奪い去るものなのです」 と入れたら変わるような気がしていた。

8~11行目の日本国憲法の表現は、市民の思いは十分にこれで伝わるのではないかなと。 前回の時は、憲法は入れない方がいいと発言したが、これで十分ではないかと、長崎宣言文としてはいいと思った。

45行~50行、 前回の起草委員会でも発言したが、被爆者の高齢化は待ったなし。この文言の内容では、どちらかというと明るい市民生活を既に送っている人々にはぴんと来るが、未だ慢性遅発性の原爆症に苦しんでいる人、それから遺伝子問題で二世三世の方が子どもを産むか産まないかと言うようなことまで考えている、いつ自分に顕性が起こってくるかと心配なさっている方もかなり多いと感じている。被爆の継承は、長崎のみならず日本が急いで解決しないといけない課題。長崎市として、被爆の継承問題に取り組む強い決意を示していただいて、具体的に長崎市として何をどうするかを踏まえて、核兵器廃絶と世界の恒久平和に向けて、平和推進協会の二本の信条でもあるが、これを訴えてほしいと思っている。つまり長崎市や広島市にしかできないことがもっとあると思う。それを着実に実行することで、日本政府にも、世界各国にも訴えることができると思う。ぜひご検討をお願いしたい。

【委員】
 今回頂いた文章を読ませていただいて、前回のよりもかなり整理をされていて、わかりやすくなったなというのと、非常に曖昧ではなくて、はっきり長崎としてものを言う姿勢が以前より出てきたなと感じた。いろいろご意見、今までも出てきたけれども、特に感じた部分を申し上げさせていただく。

憲法問題、私前回かなり強いことを申し上げたと思うが、やはりこれでは非常に心もとないなと思う。というのは、この宣言文を長崎が発するのはなぜかなと改めて考えてみた。やはり被爆地という特殊な事情の中で、私たちは被爆者の方たちからいろいろ学んで、核兵器廃絶に向けてずっと訴えを続けてきたのだと思うので、先ほども出たように、なぜ核兵器廃絶を言うのかと、戦争がなければこれを使うことはまずあり得ないと思うので、その根源にあるのは戦争という、核兵器廃絶を言う前提としては戦争があるから、それを言わなければならない現状が世界中で起こっている。そのことに対してやはり物申さないではなくて、被爆地だから申さないといけないことがあるのだと思う。そういう意味では、私は11行目「実現を未来に託した」ということであれば、でもそのことが揺らいでいるから皆が心配しているし、懸念している、そうあって欲しくないということはやはり私たち被爆地の訴えの中で正当なものだと私は考えている。だから、非常に強い言葉では言えないにしろ、今その決意が揺らいでいるのではないかという不安が生じているということは確かなことだと思うので、少なくともそのくらいは触れていただきたいし、この間私と同じ主婦の立場の人たちに聞くと、今まで本当に平和について話さなかった人たちが「日本は戦争するのではないか」となって、特に、子どもが孫が、という人たちの言葉が以前よりでてきているというのは、やはりじわじわとそういう懸念が浸透してきていると思うので、市民の間に。そのことを避けて通るということは、 被爆地の役割としては少し弱いのではないかなということで、先ほどから出ているように、私はこれにはぜひ触れていただきたいと思う。

それから15行目の所、これは本当に小さなことで申し訳ないが、「核兵器のない世界の実現を、世界の多くの人々が」となっているのが、核兵器というのは世界というより地球上、地球をなくすのではないかという深刻な問題なのだと思うので、「核兵器のない世界の実現を、地球上の多くの人々が」と、隅から隅までの多くの人々が求め続けているというような表現にできないかなと考えた。

あと27行目の所、順番を並べ替えたらというご意見があって、それは私も思った。まず世界に訴える前に日本政府に訴えて、それから世界に訴えるのが私は日本国民としての筋ではないかなと思う。まず日本政府に訴えて、そしてその日本政府も一緒に、「世界の皆さん一緒につくっていきましょう」とするのが筋ではないかなと思う。それから、「リーダーシップを取ってください」となっているけれども、 私は「リーダーシップを行動で示してください」と言いたいと思う。ただ「賛同します、賛同します」と言葉だけでなく、それが成立するように行動していくことが日本政府の役割だ、ということをそこで求めていけたらいいなと思っている。

それから次の32行目で、「進めていくべきです」と主張していただいたいのは非常にありがたいなと思う。

それから40~42行目の所、この前あったのが抜けているということを何人かの方からも出ていたけれども、長崎のお二人の言葉を繋ぐ言葉として。ただ字数を見ると非常に厳しいので、それをどこまで実現できるかとなるが、先ほど出た朝鮮半島の問題とかが、少し整理できていけたら少しできてくるかなと思うが、私はここで長崎の核廃絶運動をリードしてきたお二人、そのお二人の言葉があるので、もう一回「長崎は」ということから、「73年前の不戦の誓いと共に二人の言葉に含まれた思いを次世代に引き継いでいきます」という覚悟をここで言ってもいいかなと思う。だから「不戦の誓い」という言葉はぜひここで入れていただきたいなと思った。

それから49行目の所、 「市民社会こそ平和を生む」となっているが、これは「生む」 なのか「育む」なのか、私は言葉遣いがよくわからないが、やはり平和とは皆で育てていくもので、ここでぽっと生まれるものではなくて、だから「生む」なのか「育んでいく」、むしろ育てていくものかというのが気になった。その辺は専門の方で検討していただけたら。私は「育む」の方が一緒に育てていくというのでいいのではないかなと思った。

それから52行の所、ここは先ほど出たように詳しく触れていただいて、前回よりは随分よくなったと思うが、やはり私は「東日本大震災の原発事故から7年」という言葉を先に持ってきていただくと、クローズアップされて、放射線の影響というのがもっと強く訴えられるのかなと思った。

最後に気になっていた「81歳を超えても」というのが去年と同じ表現だったので、1年経って、81歳はおかしいなと思って。先ほどご意見がありましたので、納得した。

【委員】
 今回の最終案だが、よく整理されて、平易に書かれているけれども、迫力がちょっと弱いのではないかと思う。ある程度尖がった所もないと、なかなか宣言としての主張がやはり平易に流れてしまって、迫力に欠くという所が生まれているという感じがした、全体の印象が。

細かい所では、12行目の禁止条約に関する部分、これまで長崎から、禁止条約のことを多くの国々に訴えてきたわけで、その多くの国々が成立に積極的に関わって採択されたわけなので、その多くの国々が入っていない所が、「被爆者をはじめ多くの人々」が主体になっているわけだけれども、やはり「国連加盟国の多くの国々が」というのをここは入れるべきではないかと思った。

それから18~25行のパラグラフ、これもよく書けていると思うけれども、この「必要悪」という言葉と「絶対悪」という言葉が、特に「絶対悪」という言葉は広島の平和宣言がよく使ってきているけれども、「絶対悪」というと、なんとなくそのあと「絶対悪、絶対悪」と、不器用ではないけれども、題目みたいに唱える以外にもう何もない気がするので、そこを「非人道兵器」とか。やはり「絶対悪」なのになぜ「必要悪」として使うのかというところが一番ポイントなので。「絶対悪」「必要悪」という言葉は、僕はあまり使わない方がいいのではないかと個人的に思っている。そういう意味では、ここの文章が一番今回の宣言の肝の部分なので、もう少し、この部分こそわかりやすく、非人道性とかいろんな言葉で表現していった方がいいのではないかと。

そして、23行目の「今こそ核兵器に頼らない安全保障のあり方に政策を転換する時です。」というのも、これもいいのだけれども、なかなかですね、このことが今回の米朝もそうだが、最大の問題なので。だから、あり方に政策を転換するということは、そういう政策が見えているのだけれども、その転換すればいいというのはちょっと。見えていないから大変な苦しみを人類が味わっているわけなので。これはあまりにも平易な書き方すぎて、迫力を生まない原因の一つとなっているのではないかなと。

それから26行目の、これが最後の件だが、「唯一の戦争被爆国として、禁止条約に賛同し」と日本政府に対してこのように言うという所は、日本政府が反対、参加していない、 参加を否定している、ということを批判する文書が入らないと、その考えを変更して賛同してくれときっちりと言うべき。それを言わないで「賛同し」ということがまた、迫力を生まない原因になっているのではないかなと思う。それから、国会に対しての要望を付け加えた方がいいのかなと。今世界中で批准をしてくれということで、批准は国会がするので、それぞれの国ので。国会に対する要望というのが、あちこちの世界中で生まれつつある状況で、日本はまだそれが非常に弱いので。国会に対する要望を一言入れていただけたらと思う。

【委員】
 全体として非常によくまとまっていて、このままでいいかなと思ったが、今皆さんのご意見を伺っていると、なるほどというようなご意見があったので、私の方からはいくつか、細かい所も含めて、コメントさせていただきたい。大きな話としては、前回の文章に比べると、16行目の「世界には14,450発の核弾頭が存在しています。」という文章が何か浮いてしまっていて、核戦争や、核のリスクが増えているという、そこのところが少しつながりが悪いかなと。前回はつながっていたように思うが、例えば、先ほど出た「核兵器をより性能の優れたものに切り替えたり、核兵器の材料となりえる核物質が増えたりしている状況を見過ごすことはできません。」というのは、つなげた方がいいのかなと思う。この所がわかりにくいというご指摘があった。まず、「核兵器をより性能の優れたもの」という言い方が、多分、「核兵器をより使いやすいものにしようとしている」とか、その方が、怖さが伝わるかなと。それから、「核兵器の材料となりえる核物質」の話は、実は増えているのは原子力の平和利用から出てきているものが増えているので、これは委員の意見にもつながるが、もし入れるのであれば、わかりやすくするのであれば、「核兵器の材料となりえる核物質が、原子力の平和利用からも増えている」とか、後につながるような、脅威が増えているという実感が伝わる方がいいかなと思う。もし、そこを上にあげてしまうとすると、18行目の最初の「核兵器禁止条約に反対する国々のリーダーに訴えます。」がまたちょっと浮いてくるかなと思い、ここで言いたいことは、「核兵器に頼らない安全保障のあり方に政策を転換する時です。」ということを強調したいということだと思うので、「核兵器禁止条約に反対する国々」と言うよりは、「核兵器に依存している」とか「核兵器に頼っている国々に訴えます」という、「核抑止」という言葉を使うかどうかは別として、「核兵器に依存している国々」に、私たちは早くその依存から脱局してほしいということをまず強調して、それで「核兵器禁止条約に署名してください」と言った方が強く感じるかなと思う。核兵器禁止条約に署名するだけでは、なかなか核戦争のリスクは減らないということがあるので、ここを強調したいと思う。

 最後の、24行目の所、ここは日本語として、「多くの国々が核兵器禁止条約を批准し、一日でも早く発効するように」となっているが、「核兵器禁止条約が一日も早く発効するように、多くの国々が批准するよう」という方がすっきりするかなと思った。「求めましょう」というのも、何か他人に頼むような感じがする。「求めます」がいいのか、自分たちも日本政府に「訴えます」にするのか、ここも詰めた方がいい。

 戻って申し訳ないが、22行目の核不拡散条約は、実は今年条約ができて50周年。今あちこちで50周年のイベントが行われているが、NPT、核軍縮の取り決めをしたのが実は50年前。だから、「50年前に」と一言入れていただくとわかりやすいかなと思う。

 それから、朝鮮半島のところは、先ほど委員の発言があったので、私の方から言いたいのは、これ、よく書いていただいたと思うのですが、大事なことは「元に戻らない」。細かいことはいっぱいあるが、検証とかいろいろあるが、そういう細かいことよりは、「絶対元には戻らない」ということを強調してほしいので、私は「後戻りすることがないよう」という文章を入れたのですが、短いスペースで強調したいことといえばそのことかなと思った。

 それから「不戦の誓い」という言葉があったのは、私も大事だと思って、どこかにあった方がいいかと。「平和憲法」もそうだけれども、「戦争をしない」ということをぜひ強調してほしいなと思った。

 それと、47行目の「折り鶴を折って被爆地に届け続けている人もいます。」というのは、広島・長崎に世界から届けているということか。先ほど委員から、世界に共感を覚えるためには、世界にいるヒバクシャの方々、核実験の被害者も含めた、に訴える言葉が今回ないので、世界のヒバクシャと共感するような文章をここに入れていただきたいなと思った。折り鶴を折って世界のヒバクシャに届けている方がいるかどうかわからないが、日本、被爆地に届けているだけではなくて、日本から世界に届けている人たちもいるんだという、そういうこともあっていいかなと思う。

 それから細かい話だが、原子爆弾という言葉と、原爆という言葉が両方あるが、変えておられる理由があるのか。最初に原子爆弾と言う言葉が出てきて、また最後に原子爆弾が出てくるが、途中から核兵器になるので、原子爆弾という言葉を残すなら残してもいいし、原爆でもいいかなと思うが、これは特別に何か意味があるのかなとお聞きしたかった。我々はもちろん、核兵器には水爆もあるし、今の核兵器の威力と言うのは広島・長崎の原爆の何百倍も威力を持っているということもあるので、原爆より、強調するならやはり、核兵器の強力な威力についても述べていただきたいなと思った。

【委員】
 全体的にきれいな文章だなと思ったが、やはり何か、時々ハテナマークが付く所が多くて、「子どもも大人も」というのはわかるが、子供たちと話す時に、人間はそうだけれども、動物も被害があったということによく反応するから、やはり「子どもも大人も、生有るものは」とは「生きとし生きるものは」とか、全体的にもう少し考えていただくといいのかなと思う。先ほど、6行目、言われたけれども、「生きる尊厳を無残に」というのを、私も「尊厳さえも無残に」と言う方が、強く感じるのでそこは変えてほしいなと思った。

 去年ICANがノーベル平和賞を受賞された問題は、平和学習をする小学校でもとても反応がよくて、10年間活動して、ノーベル賞につながったんだというのを、すごく希望を持って感想でよく言ってくれる。ただ、私がそこで感じるのは、日本が賛同していないということのもどかしさを、とても感じる反面があるので、ここの文章は確かに、世界に14,450発の核弾頭が存在しているというのは大きなことだけれども、このノーベル平和賞が獲れたがしかし、「日本の政府は条約づくりの動きに反対し、今後も署名することはないとしています」と、日本の立場を一度しっかり語ってほしいなと思う。後からも出てくると思うが、やはりそういう世界の動きがあるのに対して、日本の動きはこういう立場なのだという所を、もう一度強くみんなに示してほしいなという所でここにこの言葉を入れてほしいなと思った。

 順番に言うと18行目の、「核兵器は『必要悪』だ」というところの「必要悪」という言葉が、「必要悪」と「絶対悪」が対比語で使われているのはよくわかるが、私も文章を見ないで耳だけで聞いた時に、「必要悪」という言葉にすごく違和感を覚える。必要なものなのにそこに「悪」が付くということで、何だろうと考えているうちに文章が進んでしまうのは、とてももったいないことだなと思うので、「核兵器は必要だと当然のように主張する風潮」でも私は構わないのではないかと、特に「悪」を付けなくてもいいのではないかと思う。

 あと、26行目からの文章が、日本が「リーダーシップをとってください。」という言葉に関して、「リーダーシップ」というのにすごく違和感を覚えます。リーダーシップというのは、すべての参加している者同士が賛同して、そこの中からリーダーシップを取っているということなので、もともとそこに賛同していない日本がリーダーシップを取るということ自体の、言葉の使い方がおかしいのではないかと思った。ここは、もしそのようなことを言いたいのならば、「イニシアティブを発揮してください」とか、「それに賛同して、先頭を切るような立場に立ってください」というような言い方の方が正しいのではないかと思う。

 後は、最後の43行目の「被爆体験や戦争体験を聴く機会」というのは簡単にまとめられているなと思うが、確かに被爆体験を聴く機会というのは大切なことだが、被爆継承を考えるのならば、やはり被爆継承をしている人たちの場を増やしてほしいということは、私は初回から言い続けていることなので、もしこの文章の中に書くことが難しいのならば、宣言文を出されるときに必ず解説書を出されるので、この中に、やはり今年、被爆体験の伝承者だったり、朗読だったり、全国で活動できるということを説明文の中に入れていただいて、長崎からそういうことを自発的にしていることがある、ということを皆さんに紹介して、被爆体験を長崎に聞きに来てくださる素材というか、心構えのようなものをきちんとできることを育てないと、長崎に興味を持たないし、被爆体験を聴こうとも思わないし、やはりその前の段階がとても大事なのではないかと思うので、これはぜひ、そういう意味でも、ぜひ世界の方々に向けて長崎からこういう活動をしているということを説明の中に入れてほしいと思う。

【委員】
 今回の素案を読んで、全体的にまとまっているなと私も感じた。ただし、1~6行目の、その時の現状を表現するというのはすごく難しいと私も思っているが、やはり表現がきれい過ぎて、やはりストレートに表現しないと、今の特に若い人には伝わらないなという風に思った。特に、やはり2行目の「殺りく」という言葉は、私も家族交流証言で回っているけれども、子供たちには必ず「殺され」という風に、ストレートに表現をしている。あと、「亡骸」という言葉も、亡くなった方に対する思いがあって「亡骸」という風にされていると思うが、現状を表すとなると、やはり「死体」になるのではないかと思う。3行目の「水を求めてさまよい」という「さまよい」という言葉は、私も昨年の起草委員会でも言ったが、「さまよい」というのは水を求めてさまよっているだけではなく、別れてしまった家族を求めてさまよっているとか、やはり自分が助けてもらえる、安堵の場所を求めてさまよいとか、水を求めてだけではないと思うので、「さまよい」という言葉は使わない方がいいのではないかと思う。この文章をそのまま使うのであれば「人々が水を求めてやっとたどり着いた川には、多くの遺体が浮き沈みしていました。」とか、川だけを限定し、水を求めてだけを限定してここで述べたいのであれば、そういう表現をするべきではないかと思う。あと、「子どもも大人も」だけではなく、「すべての生き物が」という所に子供たちが反応するというのは確かにそうで、今家にもペットがたくさんいる家庭が多いけれども、やはりそういうところで子供たちも反応するので、「生き物」と入れるのか、私は紙芝居で家族証言をしているけれども、父が書いた体験文をそのまま紙芝居で読んでいるが、父の書いた体験文の中にもそういう表現があって「人間も、動物も、昆虫も、植物さえも、すべての生き物は焼き尽くされてしまった」という表現があるので、被爆者の方たちは多分そういうふうに感じていたのだろうということを踏まえて、何か上手く文章を作っていただきたいなと思う。

 全体的に文章に迫力がないと委員もおっしゃっていたが、あまりもう文章を変えたくないのであれば、語尾を少し変えるとか、そういうところで強い思いというのは表現できると思うので、そういうところで工夫してみてはどうかという風に思う。

 あとは、やはり私が1回目の素案で出した土山先生と谷口さんの言葉を入れていただいていて、とてもありがたく思っている。やはりその後の文。そのお二人の言葉を受けて、私たちはどうするべきなのか、どうしていきたいのかという、前回の素案にはあったものを、ここには入れるべきかなと思う。

【委員】
 私もこれを読んだ時に、非常に整理されているという印象を受けた。言葉をわかりやすく、平易なものに変えたのかなと思っている。その結果という所も結構あると思うけれども、話のピークという所を感じない、そういう全体としての印象を受けた。先ほどから出ている意見の中で、20行目の「核兵器をより性能の優れたものに」、これは委員が仰っていた「近代化」のことを平易な言葉で述べたものだろうという風に思う。「近代化」という言葉を避けてわかりやすく表現しようとしたのかなと思う。それから、細かいことで、「必要悪」という言葉が、たぶん最初に、私は国連事務次長の中満さんがNPTの時に喋った、「核兵器が必要で、有用だというレトリックが生まれ始めている」と、要するに核兵器はなくさないといけない、ということすらもほとんど眼中にない、そういう平気で核兵器の必要さと有用さを喋る風潮がある、ということを踏まえて生まれてきた言葉なのだろうなと思ったのですが、「必要悪」があるので「絶対悪」という言葉を持ってきたのかなという文章のつくりを感じるけれども、「必要で有用だ」と言うことの方が、今言われていることにそのまま則して内容が伝わると思う。

 一番大きい所で、前回からの変化、新たに加わったところは、28行目以後の朝鮮半島で起こっていることについての記述だと思う。前回はまだ、6月12日の米朝首脳会談前の会議で、ここをどう書くかはっきりしないということだったが、それを踏まえたものにしようというのが、前回の会議の結論だったと思う。そこの所をこのように書いていただいたということで、ここをどうするかというのが、確かに今日のご意見を聞きながらも、ちょっと整理する必要があるのかなという印象がしている。2つの重要な、朝鮮半島で起こっていることを捉える視点があると思う。一つは、「外交による非核化が実現しようとしている」こと。戦争になりかけて、核保有ということがきっかけとなって戦争が起ころうとしているという危機がある中で、話し合いの場ができて、そしてその話し合いの場も非核の粘り強い交渉をやっていって、非核化が実現するという、そういう一つの大きな、これは北東アジアという地域に限らず、グローバルな目で見ても、やはり世界的な核廃絶に教訓となるような、一つの大事なことが起こりつつあるという側面が一つあると思う。もう一つは、次につながる、日本にとって本当に稀な、歴史的な機会が生まれている。日本自身が核の傘に依存しないで、非核化、核兵器に依存しないで安全保障政策に転換する、そういう契機が生まれているという二つのメッセージがあって、両方がここでは書かれていると言えるかと思うが、スペースが限られる中で、どこを強調するかということを少し整理する必要があるかなと感じる。どういうふうな流れの中で整理をするかと言うと、やはり私は、日本にまたとない、日本自身が核兵器に依存しない、核の傘から出る機会が生まれている。そのために、このチャンスを逃さないでいこうという所に絞って書いた方がいいのかなという感じはしている。その時も当然、朝鮮半島と日本を含めた非核化という意味なので、地域的な視点はおそらく入ってくるのかなと思っている。そういう整理をして書く時に、31行目にある、この言葉はこのままでもちょっと引っかかったのですが、「乗り遅れることなく参加し」というのは、日本政府の実態を表している、そういう言葉であろうとは理解するけれども、「またとない機会が訪れている」という捉え方の中では、「このチャンスを逃すな」という、もっと積極的な表現で「この動きを積極的に活用し、日本と朝鮮半島全体を非核化する『北東アジア非核兵器地帯』構想を今こそ進めていくべきです。」という風に、積極的な表現に変えた方がいいと思っている。28~29行目辺りをそのように持っていくための書き方、ちょっと今すぐには文を提案できないが、それが一点大きな所。

 あとは細かい文言になるが、国連決議という言葉で一般的にはいいのかなと思いつつも、結構安保理決議が拡散しているので少し固くなっている。国連総会決議というふうに表現した方がいいのかなと思う。それから23行目の、この言葉はそのまま使われるのではないかと思うが、「今こそ核兵器に頼らない安全保障のあり方に政策を転換する」とか「安全保障のあり方」というのがモタモタした言い方になっています。だから、「安全保障を目指して政策を転換する」とか、「あり方」というのが言葉として非常にわかりづらい言葉になっていると思う。

それから42行目、この宣言全体はやはり核兵器のない世界というのが貫かれているので、「平和で核兵器のない世界の実現に向けて」という、それ以下の具体性も「核兵器のない世界」という所にかかってくると思うので、その言葉は入れた方がいいと思う。それから、市民社会にできることという、最近ではこのように言うのでもう日本語としてもおかしくなくなっていると思うが、以下ではどちらかというと一人ひとりが動きましょう、自分にできることがありますよということなので、やはり、「市民一人ひとりにできることがたくさんあります」という風に、一人ひとりを主体に絞った方がいいかなと思う。それから43行目、どなたかの意見でもあったが、聴く機会をつくる側として、一歩んだ所でも行動を求めているのでしょうが、その前にまず参加するとか、行くとか、被爆地を訪れるとかというのがもっと手前でできることなのではないかと思う。

【委員長】
 今、ご意見を伺った中で、一つ。委員から、原子爆弾と原爆の使い分けがあったが、今までの平和宣言で使い分けている部分があるとしたら、最初に出てくる時は原子爆弾で、その後は略して、原爆と。最後は締めの部分なので、正式に原子爆弾としている感じになっていると思うが、意識的にやっていると言われるというよりも、全体の流れの中で使い方をしている。そういう意味で、おかしい所がないかという点は、また毎年チェックをしてみたいと思う。

 いろいろなご意見をいただいてやはり、案を作る段階で気づいていないことが本当にたくさんあるということを感じたし、また、いろいろ気を配ったつもりが独りよがりになっているという所もあるし、今日いただいたご意見をしっかり吟味しながら、最終の文章に仕上げていきたいと思う。特に、いろいろ、今、今年の平和祈念式典に国連事務総長に参加していただけるという動きがあるというニュースが流れたけれども、あるいは、ロンドンでカズオ・イシグロさんとお会いしてきたインタビューの中でも、やはり戦争体験の継承、これは原爆だけでなくて、第二次世界大戦の体験の継承というのが、私たちの世代の大きな役目だというようなご発言もあった。そういう意味では、平和宣言も世界の皆さんといろいろ共有できる部分があるという点では、委員からもあったが、できるだけ多くの皆さんに伝わるような文章にしなければならないと思うので、今いただいたご意見をもとに、またしっかりと、もう一度検討をしてみたいと思う。

 大きな部分でもいろいろご意見があったが、特に、今回新たに加えたという意味では、私たちが目指しているのは「核兵器のない世界」ですよね、ということを確認する意味で、そうなんだけれども、でも今は必要なんだ、という最近の必要性を訴える議論が増えているんじゃないかという中で、これはやはりなくさないといけないものなんだということを確認するという意味で、「必要悪」と「絶対悪」を今回初めて対比する形で使ってみたが、かえって伝わりにくいということもあったので、今後検討してみたいと思う。

 とりあえず今回非常にたくさんのご意見を頂けたので、これをどうやってまとめていくかということは、これから考えたいと思うが、他の委員のご意見を伺う中で、これも付け加えておきたいというご意見があればいただければ。

【委員】
 先ほど東日本大震災というよりも福島の原発事故という方がいいという意見があったが、私もその方がやはりいいと思う。それから、応援していきますということで、今原発の被害者たちが裁判をしなければならないというような状態になっている。だから、そういった点で、国、東電は東日本に対して最後まで保障の責任を負うべきだということを、応援する言葉として一言入れてほしいなと私は思っている。

【委員】
 先ほどの「核兵器は『必要悪』だと当然のことのように主張する風潮」という所の、「風潮」が今少し気になってしまって。「風潮」というとなんか空気みたいな感じだが、実際主張している人たちがいるわけだから、当然だというように主張する国々や、なんというか、主張する意見というか、実態があるわけですから、「風潮」という言葉が、ちょっとなんか雰囲気として弱いかなというのが一つ。

 26~27行目の日本政府に対する要請だが、皆さんおっしゃるように弱いかなと。前回の文章を読ませていただくと、以前は「対話の場を設ける」という提案が消えてしまったのが、何か具体的な提案を一つ入れる方がいいかなと思って。対話の場を設けるのがいいのかどうかわからないが、先程国会に訴えるという話はなかなかいいと思うし、政府には対話の場を設ける、国会に動いてほしい。あるいは、日本の地方自治体が今決議をしているとか、そういう何か、「リーダーシップをとってください」だけでは終わらない、いろいろ新しい動きについて書かれた方が、ここの所はやはり強調したいと思った。具体的なものを入れていただければいいかなと。

【委員】
 鋭さが足りないことの一つの大きな理由は、先ほどどなたかおっしゃったが、日本政府の現状に関するバシッとした記述がない。日本政府は核兵器禁止条約に反対をしているということについての、被爆地からの、なんというか、はっきりとした、困るとか批判するとか、そういう文脈がどこかにビシッとないと、別の提案の意味がどんどん薄れていくので、やはり日本政府の現状についての記述は、どこかで指事した方がいいのではないかと思う。それからもう一つ。どうしていいかわからないままの、何人から出ている、憲法を巡る日本の政治の現状、人々が感じている危機感みたいなものをどこかで入れた方がいいのではないかというご意見だったと思う。で、私それは入っていた方がいいなと思うが、それを入れようとしたらかなりいろんな文脈をいじらないと、簡単には入らないなということがあって、躊躇しているという所だか、8~11行目というのは、前の段落で8月9日を記述しているという流れの中で、憲法と国連の原点を想起することを書いている所なので、そこに現状の風潮を入れてしまうと、流れとして壊れてしまうという印象。今の所入れる所がないので、あったらいいなと思いつつ、提案できないという所で、少しご意見があれば皆さんから出していただければという気がする。

【委員】
 憲法を入れるべきだというご意見が多数出たので言わないでいたが、今の委員の発言にも触発されて、やはり9行目の国連決議第一号にくっつけて日本国憲法の平和主義という表現になっているから、これを受ける一行がどこかに入るべきじゃないかとちょっと思う。この数年、憲法論議が国民レベルでもずっとされてきて、自民党というか安倍政権も少しずつ対応を変えてきていると思う。例えば、9条の不戦の所はそのままにとか。そこはいじくってしまうと、国民投票で賛成は得られないということで、そこはそのままに、今度は文として自衛隊を明記するとか、そういう風に変わってきている所に、これまでの一つの力として、平和宣言の中に常に「平和主義の堅持」ということを言って来たこともやはり、力を発揮しているんじゃないかと思う。そういう意味では、もう一つ、委員がどこに入れるかが難しいとおっしゃったが、禁止条約そのものも結局平和主義を土台にして、日本も賛成に回らなければならないという論理も一つあるかなと思う。もう一つは、朝鮮半島のこういう新しい平和構築に向けた出発があるわけだから、しかもここは対話をベースに、信頼醸成に切り替わっている。たちまち北朝鮮のミサイルの脅威というのはひとまずなくなっている所を強調して、武力による平和ではなくて平和主義だ、という文脈で、それを被爆地から訴えるということが大事かなと改めて思って、発言させていただいた。

【委員】
 49行目だが、今回は対比語がよく使われている。ここも「戦争の文化」と「平和の文化」と使われているが、「戦争」は「文化」なんだろうか。「戦争の文化」と聞いた時、みんながどういうことを想像するか私はよくわからない。それをちょっと教えていただきたい。

【委員長】
 ここで「戦争の文化」という言葉を入れているのは、「平和の文化」をつくるということの確かに対比としてだけれども、「平和の文化」については、昨年の平和首長会議の議論の中で登場して、実際の活動計画の中にも取り入れられた、これから平和首長会議の世界の都市の中で、これは自分たちにもできることではないか、それをつくっていくのを平和首長会議の一つの共通のテーマにしようという議論がなされた。そういう中で、「平和の文化」の構築は一つのテーマになったが、違う意見、違う生活様式、違う歴史、それを排除したり、あるいは、それを力で抑えるとかいうことではなく、共生していく、共存していく、互いの文化を尊重する、そういった考え方というものを、市民社会の中からつくっていこうといったような意味合いの考え方の議論がなされた。そういう意味では、「平和の文化」というのを、今非常に、ヨーロッパの都市なんかでも、移民の問題も含めて、日本では実感として薄い部分の、いろんな問題に直面している都市も多く、そういう中で、いろいろ議論がなされるけれども、そういったものを含めた中での、「戦争の文化」、「平和の文化」といったニュアンスになっている。「平和の文化」というのを強調する中で「戦争の文化」という言い方もできるんじゃないかとも思う。少しかわりにくく解説がいるというのもあるが、なんとなくニュアンスとしてわかっていただける部分もあるのかなとも思う。

【委員】
 今の問題、平和学なんかでは「暴力の文化」、「構造的暴力」とか「文化的暴力」とか、そういった言葉は定着しているので、もしそれが不都合であれば、「暴力の文化」という用語も使えるかと思うが、いかがか。

【委員長】
 「暴力」という言い方もあるんだろうと思う。ただ、その暴力だけでなく、いわゆる無関心であったり、排除したりといったような部分も含めて、そういう考え方ではなくという意味の、この「戦争の文化」という言葉を無くして「平和の文化」という言葉だけではなんとなくボヤっとする所が、「戦争の文化」と対比させることで、少しイメージ的に理解していただけるのではないかというニュアンス。そういう意味では、他の言い方がないかというのは検討してみたいと思うが、一定わかり易い言葉にはなっているんじゃないかなとは思うが、もしご意見があればお聞かせいただきたい。よろしいか。この点については、もう少し検討を進めさせていただいて、最終案で判断させていただきたい。他にご自由に、三回目の最後なので、ご意見いただければと思うけれども。

【委員】
 今の「戦争の文化」っていうのは、結局は先程の憲法の平和主義というか、それが関わる。「戦争を否定しない文化」と「戦争を否定していく平和主義の文化」という風に捉えると、「戦争の文化」というのは、少し一般的には理解は難しいことはあるかなとちょっと思う。

【委員】
 言葉としてはよく出てくる言葉ではある。「戦争の文化」というのは。

【委員長】
 他にご意見はないか。他の件でも結構だが、最後なのでこれだけはというものがあれば。よろしいか。では、今いただいた意見をもとに、また今日の文案を書き直してみたいと思う。平和宣言の場合、毎年の事だけれども、限られた文章の中に、どういったメッセージを盛り込むのかという点で、全ての発したいメッセージを載せることは実際にはなかなか難しくて、今年は何を強調するのかという点が必要になるし、前回も言ったが、全体の中でのやはりストーリーといったもののも必要になるし、箇条書きになると羅列になって非常にメッセージ性が弱くなるので、そういう意味では、今回は一つ、核兵器禁止条約、昨年の動きを受けた中で、これをどう育てていくのか、本物にしていくのか、力強いものにしていくのかといったような所で、今すべきことといったような部分が一つ。その中で、逆行する動きに対するメッセージをしっかりと発するということと、市民社会の一人ひとりが、誰かがやることではなくて、私たちにもできることがあるという部分をどういう風に表現していくのか、これもここ数年来議論が重なったことでもあるので、そういった部分についてのメッセージをまた改めて、新しい表現でお伝えするというような内容になっている。

毎年、特に実相の部分についての議論もたくさんいただいて、ここも毎年のテーマだという風に思っている。特に長崎の場合、平和への誓いがあって、そこで実際に被爆者の方から直接ご自分の体験として語っていただけるという、一番強い方法を採用している中で、平和宣言というのは、後々のことを考えた時に、平和宣言だけが取り上げられることもあるということで、ここでもあえて重ねて述べている部分もあるが、全体の文量のこともあるし、今年述べなければならないメッセージもあるというそちらの方とのバランスもあるし、なかなかいただいた意見をすべて満足させるというか満たすことがなかなか難しい部分があるかと思うが、今日のご意見も様々な視点から非常に有用なご意見をいただいたので、これを踏まえながら最終案を仕上げてまいりたいと思う。

毎年のことであるが、特に北朝鮮を巡る動きというのが、これからまた新たにある可能性もあるので、そういう意味ではぎりぎりまで修正を加えていきたいと思うので、また委員の何名かの委員にご意見を伺うケースもあると思うので、そういう機会にはまたご協力いただければと思う。今回も三回の起草委員会を通じて非常に活発なご意見をいただけた。長崎らしい平和宣言の方向性としてはできていると思う。あと、織り込むメッセージの再吟味と文章の修正について、さらにレベルアップできるように手を加えて、本番に臨みたいと思う。お忙しい中お時間をいただけたことに、改めて感謝を申し上げたい。

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電話番号:095-829-1124

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