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平成30年度第2回 長崎市平和宣言文起草委員会

更新日:2018年11月2日 ページID:031974

長崎市の附属機関について(会議録のページ)

担当所属名

原爆被爆対策部 平和推進課

会議名

平成30年度第2回 長崎市平和宣言文起草委員会

日時

平成30年6月9日(土曜日) 10時00分~12時00分

場所

長崎原爆資料館地下1階 平和学習室

議題

平成30年長崎平和宣言について

審議結果

【委員長】
 今日は2回目ということで、前回いただいた様々なご意見を踏まえながら文案を作ったので、これをたたき台としていろんなご意見をいただいて、さらに3回目の文案につなげていきたい。
 今回の平和宣言素案は、まず被爆の実相を伝えた後に、今様々な現象が、前に進んでいる動きとそれを留めようとする動きが非常に複雑に同時に動いているということもあって、私たちが目指してきたのは、これをなくすことであって、そこに向けて一歩一歩進めていこうとしたことが今進まないということで、今目の前で激しく動いていることから、もう少し奥にある原点ということをしっかり確認する、という平和宣言の役目にしてはどうかということで、述べている。そして後半は、市民社会の役割、市民社会への呼びかけという内容で、特に「市民社会こそが平和の基盤である」「平和の文化をつくっていきましょう」という呼びかけを世界の皆さんにするという内容になっています。1回目にいただいたご意見を全部反映するということはできていないので、そういう部分も含めて今回ご意見をお伺いして、今年の平和宣言文としてどういった内容がふさわしいのかといった大きなストーリーもしっかりと確認しながら、今日の議論をしていただければ。毎回2回目はたくさんの意見をいただく非常に重要な会議になるので、ぜひ忌憚のないご意見をたくさんいただきたい。

~(素案朗読)~

【委員】
 前回で意見がたくさん出て、今回どうなるのかなと思っていたが、いっぱい取り入れていてくださっていて、例えばICANとか高校生平和大使とかも入っていて私はすごくうれしかった。強いて言うならば、やはり前回、すでに活動している人たちではなくて、まだ行動に移せていない人たちにメッセージを伝えたいという思いが結構あったので、ここの42行目から53行目のところはやはり最初に「被爆体験や戦争体験を語り継ぐことは、その一つです」、もう活動されている方たちとか、全く知識のない者としては難しいなと。「平和教育も世界で取り組めることの一つです」、全く活動してない人たちにとっては「平和教育か。まずは平和教育とはなんだろう。」から始まるのかなと思った時に、やっぱり一つ去年みたいに、「現地を訪れてみてください。まず見てください。何でもいいからやってみてください。」というコメントが去年の宣言文にはあったので、今年もハードルが高いところではなくて、そういう自分ができる身近なことからでいいから、まずは見てみよう、やってみようみたいな、「行動に移すことが大切ですよ」というコメントをここに盛り込めたら、まだ行動に移せてない人たちにとっては、この宣言文を聞いて、「ちょっと思いついたことをしてみようかな、行ってみようかな」と思えるのかなと。

【委員】
 まずは一読して、非常にバランスが取れている文章だなということを感じた。昨年議論された中に、「核兵器禁止条約」という一つのエピックがあって、それと被爆者の肉声をどう伝えていくのかといったところのバランスの問題でかなり時間が割かれたと思うけれども、今年は核兵器禁止条約のことを述べつつ、二人の被爆者の肉声を取り上げることで、その辺が非常にスムーズにつながっているなという印象を受けた。このスタイルはぜひこのままにしていただければ。

個人的に言うと、前回提案したいくつかの事項、例えば国連憲章と日本国憲法と核兵器禁止条約のその連続性、一貫性、特に平和主義。そこを取り上げていただき、非常にありがたく思っている。それから、高校生の動きとかそういったことも取り上げていただいた。それから市民社会の長崎モデルのことを前回述べていたが、この市民社会の動きについても非常に強調していただいているので、個人的には非常に満足している。

ただ一点。21行目から25行目、条約に反対する国々のリーダーに対して、「核兵器に頼らない安全保障のあり方」というのを求めている。日本政府には、「意志で行動を示すように」と書かれてあるが、もう少し両者を具体的にするという意味で、「国際社会の緊張を助長するのではなく、緩和するひとつの『キー』としての振る舞い」といった内容の文言を入れていただければ。具体的には、国際緊張を助長するような国内法制、安全保障に関する法制などを見直していくという、その辺を入れていただけたらより具体的に実効性のある提案になるのではないかと思う。

【委員】
 よく私たちの意見を取り入れていただいて、素晴らしい文章になっていることに感謝している。今の若い方たちは、被爆の実相がなかなかわからないために、私たちが傷ついた体や焼きただれた体で黒焦げの母や姉を探し求めたあの悲惨な状況をしっかり受けとめていただいたらと思う。探しても探しても同じような黒焦げの遺体。やっと探し、これだと思っても違っていたりして、とうとう母の遺体を探すことができなかったというような状況だった。このようなことが二度と起こらないようにするためには、今日のこの文章のようにもっともっと奥深く考えながら、皆さん手を繋ぎ合って、戦争のない社会を作っていく、核兵器廃絶の声をあげていく努力をしていくのが私たちの使命ではないかなと思っている。私たちが生徒さんたちに被爆の実相の普及に努めているが、「もう戦争はないのだから、こんなこと言ったって一緒だよ。」とよく言われるのですけれども、何と言われようとも、私はしっかりと伝えていかなければならない責務があると思っている。いろいろな意見があると思う。あるけれども、一歩私たちが前に出て、そして過去を振り返って、しっかりと次の世代の人たちに伝えていく責務があると思う。だから、私たちはどんなに言われようとも、「そんな話は言ったって一緒だよ、戦争してないのだから。」という若い人たちの声を、どのようすれば低下することができるかということがまた大きな疑問となって、これから先の方に対して、努力をしなければならない責務になっているのではないかなと思っている。これからも一緒に頑張って、私たちみたいに息絶えるまで苦しまなければならないこういう体にならないために、今こそを英知を出し合って過去を知り、現在を見つめ、未来を見極めていき、未来には戦争のない平和な世界を作って、世界中が手を繋ぎ合って、素晴らしい人生を生きて行こうね、と若い人たちにやさしく伝えていく責務があるのではないかなと思っているので、私たちは一生懸命努力しながら、「そんな話はもういらないよ。」と言われても、「いや、ちょっと聞いて」とお願いして、びっくりしてあとは涙を流しながら聞いてくださる小さな子どもたちもいるので、それを頼りに被爆国日本から世界に向かって、核兵器廃絶の声をあげていく努力をさせていただけたら。これからも頑張っていきたいと思っているので、皆様方のご協力をよろしくお願いしたい。

【委員】
 この宣言文の基本的な考え方、スタンスというものは、あくまで国際的な視野の中で訴えるものでなければならないと思うが、本年の場合、特にそういったスタンスが明確に出ていることは大変喜ばしいことではないかと思う。単に国内的な視野のみで核兵器廃絶、あるいは戦争反対といった運動を展開している団体の声を聞いていると、それを世界的な視野がないまま訴えると、どうも空しく響くものでしかない感じがするけれども、本年のこの宣言文を見ると、かなりその辺の国際的視野というものが明確に打ち出されているので、私は大変喜ばしいことではないかと思う。専門家の皆さんが国際活動を常日頃訴えておられるということは喜ばしく、誇らしく思う。そういった意味で、今後お二人の先生には一層、この委員会における皆さんの意見を背景として、国際社会への訴えをより強くしていただければ大変ありがたい。いずれにしろ、本年のこの宣言文の文案というものが、非常にそういった国際的な視野を明確に打ち出したということは大変喜ばしいことではないかと思っているので、作成にあたられた皆さん、それから事務局の皆さん方には大変感謝申し上げている次第。

 私も12歳、小学校6年生の時に被爆した体験者であるけれども、ここは、「被爆者の平均年齢が81歳」ということのようだが、私はもう85歳になったので、被爆者の中でも高齢者の方になっているのかなと思ったりして、非常に複雑な心境。

【委員】
 私はこの起草委員会に初めての参加だれども、前回の皆さんの意見がよく取り入れられてよい原案になっていると思う。その中で、私が気づいた点を何点か述べさせてもらう。

まず、2行目の「長崎のまちは~」だが、原爆の一番の犠牲者は子どもと少年。だから具体的に「幼児や子供たちを含む多くの人々が殺された」という旨を、この段で取り入れていただきたいということ。

それから、9行目から10行目に「平和主義を揺るぎない柱の一つに据えました」と書いてあるけれども、やっぱり言うなれば世界の先進国、またG7と言われる中で73年間戦争をしていない国は日本だけで、日本国憲法の9条があって戦争をしなかったわけなので、そういったところをはっきりと、「9条の戦争放棄の条項が据えられました」と入れていただきたいと思う。

それと、19行目「条約に反対する国々」とあるが、日本は唯一の戦争被爆国と政府は長年ずっと言い続けてきているわけだけれども、しかし、やはり日本政府の核兵器は究極の核廃絶という考えだろうと思う。そういった中でやはり「日本政府をはじめとする国々のリーダーに訴えます」ということで入れていただきたいと思う。

それから、23行目の「日本政府は、唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約を後押しする」というところは、やはり後押しするためにはこの条約に賛同するということをしなければ、橋渡しの役目はできないんじゃないかと思うので、「禁止条約を賛同する」という方向で訴えてもらいたいと思う。

それから、32行~40行目、2人の被爆者の遺言というか遺産が語られていて、非常に私も感銘を受けた。そういう中で40行目の「次世代への遺産として、語り継いでいかなければなりません」という、そのためには「憲法の真髄である平和主義を遵守しなければならない」ということを書き入れてほしい。

それからもう1つ、56行目「放射線の脅威を経験したまち」として、やはり核エネルギーというものは使用した後何十万年、何百万年、放射線が出なくなるまで私たちの次世代の人たちに負担をかけていく。だからそういった点で、核エネルギーに頼らないという方針で、そして福島の方々の心に寄り添うという。今各地で原発が再稼働されているが、まともに一発で再稼働成功ということはない。どこかで故障をしている、そういう状態になっている。そして、一度核が暴れだすと人間の手には負えないと、まだそういう技術だろうと思う。だからそういった点では、「核エネルギーに頼らないエネルギーを求めていく」ということを入れてほしいと思う。

【委員】
 まず、文章を読ませていただき、第1回を受けて一人ひとりの委員の発言を丁寧に思い返されながら、この素案を作られたんだなということがよく伝わってきた。

まず、すごくいいなと思ったことから申し上げると、禁止条約の採択の話をして、ただその採択を称えるだけではなくて、それぞれがそれを受けて何をすべきかというところまで持っていっているところがいいなと思いました。あとは、「「戦争の文化」ではなく「平和の文化」を」というところも私はすごく好きです。

あとは、細かいことになっていくのですが、まず冒頭の被爆体験の話については、被爆体験を毎回入れる意味って何だろうと考えた時に、結局は体験をしていない人にそういうことがあったんだという事実を伝えるために入れるものだなと思う。実際に体験をしている人は、こういう言葉で触れられなくても、ご自分が一番体験している、この言葉にならないくらいのものを体験されているので、わざわざ触れる必要はなくて、これは体験していない人に向けたものだと思う。だから、より効果的に、体験をされていない方が自分事として捉えられるような表現ができたら、もっともっとよいのではないかと思った。それをどうしたらいいのかと思った時に、私が広島で高校まで過ごして色々被爆体験の話を聞いてきたんだが、一人印象的だった方のことを思い出した。その方がご自分の体験を一通り話された時に、私は全くそのようなことを考えないで済むような平和な世界に生きていたので、最初の頃は「いや、そんなの嘘でしょ。」と思ってしまっていた。本当にあったのかもしれないけれど今の話ではないから、自分に置き換えて考えられないと思っていたが、その時にその方がおもむろに「今みんなこの話が嘘だと思ったでしょ。」という風に言われて、それがすごく意外だったというか、見透かされたような気持ちになって、その後で「嘘だと思うようなことだけど、これは実際に起きたんだ。」と、この私の心の中まで入り込んだ後に、ご自分の体験に引っ張り込むような表現をされて、「この私の体験を自分の家族に置き換えて想像してごらん。」という風に、どんどん私を引き込むような、その方の体験と私を繋げるような作り方をされていて、「今自分たちが持っている平和がこんな風に崩れる、それは実際に起きたことなんだ。」というような言い方をされていて、それを思い出した。今の段階だと、こういうことがあったというのは出しているが、それは今の世界とは少し切り離されていて、聞いている特に若い子たちにとっては「昔の話を置いたな。」という印象になるかと思う。

それと、19~20行目の「条約に反対する国々のリーダーに訴えます」というところが、先ほど委員長が読み上げられたのを、この文章を読まずに耳だけで聞いた時に、すんなりと入ってこなかった。もう一度ここに目を通したら意味はわかるんですが、実際の会場では耳で聞くだけなので、もう少し別の表現ができたらいいなと思った。

あとは、日本政府に対して「「核軍縮サミット」の開催を提案します」というところが、私の知識不足が大きな原因かとは思うが、日本はいろいろ賢人会議であったり、国際レベル、国内レベルでいろんな核に関する会議を引っ張ってきていて、じゃあここでこの核軍縮サミットをもう一度提案することは、これまでと何が違うのかな、どういう効果を期待してここに挙げたのかなとちょっと疑問に思った。そこはまた専門家の方々にお話を伺いたいなと思う。

それと、北朝鮮の話も出ているが、これは明々後日の米朝会談を受けて、また大きく話が変わるところなのか。米朝首脳会談のところも、どういう話が期待されるのか、専門家の委員に伺いたい。

あと、58行目の「被爆体験者の」というところは、被爆体験者というのは福島、長崎、広島をすべて含めてということでしょうか、そこの定義が私にはわかりにくかった。

【委員長】
 最後の被爆体験者の分だけ言うと、長崎の被爆地域が同心円じゃなくて、縦長になっていて、特にその左側と右側の地域で被爆地域に加わっていない皆さんは、制度的に言うと被爆者手帳をもらえなかったりするという状況があって、高齢化する中で、ぜひその同心円の半径12キロという範囲に広げてほしいということを国の方にもずっとお願いをしていて、そういう意味では、制度的に被爆者と位置付けられている皆さんと、その周辺にあって被爆者と同等の援護を受けられていない方を被爆体験者という言い方をしていて、その分の内容。そこをぜひ加えて、一緒に援護を向上させてくださいという趣旨。

【委員】
 確かに今委員に言われた被爆体験者の言葉は、普通に日本語で言うと、原爆を体験した人としか普通受け止めないので、委員長が言われた12キロ圏の、ずっと長い年月をかけて行われてきた官民の運動というところまではわからないはずなので、ここは何か工夫がいるのかなと思った。最初に、言われて読んだらなるほどと思った。

私からは、今回、長崎原爆という戦争の描写が冒頭に戻ってきているというのは非常によかったと思う。今日少し皆さんから意見が出ていて、私もそう思うけれども、やはり長崎原爆という戦争の描写というのは、できればもうちょっと詳しく具体的に語った方がよいのではないかと、年によって違うんだと思うけれども。今年全体を読んでみて、この描写の部分というのは、ややあっさりしているのかなという風な印象を受けた。毎年毎年ではあるわけだけれども、核兵器というものの姿と、それが長崎の上空で炸裂したことと、そして一瞬で地上を破壊してしまったこと、その下にたくさんの市民がいたこと、その市民が無差別に殺戮されていったという、個々の人たちの姿をこういう文章の中で語るというのは非常に難しいとは思うが、全体の中で比重をもうちょっと重くしてほしいなと、一読した時に思った。あと、具体的な事実だけではなくて、話法であるとか訴え方というのも何か工夫が必要なのかという風に思った。

次に憲法の改憲への危惧を語ってほしいということを、私は前回に続いて今回も再度お願いをしておく。前回の会議のでは、私の記憶では少なくとも5人ないしもう少しの方が改憲への危惧、あるいは9条の改正への危惧、9条を守ったほうがいいという趣旨のご意見を言われたという風に思う。そういう声をきちんと反映をして、具体的に書いてほしいという風に私は希望する。

あと、朝鮮半島の非核化についても、ちょっとあっさりしているなと思った。12日に米朝首脳会談があって、これまでの米国、北朝鮮双方のコメントの出し方というか動きの軽さから見て、なかなかこれについてどう言及していくかということは、慎重にならざるを得ないというのは私もそう思う。12日に首脳会談があったとして、それ以降8月9日に長崎の平和宣言が発出されるまで2か月くらいまだ時間があるわけなので、こういった情勢を見極めながらこの部分はもう少し深めていく、長崎らしいコメントを発していくというご努力をお願いしたいと、そういう風になっていくと期待したいと思う。

最後に56行目ですけれども、「長崎は放射線の脅威を経験したまちとして、福島の方々の心に寄り添い続けます。」という文章が、いきなり福島の方々の心に寄り添うというと、かなり唐突な感じがしていて、何で福島の方々の心に寄り添うのかというのが書かれていないと思う。7年前に原発事故があって、7年経って事故はなお収束していなくて、そのために心身ともに苦しんでいる人たちがたくさんいると、だから寄り添わないといけないということではなかろうかという風に思う。こういった提案は丁寧に説明しないと、たぶん福島の人にすら伝わらないかもしれないというような心配をするので、その点も工夫をしていただければ。

【委員】
 長崎市から世界に向かって発信するという宣言文としては、昨年に比べると今年はひどくよくなっていると思います。

5つくらいに項目をわけて申し上げますと、1~6行の被爆の実相ですけど、「黒焦げの亡き骸が一面に散乱し」というところの「一面」というのが少しオーバーじゃないかなと思います。例えば浦上川にもいっぱい浮かんでいたとか、そういう風に局所的なことであったらいいんじゃないかなと思って読んだ。それから、この程度の内容では原爆の無差別で非人道的な歴史を本当に伝えることはできないと感じる。もっとドロドロした表現でもいいのでは。原子雲の下でどんな状態で何が起こっていたかを克明に表現してほしい。

2番目は、5月の平和宣言文起草委員会で憲法改正問題について言及すべきという多くの意見が出ていたけども、私は、憲法改正に関しては市民の中に多様な意見が今あるので、平和宣言で言及するのではないと考えている。何か焦点がぼやけると言うか、そういう風なことを考えた。したがって憲法については、8~10行目の素案に示した内容で十分だと思っている。

3番目は、昨年7月に核兵器禁止条約が国連で採択され、さらに12月にICANがノーベル平和賞を受賞している。そのあと条約を批准した国は10か国と少しずつ増えてきている。核兵器禁止条約の早期発効、50か国以上ないといけないということだが、これを実現するためにも市民や国民が声をあげて、日本政府に行動を促すことが大切じゃないかと、そこら辺を書いてほしいなと思っている。それから、12~27行の素案のとおり、平和宣言文で強く呼びかけ続けてほしいと、思っている。ただ、核軍縮サミット開催の提案が、趣旨には十分共感できるが、核保有国、傘の下の国、非保有国、それから市民社会等への説明がまだできていないので、やや唐突じゃないかなという気がしている。

4番目に、今年6月12日に米朝首脳会談の開催がシンガポールで予定されていて、報道を見ていると、成功するか成功しないかわからないという意見が大部分で、どっちかなと、それがどれだけ時間かけてもいいという発言を今朝のニュースでも見ていて、何となく不透明というか、そういうところが見えた。28~30行については、この時点ではこの程度かなという気がしている。

5番目に、5月の平和宣言文起草委員会でも発言したが、被爆者の高齢化は待ったなしの状況。被爆者の平均年齢が81.67歳で、被爆者も3万人を割り2万9,064人となってしまった。32~53行の被爆の継承は、長崎のみならず、日本の喫緊の課題。長崎市長としては、改めて被爆の継承問題に取り組む強い決意を、もっと具体的に市民や被爆者の方にお示しをお願いしたいと思っている。

【委員】
 前回私たちアンケートを書かせていただいて、とてもまとめるのに苦労されただろうなということと、委員から去年、今年と平和宣言文の持つ意味ということで、問いかけがあった。私は、本当の平和宣言文として、原点に少し戻ったかなというふうに今回考えた。中身はとても国際的になってきているけれども、平和宣言文というのはその国のリーダはもちろん、やはり多くの世界の市民が、そのことを感じなければ社会情勢は変わらないんだろうと常に思っていて、そういう意味で、本当にこういう風にまとめることが、特に今年は大変だったのかなというふうに思って感謝している。

 その中で、皆さんのご意見を伺っていると、ちょっと自分が考えたところが揺らぐところもあるが、最初にこれを読ませていただいた時の感じで申し上げさせていただきたい。

 全体的には、流れができているが、いくつかもう少し強化してほしいとか、明確に訴えるというところがあるのではないかと思う。私が考える根本には、核廃絶を世界に訴えるというのはあるが、やはり日本は世界で唯一の被爆国ですから、国民にも被爆、核廃絶を訴えるという意味では、日本国民がもっとそれを強く思って世界に訴えないと、日本の国内ではそれを容認して、外国に訴えるという態度は違うのかなということで、やはり私はまず日本の国民の方たちにこのことを理解してもらう。そしてそれを世界に広げていくというのが、この平和宣言文の持つ大きな意味でもあるのではないかなというふうに思っている。

 まず、最初の被爆の実相のところ。私はこれが最初に来たのは本当によかったなと思う。ただ、中身については今、いろいろご意見出ているので、もう少し工夫があってもいいのかなと。ただ、6行目のところ、「原爆は、人間が人間らしく生きる尊厳を奪い去ったのです」が、私は、これは今使われるともっとひどい現状が起こることから考えると、「原爆とは、人間が人間らしく生きる尊厳を無残にも奪い去るものなのです」と明確に伝えた方が。これは過去のことではなくて、現在もその脅威が続いているという意味からはそういう風に断言した方がいいのではないかなという風に思う。

 それから9行目の日本国憲法。これは、私も9条のところにはぜひ危惧を示してほしいという強い意見を、前回アンケートで申し上げた。ただここに、そこがどうしてもということであれば、この日本国憲法の平和主義というのは、なかなか日本国民でも、今憲法を理解するのが難しい状況にあると思う。それであれば、やはり日本国憲法は「9条において定めた不戦の誓いと戦力を保持しないという平和主義」というように、少し具体的に書かないと、その平和主義の意味がなかなか普通に、関心を持っていないと伝わりにくいのかなと。字数の問題もあるので、表現はもう少し工夫していただかなければいけないと思うが、やはり日本は戦争放棄という強い意志が、73年間のことなので、憲法9条というのが私は基本だと思うが、それがどうしてもということであれば、中身を少し強化してほしいというふうに私は思っている。

 それからこれを読んでいて、「忘れない」という言葉がいくつか出てくるが、12行目、「昨年、この決意を忘れない被爆者をはじめ」というふうに出ているが、これは「忘れない」という言葉よりも「風化させない」ために行動したと思う。その実相を。「忘れない」という言葉がいくつかあるので、そこは少し、どこかを工夫していったほうがいいのではないかと思う。

 それと11行目の「その実現を未来に託したのです。」は、上の憲法のことを言ったけれども、憲法9条ということに抵抗があるということであれば、「しかし今、平和憲法を形骸化しようとする動きがあることを私たちは断じて容認できません」というくらい強く、私は求めていいのかなというふうに思っている。

 それから、17行目の「条約」というスタートになっているのですが、ここはやっぱり「禁止条約」か「核兵器禁止条約」というふうにした方がいいのかなというふうに思っている。

それから、19行目の「条約に反対する国々のリーダー」は、やはり日本国政府も含めて書くべきではないかなということを思う。

それから、次の行の「条約を生む大きな力になったことを忘れないでください」というのは非常に他人頼み的なところがあって、ここも何か少し表現を「認識してほしい」というようなことに変えていけないのかなと思った。

それから23行目の「禁止条約を後押しする」は、やはり「批准」とか「署名」という言葉を入れないのであれば、「推進する立場」という、日本政府はそれを推進するんだということで行動を起こさないと、「後押し」というのは何か、誰かがやったことをバックアップしますよという弱さを、私はちょっと感じた。

それから、次のところに全部「国々」がついているが、この重なって「国々」という言葉が、これは、私は専門的ではないがちょっと気になった。

それから、28行目からの「今、北朝鮮の非核化が」云々は、これはどこに対して訴えているのかなというのがちょっと聞いていて、相手を少し明確にしてやることと、それから30行目の「主張します」という言い方が、今までにない表現だが、これはちょっと私が疑問で、これに替わるのはないけれども、この表現のところは少し皆さんで考えていただければというふうに思った。

それから、40行目の「次世代への遺産」という言い方は、私はちょっと言葉の使い方がよくわからないが、ここは「遺産」という使い方は一般的にこういう場合にするのかどうかが、自分が理解できていないのかなというふうにも思うけれども。

それから「語り継いでいかなければなりません」というのか、お二人の言葉が前にあるので、「語り継いでいきます」とか、やはり明確に長崎の態度を示した方がいいのかなというふうに思った。

それから42~53行目の長崎のことが、ちょっと間にいろんなことが入ってきて、もう少しまとめると言うか。教育だったら教育のこと、その教育を受けた結果が長崎の高校生平和大使の運動とか。教育が先にあって、「それを受けた子供たちが長崎で今こうして頑張って後に繋げようと努力をしています」というような、段階を追っていくとわかるが、少しわかりづらかったなという感じがしている。ここはもう少し整理できるのではないかなと思う。

それと、「戦争の文化」と「平和の文化」というのは、我々が聞いても非常にわかりやすい言葉で、これはとてもいい言葉が取り入れられているなというふうに思った。

最後の55行目から「東日本大震災から7年が経過し、その爪痕は」云々は、次に突然「長崎は放射能の脅威を経験したまち」ということが出るのであれば、「東日本大震災による原子力発電所の事故から7年」というように「原子力発電所」という言葉がないと、この放射線の脅威という言葉にはなかなかつながってこない。我々はわかるけれども、それを知らない人は東日本大震災で、「震災」が頭にくると放射線の脅威があったということがちょっと薄れてるのではないかなというのと、それから「福島の方々の心に寄り添い続けます」はずっとこういう表現だが、私は前回「人間が作り上げて、人間が制御できないもの」みたいな言葉で書かせていただいて、ここは表現をもう少し変えていかないと、ただ寄り添うだけではなくて、やはり「できることを共にやっていきましょう」というようなことを訴えていかないと、どう寄り添ってくれるのという受け手側の気持ちもあるのではないかなというふうに思った。

【委員】
 全体的に、何か感性に訴えたきれいな文だなというのが第一印象。日頃私は子どもたちに語りかけているうえで、感性で訴える言葉を理解するというのがなかなか難しいので、もっと実例をもって、きちんとしたわかりやすい文章になると、もっとよくなるのではないかなというのが、この最初読んでの感想。

 まず、1行目の「真夏の空に放たれた」というのはあまりにも文学的で、これは「さく裂した」という直接的な書き方でもいいんじゃないかと思う。あと、3行目から「かろうじて生き延びた人々も」というのがあるのですが、そうしたら「かろうじて生き延びた人々」の前には亡くなった人々がいないとおかしいと思うので、「水を求めてさまよい、力尽きた人」というのを入れた方が、これは対比としていいのではないかなというのを感じた。

 皆さんも日本国憲法の平和主義というところで思われたと思うが、私も、もちろん「9条」という言葉は理解していて、それが必要だというふうに思っているが、普通に子どもたちが「9条」と聞いて何がわかるのだろうと思った時に、ここに一言「戦争放棄を謳っている」とか、「戦争放棄を謳っているのは日本しかいない」ということを何か入れた方が私は理解しやすいのではないかなというふうに思った。

 あと、12行目までの「忘れない被爆者をはじめ」というのが、あまりにも被爆者の方が上に立った目線で語っているような気がして、「被爆者を含め」と言った方が、何か表現としては柔らかいものになるのではないかなと思った。

 あと、17~22行目の文章が、何か説明をきちんとするがあまりにわかりにくくなっているのではないかなという気がして、ここは簡単に、「日本をはじめ、核兵器を持つ国々の批准が最も必要です。」というふうに、一言できちんと表現した方が私はわかりやすいのではないかと思った。「核軍縮サミット」という言葉を聞いてどれだけの人が理解するだろうというのは感じた。なぜそれが必要なのか、「核軍縮サミット」とは何だろうかというのをただ聞いただけでは理解できないので、この辺の文章というのはもうちょっと考えた方がいいのではないかというふうに思う。

 2ページ目の、お二人の被爆者の言葉が出てくるのはとてもいいとは思うが、二人の被爆者が「次々に」亡くなられるではなくて、「相次いで」亡くなられるというふうな表現の方がいいのではないかなというふうに感じた。

 あとは、継承について42行目からずっと出てくるが、何かここら辺を読んでいてどうしてもゆるい感じがして、長崎の覚悟というのがどうしてもこの文章からは読み取れないので、今長崎では何をしているのだろうということの1つとして、厚生労働省が無償でいろんな各地に、交通費などを負担して、いろんな所に送り出すことができる事業というのが今年から始まっている。これを知らない方はたくさんいらっしゃると思うので、長崎市と広島はこういうことを取り組んで、全国、全県、全市にこういう語り継ぐということを必ずしたい、呼んでくださいという意思を表した方が、長崎としてこういうことに取り組んでいる、ぜひ戦争の悲劇を知ってください、原爆の現状を知ってくださいという意味で、何かそういう実際行っていることを明確に表した方がいいのではないかなと思った。

あと、お二人の被爆者の話は私は必要だと思うが、ここにまたユネスコの話が出てくるとあまりにも引用文が多すぎて、何かゆるいような感じがして、もどかしいような気がする。

最後に、東日本大震災からの福島の方たちの思いのところにつなげるにしても、前回の会議の時に委員が言われた、「今私たちは核被害を実感して生きている時代だと思う」という言葉は、私はその通りだと思っていて、だからこそみんなで、長崎も寄り添わないといけないというのがあると思う。だから、そこら辺の言葉を文中でも入れて、じゃあそこから何ができるのだろうかと考えた時に、長崎市は各県、各市に被爆体験を語り継ぐことができる、それも国を支援している、ということを強く表すとともに、あと風化とかという文章が、何か伝えられないだろうかと感じた時に、先日、中学校で被爆史を語る時に改めて思ったのが、第五福竜丸の水爆実験の時に杉並区の読書サークルのお母さんたちが禁止署名運動を始められて、その禁止署名運動が、1か月間で266,000人の署名を集めることができた、ということをお話しする時に、今ヒバクシャ国際署名運動というのがあるが、あれが2016年から今2年経っていて2020年までに50万人の署名を集めるということを聞いているのですが、先日ある方に聞いた中では2年間経った現状で半分しか集まっていないという話を聞いた。そういう数字的な、当時の読書サークルの、それも女性が1か月で26万人集められた現状が昭和29年にあったということと、その時も被爆の恐ろしさ、それが生活に入ってくるかもしれないという現状は、多分今とあまり変わらないのではないかなと感じた時に、じゃあどうして2年間でまだ25万人の署名しか集まらないのだろうという現状を照らし合わせて考えると、そこに人々の無関心さが出てくるのではないかなと。実際にそういう実例を挙げた方が私は伝わるのではないかと思った。

委員長が前回言われた、「世界の人が関わらなくてはならないそれぞれの役割がある」という言葉が本当にとてもその通りで、じゃあ関わるために、一歩踏み出すために、行動を起こすために、じゃあ何ができるか、長崎市としてそこにフォローできるのかということをきちんと示してほしいなと。それを文章として示して、皆に示してほしいなという、そういう長崎の覚悟ではないけど「私たちはこういうことをしています」という思いをもう少し宣言文に入れていただきたいなという風に思った。

【委員】
 今回の素案を見て、前回私が提案した土山先生と谷口稜曄さんの言葉を入れていただいて、この素案を読んでいて、二人の言葉に集約されるではないけれども、この二人の言葉というのはやはり人に訴えるものがあるなという風に感じた。

毎年入っていたと思うが、世界のリーダーの皆さんにぜひ被爆地に訪問してくださいと言う言葉が今回ないので、毎年入れるべきではないかなというふうに思った。まずやはり被爆地に来て知ってもらうことから平和への思いというのは生まれると思うので、これは入れていただきたいと感じた。

 それから、1行目から6行目までの、その当時の原爆の様子をどのように表現するかという話が先ほどから出ていたと思うが、長崎には体験記がたくさん残されていて、その当時の様子を見た方の生の声がたくさん書かれていると思うので、その中から引用してみてはどうかなというふうに思った。当時多くの子どもたちが犠牲になったということも踏まえて、永井先生が監修した「原子雲の下に生きて」という山里小学校のその当時の生徒さんが書かれた体験記があるけれども、例えば、山里小学校の運動場の様子が「人間を撒いているようだった」という表現が書かれている。そういうわかりやすい、その当時の様子を書かれた体験記から引用してみるというのもわかりやすいのかなというふうに思った。家族証言者として全国をまわらせていただく中で、学校の子どもたちの感想をたまに聞くが、その中に「戦争というのは家族と離ればなれになるという悲しいものなんだ。だから戦争はやってはいけないんだ、というふうに感じました。」という感想をもらった時に、確かに戦争、原爆というのは大切な人と離ればなれになってしまうという、その部分を入れたら自分たちのものとして受け止めてもらえるのではないかなというふうに感じた。

 それから、細かいことになるが、繰り返し使っている言葉がまず多いというのを私も感じた。例えば15行目の「多くの国々の、多くの人々が」は、ちょっと回りくどいような言い回しなのかなと。ストレートに言った方がいいのではないかなというのが、こことあと53行目にも「市民社会の力で力強く」というふうに力、力と出てきている部分をもっとスムーズにすんなり表現できたらいいのではないかなというふうに思った。やはり長崎から宣言するものなので、委員の言葉を使わせていただければ、「長崎の覚悟」というものを市長が市民の代表として宣言する、というのがやはり宣言文だと思うので、長崎ではこういうことに取り組んでいます、去年、私これ言ったと思うが、長崎で取り組んでいることを具体的に述べてみるというのを、ちょっとそこも考慮して次回入れていただけたらなと感じた。

【委員】
 毎年考える、感じることなのだが、最初の起草というのは非常に大変な作業だろうなと思っている。いろんな意見が出て、それをカバーするということに加えて、これまでの宣言の積み重ねがあって、たぶん言葉一つひとつが過去のものとの重なり合いとかそういうことも含めて、大変な作業だろうと思っている。

今年のこの全体の構成に大きな違和感はなかったので、大きくはいいのではないかと思った。個々の表現については、いろんな意見が今出されていて、賛成できることがたくさんあった。それを一応別として、私は大きくは3つ、内容に関わることで意見を言いたいと思う。

1つは、禁止条約のところの流れと表現。26~27行目。これは批准を促すことを一人ひとりに呼びかけている言葉なので、18行目の次に持ってきた方が、そのままうまくつながるのではないかなと思った。17~18行目は、国々に早く、最初は署名、それから批准してくださいと言って、それから26~27行目で、世界の皆さんに自分の国が早くそうするように政府に求めましょうと流れるのではないかと思う。19行目からの言葉と内容が、やはり今年は、この前の会議でちょっと言ったが、「核兵器のない世界」へ向かう、そういう世界のコンセンサスが崩れるかもしれないということが過去1年で起こっている。それは取りわけトランプ大統領が「力による平和」ということを掲げて、核兵器を何のためらいもなく、1つの力の道具と考えているという。だから、もう一度その核兵器が本当にあってはならない兵器なのだという国際的な常識を取り戻すということが、この部分で強調されないといけないのではないかと思った。具体的には、19行目の「核兵器を持つ国々が、核軍縮に取り組まなかったことが」はわかりにくかったのでここは省略してしまって、「条約に反対する国々のリーダーに訴えます。」ということころに日本政府という言葉が入ってもいいかと思うが、「核兵器の必要性を再び当然のことのように主張する風潮が勢いを増し、その近代化に巨額が投じられていることに被爆地は強い懸念を抱いています。」ということで、現在の流れに対する警鐘を被爆地から言葉にした方がいいのではないかと思う。その後、核不拡散条約、20行目の最後のところに繋がるかなと思うが、「核不拡散条約で世界に約束した核軍縮に誠実に取り組み、核兵器に頼らない安全保障のあり方に転換してください。」言葉は流れのなかでもう少し工夫の余地があるかと思うが。そういうことで、やはりもう一度「核兵器のない世界」が当たり前の目標になるための被爆地からの危機感を訴える必要があるのではないかと思う。

その流れで私は日本政府の役割も、もちろん核兵器禁止条約を賛同し、推進する。先ほど「推進」という言葉があったが、その前に「賛同」すらしていないので、賛同し、推進するということは書きつつ、なおかつ「核軍縮サミット」というところはそれなりに意味があるとは思うが、言うとすれば、「もう一度核兵器のない世界への、世界の人々の意思を一つにする、そういう場として日本がリーダーシップを取る」と、そういう文脈での提案が出てくるのがいいのかと思う。それが大きな一点。

二つ目は、朝鮮半島問題。これは本当に6月12日後にいろいろ練り直さないといけないということは当然のこととしてあると思うが、それでも今の時点でもう一度、考える前提として、私は非常に大きな変化が起きつつあると。既に南北首脳会談は4月27日に「板門店宣言」というのを出して、それは過去2回出ている南北首脳宣言に比べても、画期的に詳しく具体的なので、冷戦後、朝鮮半島でグズグズと続いてきた、世界でも残された異常な状態を今こそ変えるのだと。少なくとも南北の首脳が歴史的な立場表明をしたということはものすごく大きくて、世界、とりわけ日本は北東アジアの一員として、この南北が新たな非核化というより平和というべきだと思うけれども、この地域の平和に向かって発しているイニシアティブ、これは潰してはならない、というか自分たちもそれを本物にしていくことが問われている。そういう大きな変化が、イニシアティブが既に発せられているという、この大きな現実を私は捉えるべきだと思う。具体的には、長崎からのメッセージなので核問題に焦点が当てられるというのはそうあっていいと思うが、枠としては「北東アジアに非核化と平和への新しい動きが生まれつつあります」というその認識は書いて、それ以上の中身は6月12日以後にどのような言葉が適切かを考えていくということだと思う。朝鮮半島で始まっているイニシアティブに日本が関与するとなると、やはり「北東アジア非核兵器地帯」ということがそこにピッタリ当てはまるような、長崎でずっと言ってきた構想なので、そのこともこの中で語られるという作り方は恐らく12日の後に何か書くとしてもやはりそうなるのだろうなと思っている。今の板門店宣言は、もしアメリカと北朝鮮の話が本当に潰れてしまうということでないならば、ある意味「朝鮮半島非核地帯」ができるということ。朝鮮半島が非核地帯となって、それをアメリカも、中国も、ロシアも一緒になって支える。そこに脅威を及ぼさないという動きが少なくとも板門店宣言では構想されていて、それで米朝会談がうまくいけば、確立されていくという流れになるのだろうと思う。朝鮮半島の非核地帯化が本当に安定化するためにはやはり日本も、非核三原則を持っているわけなので、加わった非核地帯になることは極めて自然で、かつ全体を安定化させるという動きになるので、ここは6月12日後に文言を整理していくということでないかなと思っている。

それから、平和教育のところで、どういうふうに表現すればいいのか私の蓄積が十分ではないのでうまくいえないけれども、長崎・広島と、他の自治体の平和教育というか、核問題の取り組みなどを見ていて、格段に違うと思うのは、やはり小中学校で平和教育がきっちり行われていることがあるのではないかなと思っていて、平和教育と一般的に言った時に、小中学校における蓄積があって、高校生の活動に繋がっているということがもう少し具体的に語られると、いろんな日本の他の地域での取り組みに対するヒントになるのではないかなと思うので、義務教育期間というか小中学校の期間での平和教育の大切さが書かれたらいいのではないかと思う。「戦争の文化」と「平和の文化」、これは非常にいい言葉だと思った。

それから、「東日本大震災」という言葉から始まって「爪痕」と流れると、多くの人はまず「津波」と繋がって、福島の問題が次に出てくるのが唐突になるので、先ほど何人の方がおっしゃっていたけれども、いきなり「原子力発電の事故」というところから語った方がいいということと、それから、人々の心の問題というのは当然あるが、「放射能の脅威」というのは物理的に、現に目の前に見ているということは今も続いているということがある。途方もない放射能の塊がまだあそこにあって、どのように処理したらいいのかわからないという現実を抱えていて、「放射能の大きな負の遺産」をまだ私たちは目の当たりにしているという認識と人々の不安ということと、両方語る必要があるかなと思う。

【委員長】
 委員から話のあった、「核軍縮サミット」と米朝の部分については、今の話の中に含まれてはいたんだが、もう一度聞きたい。「核軍縮サミット」が今までの会議とどこが違うのかという部分については、何を議論するのが核軍縮サミットか、少しフォローしていただければ。

【委員】
 普通、「サミット」というのは二通りの使い方がある。言葉通り、国の首脳が集まって核軍縮についてもう一度意思表示をはっきりさせるという意味のサミットを提言している人たちもいる。NGOの中には。ここで書かれているサミットというのは、市民も入ったもう少し広義なサミットで、様々なジャンルの人達が、賢人会議よりもっと政府と市民が両方入ったようなトップの議論をする場という意味だと思う。これが出てきていることは禁止条約ができたにも関わらず、全体として核軍縮は進もうとしていない。その大きな要因としてはやはり核兵器の有用性というのを恥じらいもなく公言する首脳が登場したと。で、その流れに核兵器保有国はほぼみんな乗っかってしまう危険がある。そういう中でもう一度、なぜ禁止条約が生まれたか、核兵器のない世界がなぜ必要かというようなことを確認し合うような場を、世界に意思統一というかそういう場を作った方がいいのではないかというのがこの趣旨だと思う。それを被爆地から呼びかけたらどうかという意味だと思う。

【委員】
 私自身がちょっとかなり悲観的になってしまっているのかもしれないが、これまで日本政府が核に関していろんな会議をやってきて、ただ日本自体のスタンスは結局何も変わってはいなくて、アメリカの傘にいて、核に対して向き合いますよとは言っているけどそういうスタンスは変わってないので、スタンスを変えない中でいろんなサミットをしても、そういうスタンスを変えていないことをマスクするような、なんだろう、隠れ蓑に使われてしまってはいけないなと思っていて、こういうサミットをしているからやってますよというアピールだけに終わって、そういうスタンスにカバーをされてはすごく不本意だなと、いつも会議を見ていてそう思うので、ここで提案することの意味というか、うまく表現ができないが。

【委員】
 おっしゃっていることは本当よくわかる。私も、日本政府が今回賢人会議呼びかけた時に同じように思った。そのタイミングが、禁止条約ができたことに対して日本政府が割とこの条約はよくないと言っている中で、被爆地として、ではどうするのかということが問われる、それをなんというか、避けるために私たちは賢人会議をやりますというような逃げに使われてしまう危険があると、そういうことを私も感じたし、そういう思惑が日本政府の中にきっとあるというふうに思っている。だけれども、もう一つ別のことも同時に見える。というのは、賢人会議がいざ開かれると、そこに集まってくる世界の人たちは日本政府の思惑を超えて、やはりこの核軍縮をどうやって前進させるかということについて議論する。で、やはりいい中身が出てくる可能性はある。特に、現実的な話で言うと、日本政府以外にそういうことを呼びかけることによってみんなが集まるような呼びかけの主体がいるかという風に考えると、残念ながらというと変だが、日本政府しかいない。すごく核軍縮に積極的な国があるが、例えばオーストリアとか禁止条約でリーダーシップをとった国がいるけれども、そういうところが全世界にこういうサミットをやろうと呼びかけても、おそらくそんな大きい会にはならないけれども、日本政府が呼びかければ大きな会になる可能性があって、それはやはり被爆地で、強い被爆世論がある政府であるという、そういう日本政府がしっかり努力していないにもかかわらず、しかし国際的に背負っている日本政府の役割みたいなのがあって。だから隠れ蓑という側面があっても、やはりやった方が何かを動かす力になるかもしれないということが十分あるので、日本政府を動かす、日本政府にこういうことをやれというふうに言うのは、意味あることではないかと私は思う。なかなかそういう役割を担える国ってほかにいない。

【委員長】
 あと20分ほど時間があるが、私もちょっと重ねてご意見があればお聞きしたいのが、1つは、42行目の部分。全体のストーリーで、あれもこれもと織り込むともう話が箇条書きになってしまうので、今回のストーリーという形で、少し我慢する部分があっても、そのストーリーがみなさんに伝わるということはすごく大事なことだと思っているが、その中で、42~53行目の部分というのは、前回の中でも、またこれまで昨年を含めた中でも、まだ動き出せていない方であったり、まだあまり関心がなかったりする皆さん、難しいなと感じている皆さんに、どうやったら少しきっかけを提供できるだろうかというお話の中で、最初は語り継ぐということは非常に大事な要素なので、それを入れつつ、もう少し簡単なこと。今年私GWにイタリアに行ったとき、長崎で平和特派員をしている豊島さん・マッシモさんというご夫妻の活動に参加してきたが、小学校に行って折鶴の話をして、これは原爆の話をするということだが、折り紙を一回もしたことのない人たちに折鶴を一緒に折ってもらって、その折鶴を長崎に届けるという活動をしてくれているが、そういうシンプルな活動でもすごくやはり意味があって、子どもたちおそらく一生覚えているんじゃないかと思うし、そういうその町々にまた悲しい戦争の歴史もあったりするので、そういう意味では、折鶴を折って広島・長崎に届けるというのも立派な一つの活動だと思うし、そういうあまり難しく考えなくてもできることってあるんじゃないかなと、思ってもらうきっかけをここで与えられないかなと。それも含めて「平和の文化」というのは市民社会で作れるんじゃないかということをお話したいと思ったが、そこで長崎でやっていることをあまり強調しすぎると、広島と長崎は特別だからねという感じになる部分があって、これは実際あちこち行くたびに感じてきていて、広島と長崎が目立てば目立つほど、他の町がうちとは少し違うからなと感じてしまう。広島長崎以外の町が同じメッセージを発するときに、これはひょっとしたら私たちも関係するんじゃないのと思ってもらえるという。だから広島・長崎の活動をあまり強調しすぎると、そのことが逆にジレンマになってしまう部分もあるんじゃないかという。強調する時は強調する文脈で言うと。今回はできるだけ簡単なことでもスタートできますよ、というような部分、思いがこの中に込められないかということで、それが42~53行目であるんですが、なにがそういう考え方であったり、それだったらこういうことを入れたらいいんじゃないの、というようなご意見があったらお聞きしたい。

【委員】
 先ほど委員も言われたが、長崎・広島、まあ委員長が言われたこととどうかなと思うが、やはり被爆地の特徴として、小中学校で平和教育を受けて、その延長線上で高校生一万人署名とか出てきたと思う。このあたりは長崎が地道に頑張ってきた平和教育の大切さ、その広がりがそういう形で長崎では生まれてきたということは一つ強調してもいいかなと思うのと、この間ずっと言われている継承の大切さ。被爆者が高齢になられて、追体験はもちろんしていくし聞くんだが、生の声を聞ける時期が今となると、先ほど各国のリーダーの方というのもあったが、各国の市民国民の方が長崎広島に来られたらぜひ被爆の実相を学んでほしい。被爆の実相を学んで理解するところから平和の心は生まれてくると思うので、この中には教育の重要性と継承の大事さ、その2つくらいをポイントにして、今委員長が言われた折鶴1羽折ることでもいいと思う、例えば資料館を見に来て折鶴を1羽折って置いて行ってくださることも勝手だと思うので、本当にできることがなんなのかという、高尚なところではなくて、関心のない人だったら話を一回聞いてみようか、聞くことによって何か感じられるかもしれないとか、そういうところを私は、いろいろ引用している部分を少し削って、長崎の地に足を付けた活動を入れていっていただくと、その辺の特派員の活動されているのは私も市長が訪問された記事を読ませていただいて、こういう方がいらしてくださるんだということは素直に自分が受け取れたので、そういうことも紹介できればいいとは思うが、なんか的を絞って少し活動を入れていっていただければ整理できるのかなと思った。

【委員】
 今委員がおっしゃったみたいに、教育の重要性と継承の大切さなどは確実に入れないといけないところだが、ここの文章をもうちょっときゅっと縮めて、やっていない人に具体的にできることが書けたらなと思っていた時に、私3月にあった平和マルシェに行ったとき、最初に創作ダンスをされた女性がいて、「あ、これも伝えるという、表現するという意味であるんだ」と思って、これだけ長く生きているのに初めて感じて、「意外にハードルって低いな」とあれを見て思った。でもそれは、私が初めて平和マルシェという会に行ってみたからこそわかったのであって、行ってなかったらいまだにダンスが平和について表現する一つになるってわからなかった。だから、若い子たちはそういうダンスとか表現することはすごく好きだと思うので、ちょっとここに創作ダンスとか入れたら、うん?色に合わないかもしれないが、意外性がある若い子たちがやっていること、好きなことをちょちょっと入れると、「あ、そんなんでもいいの?僕、私やってみようかな」となれるかなと思った。ただそれをこの平和宣言という、歴史ある文章の中にうまく入れる言葉が私も思いつかなくて、そこはよろしくお願いしたい。

【委員長】
 若い人たちも含めて伝わっていない人たちに伝えるというご意見をいつも言っていただくが、この段落については、特にこんな感じがいいとかっていうさらに付け加えてご意見をいただければ。

【委員】
 これを初めて読んだ時に思ったのは、平和教育はもちろん大事で不可欠だけれども、ほとんどの一般市民はただただ教育を受ける側であって、その教育についてこういうことをしましょうと言われても、自分には変える権利はないよなと思っちゃうと思った。だから平和教育に触れることは不可欠だが、ただ触れ方がこの書き方はよくないと言うとあれだが、対象がずれてしまっているのかなと思った。

【委員】
 平和について考えるというのはとても大切なことだが、普通の子どもたちで平和に興味がある子ってほとんどいないと私は思う。そこに何かしら与えることによって興味を見出すのであって、そのきっかけということはやはり作ってあげるべきかなと思う。もちろん生きている中で、なにかしら折鶴を作ったりだとか、なにかしらの折りに触れるということはあるかもしれないが、やはりその機会というのはとても少なくて、それだったら長崎からできることが今あるのだから、それを紹介して、私たちはこういうことによって知っていただきたいということを積極的に言うべきではないかと私は思う。今手段というのがあるので、それを知らない方にそれを伝えるということは義務でもあるし、やはり長崎からの発信であるとも思うので、その一文を入れることに関しては、私は何ら問題ないと思うので、それはぜひ本当に「私たちから伝えさせてください」ということを入れていただきたいなと思う。

【委員】
 私は全国から長崎からやってくる修学旅行生に講話とか碑めぐりとか年間50校くらいはしているが、そういう中で、やはり73年間日本が戦争しなかったんだと、その前は10年おきくらいに戦争をしていたんだということを言ったら、びっくりする。だから今の平和は当たり前と思っているが、しかしそういう日本であってでも73年以前に帰ろう、軍隊を持とうとする人たちがいるわけですね。私たちは被爆体験を継承すると同時に、そういう戦争ができるようなそういうことに対しては警鐘をしていくと。そういうことでやはり教育というのは非常に重要だと思う。戦前は小学校5、6年生くらいにいろんな戦争の訓練をしていったそういう中で軍国主義の少年を育てていった。しかし私たちは平和の少年を作っていかなければならないと思います。そういった中で、子どもたちに対する被爆体験の継承とそれから戦争をしないためにどうしたらいいのかということを伝えていく。そして今やはり安倍政権になってから法制局長官も自分のお気に入りを据えて、そして閣議決定で、私から言わせれば、憲法に違反したそういう法案を通していくということがあって、私たちも一生懸命そういうことに反対して、全国でも戦争法案に対しては違憲だという裁判が全国で7,000名以上の原告が参加して、訴訟をしている。そういう中でやはり今日本が本当に、戦争ができるような国になりつつあるということを警鐘していくためには、長崎の経験を大いに全国に、世界に訴えていかなければならないと思う。

【委員】
 1つ疑問があって委員に伺いたいが、ご意見の中で「子どもに感性の話は伝わらない」ということをおっしゃったような気がして、私はそれが逆だと思っていたので、これはどういうことかということを、少し説明をいただきたいなと思った。もう1つ、1~6行目に関して、皆さんのご意見を伺っていて、委員の皆さん証言活動をされてこられて、聞き手に響く言葉のストックをたくさんきっとお持ちなんだろうなと話を伺っていて思った。ぜひ1~6行目の文章をもっともっとよくするためにお知恵をいただけたら嬉しい。やはりここの部分というのは、平和宣言の基礎だと私は思っていて、広島長崎以外の子どもたちというのは全然平和教育を受けてこなかったので、こういう文章で初めてこういうことがあったんだと、平和宣言を通して知ることになると思う。これを知るきっかけにしてもらって、広島長崎に実際に来てみようということに変わるそういうきっかけになる部分だと思う。もっとよくしていきたいなと思ったので、お知恵をいただけたらと思う。

【委員】
 もちろん子どもはとても感性が優れている。ただその感性を引き出すためには、基本的な知識は必要だと私は思う。その知識を与えるのはやはり大人であったり、いろんな方々の言葉だったり、歴史を学んだうえで、そこにどこかしらに触れる琴線があると私は思う。だから最初は感性だけでいくとあまり理解できないんじゃないかというふうに思っているので、そこにきちんとした知識というのを育んでいってからの感性だったら、私はいいとは思ってはいる。

【委員】
 先ほどの教育の問題だが、現場にいる人間として、いくつかこうしてほしいということを感じている。うちの学校の平和学習部というところがあるが、年間20ちょっと交流プログラムをやっている。国内ではただ長崎の現実を訴えるだけではなくて、それぞれの町の都市空襲なども含めて戦争被害を発掘してきてもらって、こちらもシェアして一緒に学ぶということをやっている。国際関係もそうで、アジアの若者と交流するプログラム、アメリカの若者と交流するプログラム、いろいろ私たち持っているけれども、アジアの若者と交流するプログラムについては行政の方で立ち上げてくださったプログラム。ほかにも市民団体が立ち上げてくださっているプログラムもある。それを見て、そういういったことをやりながら、やはりそういった市民団体あるいは行政をそちらの方に誘導していく、エンパワーメント(自主的・自律的な行動を引き出す支援)していくという施策を、各国の政府や自治体、そういったところに求めていければ。具体的に言うと、予算ですし部局ですし、そういうことをぜひ公のレベルで取り組んでいただくということが、私はどこかではっきり言っていただければ、ますますこの市民の力というのは向上していくんじゃないかと思っている。核兵器というのは通常兵器と比べて、被害に関しても規模に関しても極大化したものだと思う。通常兵器は過去の話かもしれないが核兵器は未来をもつき崩していくものですから、そういった意味でここにあるように戦争をなくすという究極的になっていくんだろうと思います。そういった核兵器の持つ意味というのをわかってもらう、それを目的とした自治体レベルから市民団体レベルから補強していく、エンパワーメントしていく、そのあたりを文章化していただければと思う。

【委員長】
 今の動きについては、例えば平和首長会議であったり、あるいは日本非核宣言自治体協議会、これは日本の自治体の集まりだが、特に日本都市のほとんどが平和・非核宣言というものをしているので、その中で二割くらいだったかと思うが、330くらいの自治体が参加している非核宣言自治体協議会。ここもまさしく平和・非核宣言はしたけれども、じゃあ具体的に何をやったらいいんだろうというところで、一緒になってツールを作ったり、長崎に来ていただく仕組みを作ったり、そういった活動をしているグループですけど、そういう意味では、そういった活動についてもこれからますます重要になっていくと思うので、特に継承という部分については、それぞれの町に戦争体験があると思うので、そういう話をしながら活動を広げていくということは力を入れて行きたいと思う。

それから、最後全体的なことにもなるが、平和宣言と、その憲法の話も何回か出たが、私は平和宣言というのは長崎市長が市民の代表として世界に向かって述べるものであると、基本的にそういう風に思っている。市民の代表として何を述べるべきか、ということを考える時に、いろいろな皆さんのご意見も伺いながら作った方がいいということもあって、長崎では起草委員会方式で平和宣言を作り上げていくというプロセスを採用しているわけですが、その中でずっと言い続けている共通項目はやはり2つあって、被爆者の皆さんに対しての思い、また亡くなられた方々への思いはベースにあるとして、その他に1つは、核兵器のない世界をつくるということへのメッセージ。もう1つは、平和な世界をつくるということへのメッセージだと思っている。特に、核兵器のない世界をつくるというメッセージに関しては、ある意味で市民の皆さんから全面的に何を言っても何をやってもいいからとにかくそこに近づくということ最優先にするというミッションをいただいていると思っている。だから、例えば「北東アジア非核兵器地帯」というものについても、ある意味では先端的な考え方かもしれないが、これがより近づく1つの大事な道だと思ったら、そのまま提案しても構わないという、そういう全面的な、とにかく核兵器のない世界に近づくためにはという全面委任をいただいているという風に考えている。一方、平和な世界の構築についてはさまざまなアプローチもあったりして、その中で戦争をしない、あるいは平和主義という考え方については、これは市民の皆さんのコンセンサスだと思っている。そこに至るいろんな具体的な方法、安全保障の方法などになっていったりすると、そこには市民の皆さんに多様な意見があって、多様な意見を踏まえながら市民の代表として何を述べるべきかということを考えながら、作っていかなければならないと毎年思っている。そういう中で平和宣言についても、ここに意見をいただいて、直接いただく起草委員の皆さんだけでなくて、そのほかの皆さんもどう考えているんだろうということを常に頭で考えながら、平和宣言を作ることを心がけたいと考えている。そのことだけは、基本的な考え方として、1つお伝えさせていただければと思っている。

【事務局】
 次回の起草委員会は7月7日(土)10時から、この会場で予定している。

最後の会合となるので、本日、ご協議いただいた内容を反映させた平和宣言文(案)をもとに、再度、皆様からのご意見をいただきたい。

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電話番号:095-829-1124

ファックス番号:095-829-1410

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