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平成27年度第7回 長崎原爆遺跡調査検討委員会

更新日:2017年7月18日 ページID:030061

長崎市の附属機関について(会議録のページ)

担当所属名

原爆被爆対策部被爆継承課

会議名

平成27年度第7回 長崎原爆遺跡調査検討委員会

日時

平成27年12月17日(木曜日)9時00分~11時45分

場所

長崎原爆資料館 地下1階 平和学習室

議題

1. 前回会議での意見・指摘等への対応について
2. 調査報告書について
3. 遺跡の範囲について
4. その他(報告事項)
ア 旧城山国民学校校舎の応急修理について

審議結果

【会長】
ただ今から第7回長崎原爆遺跡調査委員会を開催いたします。
まず、前回会議での意見・指摘等への対応について、事務局の説明をお願いします。

〔事務局より調査報告書原稿の修正箇所を説明し、質疑応答〕

【会長】
全体的に見てみると、指摘しているところを的確に捉え、図・写真等を入れて補ったりしていて、私自身は十分に対処されていると感じております。委員の先生方はよろしゅうございますか。

〔委員了承〕

【会長】
それでは次に、調査報告書について、事務局の説明をお願いします。

【事務局】
資料7は、第3章で「総括」としてまとめており、第1節「調査成果」の中で長崎原爆遺跡の各遺跡の在り様を示し、第2節で長崎原爆遺跡の全体的な価値を論じたうえで、第3節で今後の課題を示すという構成としている。

第1節の中で、「(1)爆心地」については、原爆落下中心地碑が4代目の矢羽以降はモニュメントとして整備されていること、爆心地公園は1948年の初代平和宣言の舞台ともなり、市民の慰霊の場及び平和発信の場となっていき、その後、原爆が炸裂した直下という土地が持つ意味が重視され、特に現在は祈りの場として位置付けられていることを述べている。
また、爆心地にどのような遺構があるのかということで、1996年の公園の再整備中に露出した被爆当時の地層について記述している。この地層については長岡による調査が行われており、現況の調査と比較しても露出当時の調査結果と大きな差や矛盾は確認されず、凹地を埋めるような特徴的な状態を端的に示す堆積を確認している。地層の残された地点はもともと南へ傾斜していた土地だったが、1945年の原爆投下時の土層及びその後の整地層が堆積することで現在のような地形を形成したことを示唆している。それらを踏まえ、爆心地の価値としては、原子爆弾が炸裂した直下の地点として持つ破壊の起点、慰霊の場としての機能に加え、原子爆弾被爆による痕跡を地中に留めている遺跡であると結論付けている。

「(2)旧城山国民学校校舎」は、爆心地に最も近い鉄筋コンクリート建物で木レンガが有名であるが、今回の調査からそれ以外にも躯体表面の火災による変色、駆体コンクリートの変質、校舎北端基礎遺構に見られる衝撃波の痕跡や、運動場で被爆死した人々を火葬した跡を検出しており、遺跡の広がりが一定見られていることを書いている。特に校舎については、原子爆弾による物理的な損傷が甚大だったにもかかわらず復校第一回目の入学式を行い、今日まで続く平和教育の第一歩となった反面、校舎を復旧して利用せざるを得なかった当時の教育事情というのもうかがえ、これらを踏まえて、旧城山国民学校校舎は原子爆弾によるすさまじい破壊の痕跡を残すだけでなく、学校として今日まで存在し続けてきたことで地域の人々の営みを示す遺跡ともいえると結論付けている。

「(3)浦上天主堂旧鐘楼」については、浦上天主堂の被爆によって鐘楼が高さ26mの位置から落下し現在の位置まで崩落しており、爆風被害が非常によく知られているが、今回はそれに加えて自然科学分析の結果から、火災によるものと推察される変質を確認できた。これは、煉瓦造りであったためなかなか知られていない、浦上天主堂の火災による被害の物証と考えることができると思う。また、旧浦上天主堂の残骸が鐘楼付近の石垣の裏込めに使用されたことが伝わっているが、その裏付けを得ることもできた。旧浦上天主堂解体及び旧鐘楼の発掘にかかる歴史的な変遷と信者の思いについて明らかにしている。浦上天主堂が、江戸時代の弾圧の歴史を持つ浦上のカトリック信者にとってかけがえのない価値をもっているためその場所に再建すべきであったこと、そして、被爆により引き起こされた悲惨な事実を伝えたいということである。このような思いがあって鐘楼の発掘に協力し、展示にも同意して現在に至っている。それを踏まえ、浦上天主堂旧鐘楼は、浦上天主堂の被爆状況を示す被爆直後の原位置を保っている遺構であるとともに、原子爆弾による被害を伝える営みと長年培われてきた信仰の関係性を考える上で貴重な遺跡であるといえると結論付けている。

「(4)旧長崎医科大学門柱」については、旧長崎医科大学の被害の状況を示し、被爆直後の救護活動が現代に至る被爆者医療の礎となっていること、現在もそのような貢献で長崎大学医学部が知られていることを記述している。また、門柱の現況調査から、扉に鉄扉を用いている時期の門扉の差し込み錠の受けとしての栓穴や門柱基壇部の栓穴が扉部の戸当たり金物であることが確認できたこと、門柱の構造について石材の内部での形状や内部の芯となるコンクリートに鉄筋がないことが明らかになり、接合部の観察から、門柱が傾斜した際に凸状に割裂した基壇部中央の充填コンクリートに前方にずれた柱身が乗っているということが推察できたことを記述している。そのような調査結果を踏まえ、旧長崎医科大学門柱は、原子爆弾がもたらす爆風・衝撃波の大きさを視覚的に訴えかけるだけでなく、医学を探究し恒久平和を求める人々の活動の原点としても重要な遺跡であると結論付けている。

「(5)山王神社境内及び参道」については、二の鳥居や大クスなど一般的に知られている被爆遺構だけでなく、二の鳥居周辺の石畳や石製の柵、境内の石垣、階段、石畳、狛犬などが残存していることが確認できた。また、一本柱となった二の鳥居は、地域住民の倒壊に対する不安等を乗り越えて保存されてきたこと、破壊された三の鳥居が坂本町民原子爆弾殉難之碑となるまでには、単純に鳥居を石碑化したわけではなく、神社側の葛藤と大多数の町民を失った地域の思いの中で生み出されたことが明らかになった。現在は被爆者世代の方はほとんど記憶のない方しかいないということ、また、自治会では非被爆者世代が被爆死者への慰霊活動を引き継いで行っていることも併せて記述している。これらを踏まえ、山王神社は原子爆弾による爆風の破壊力を顕著に伝える遺構であるとともに、遺構とともに生きる地域の姿を知ることができる遺跡と記述している。

第2節では、第1節で述べた結果を踏まえ、長崎原爆遺跡を構成する各遺構は原子爆弾による破壊力を示す極めて重要な遺構であるとともに、教育・研究施設や宗教施設として被爆後も利用されるなど、人々の生活と密接な関係の中で保存されてきたものでもあるとした。そして、各遺構において人々は追悼や慰霊、祈りといった精神的な営為を続けてきており、地域復興の記念碑、モニュメントとしての役割も担ってきた。被爆遺構の保存に際しては、敗戦後の新たな、平和な世界の構築には被爆遺構のような負の遺産を残したくないという信条を持つ者もいれば、負の遺産を残すことで、核兵器の惨禍を後世に伝えるという信条を持つ者もいた中で保存されてきたということを念頭に置くべきである。また、被爆者は自己の思い出したくない記憶に心をえぐられる思いをしながら、被爆体験を継承するために遺構を保存してきたという側面もある。

このような背景を踏まえ、長崎原爆遺跡の歴史的意義は語られるべきであろうとしており、第1章で記したとおり長崎原爆遺跡は原子爆弾による破壊と被爆の総体を理解するために欠くことができない遺跡である。原子爆弾被爆による痕跡を顕著にとどめているという意味で、世界遺産となった広島の原爆ドームが知られているが、原爆ドームが平和記念公園の中に取り込まれる形でモニュメンタルに保存されてきたのに対し、長崎原爆遺跡は長崎の復興・発展の中で人々の生活にとけ込んで今日まで継承されてきたことに固有の価値があるとしている。

被爆者の平均年齢が80歳を超え、原子爆弾被爆の惨状を語り継ぐ困難さに直面しているいま、長崎原爆遺跡を保存することは、原子爆弾による破壊と被爆の総体を継承していくために、非被爆者世代が主体的に関わることができる極めて重要な方法であると結論付けている。

第3節で今後の課題を5点指摘している。短期的な課題を2点、中長期的な課題を3点述べている。

短期的な課題は1点目が各遺構の追加調査である。
第2章各節の小括において示した調査で解明できた点とできていない点に基づいて述べている。旧城山国民学校校舎については、火葬跡を確認できた反面、その分布については不明な点が残っている。また、生存者がいた防空壕も現存しているため、今後の調査が待たれる。
また、山王神社と旧長崎医科大学門柱については、特に山王神社は現時点で遺物の存在を点で押さえることができているが、今後は面での広がりを理解するために発掘調査を行うことと、ヒアリング調査を行っていくことを考えている。ただ、この山王神社については、信仰の場であること、地域コミュニティーの活動の場であること考えると調査は慎重に行う必要があるので、少し時間がかかると考えている。
旧長崎医科大学門柱については、本調査により傾斜している門柱がどのような現況にあるかということを確認できている。しかし、なぜこの門柱が傾斜した状態で止まっているのか、外力のシミュレーションをすることが重要になる。この状態での安定性の評価、傾斜していない門柱との対比など、明らかになっていないことも多いので、このようなことを知るため、まず基礎構造を明らかにするということで、発掘調査を今後やっていきたいと考えている。

短期的な課題2として、長崎原爆遺跡を構成する他の遺構について述べている。長崎市は127件の被爆建造物等を把握しているが、本調査で明らかになったように、地上や地中に原子爆弾被爆による痕跡をとどめている建物や工作物などが認識されていないだけで、ほかにも存在する可能性が残っている。被爆建造物等の悉皆調査から20年経っていることを考えると、改めて被爆遺構の悉皆調査を行うことも重要になる。この調査については、最終的には爆心地を中心として各遺構を「屋根のない博物館」として活用することということを視野に取り組んできたいと考えている。

続いて3点、中長期的な課題を指摘している。中長期的課題の1点目は、各遺構の保存問題である。旧城山国民学校校舎、浦上天主堂旧鐘楼及び旧長崎医科大学門柱は、物理的な問題での遺構の保存の問題がある。特に城山と浦上については、主要な部分は鉄筋コンクリート製であり、原子爆弾による火災にあっていること、長期間屋外で風雨にさらされていることなどで、コンクリートの中性化、鉄筋の腐食など保存上の問題が起こっている。また、長崎医科大学門柱は、遺構自体が傾斜したまま安定している状況なのかさえ、まだわかっていない。
旧城山国民学校校舎については、年間3万人を超える人々が平和学習で訪れているなど活用が進んでいるだけに、短期的な対策とともに、中長期的な視点で保存問題を注意深く検討する必要があるとしている。
また、長崎原爆遺跡は各遺構が地域の中で保存されてきたこと自体が遺跡の価値の一つであるので、物理的な保存とともに地域の遺跡との関わりに着目したヒアリング調査や民俗学的調査、その記録保存も重要になると書いている。

中長期的な課題の2点目として、各遺構の関連遺物の展示環境の整備を挙げている。山王神社二の鳥居の倒壊部分や、境内の被爆遺物、天主堂敷地内の旧浦上天主堂の石像など、各遺構と密接なつながりのある遺物について、基本的には現地保存が原則だと考えているが、屋外での露出展示による石材への損傷など考えるべき課題は多い。温湿度や水分の出入りについて、一定のモニタリングを行うなどした上で整備を検討したい。

中長期的な課題の3点目は、被爆資料・遺構・遺跡などの情報の集積及び発信である。本調査により、長崎原爆遺跡の原爆被爆当時の原状が、今日に至るまでどのように推移し、被爆70年の時点でどのような状況であったかを明らかにし、報告書にまとめたが、本報告書に収めることができなかった資料や、未調査の資料も多い。そのような記録を今後の研究者の利用に供することができるようにし、体系化することが重要であると考えている。被爆資料や遺構、遺物は実物保存を、それ以外の資料は記録保存を図り、参考資料として人類社会に対する放射線の影響など原爆被爆から現代まで見通した資料を収集し、原爆被爆の総体を一体的に発信し、学術研究や平和学習において一層活用されるような施策をとることが肝要とまとめている。

【委員】
2点あるのですが、第3章(1)、(2)、特に(2)、(3)、(4)、(5)の書き方の問題でちょっと気になるところがございます。
気になるというのは、この(2)、(3)、(4)、つまり城山、浦上、医科大学、山王神社というふうに分けたときに、城山国民学校と浦上天主堂についてはあるパターンで書かれているのですが、長崎医科大学の門柱と山王神社について、もしかしたら少し時間がなかったということもあるのでしょうけれども、ちょっと書き方がこなれていないかなという感じがいたしました。
それで長崎医科大学の門柱のほうは、前半部で長崎医科大の説明をして後半部で門柱の説明をしているのですが、その医科大学そのものの歴史と門柱をつなぐときに、これは7-2の下から4行目「このような活動は被爆体験をもとに始まり、そのシンボルであったのは門柱であった」というふうにそこで門柱ときゅっと結びつけているのですね。説明の仕方として少し強引というのか、もう少し持っていき方があるのかなという感じがしました。それは例えば前半に歴史をおいて後半に門柱をおくのかどうなのかというのはもちろん考えてもいいところでもありますが、同時に例えばシンボルであったとすればシンボルであったということをきちんと説明しないとよくないだろうというところです。あるいは、こういうふうに思う違和感というのは、もしかしたら前半の文章のわかりにくさにもあるのかもしれません。長崎医科大学門柱の全体の3行目「ポンペ以来受け継がれてきた西洋医学の伝統も失われてしまった」というのは、これは建物がなくなっていろいろなものもなくなったということなのでしょうが、例えばここで「伝統も失われてしまった」と言い切っていいのかどうかみたいなことかもしれません。
ここのバランスが悪いかなというところと、その意味でいうと山王神社のところも、はじめのほう(2)、(3)は割と整理して書いてあるのだけれども、だんだん整理が追い付かなくなってきているという印象がどうしてもしてしまうので、この辺は改善の余地はあるのではないかということがございます。これが大きく1点です。

続いてもう1点申し上げます。7-5の「中長期的な課題1」の最後の3行です。「長崎原爆遺跡は各遺構が地域の中で保存されてきたこと自体が遺跡の価値の一つである。このことを考えると」云々とあるのですが、これは実は大変重要な部分で、やはりどうしても遺跡あるいは遺構の報告書となったときに非常に物理的な問題が前に出ていくわけです。その中でこれも重要なのだとここで言っておくことは大変いいのですけれども、これからももっとやらなければいけないのだと。それでここをもうちょっと文章を踏み込んで書けないかなというか、文章をもうちょっと足せないかなというのが私の思った印象です。やはりここは強く書かないと、報告書の中でほかの極めて物理的な部分に囲まれて埋没してしまうという感じがします。ここは書き加える、書き込む、別にそんなにはっきりとしたことでなくてもいいと思うのですが、例えば「人々の生活世界の中に被爆遺跡が存在し、被爆者を含む地域住民は好むと好まざるとにかかわらず遺跡に対峙し続けてきた」とか、そういうところを踏み込んで書いてほしいなというのが中期的な課題についての思ったところです。
気になったのは最初の大きな1点と後の中長期的な課題の書き方の問題と、この2つでございます。

【会長】
ただ今2つのことについて指摘がございました。まず7-2ページの「旧長崎医科大学門柱」のところと7-3の「山王神社境内及び参道」についての文章のバランスについて指摘がありましたけれども、確かに委員がご指摘になったところの例として7-2の下から4行目「このような活動は被爆体験をもとに始まり、そのシンボルであったのは門柱であった」というあたりについては、門柱自体は原爆の前からあるわけですから、混同がされないような形で文章の整理は必要かと思います。
それから、同じく私も次に入る前に1つ、文章感の問題ですけれども、(1)の爆心地のところの上から5行目の、「原爆落下中心地碑の4代目以降にはそれぞれの碑が視覚的特徴を持っており」とはちょっと意味がわからないのですが、どういう意味なのでしょう。

【事務局】
はい、原爆落下中心地碑は7代知られております。その中で1番目から3番目までは煙突ですとか木柱をただその場所に立てているだけで、地点を示す科学的なポイントとして爆心地をみなしています。4代目以降に関しましては矢羽形とか文字の入った木柱、それから現代につながる三角柱に代わるというように、非常にモニュメント性の高いものを設置しております。そういうところを表現したかったのがこの部分です。

【会長】
わかりました。説明いただくとわかりましたけれども、文言が難しいので、ここは一般でもわかるように、今のご説明のような形に直していただけたらという気がいたします。
それから、もう1つは委員ご指摘の7-5の「中長期的な課題」について、文章が不足しているのではないかと。特にこの部分につきましては、委員の指摘のとおり今後を左右する大きな問題でございますので。委員の方々、こういうものをこの中にという何かご指摘はございませんでしょうか。
では私のほうからひと言言わせていただきますと、原爆の被害直後の写真、いわゆる全貌図みたいなものがありますよね。黒焦げになって何もないという。それで爆心地もそれから長崎大学も浦上天主堂も残っているものはそのままあるようなあの原子野の写真です。あれらの場所が今日どうあるかということを示す、一番適当なところが私は城山小学校ではないかなと思います。城山小学校の中にそういうふうに原子野で何もなかったような光景と、今日の発展した景観とが同じ所で眺められるような形になるように書き加えていただいたらどうかなと思っています。それによってここに多くの人を動員できれば、「ああ、こんなに変わったんだ」という、長崎の復興の力強さも感じてもらえるのではないかなという気はします。それは私からの要望でございます。

【委員】
私は9月に1回何か事情があって休んだから不適切な発言になるかわかりませんけれども、委員会において中長期的な展望についての議論はされたのですか。

【会長】
一応、今まで出てきた議事の中においてとり上げている。別にこれだけは別の形で挙げますという、今後の課題というところはやっていない。これははっきり言うと報告書の中でそれがうたえたらという感じのところですかね。

【委員】
ここは中長期的なものですから委員のおっしゃることはよくわかるのですけれども、まだこの委員会としてはそこまで議論をしていなければ委員がおっしゃるように事務局にもうちょっと文言を付け加えて、事務局の判断での展望ということでいかがなものでしょうか。

【会長】
事務局がこれを出しているから、後はこれを委員会に出されてきた時の問題ですから、これは削除するとかあるいは修正するとか、そのまま通してしまうとかということでしか判断のしようがないのではないですかね。
だから、実際には報告書の中に将来的な展望というのは入れないか、あるいは入れるかというのは報告書の体裁の問題が出てくるのですけれども、私自身は入ってもいいのではないかなと。今後、70年を契機にということですから、この報告書自体を新たなスタート台にするということであれば、今から言えばこういう問題は身近にあります、克服していきますという形では述べてもいいのかなという気はしますけれども。
ただ、述べ方についてご指摘で、ここまでは制限を加えるとかということはあるかと思いますが。

【委員】
はい、わかりました。

【会長】
委員が言われるのはここで決めてしまって、これだけで終わるのかと。ここで俎に上がらなかったことが大きい問題も含め今後あるのではないかという。そのためにこの問題について論議があったかどうかを今お尋ねになったのだろうと思うのですね。

【委員】
過去から現在に至る原爆遺跡の状況についてはいろいろな議論が十二分なされたと思うのですけれども、ではこれを使って将来どうしようかというところまでは果たしてどうなのでしょう。いろいろなところで我々は自分の意見は述べたかもしれませんけれども、この場においてたたいたことは。

【会長】
ないです。

【委員】
ないですよね。だったら、もうこれは事務局に、この部分だけは事務局の責任のもとで書いてもらってそれだけでもいいのではないかと思いますけれども、どうでしょう。

【委員】
そこはどう考えるかというところなのですが、ただ個人的には中長期的な課題はたとえ抽象的であっても入れたほうがいいかなという気はしています。というのは、今回扱っているものがある意味では現在の問題とか今生きている人の問題なので、文化財にかかわる議論としてはたくさん蓄積があるというほどのタイプのものではないわけですよね。だから、やはり我々はこうやってここまでできてこれだけ課題があるということは言ったほうがいいのかなという気はしているところです。
ただ、どちらにしろ、この部分は全体としてさほど長くできるものではないので、私は事務局として意見集約をしていただいた上で委員会に報告書として出していくということでいいのだろうと思います。
だから、逆に言ったら、100%盛り込むかどうかは別としてもう少しこれを盛り込んだほうがいいのだということは、今のうちにお伝えしておいて、それで出てきたお話をあまり裏切らない形の報告書も課題提示できればいいのではないかと思います。

【会長】
ありがとうございます。今委員からも指摘がありましたように短期、中期、長期という形でこれを言っているから非常に型にはまったみたいで大変なのであって、これをとってしまって、全体的な文章でやられたらどうですか。今気づいているのはこういうところなのだと挙げて、ほかにもたくさんありますよと。今後も生まれてくるでしょう、ということを余韻を残すような形で文章を作られたらどうでしょうか。短期、中期とかとなってしまうから、これは短期でやらなければならない、中期でやらなければならないというようになんとなく型にはまるみたいで。膨らませて考えてみたらどうでしょう。

【委員】
これは最後の最後のところだから、会長がおっしゃるように確定的ではなくて、ざらっと将来的な問題点として書き残すという形でもいいのではないでしょうか。

【会長】
そうですね。だから、今委員の方々でお気づきのところがございましたら、こういうことも入れたらどうかということはいろいろあって構わないと思います。私は最後のところは非常にいい文章だとは思うのですけれども、ここまで言うのだったら、今後原爆資料とか言われるものは違った意味で変わってくると思うのです。今まで直接に被爆にかかわるようなものとかから、関連資料のいわゆる第二次資料くらいのところまで入ってきて、今後こういうことを考えてしまうと、やはり今の原爆資料館をもっと拡大させていって、そしていわゆるデータの集積を図るような形が望ましいということはあるのではないかなと。だから規模を拡大するとかということも入れていいのではないかなという気がいたしてはおりますけれども。これについてはいかがでしょうか。

【事務局】
今回、中期、長期というのは具体的に最初から定めたわけではないのですけれども、いろいろ議論をしていただく中でやはりこれはすぐに解決というのは難しいだろうと。ただ、これだけの議論をしていただいた中でいろいろな課題も出てきたものですから、ぜひこれは報告書の中にもきちんと明記していたほうがいいのではないかということでこういった章を設けるようにしていましたけれども、今おっしゃったように広い意味での将来展望ということの中でこういった課題をいくつか挙げて、原爆遺跡が今後どうあるべきかという趣旨のもとに結びの言葉で残していくような形で考えさせていただきたいと思います。

【会長】
それでは、このことにつきましてはそういうことで。 

【委員】
これは私たち委員会の報告書ということになるのですよね。事務局の報告書ではないですよね。どうでしょうか。

【事務局】
委員会でもんでいただいた上で、長崎市が作成した報告書という形になります。委員会が出すものではなくて、長崎市が委員会に諮った上で出すものですので、最終的には長崎市が出すものと考えていただいていいと思います。

【委員】
わかりました。そうなると、軽々に書いていいかどうかわからないのですが、1つ委員長のお話を聞いていて思ったのは、ことによったら博物館機能の強化ということは入れてもいいのかなと。委員長のおっしゃるとおりスペースがもっと必要だというような問題と、博物館機能というのはモノ資料をどう扱えるのかとかどれくらいスタッフを置くのかというように実はもっともっといろいろな機能があるわけで、少しお考えいただければなと思います。

【会長】
今の問題につきましては、これを取り上げるか取り上げないかは事務局のほうで判断されて、仮に上げるのであれば委員会でこういう意見が出たとかいう形で載せるということでいかがでしょうか。よろしくお願いいたします。

【委員】
今、盛り込まれていないところで今回の調査で明らかになった、旧城山国民学校の校舎北端の基礎遺構の部分、調査した時には掘り返して調査したわけで今埋め戻している状況なのですけれども、爆風衝撃波の痕跡をかなり顕著に残しているものだと思いますので、学校の敷地内にあるという制約条件もあるとは思うのですけれども、そういうことも含めて、今後展示の仕方というか取り扱いの仕方をどうしていくのかということの検討を課題として入れていただければと思います。

【事務局】
そういうことも含めて、この遺跡をどう活用していくのか。どういう方向で見ていただきたいのか。そういうことをぜひ盛り込んでいきたいと思っております。

【委員】
1件だけ補足があります。
7-3ページの第2節の「歴史的意義(価値)」のところなのですけれども、まず3行目のあたりで「生活と密接な関係の中で保存されてきたものでもあった」と。保存だけではなくてただ存在してきたという面もあると思いますので、「存在、保存されてきた」というような言い方で、努めて保存ではなくても存在してきたのだという部分も少し書いたほうがいいのかなと思ったところと、あと「信条を持つ者」という表現があるのですけれども、負の遺産を残したくないという信条を持つ者もいれば、負の遺産を残すことで、核兵器の惨禍を後世に伝えるという信条をもつ者もいたと。それで、そうでもない人もいたというか、自分の生活でやはり毎日を過ごすという人たちもいたわけで、あまり意識もせず暮らしていくという部分も、やはり日常というのはそういうものですから、そういう人たちもいると。もう「いた」という表現ですからよろしいのかもしれませんけれども、もうちょっと表現をやわらげてもいいのかなと思いました。
また、最後の部分でも7-3ページの復興、発展の中で最後の行ですけれども「人々の生活にとけ込んで今日まで」、この後も「存在・継承されてきたことに」と「存在」を入れたほうがいいのかなと思いました。
また次のページで赤字の部分の最後の段落で「核兵器による被害の実相に触れ、その非人道性を深く理解することは、核兵器をめぐる議論のスタートとなるものである」と。もう少しやはり長崎市が力を入れている核兵器廃絶へ向けた姿勢というのを、「核兵器をめぐる議論」でとどめないで「核兵器廃絶へ向けた」とかもう少し積極的な表現を用いてもいいのではないかと。やはり被爆地長崎市としての発信をもう少し強めて、やはり「廃絶」という部分をもう少しこの最後のところで強めてもよろしいのではないかなという意見でございます。

【会長】
ありがとうございます。ただ今委員から指摘がありましたのは、文章自体きちんと強く言うところは強く言うとか、今までの意見の中でも表現がよくわからないというのはありましたので、そういうところを加味してもう一度文章自体を見直してください。
それでは、報告書の修正につきましてはここまでといたしまして、次は議事の3番目の遺跡の範囲について入るのですけれども、当初に申し上げましたように、この内容は土地の所有者あるいは範囲や同意などの情報を含むために、非常にいろいろな形で支障も生じるものですから、長崎市情報公開条例第7条第5項の規定に基づいて非公開とさせていただきますので、傍聴席の傍聴者の方々は一時退席をお願いいたしたいと思います。よろしくご協力をお願いいたします。

暫時休憩します。

〈休憩〉

【会長】
委員会を再開します。議事の第3番目、遺跡の範囲について、事務局から説明をお願いします。

〔「遺跡の範囲について」を事務局から説明し、質疑応答〕

【会長】
ほかにございませんか。ないようでしたら、これで資料の議事の3番の「遺跡の範囲」については終わらせていただきたいと思います。
それでは、ここでまた公開になりますので、傍聴者の方々の入室をお願いします。

暫時休憩します。

〈休憩〉

【会長】
それでは、委員会を再開いたします。
次に、議事4「その他(報告事項)」に移ります。事務局から説明をお願いします。

【事務局】
資料9「旧城山国民学校校舎の応急修理について」に基づきご説明する。
現在、旧城山国民学校校舎は築70年を超えて、校舎コンクリートの経年劣化が顕著になりつつある。いたる部分にひび割れや鉄筋の爆裂があり、鉄筋が露出している部分もある。現在までの調査でひび割れ、浮き等の現況を図化し、損傷の状況を確認している。
基本的に短期的に修繕する必要がある緊急性の高い場所を、来年度厚生労働省の補助を受けて補修をしていきたい。
具体的な施工場所としては、外壁天井の漏水対策として、階段棟の一番上の部分に防水シートが張られているが、劣化して一部欠損している。それがもとでPH階は雨漏りをしているので、これを補修する。外壁、内壁ともに鉄筋の爆裂箇所があるのでこれについても補修する。天井や壁面の剥離箇所への手当をする。このあたりを来年度実施していきたい。
施工の方法等々に関しては、佐々木委員のご指導もいただきながら進めたい。

【会長】
現状の中で校舎の劣化その他等についての図化というのは、近年行われたものということでよいでしょうか。

【事務局】
はい、今年の3月に終了した調査の中で行われたものです。

【会長】
そうすると、それによって大体傷んでいる所のランク付けも可能なのですね。

【事務局】
はい、ひび割れの幅を何mmということで図に書き込んでおりますので、そこは一定評価が可能だと思います。

【委員】
今のご質問に対する補足にもなるのですけれども、コンクリートの構造物、建築物にとって防水ということが一番重要なところとなって、あとは鉄筋コンクリートになるとコンクリート自身というよりも鉄筋が腐食して、もともとのコンクリートの表面部分が剥落してというところが、耐久性、安全性、展示室の中であれば見学者の頭の上に落ちてくるとか第三者被害の懸念がありますので、すべてのひび割れが悪いというわけでもないので、鉄筋腐食とかにかかわってくる建物にとっても、見学者にとっても問題になるような所だけをまずは補修すべきかなと思います。
加えて言いますと、こういう歴史的に価値のあるコンクリート構造物の補修の理念はやっと議論され始めて、確立されていないところがあるので、応急処置の本当に必要な所だけを今回していただければいいのかなと思います。
逆にやってしまうと元に戻せないという可能性もありますので、あまりやり過ぎない程度で現在のところはとどめておいたほうがいいのではないかと思います。

【会長】
説明ありがとうございました。そうすると、今後においてはある程度定期的にチェックをし直すということは計画の中に入れておかなくてはいけないのではないかという気はいたしますけれども、その辺は事務局いかがでしょうか。例えば、何年かにいっぺんはきちんとまた見直すとかという、そういうのは必要ないのでしょうか。ましてや、子どもたちが入って、利用したり付近を通ったりしますので、安全管理の面からはいかがでしょう。

【事務局】
まず、この補修については中長期的、先ほどその「中長期的」という表現はなくしてもいいのではないかというご意見もいただきましたけれども、そういう将来的な課題というものの捉え方の中にも入れたいと思いますし、私どもこの原爆遺跡については史跡指定を目指している状況で、例えばその史跡指定になるという前提でお話をさせていただくと、保存・整備計画というのを策定していくと。その整備計画の策定の中でどういう計画でどこをどうしていくのか、それをまたご議論いただくような形にはなるのでしょうけれども、価値を損ねるのか損ねないのかという分も含めて、整備計画というのを策定していく方向にしております。
将来的なものとしては、その整備計画の中で計画をつくり、どう繰り返し計画的にやっていくのかという部分、それから目下直近に迫っている応急的なものについては、価値を損ねない形でまずさせていただくことができないのかというのも、今ご相談させていただいている段階でございます。

【会長】
ぜひ補修、修理については、委員も立ち会っていただいたりして、いろいろと指導・助言をいただきながらやられているのでしょうから、ぜひこれは間違いのない形でやっていただきたいなと思っております。
ほかにはございませんか。
それでは、ここで資料9までのところが大体論議されたわけですけれども、ここで調査官に今回についてのコメントをお願いしたいと思います。

【文化庁調査官】
今日はありがとうございました。原爆遺跡のそれぞれの遺跡について調査いただいて、その成果がようやくまとまってきたかなというように思っております。最後、それを踏まえて総括のほうにつきましては、またきょうの委員の皆様方のご指摘を踏まえて事務局のみなさんと私どもで相談して、より充実したものにしていきたいなというふうに思っております。
今、事務局がおっしゃったように、もし史跡に指定されるという後も、どうやって保存して活用していこうかというような計画ですとか、どうやって整備をしていこうかという計画、それからまた整備をしていくといういろいろな段階にどんどん進んでいくのだろうと思いますけれども、別にもし指定されたとしても何も終わりではなくて、むしろこれからなのだろうというふうに思っておりますので、引き続きご指導のほどどうかよろしくお願いいたします。

【委員】
この委員会で目的をもって議論を進めてきたわけですが、短期の間によくこれだけのものを調査してまとめられたなという感がしています。私はこれを一般の人に、子どもたちにわかりやすいようなダイジェスト版をつくられたらいかがでしょうかという意見を前から持っていたのですが。

【事務局】
本当に短い期間で非常に集中的な議論をしていただいて、我々も今回の報告書というのは原爆遺跡に関しては非常にまとまったものができたと。今後いろいろな形で引用される文献になってくるのだと思っています。そういった意味で一般の方にももう少し、内容があまりにも専門的過ぎるものですから、わかりやすいような形というのはやはり工夫する必要があろうかと思います。
今、言いましたように、いろいろな今後の保存計画とか今後の取組も含めまして、どこかの段階でそういった冊子なりをいろいろと工夫してみまして、一般の啓発という側面からも含めてもやはり何か考えてみようかと思っています。
今の段階で来年どうこうという話になりませんけれども、我々これも含めまして、今回の議論を踏まえたうえでこの議論の中身を広く知っていただくなかで原爆遺跡の理解を深めていく、そういった努力をしていこうと思っています。

【会長】
どうもありがとうございました。事務局の意見を聞きまして、非常に私たち安心して喜んでおります。

【委員】
先ほどの議論の中でも、現在までについては議論したと、将来的な問題については今後の問題だということで先ほどまで話があったのですけれども、これからの成果、いわゆるものを言わぬ遺跡にものを言わせようということでこれだけのものが出てきたわけです。この委員会、それからさらに長崎市の取組について、できたら方向性が示された段階で速やかに市民に対して報告をする義務があるのではないかというふうに思います。
できましたら、先ほど言いましたように一般的にわかりやすいダイジェスト版とあわせて、こういう委員会、それから長崎の姿勢、それから将来的な計画というのをできたらシンポジウムもしくは講演会等でその内容を報告する準備をしておいたほうがいいのではないのかなという感を持っています。
今回、この委員会は最初の議論の中で報道の方には公開しようということで、こういう委員会がこういう形で公開されることはめったになかったのですけれども、さらに市民に周知するために、長崎が平和に向かう姿勢を示すためにも何らかの形でまとめのセレモニーをやってほしいというふうに思います。

【会長】
ありがとうございました。要望でございます。よろしくお願いいたします。
それではこれをもちまして第7回長崎原爆遺跡調査検討委員会を閉会とさせていただきます。どうも皆さんありがとうございました。

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