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更新日:2017年1月18日 ページID:029063
企画財政部 世界遺産推進室
平成28年度第1回 長崎市外海の石積集落景観追加選定調査検討委員会
平成28年10月26日(水曜日) 10時00分~12時00分
長崎市役所本館3階会議室
(1) 会長・副会長の選任について
(2) 大野地区における文化的景観の価値について
(3) その他
1、会長・副会長の選任について
【配布資料】
資料1 長崎市文化財調査検討委員会規則
資料2 長崎市外海の石積集落景観 追加選定検討委員名簿
2、大野地区における文化的景観の価値について
【配布資料】
資料3 長崎市外海の石積集落景観 追加選定調査(大野地区)
参考資料 石積みカルテ
3、その他
1、会長・副会長の選任について
資料1 長崎市文化財調査検討委員会規則に基づき、会長の選任及び会長による副会長の指名を行った。
2、大野地区における文化的景観の価値について
事務局から資料3 長崎市外海の石積集落景観 追加選定調査(大野地区)に基づいて調査結果の説明があった。その後、各委員から次の意見があった。
【C委員】
大前提の確認だが、世界遺産の関係で潜伏キリシタンについて述べるのではなく、純粋に外海の石積集落景観の追加選定としての価値を述べることで良いか。
事務局から神浦と比較をして大野にしか見られないといった説明があったが、報告書P225の西彼杵半島全体を調査したようにもう少し広域の中で大野・出津地区にしか見られないといった特徴が言えれば一体性などを体系的に説明ができると思う。西彼杵半島全体で大野・出津地区のような石積の特徴があるのではという見方もできるため、そういった議論や論理が必要となる。
【事務局】
今回の追加選定は世界遺産と切り離して、石積集落景観の追加選定として価値を調査している。
【A委員】
出津地区で説明されている石工集団というものはどのような体系のものか。石積を見る限りそんなに難しいものでは無いように思われる。だから、農閑期の時に片手間で石積を築いていたのではないか。石工集団としてしまうと石を専門に扱う人のようになってしまう。外海の石積は生活をしていく中で、必要に迫られ誰でもが積んできたもののような気がする。
またP38に「斜面地を開墾し」とあるが、開墾するには水などの条件の他に開拓者など様々な条件があり、大野の急斜面を開墾するにあたっては、一番上を決めて開墾で出た土を下の開墾に使っていくなど規則的に進められたと考えられるから、開墾の一番上が分かれば当時の広さが分かるのではないか。さらに、宅地の向きが入り組んでいるところは後で建てられていた可能性もあるため、そこからわかることもあるのでは。(通常では規則的に建てられるが、後で建てる場合は、空いている場所に多少いびつな向きでも建てる傾向がある) また、神浦村の人口が1700年代に増えたのはなぜか。もしかすると、潜伏キリシタンがいるとして多くのキリシタンがやって来たのかもしれない。
【事務局】
石工集団については報告書P276のとおり一部だが石工を主にしていた人がいたとの調査結果がある。お城の石垣を積む安太衆まではいかないが石積を積むのが得意な人が生業として数グループあったと聞いている。
【B委員】
歴史のところで、大野の成り立ちは生月から一族が移り住んだと言われているが、そこははっきりとわかっているところなのか。難しいと思うが集落の成り立ちがもっと分かれば集落構造などよりが見えてくるのではないか。構造で言えば明らかに新地が後でできている。それがいつか、また交通の要となった往還道がいつできたかなど道の変遷でも集落構造が分かることがあると思う。他にも石の種類(結晶片岩・玄武岩・安山岩)でもわざわざ積みにくい玄武岩・安山岩を使って積むというのは技術的にも難しいので、何かしらの交流などがあったのではないかと考えられる。
【C委員】
B先生の話でもあった集落構造について、P10・11の地図だと道は山側を通っている。しかし現在の地図では海側を通っており、突然国道ができている。それがどう変遷していったかというのは押さえてほしい。道の変遷で集落構造や報告書P200の図にあるような牧野との交流がどのように行われていたのかもわかると思う。
【D委員】
そもそも追加選定に際してはどういった手順で、どのような書類が必要になるのか。
【事務局】
追加選定の流れとしてはまず価値を出す調査が必要で、あくまでも既選定と同じような価値があるというのを示さなければならない。調査結果を基に委員会や文化庁、県に相談し追加選定の価値があるとなれば後は書類の整理などが必要となる。あわせて保存計画は大野を含めて改訂を行う必要がある。追加選定の前提条件として景観法の重点地区の選定を行う必要がある。また、重要な構成要素を決めて、住民の方の同意をとり、追加範囲と共に文化庁に提出(申出)することとなる。調査報告書についてはその後の国の文化審議会において提出する。
【D委員】
追加選定の価値をどう組み立てていくのかが大事である。西彼杵半島の他の地域を含めず、大野地区を入れる根拠が必要である。出津・牧野地区と大野地区の類似性とは何か、石積技術と社会的つながり(P14)があるとのことだが、価値が全く同じであれば追加選定する必要はないので、地質構造などによる石質や積かなどの多様性とつなげる方が良い。
大野地区の結果だけではなく、技術の違いを強調するためには出津・牧野地区の結果と比較したほうが追加選定する理由が説得性をもって分かりやすくなる。今後このような比較は行う予定か。
【C委員】
大野地区を入れる意義が弱い。P14の図で出津・牧野地区から大野地区の矢印はあるがその逆が無いのが気になる。交流があるのであれば大野から出津・牧野への矢印があるのではないか。この追加選定によって外海の石積文化の価値が深まりより良いものになるといったポジティブな面がほしい。そのためには多様性についてもう少し強めたほうが良い。
【事務局】
地区のつながりについては今後調査を進めていかなければならないところである。今回の調査では類似性を中心にまとめている。多様性を中心にすると新規選定となってしまう可能性があるので、隣接する地域のため石積技術の共有の中で積みにくいけれども石質が異なるが同じような積み方で石積が築かれているという類似性に近い説明をしている。
【A委員】
外海全体の地域に独特な特性があって、その中でも出津・牧野地区と似ている特徴として大野地区があるという説明であれば、全体から見ても国は新規ではないという判断になると思う。文化的景観はいままでの点でとらえていた文化財を面でとらえようとしているものなので、その面を広げていく中でミクロの視点で見れば多く、異なる所もあるが、ある程度同じ特徴としていけばよいのではないか。調査自体はよくできているが、まとめ方をもっと工夫すればよいと思う。
【C委員】
既選定地域でも、出津・牧野地区で細かく多様性を述べているわけではないので、大野で多様性が豊かになるという方向で進めていった方が良いと思う。
調査報告書の7章の景観構造は単位景観など今後の整備に繋がっていくと思うが、今回もそこまでやっていくのか。
【事務局】
今回も現在調査している範囲で大きく4つほどのまとまりで、調査していく中でもっと細かな分け方になると思うが平面的な特徴で景観に要する要素を出して、これが重要構成要素になるようにしていく。これが最後に何を守っていくのかというところに繋がっていく。
【C委員】
これは今後の委員会で諮っていくのか。
【事務局】
具体的な内容は第2回目の委員会でまとめ方と重要構成要素について、そして改訂する予定の保存計画(案)まで協議していく予定である。その前に委員の先生方にはいろいろと個別で相談することもあるかもしれない。
【C委員】
ネガティブな考えだが、明治から神浦村・黒崎村と分かれているため、本当は別々のまとまりだったのではないかと思うがそのあたりはどうなのか。
【事務局】
今回の調査結果のまとめ方を整理する必要がある。また、C委員からご意見いただいた道の変遷は追加して調査していく必要がある。他に意見はないか。
【D委員】
繰り返しになるが、類似性があったということは社会的特性に共通性があったということが類推されることが大事で、P13で示していることの根拠が必要になる。多角的な面から証拠として示したほうが良い。
【B委員】
大野は港があるわけではないので、道だけでの行き来となり、交流の機会は少なかったのではないかと思うが、産業などのつながりで関連性をつけて証明していくことができるのではないか。甘藷栽培があるということだが、炭焼きなどでのつながりもあるのではないか。
【事務局】
調査では大野での炭焼きを行っていたとの結果は無かった。もともと畑作を行っていて、使わなくなった畑に植林を行っていたというのはあった。
3、その他(今後の委員会の開催日程の調整)
第2回 平成29年1月11日(水曜日)10時~12時
議題:大野地区の追加申出について(重要構成要素と保存計画の確認)
第3回 平成29年3月16日(木曜日)13時半~15時半
議題:赤首地区の重要文化的景観の価値について(調査結果の報告など)
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