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平成29年度第1回 長崎市平和宣言文起草委員会

更新日:2018年2月14日 ページID:030768

長崎市の附属機関について(会議録のページ)

担当所属名

原爆被爆対策部 平和推進課

会議名

平成29年度第1回 長崎市平和宣言文起草委員会

日時

平成29年5月13日(土曜日) 14時00分~16時00分

場所

長崎原爆資料館地下1階 平和学習室

議題

平成29年長崎平和宣言について

審議結果

【委員長】
みなさん、こんにちは。今日は平和宣言文起草委員会の第1回目の会議ということで大変お忙しい中、まず委員をお引き受けいただいたこと、また忙しい中こうしてご出席いただいたことについて、心から感謝申し上げたい。

昨日、NPT再検討会議の第1回目の準備委員会がウィーンで開かれていたが、出席をし、核保有国また核の傘の下にいる国々と非保有国とのいろんな意見のずれが、そのまま残った形での委員会の終了ということになった。

核兵器禁止条約を巡る会議、交渉会議自体は6月に開催されるわけだが、そこに向けて非常に大事な局面を迎えているというところであり、今年の平和宣言はその6月の会議、核兵器禁止条約がどうなるのかという結果を終えた中での平和宣言となるので、非常にそういう意味では平和宣言自体も重要なタイミングでの宣言になるものというふうに思っている。今回の準備委員会に参加させていただき、勇気をもってもう一歩踏み出すべきだということをスピーチさせていただいた。5年に1回ウィーンで開かれるわけだが、5年前の会議と比べるといろんな意味で変化があり、非常に緊張感が高い禁止条約の交渉会議だったと思う。そういう中でプラスの要素ということで申し上げると、2010年NPT再検討会議以来、核兵器の非人道性の様々な議論がおこって、そしてその流れが禁止条約の交渉会議の場でつながったということ、平和宣言でも昨年も一昨年もこの会議を絶やさないように、交渉の場を絶やさないようにということをずっと申し上げてきたが、そういう意味ではこの議論の場が絶やすことなく続いて今年の交渉会議につながっているということであると思うし、それは市民社会からの声もしっかりと伝わっているということであるんだろうというふうに思っている。それから、もう一つは5年前との違いということで申し上げると、5年前にちょうど長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)が生まれたばかりの時で、4月に生まれて5月からの会議ということだったが、その後いろいろな政策の提言であるとか若い人の活動が活発になってきて、5年前と比べるとユース代表団が生まれ、第5期生の皆さんが今回も活発にさまざまな自分たちで考えて自分たちで動くという活動の様子を見るにつけ、次の世代に向けてバトンをつなぐという意味では頼もしい、やはりこういった活動は1年2年ではできないので、こうやって少しずつ少しずつ積み上げてきた、積み木のような活動がしっかりと根付いてきていると感じた。そういう意味では核兵器禁止条約も含めて私たちは諦めることなく、絶やすことなく歩み寄っていかなければならない。そして、被爆地にはやはり大きな期待が寄せられている、そのことを発信し続けて多くの人たちを集めていくという役割も担っているし、また記憶が少しずつ薄れていく中でしっかりとそれを伝えていくという役目も世界から期待されているということを改めて感じた。

今年の平和宣言、昨年以降に重要な局面での、また、重さも増してくる中での平和宣言になると思うので、いろいろなご意見、いろんな角度からのご意見をいただいて、良い平和宣言に作り上げていきたいと思う。
今年も3回会議を開催する予定となっているので、皆さんのご協力をよろしくお願いしたい。改めて今回、今年の平和宣言文起草委員会委員にご就任いただいたことを心から感謝申し上げ、私からの冒頭のご挨拶とさせていただく。

【委員】
今年初めてで、とまどいながら参加した。昨年の議事録を読んで経過はよく理解した。
その中で議論することの大切さを感じた。文字で書かれ出来上がったものより、議論のプロセスそのものが平和宣言だと感じた。そういった意味で長崎の平和宣言は平和構築の象徴的な性質を持っていると感じた。

私自身は勤務校で平和学習のクラブを指導し、市民団体が支援する高校生一万人署名の支援スタッフとしても活動している。若い世代と接してその世代に何を残していけるのか、支援していけるのかを一番大事に考え、活動してきた。

3番目になるが、一番最後の「『希望の世代』の後押しを」というところが一番伝えたいことだ。今年も中国・韓国・マレーシアの若者との交流、あるいは日米露の高校生の平和フォーラムという形で、生徒にいろんな交流の場を作り支援してきた。

そういう中で生徒の視野が広がっていく、前向きに悲観的にならずに取り組みを考えていくという姿を実際、目にしてきた。こういった教育プログラムをぜひ今後も支援していただきたい。昨年から高校3年生が選挙権を得るようになり、主権者教育が高校の重要なテーマとなったが、長崎では平和の問題を通して平和を作る主権者が育つよう訴えたい。

これまでに米国の高校生との交流プログラムを推進協会に作ってもらい、それに参加してきたが、資料館に入る前と後では反応が劇的に変わる。私は資料館を出た後、泣きじゃくる米国の女子高校生を何度も目にしてきた。米国では原爆の正当化、核抑止の正当化を学校教育で教えられているが、それが180度変わるということがある。そういった意味で昨年の宣言にもあったが、各国の人々にぜひ資料館に来てもらい、特に若い世代をターゲットにして核の実相について知ってもらえるプログラムを支援してほしい。
1番目に戻って、外交努力と軍備縮小については、皆さんも書いておられるので割愛するが、原爆は政治的な背景のもとで落とされているので、核廃絶は政治的な営みになると思う。

昨年の平和宣言も各国のリーダーへの呼びかけから始まっているので具体的な政治への言及を恐れてはいけない。国際政治、国内の政治的な動きにも言及していくべきだ。各国の核兵器禁止条約の国際的な枠組みに対して具体的な動きを求めていくことを願う。

【委員】
私は被爆者ということで、被爆地に修学旅行で来る中学生・高校生・大学生の方に被爆体験講話を行っている。父母、姉、兄弟が一瞬にして黒焦げになってしまった。死体の中から自分の身内を探さないといけなかった苦しみは私達で十分だ。

そのためには、いかなる理由があろうとも地球から核兵器を廃絶して平和な社会を作るべきであるということを発言するが、子供のころ親兄弟を失ったため食べ物・衣服・履物がなく、草を取ってきて食べていたと伝えると、何でコンビニに買いにいかないのかと言われる。戦争中と今では、落差があるということをしっかりと伝えていくべき。

それは一つの方法であると思う。そうしないと今の生活がたとえ戦争になっても続いていくものと誤解されると大変なことになるので、戦争の愚かさ、悲惨さ、残酷さをあくまでも事実として的確に伝えていくことが私たちの使命であると思っているので、その事実をしっかりと伝えてほしい。

そして、この世の中で「あっ」と思うようなことが目につくような時代なので、こういうことが二度と起こらないように、72年前のあの出来事が起こらないようにするためには、英知を結集して、手をつなぎ合って、平和とはと問われると、人の痛みのわかる心を持つことだということを、多くの次の世代に伝えて平和な世界を作っていこうという声を、私たちは伝えていくべきではないかと思って頑張っているが、放射線を浴びてしまっているので緑内障を患い、目が片方見えない状態になっている。

あと、どれくらい、次の世代の人に事実を的確に伝えていけるかという不安を抱いているが、命あるかぎりああいうことが絶対起こらないよう、家族が全員死亡してひとりぼっちになってしまった苦しさ、悲しさを伝えていく努力をしていきたい。

【委員】
初めての参加だが、長崎に来て3年になる。それまで、まったく縁がなかったこの街のもつ重要性、被爆体験、それを抱える街の記憶というものを、どうやって世界に伝えていったらいいのかということについて、日々考える、そういう機会を与えていただき、核兵器問題を研究している者として幸せな機会をいただいている。また、重要な責任を感じながら研究している。

長崎平和宣言の持つ意味というものについて述べたい。外から見ていると広島と長崎が一緒に語られることが多いが、長崎ならではのカラーというものがあると思う。これまでもそれについてはよく考えて(案を)出されていると思うが、今回の宣言文でも訴えて欲しい。それは「最後の被爆地に」というメッセージに集約されると思う。長崎で感じているもう1つのことは、世界に通じるクリスチャンの街であるということ。これも広島ではなかなか感じることはできないので、それも文言に入れて欲しい。

長崎平和宣言を外で感じたことであるが、国際社会が長崎平和宣言をどう見ているかというときに、長崎のことをわかってもらうカラーが重要であると思うので、それを強く打ち出して欲しい。

平和宣言は毎年出されているが、ずっと変わらずに訴えていくべきことと、この年に特別に言いたいことと2つがある。(私の提出した5点は)最初の方が、今年ぜひ訴えたいことだ。

第一に、現在おかれている核兵器をめぐる情勢が非常に厳しい。おそらく冷戦が終わって以来、最も厳しい時期で、もしかしたら核兵器が使われるかもしれない、という緊迫した状況であることをまず認識して欲しい。特に、核兵器国の近代化計画、これが使いやすい核兵器を開発しようとする動きがあるし、南アジア・北東アジアの緊迫情勢、この辺が非常に重要な状況になっている。

私の専門である核物質について、在庫量が増えている。これは日本にも非常に責任があることなので、このことも訴えていただきたい。

二番目は、逆に良い方、前向きな話として、歴史的な転換期であると話があったが、核兵器禁止条約に向けての話が進み、今年、条約として結ばれる可能性が出てきている。平和宣言が出るころには条約ができている可能性があるので、転換期として大歓迎である。その内容をどこまで書き込むかは難しいが、歴史的な転換期として強調して欲しい。

三番目は、日本政府に対して厳しいことをいうべきである。核兵器禁止条約の交渉に出ないというということだけでなく、日本政府が行っていること、インドとの原子力協定など核兵器廃絶にマイナスなことが非常に多い。

四番目は、北東アジアについての厳しい情勢を皆さん書いていると思うが、軍事ではなく外交問題で解決すべきである。長崎の果たすべき役割は非常に大きい。我々が進めようとしている長崎プロセスという民間レベルでの外交をぜひ進めていこうということも文言に入れていいただきたい。
最後は、毎年言い続けなければならないこととして、世界のリーダーに被爆地を訪れてもらうということ。昨年、オバマ前大統領が広島を訪問したが、これは大変歴史的なことだと思う。今後もトランプ大統領やプーチン大統領、世界の核兵器保有国の代表全員に被爆地を訪問してもらうということを強く訴えて欲しい。

核兵器の非人道性ということはあるが、軍事の安全保障から人間のための安全保障という流れが今回の核兵器禁止条約につながっていると思うので、ぜひ人間のための安全保障、単に日本だけでなく、国を超えた世界の人々の個人個人の安全保障を強く考えるということを、被爆地からのメッセージとして強く訴えて欲しい。

【委員】
海外に2週間行っていたので、時差ボケでまだ頭がまわらない。そして、その前にまとめて提出しているが、その後憲法改正の、少し前のめりの発言が首相からあった。そのような状況が生まれているように思って、少し追加もさせていただきたい。

人類史上初の2発の原爆から72年経ったが、人類は未だ核兵器を廃絶するに至っていないということ。そして、核爆発は生涯にわたり被爆者に多大の影響を与えつつあり、多数の核弾頭の存在は人類の生存に対する最大の脅威であり続けている。その現状を冒頭でしっかり述べた方がいいのではないか。

それに対応して、近年、核兵器の非人道性の認識が高まって、2017年3月より、核兵器禁止条約の多国間交渉がニューヨークの国連で開始され、条約案が具体化されつつある。

残念ながら、条約成立を目指す非核兵器国と、これに反対する核兵器国及びその依存国の間で対立が先鋭化しており、日本を含め後者の国々は会議をボイコットしている。

条約反対国は、核兵器によって国の安全保障を図る核抑止政策の維持が、紛争を頻発し、北朝鮮の無謀な核拡散を抱える現状においては当分の間、必須であると主張しており、政策のパラダイムシフトを決意するには至っていない。

広島・長崎の被爆者と核実験被害者は、核兵器を保有し続け、この非人道的核抑止政策を継続することの危険性と人類滅亡をもたらす核爆発の愚かしさを70年以上も見続けてきている。

この抑止力を完全に人類が使いこなし、今後も絶対に核爆発を生じさせないという保障がどこにもない。核兵器国と依存国のドグマによって、全人類の生存が危機にさらされており、唯一の解決策である禁止条約の成立は今や人類の最大の責務となっている。

北朝鮮の核兵器増強は、このドグマが引き起こす悪夢であり、外交努力により阻止しなければならない。

核兵器国も依存国も言葉では究極の核兵器廃絶を唱えている。禁止条約の予備交渉、昨年のOEWGジュネーブ会議だが、日本の佐野前軍縮大使も究極的には禁止条約が必要となることを数回言明されたのを聞いている。この自覚というのは重要であると思う。

究極の核廃絶では全国連加盟国が一致していると思う。禁止条約に関する現在の対立をいかに克服するかは、これはまさに全人類的死活問題であり、われわれ人類は今こそ英知を振り絞ってその解決を図らなければならない。

究極の核廃絶を国連加盟国すべてが宣言し、最大限の譲歩をもって実現可能な禁止条約の内容を検討し、成立させ、発効の時期については柔軟に設定して、今後もなお核兵器国と依存国の事後参加の可能性を追求すべきではないかと考えている。これは成立がほぼ確実であろうという前提で考えたことである。

世界の政治リーダーの役割が決定的に重要な年になっている。その政治的英知が求められている。偶然に、また幸運にも、長崎原爆を最後として3度目の爆発を人類は経験することなく72年を過ごしてきた。最後の被爆地から声を大にして、この政治的英知が国連で発揮されるよう訴えなければならない。7月に条約成立している場合は、やはり核兵器国と依存国への積極的参加交渉を適切な機関を創設して、開始するのがいいのではないかと個人的には思っている。CTBTの推進のためにCTBTOという機構が設立されているが。それと類似の、条約推進機構を設置すべきではないかと。被爆地からそういうものを設立していたら、7月に成立していたら提案していいのではないかと。

最後に、2017年が地球上の次世代の人々が核なき世界において生存する自由を享受できるよう、現世代の人類が核廃絶の第一歩を標す年になることを被爆地、被爆体験者、それから原爆で亡くなった方々を代表してやっぱり、声を高々に宣言したほうがいいのではないかと思う。

それから帰国してからまだ数日だが、憲法議論がまた前のめりで出てきている。これはやはりこれまでも平和宣言でその都度議論してきたところで、やはり平和憲法の精神を、堅持するとの文言が今年も入らなければならない、ということを最後に追加させていただき、以上で発言を終わる。

【委員】
昨今の緊迫した状態というのは、市民社会の毎日の生活の中に入ってきている。具体的に国際交流なども、例えば韓国にいる留学生を呼び戻したりという家族からの意見もあった。そういう風な緊迫した状態になってきている。世にいう、核兵器は抑止力としての核兵器ということが言われているけれども、これは抑止力でもなく、抑止力として有効に機能しているとも思わない。一市民として。そういう状態だ。それから、もしそれが本当に実際に、あるいは具体的に間違いを含めて使用されることになるならば、地球の破たんを招くことになるということを実感する毎日だ。そういう中で、私たちは世界のリーダーに呼びかけて、政治力も、それから外交力も、それから経済も、それから倫理観も含めて、私たちは核兵器廃絶に向けて、対話と世界の連帯に向けて力強く、それから小さい力を結集して、呼びかけていくことが大変必要ではないかと思っている。それから長崎のメッセージというのは、長崎、例えばまあ具体的に戦争とはいえ、国際法上違法であった原爆の投下。それは人間の尊厳をここまで否定するのかというほどの厳しいものであったということ。このことを、これから誰に対しても、どういう状況であっても、いつであっても繰り返してはならない、ということを力強く発言していかなければならないと思っている。それからあともう一つ、長崎市民の一人として、こういう現実をもう少し意識をして学んでいく必要があると思う。そういう意味で、長崎市民に向けたメッセージも必要ではないかなと思っている。若者は、委員の皆様も、それからいろんな方々も、若者の平和に対する動きが大変大きくなってきている。それはお互いに感謝すべきことであるし、たくさんの方々の努力からなっていることだと思うが、もう一歩、市民の平和に対する、それから今の現状の厳しさというものを認識する。それを意識する、学ぶ機会を持ってほしいということを呼びかけなければならないと思っている。新しい、新しいという言葉がふさわしいかわからないが、被爆された方々が、伝えるのが大変厳しい状態になってきておられるという現実の中から、どういうふうにしてそれを受け止めて、新しい方法で伝えていくということを考えていくという意味でのメッセージを市民に向けても発する必要があるのではないかと思っている。以上です。

【委員】
例年通り、長崎原爆とこの戦争の悲惨さを忘れずにそれを詳細に語る、それを後世に伝えていくということ、もう一つが現在の国内外の情勢を見て平和を実現するため、そして核兵器を廃絶するための被爆地長崎の立場を発信していくということを柱にしてほしい。

二つの内の後者について憲法に拘束されているはずの立憲国家にあって安倍政権の方向性に強い危惧をもっている。集団的自衛権の行使を可能にする安保関連法制が施行され、日本政府は自衛隊も、自衛隊に課せられた行動をすべて合憲と説明してきているが、一方で、逆に日本政府はすでに地位の確立された日本の自衛隊について違憲の疑いを排除するために憲法に明記すべきと9条の改正というものを目指している。

集団的自衛権の行使を合憲の自衛隊によって可能にした直後に、自衛隊の違憲の疑いを排除するために改憲するという、単純な矛盾を強引に語っている。それを国会や政党とは別に政府のトップが執念のごとく語っている。近代立憲国家では国民が権力者の専横を許さないために政府に課しているのが憲法であって、憲法のあり方は、ひたすら国民の議論に立脚すべきなのに、政府のトップが自分で求めてしまうという姿を見るときに、改憲の目的というのが自衛隊の地位そのものではなく、これから専守防衛の枠を抜け出て、より軍事戦略に行動させよう、という政権側の意図に疑念を持つ。こういった政権の進め方に危惧している人、あるいはなんとなく危ない方向に進んで歯止めを失っているのではないかというふうに漠然と不安に思う国民は多くいる。憲法の平和主義の重要性を、その道をひたすら歩んでいくという決意を長崎平和宣言で訴えてほしい。

原子力発電について福島原発事故は終息していない。福島第一原発事故を機に日本国民には原発をなくすべきと考える人が増えた。再稼働に反対している国民も多い。さらにいえば将来は脱原発が望ましいと思っている人はもっと多い。重大事故は今後もあり得るという予感を皆が抱いているからこその国民意識であって、もはや日本人は核被害を切実な自分の問題として捉えて考えるという時代を生きている。福島以降の原発の政策というのは発電所の安全対策と周辺の防災対策という両輪が柱になっているが、どちらも実効性に関して国民の信頼は得られていない。原発というもののコスト面が社会的な負担も含めたコストが受益に見合うものなのか、あるいは核のゴミを長期的に処分・管理していく見通しがあるのかどうかという点からも、長崎平和宣言が50年先あるいは100年先からも、その年、どういうことが書かれていたのかということを振り返って検証される性質のメッセージだと思うので、原子力発電に対して冷静で厳しい言及を発するのが核被害地である長崎の歴史の責任ではないか。

【委員】
平和推進協会に被爆継承部会があり、修学旅行生への被爆体験講話などを行ったりするなかで、聞こえてくる様々な話を含めて意見を書いた。

まず、世界を見たときにトランプ氏が大統領になる前から各国が右の方へ傾き、大きく旋回して後退している気がする。辞令交付式などの際には、職員に、そのような情勢ではあるが、君たちが今までしたことは決して無駄ではない。これからも頑張ってくれといっている。

今までは核兵器禁止の方向に向かっていたが、今は核武装の方向に向いている。北朝鮮はもう持っているのではないか。韓国はそうなったら持たないといけないと考えているのではないか。日本政府にはそれに便乗しないように強く要望していかないといけないと思う。

被爆体験者が80歳を超えてきて、被爆者が語れる時代から、被爆者がいない時代へなりつつある。被爆者も同じ人間であり、歳をとったら発言が億劫になってくのもあり、急速に減っているような気がする。

今度の平和宣言文は難しいと考える。昨年の宣言文はどちらかというと理論が勝って、被爆された方の苦しみ、痛み、それから後の生活などが欠けている。広島に比べたら入っていないので、ぜひ入れていただきたい。

5つの項目に分けて意見を書いたが、オバマ大統領に長崎訪問要請をしたが今回は調整がつかなかった。ただ、8月に各国の指導者がお見えになるので、資料館や追悼祈念館をよく見ていただいて核兵器は絶対だめだということを知らしめて、よく記憶して帰っていただきたい。

平和の原則は人間の痛みがわかる心を持つことだというのが僕たちの気持ち。理論と感性は土山先生がよくいわれていた。理論を重視すると式典に来ている方、子どもさんの理解が得られないので、もう少し感性に訴える部分を増やしていただきたい。

【委員】
今の委員もおっしゃったように、一市民としてとらえるときにその人たちも理解できる、とっかかりができるような平和宣言文であってほしいとずっと申し上げてきた。段々と社会情勢が厳しくなる中で、専門的なことが多くなっていくが、やはり平和宣言文は各国首脳とともに地球市民という一般市民にも訴えるものだと思う。そういう意味では一市民にも手がかりとなるような作成の仕方をぜひ今後も工夫をしていただければと思う。

事前資料を作成する際に非常に気分的にイライラしており、出だしが9条のことから書いているが、最初に思ったのは、人間というのは将来の平和な未来をどういう風に理想を持って突き進もうとしているのか、それが今非常に不安定になっている時期だと思う。理想というものはそれを掲げながら現実に変えていく、そういうものだろうと思うが、今は人類が理想を現実に変えていく夢も努力もできない社会になってきている。先ほどから発言が出ているが、私も一番気になっているのが憲法のことであって、憲法論議の中では改憲、護憲いろいろある中、見直して変えるところがあるかもしれないが、なぜ唐突に9条が前面に出てきたのか、というのが非常に不安である。憲法が解釈によって集団的自衛権などを行使できるようになり、それを実践しながら次の段階に進もうとしていることに非常に不安を覚える。加害ということには様々な異論はあるが、日本国憲法は加害と被害の歴史から戦争放棄を謳ってきたと思う。そういう経験の中から平和な社会をつくるためにはどうすればいいのかということが日本国憲法だと思う。日本人が関わっていないという意見もあるが、いいものはいいものとして捉えていくべきと私は思う。憲法9条は私たちの誇りであり、武力による威嚇さえも行わないという条文の中に、ポンとなぜ自衛隊を明記しなくてはいけないのか、考え方も整理されないまま提起されたことは非常に唐突で怖さを感じる。改憲が必要という方の中にも9条は変えなくてよいという方が過半数以上、大多数おり、その声を無視するということに非常に不安を持っているし、国民として黙っていてはいけないと思っている。

最近近隣国との緊張が高まっている。これは報道などで私たちが煽られているところもあるのではないかと思う。一市民として、その原因がどういうことなのか学ぶのは厳しいところがあるが、挑発に乗ることなく、日本が緊張関係をもたらすような原因をつくっていないかということも考えないといけない。同盟関係の名のもとに、自国を核の傘で守ってもらう前提で後方支援の既成事実が今作られており、この前もずっと自衛艦が護衛をしている。そういうことで逆に、今までにない、日本に対する敵対関係がつくられているのではないか。これは一市民としての単純な考え方かもしれず、専門家から見ると違うかもしれないが、私はそう感じるし、核抑止力から早く脱却することをこれからもっともっと訴えていかなければいけないと思う。

対話による外交は理想論ともいわれるが、戦争による唯一の核兵器被爆国として、現憲法のもと72年間戦争をせず、平和を守り続けた事実は世界の手本となるべきものだと思う。なぜ今いたずらに煽って変えなければいけないのか、そういうことをぜひ訴えていきたい。日本政府は唯一の被爆国だからこそ、人間の英知を集め、武力に頼らない平和な社会の構築に努めることを大前提として、核兵器禁止条約はとてもいい流れになっているという話もあるので、それをはじめ核兵器廃絶の道筋上にある様々なものに対して積極的に関わり、被爆国だからこそできる発言をしながら、リーダーシップをとってほしい。それを国にしっかり求めていきたい。

核兵器によって被爆された被爆者の皆さんは、72年もの間、心身ともに苦痛から解放されることは1日もなかったと思う。そういうことを強いてきた国の政策は非常に厳しいものであった。被爆者は平均年齢も80歳を超え、苦しみは営々と続いている。苦しみの経験が核兵器廃絶に向けて動きだしている、そういう光が見えるような政策をつくっていくため、反省と努力をすることは国の責任だと思う。体験の継承や非人道性をからめて伝えていくことは大変であるが、被爆をただ当時こうだったということではなく、その後の生きるための苦しみがどうだったのか、その時だけではなく長い間つらい思いが続くのだということをしっかり伝えなければいけない。

若い人たちはもちろん長崎は先進的に様々な活動をして世界のお手本になっていると思うが、委員からお話があったが、長崎市民がもう少し関心を持つという訴えが必要と思う。ただ、憲法に関心のなかった方々が今回の9条に関しては非常に様々な場面で怖いとかおかしいとかいう話が出ている。そういう意味では今まで以上に関心が高まりつつあるので、チャンスと捉えて憲法を冷静に考えていくことが必要と思う。

最後になるが、原子力発電所の事故から6年になるが、終息の目途がいまだに立っていない。どんどん注ぎ込むだけで何も解決策が見いだせていない。そういう中で再稼働の動きはどんどん進んでおり、再稼働の許可が出ている原発が多数ある。即全部ができないという意見もあるが、それに代わる対策が何も立てられていないまま、再び被爆者を増やし続ける可能性がある方向に転換をしている。これは何としても食い止めなければならない。核による悲惨さは原爆だけではなく、福島の実態からわかるように、これから長いこと後に続いていくのではないかと思う。今ミサイル発射など非常に懸念されているが、原発にミサイルが撃ち込まれる可能性もあり、その時は同じような惨禍が起こりうる。戦争がないことが基本であり、争って平和を勝ち取るのではなく、外交や対話の努力の中で構築する平和を長崎はどこまでも追い求めていくということをぜひ強く訴えていただきたい。

【委員】
今年で早くも3期目になったが、一向に慣れず緊張している。一生懸命頑張るのでよろしくお願いしたい。

イギリスのEU離脱を始まりとして欧州各国の極右派の政治家やトランプ新アメリカ大統領の言動に共通する“自国ファースト”の動きが、世界中にどんどん広まっていることにとても不安を覚える。自国ファーストとは、自分にしか関心をもたない排他的な内向きの態度や関心のあり方だと思う。そのようなあり方では、他者への無関心、あるいは無視、さらには軽視、蔑視、攻撃にまで直結していくと思う。究極のゴールである本当の平和の実現のためには、知恵や思慮をもって、それぞれの国の状況の違いを乗り越えた、不断の共同作業や意見の擦り合わせを行う必要がある。そのために不可欠なのが、お互いへの信頼と理解だと思う。そして、それを可能にするには、内向きではなく外向きに開かれた態度を保ちながら、自らのものとは異なる相手の文化や歴史、民族性、あるいはその存在そのものを尊重し、相手へのリスペクトを相互に持ち合うことが必要と思う。

また、今まさに現在進行形で起きている北朝鮮とアメリカの緊迫した状況のように、国家同士、あるいは、国家の形式的な代表としての政府同士の関係には、確かに不信や憎悪の上に成立しているものもあると思う。しかし、統治機構としての国家と、国民一人ひとりの集まりとしての「くに」との間で、その意思は必ずしも一致しないのではないかと私は思う。父の例になるが、父の大学時代からの友人の中に北朝鮮出身の方がいる。テレビの報道で見る限りでは、北朝鮮は理性を欠いたとても攻撃的で排他的な国民性を持っていると捉えがちだが、その友人のキムさんはとても思慮深く、思いやりや協調性がある方である。国家レベルの対立関係に影響され、個々人が内向きの態度や排他志向を強めてはならないと思う。「くに」の力が国家を動かした事例もあると思う。一人ひとりが他国に暮らす一人ひとりを理解し、良き友人となることから、すべてが始まるのではないか。呑気な理想論と捉えられるかもしれないが、国民一人ひとりの利益や権利、願望、不安や恐れを利用して、その支持を得るポピュリストがリーダーになってしまう現実を前に、戦争のない世界を実現させるためには、私たち市民一人ひとりが自覚と平和を願う意志、そして、「くに」を担っているという自覚を持って、冷静さを失わず、他者に対する共感力、想像力をもつことが大切だと思う。

特に私たち若者世代は直接の戦争体験がないので、生々しい憎しみの感情はなく、冷静に過去に向き合い、未来へ向けて何をすべきか、お互いにリスペクトしながら考えられるのではないか。今年は国家としての暴走が目立ち、それがあたかも「くに」の総意かのような錯覚が起こりがちだからこそ、平和宣言では、国家ではなく、「くに」に住む世界市民、私たち一人ひとりに呼びかけ、自覚を促す文章にする必要がある。

また、平和祈念式典には各国代表が参列するが、平和宣言を通してそれぞれの国家の立ち振る舞いについて、もう一度見つめなおしていただきたい。国の安全保障ばかりが強調されがちな近頃だが、そこに国民、人間の安全保障の視点を欠いてはならない。それは委員もおっしゃったことだが、人間の安全保障が保たれて初めて本当の民主主義だと思う。ついこの間知ったことだが、「人間の安全保障」という言葉を国連に持ち込んだのは日本が初めてであった。この点について日本をすごく誇らしく思う。被爆地長崎の究極の願いは、核兵器廃絶であることは理解しているが、今年はあえてもっと根源的に幅広く平和の理念まで落とし込む必要性を感じ、それを意見文に書いている。自分の国のことばかり主張を繰り返し、他者との対話をおざなりにするような近頃の各国の姿勢が続く限り、自分と違う他者はいつまでたっても敵のままであり、その状態では戦争はなくならず、戦争が続く限り核兵器は存在し続けると思う。だからこそ核兵器廃絶のために、まずはもっと根源的なところからアプローチする必要がある。よく核兵器国や日本が核兵器廃絶のアプローチとして「ステップバイステップ」という言葉をよく使うが、私はこの根源的なところからまず姿勢、相手に対する意識から変えていくことを私なりの「ステップバイステップ」アプローチとして定義づけしていきたい。そしてこの対話の必要性は世界各国だけではなく、国の中、国会、政府のあり方に対しても求めていきたいと思う。

【委員】
私もこの委員会には本年で3回目になる。多くの委員の皆様にはお久しぶりとご挨拶したが、何人かの委員とは初めてお会いする。そういうことなので、私と原爆との関係というか、生い立ち等を含めまして、冒頭にあらためてご紹介させていただきたい。

私は昭和8年生まれなので、終戦の年には12歳、新興善小学校の6年生だった。原爆の惨禍はまさにこの目で鮮烈な形で、直接目にしている。

そういったことで、原爆の問題については、本当に、世界にもっともっと、声を大にして訴えていき、そのことが世界平和のために大きく貢献する、大きなモチベーションとなることを祈っている一人であることに間違いない。

被爆時を振り返ってみると、私は出島に住んでおり、岸壁の近くだった。3.1キロだったので、家が倒壊するような状況ではなかったが、年寄は吹っ飛んでしまうような状況だった。窓ガラスのそばにいたならば、顔面がガラスの破片だらけになっていたのではと思う。幸いそのような場所にはいなかったため、惨劇は逃れた。出島岸壁の近くに浦上で亡くなられた黒焦げの遺体がそのまま岸壁まで流れてきて、岸壁のすぐ横の水上警察署で遺体を水揚げして、搬送するという、まさに地獄図を見るような感じで、鮮烈に覚えている。

そういったことを踏まえたうえで、私はこの原爆の体験というものを、今日われわれの周辺を見ても、あの当時のことを共通な経験者として語り合えるような友人・知人がいなくなってきていることを考えるときに、ある程度、あのときの痛みを覚えながら語れる数少ない者になってきていると考えている。残された人生について、惨劇をできるだけ若い世代にお伝えできればと強く意識する毎日だ。

この問題の訴えをするときに、現在はそうではないということではないが、もう少し、世界の人たちの心の琴線を揺り動かすような、そういう角度から、あるいはそういう表現方法というか、訴えることができないかと、見ている。特別な人たちの、あるいはときには、特別な思想集団の人たちだけが取り扱っている問題であるとの回答もあって、この問題については一線を画しているという人たちがいるというのは残念なことで、もっと深く日本の国民全体はもちろんのこと、世界の人たちに対しても、まさに心の底から揺り動かすような、共感を得るような訴え方というのは、もう少し、方法論的に取り組み方としてないものか、常日頃から大変感じさせられている。

原爆のことを是認するわけではない、あくまで惨状を見て、被害意識、怒りというのは人一倍感じているが、あの終戦の時点で、広島・長崎に原爆が落ちてない頃の、我々の戦局に対する認識、特に沖縄での地上戦が厳しい状況になり、地下壕に逃げ込んだ一般の、親子の家族連れは、地上戦ですから、すぐそこまで米軍が来て、日本兵が隠れているところがないかということで探す、そういう状況のなかで、子供が泣くようなことがあると所在が分かるものだから、子供が泣きだすと、泣かしちゃいかん、口を押さえろと、ほかの人が言うということで、口を押さえて、あえてそのことが死に至ることがわかっていても、母親はあえてせざるを得ない状況、そんな悲惨な状況があったということ、そういうことがもし、原爆がなく、地上戦が日本全土に広がっていたとすれば、おそらく形の違った、もっと厳しい悲劇というものが、別の形であったかもしれないと、当然考えなければいけない。

そういうことを考えても、広島・長崎の支払った我々の原爆への対価というものは、特に日本の民族のすべての人々にとっては、もっともっと強く意義を訴えていいんじゃないかと思う。そういうものを背景として、世界に訴える必要があるのではないかと思う。

これは、そういうことを残された人生のなかで、何か具体的な形でこういう方法がベストだ、というだけの方法論的なものを提言できないのが隔靴掻痒(かっかそうよう)という感じがするが、ぜひ皆さんお知恵を出していただき、世界の人々の心の琴線を動かすような形の訴え方を考えていただきたいと思う。以上です。

【委員】
私が今年度の平和宣言に入れていただきたい内容というのは、まず、被爆地・長崎では、具体的にどういう取組をしているか、世界の人たちに知っていただくことが大事だと思っている。

原爆が落とされてから72年が経って、被爆者の方々がますます高齢化し、語っている人もどんどん少なくなっている。その被爆者が長年訴え続けてきた「ふたたび被爆者を作らない」という切なる思いを前面に打ち出してほしいという風に思う。被爆者のかたがそのスローガンをもとに活動してきたことによって、今の平和があるのだと思う。

その思いを受けて、被爆地・長崎では、実際どのような活動して、どのように世界に発信しているのかを紹介して、聞いている方々の賛同を促すような内容にしてはどうだろうかと思う。

活動内容としては、具体的に私が活動している内容を例として挙げてみたが、長崎市の「語り継ぐ被爆体験(家族・交流証言)」推進事業もあるし、被爆者のかたが今後いなくなったときに、原爆の実相・怖さを伝えていくのは、二世であったり、交流した方々・身近にいた方々が語っていく方向に今後なっていくのだろうと思う。ぜひ長崎市はこういう活動をしている、そして、となりの追悼平和祈念館では、被爆者が残された被爆体験記を置いてあるだけではなく、声に出して広く知ってもらうために、朗読ボランティアの活動をしている人がいる、被爆者の団体である長崎被災協とともに私たち「長崎被災協・被爆二世の会」は活動しているが、今日は午前中に二世の会の総会があり、被爆者のかたもたくさん招き、二世にどういう期待をしているか、どういう活動をしてほしいか聞いてみたところ、やはり皆さん、核兵器廃絶を訴えてきたが、ここまできて、自分たちが生きている間に核兵器がなくなることは実現しないだろう、今いる子どもたちが大人になったときに、その核兵器がなくなっていることを期待して、自分たちがいなくなった後、二世が自分たちを引き継いで、子どもたちにバトンをつないでくれと仰っていた。

被爆者の思いを踏まえた活動内容、どういうのをしているので、いま何もかかわっていないかたに、気になっているけれども、まだ行動に移していないかたに、例を挙げて、こういう活動をしてみてはどうですかという風に、市民レベルに訴えていったらいいかなと思う。

それから2番目ですが、昨年、起草委員会で私が後半で少しお話しした「ヒバクシャ国際署名」だが、実際、今年度大きく動き出し、長崎市、長崎県も賛同団体として、署名活動もしていただいている。長崎県民の会も発足し、被爆者だけではなく、いろんな平和団体、団体のかたも参加されて、国際署名に力を入れて活動している。今回国連本部で行われている核兵器禁止条約の交渉会議の動向を見て、その内容に触れた宣言文になると思うが、国際署名に長崎市も賛同団体として加わって、被爆者と一緒になって積極的にこういう活動をしてるんだよということをぜひ入れていただければ、もっと多くの人が賛同して、署名に参加していただけるのかなと思っている。(※長崎市、長崎県は賛同団体ではなく、長崎市長、長崎県知事が代表賛同人となっている。)

実際、毎月26日には、ハマクロス前で、街頭署名・宣伝をしているが、田上市長にも一緒に署名活動をしていただいたり、こないだも中村知事にも一緒にしていただいたが、やはり、後ろ盾ではないけれども、市長も県知事もされているのだということで、安心して署名に賛同してくださる方が何人もいらっしゃったので、ぜひ宣言文の中で入れていただくと、きっと署名も目標に向かって進むものと思っている。ぜひこれは入れていただきたい。

それから、昨年同様、皆様も仰っていたとおり、各国リーダーのかたにぜひ被爆地長崎や広島へ訪問をしてくださいという風に呼びかけをして、実際生で被爆者の声を聴いてほしいという風なお願いを入れていただきたいと思う。私の意見は以上です。

【委員】
私がそこ(アンケート)に書いたのは、今年の平和宣言に、今年だからこういうことがあるのではないかということだけをピックアップして、6項目を書いたが、その前に、皆さんの発言を聞きながら、前提となるような話をしたい。

何人の方がおっしゃっていたように、とにかく、平和宣言に接する人の魂に触れるような訴え、という、訴えの仕方については皆さんのおっしゃているとおりで、第一義的に考えて表現すべきではないかと思っている。それから、毎年表現される、1945年8月9日のことをどう伝えるのか、今年も同じような、私たちの宿題としてあるんだろうと思う。その瞬間について、できるだけ具体的に、人々にもう一度想起していただくというような要素が必要だろう。

国連の会議に出ているときに、よく話を聞いてハッとするのだが、8月9日のその瞬間に、世の中で何が起こっているか、とりわけ、そのときもやはり戦争があって、そこで人々が死んでいるというようなことが想起されるような文言があると、そこで言葉にしていることと、いまの世界とがつながるというような経験をよくする。そういうことも一つの方法であって、平和宣言のなかで、世の中・世界がその瞬間どうであるかをイメージできるような、場面が語れないかと、いうようなことも考える。

平和とは何かということは、語る文章で伝わる、ということが非常に大きいと思う。単に戦争がない、ということではなくて、戦争に至る人々の荒廃をした気持であるとか、政治の動向であるとか、人々の排他的な、相手をやっつけるという気持に至っている状況であるとか、戦争が人々のどういう心の動きの中で起こっているか、実際体験したことはどうであったか、というようなことも、宣言の言葉の中で伝わっていくと思う。

そういう流れの中で、やはり日本にとっては、憲法9条というのはやはり宝物であって、憲法9条があるために、いかに我々は今の、カッコ付であろうが「平和」を保ちえているかということが、何度も自覚をもって語られなければならないことだと思うが、憲法9条というのはやはり、我々の財産として再確認するということが必要ではないかと思う。

日本の政治家が、国際的な場で、憲法9条を自慢するひとが誰もいない。これはいつも感じるが、市民は、宝であると、誇るべき世界に類のない憲法だと言うが、日本の政治家がそういうメッセージを国際的な場で発することは皆無といっていいほどない。だけど、平和宣言をそういうことを語れる場ではあろうという風に思う。どう語るかということは非常に工夫する必要があるという風にいつも思うが、そういうことを一応前提にして、今年、こういうことは要素として平和宣言に入る必要があるんではないかということを6項目ほど書いたので、それを言いたいと思う。

まず第一は、何人かの方から出ていたが、核兵器禁止条約がおそらく合意されているだろうと思う。ただどう触れるかというのが、結構難しいというか、最後の7月7日に会議が終わるが、その会議でどういう風に合意がなされるかということで、表現の仕方が非常に工夫をする必要があると思っている。もしかしたら、そこで成文を合意するかもしれないし、あるいは、秋の国連総会に提案をするという形で、草案を送るという形かもしれない。そうすると、そういう形である場合は、国連総会が何か宿題を得ている、そこで何かまだ一歩何か決めないということがあるかもしれない、そういう状況によって、8月9日でどういう表現になるかということが変わってくるのではないかと思っている。

いずれにしても、長崎としては、禁止条約ができることの意義ということを、被爆地として、明確にメッセージを出すということが、今回は非常に大事ではないかと思っている。それは何よりも被爆者が最初から訴えてきたこと、「あってはならない兵器」であると。このような兵器は二度と使われてはならないということが、国際法的に初めて明確に表現される条約になるわけだから、そのことを歓迎するという平和宣言の言葉がどうしても必要だと思う。

ただ、結構面倒くさい議論がこの条約を巡っては色々あった。そのなかで、多分その時点においても残っている問題というのは、この法がなくても、これまでもあってはならない兵器であったと。したがって、その条約に賛成する、反対をする国を超えて、核兵器というのはやはり非人道兵器であって、否定されなければならない兵器であると、法の前の強いメッセージというものが、絶えず意識されてないと、この条約の価値を狭めてしまうということがあると思うので、根源的なところも含めて条約を歓迎するというメッセージになる必要があると思う。

第二点ですが、これも先ほど来(らい)話があるが、核兵器国も、それから日本のような核兵器に依存している国も、基本的にはすべて条約に参加をしないという状況で8月9日を迎えると思う。だから、核兵器廃絶というテーマは変わらずに続いていると、そういう意味では非常に残念な、ちょっと表現はよくないかもしれないが、そういう意味での波及力が限定的な条約として作られる可能性が非常に強いと思う。核兵器廃絶の課題は続くんだということを、禁止条約の価値を強く言いつつも課題が続いていくということも言わなければならないということが第二点である。

禁止条約ができた時点で、非人道的兵器と決別するという新しいメッセージというものを核兵器廃絶という目標を語りなおすというか、何かこう心機一転、新しい決意で核兵器廃絶の事業が始まるんだ、ということが言えないだろうか、というのが第二点である。

それから、核兵器廃絶をどうやって前進させるかというのは、本当にこれまでの課題の繰り返しという風にならざるを得ないんですけど、心機一転というなかで、平和宣言で、米国とロシアの責任ということを、とりわけ強く印象付けることができないだろうかという風に考えたのが第三点である。これは皆さんご存知のように、圧倒的な数の核弾頭がアメリカとロシアが持っているわけで、この2つの国が動かないでは、先に進まないことははっきりとしているので、2つの国への圧力を強めると、そこに国際世論が鋭い切先を向けているという、そういう新しい訴えが印象付けられないだろうかと思う。

そのための具体的な一つの提案ですが、これはあまり難しい話ではなく、一般の人でも考えることだが、この2つの国が、今でも核兵器の近代化をしていて、とても兵器をやめようとしてないということは、2つの国の責任としては、許しがたいことである。そのことに焦点を当てた、例えば、米ロの責任を明確にするための専門家の報告書を作れと。つまりあなた方の責任は大きいということを、何らかの形で正面切って国際社会が言うような場面を作らないかということである。ひとつ書いたのは、国際的な独立専門家チームによってそういう調査みたいなものが行われ、その報告が出されると。そのプロセスを訴えるというやり方があると思う。そのときに、さきほどのNPT準備委員会で岸田外務大臣が、賢人会議を日本が主催をするんだと、来年の準備委員会までに報告を出すと言っているので、総花的なことをやってもらわなくていいから、米ロの責任を明確にするような賢人会議を開いてもらってレポートを作ってもらえれば、そこが我々にとっての大きな壁になっていると、新たな一歩ができるかもしれないと、ちょっと考えた。それが第三点目である。

第四点目だが、いまのと関係はあるが、トランプ政権が、トランプ大統領が予備知識のないままいろんなことを言う人であるということで、もちろん根本的に私は非常に間違った思想をベースにものを言っていると思うが、力による平和ということを正面から打ち出した安保政策を言葉にしている。それから、最強の軍事力をアメリカは持つんだと言っている。で、こういう考え方はともかく、平和な世の中を作るはずがないのであって、そのことをもう少しわかってもらうということをメッセージとして含む必要があるんではないか。一応国連憲章を持ち出したんですけど、持ち出さなくても、この考え方では平和は出てこないと。トランプ政権については言う必要があって、それを言ったうえで、広島・長崎で学べという意味で、広島・長崎への訪問を訴えるということをできないだろうかと思う。

ひとつ、トランプ大統領が、皆さんご存知のように、シリアに巡航ミサイルを撃ち込んだきっかけというのは、化学兵器を使ったと、これについては立証のないという議論ももちろん付きまといますけれど、そういう認識でやったことだが、彼は核兵器のことについて、シリアで化学兵器が使われた時の、子どもが、赤ん坊が犠牲になったと、アメリカの国連大使が写真を掲げて訴えて、それで巡航ミサイルを使ったことの合理化をしているわけだが、そういうことがあるだけに、被爆地で核兵器の何たるかを知ってほしいということを言う必要があるんではないかと思う。

それから第五点目で、これはすでにいろんな場面で始まっていると思うが、国連で事務総長が変わり、事務次長(軍縮担当)のトップも変わったということで、新しい国連代表が広島・長崎に来られるのではないかと思う。国連の役割について、何か具体的なメッセージが平和宣言に入ると、新しいトップの人たちに届くかもしれないということで、2つのことを書いた。

一つは、先ほどのアメリカとロシアに対して訴えてほしいと。国連の働きかけをしてほしいということ。いまアメリカとロシアの間で、2018年までに何発、5,500発という弾頭まで減らすという条約が成り立っているわけだが、その条約は2020年に失効する。そうすると、検証のシステムも、その時点で条約とともになくなってしまうので、後継の米ロの条約ができる必要があって、そのためには今から交渉が始まらないといけないので、国連からその必要性を訴えていただくのが一つあると思う。

もう一つは北東アジアのことで、これは国連の、前の潘基文総長のときに、事務総長の軍縮諮問委員会が北東アジアの非核兵器地帯について、国連がもっと積極的な役割を果たすべきだと勧告を出した、2013年だったと思うが、そういう実績があるので、そのうえに、国連がこの地域のことについて動くということを、新しい体制のなかでぜひ考えてほしいというようなことを国連に訴えるというのがあるのではないかというのが、第五点目である。

第六点目が、日本政府だが、やはり、この北東アジアの状況で、日本政府は何もしていないと言っていいと思う。で、やっているのは軍事的な緊張を高めることばかりであって、およそ問題解決の正反対の政策をやっていると言わざるを得ないが、ところが岸田外務大臣は、今度のNPT準備委員会で、北東アジアにおいて外交努力を率先して続けると言っている。北東アジアの核兵器に依存しない平和の仕組みを今こそ日本政府が先頭を切ってやるべきだということを訴えてほしいと思う。以上です。

【委員長】
全員からの御意見をお聞きした。各委員の意見を聞き、付け加えたい、説明が言い足りなかったことなどがあれば、お願いしたい。

【委員】
ナチスのほうに国が曲がっている、世界が曲がっていることを言いたかったのだが、左と右とを間違え、反対のような感じがしたので、訂正させていただきたい。合っていましたか?(周辺委員から、合っていたとの声)

【委員長】
他にありませんか。
委員、最初に発言されて一巡したが、こういう感じで1回目は進むが、言い足りなかった部分はないか。

【委員】
米ロのリーダーシップについて、北東アジアの場合、中国が入ってくる。私のレポートにも書いたが、2016年にはこの3か国が軍事費を増加させている。日本も2012年からずっと右肩上がりで増大している。その辺に釘を刺すということを、お願いしたい。
それから憲法の護持ということも加えてお願いしたい。

【委員長】
ありがとうございました。他にありませんか。
次回が素案の一つ目が出ることになる。そこに反映させるという意味で、いろんな視点が1回目に出していただけると、作りやすくもなるし、いい内容にもなる。言い足りないことがあればお願いしたい。

【委員】
5番目の、世界の被爆者との連携という点で、今回のNPT再検討会議準備委員会でも、被爆者のかたがたはもちろん声が非常に強く、印象がすごかったが、マーシャル諸島や、セミパラチンスクなど、そういったかたがたの声も強く感じた。核兵器禁止条約から非人道性を訴えるなかでも非常に強い役割を果たしてきている。ぜひ、今回、条約との関連もあるので、世界に訴えるという意味で、世界の被爆者との連携を長崎から発信するのがいいのではないか。

【委員長】
ありがとうございました。他にありませんか。(意見なし)
いまの話のなかで、共通する点、今年動きがダイナミックというか、大事なところにきているということで、共通するところもあるが、もう一つ、平和首長会議の総会が長崎で開かれる。先日もウィーンで役員会があったが、平和首長会議というネットワークでいろんな活動をしたいということで結構活発な意見が出て、地域によっては難民の問題であったり、いろんな課題が起きていて、それを平和首長会議のネットワークで連帯しながら活動したい、という活発な意見が出た。7,200を超えるところに来たところで総会が開かれるということは、そう意味では、先ほどから市民社会の連帯ということがあったが、これも連帯のひとつなので、なんらかの言及が必要かなと考えている。

今日いろんなご意見をいただいたので、これをもとに1回目の素案を作っていたいと思う。平易な、あるいは、心に訴えかけるような表現を工夫すべきとの意見もあった。いつも、専門的な部分と心に訴える部分、理論と感性、後で読む人、その場で聞く人、世界の視点と長崎の視点、いろんなバランスを考えながら書いていく作業になる。今日いただいた意見を参考にしながら、今年、一段と気を付けながら素案を作ってみたい。さまざまな形、視点からの御意見に感謝し、2回目の起草委員会につなげたい。本日はありがとうございました。

【事務局】
第2回の起草委員会を6月3日(土)午前10時から、第3回を7月1日(土)午前10時から、この平和学習室において開催する予定にしている。次回は、本日委員の皆様からいただいたご意見を集約し、叩き台として文案を作成し、さらに議論をお願いしたいと考えている。

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