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平成27年度第1回長崎原爆資料館運営審議会

更新日:2016年9月15日 ページID:028824

長崎市の附属機関について(会議録のページ)

担当所属名

原爆被爆対策部平和推進課

会議名

平成27年度第1回 長崎原爆資料館運営協議会

日時

平成28年3月14日(月曜日) 10時20分~

場所

・長崎原爆資料館地下2階 常設展示室
・長崎原爆資料館地下1階 平和学習室

議題

1.展示室リニューアルに伴う内覧
2.議事
(1)副会長選出について
(2)原爆資料館展示室更新整備について
(3)被爆資料の破損について

審議結果

(1) 開会
会長の開会挨拶、館長挨拶、事務局による委員の紹介、資料及び次第についての説明など

(2) 議事内容
ア 副会長選出について
長崎原爆資料館条例第22条第3号の規定に基づき、舩山会長の指名により久米委員を副会長に選出した。

イ 原爆資料館展示室更新整備について

【事務局】
(概要)
被爆70周年事業として行い、最新の映像・情報機器等を導入することにより観覧環境を改善し、新たに収集した被爆資料や被爆者の絵画等を公開することにより展示内容の充実を図った。また、全21カ所の展示コーナーのうち19カ所の整備を行い、展示資料数が約1,500点となり整備前の927点から約600点増加した。

(主な整備個所)
(ア)エントランスロビー
これまでのサインでは、展示室入口がわかりにくかったことから、来館者がスムーズに展示室に行くことができるよう、展示室を案内する壁面や床面のサインを更新した。

(イ)円形スロープ
時を遡るというコンセプトを強化するため、壁面に2000年から1945年までの年号を5年刻みで表示した。

(ウ)展示室入口
展示室入口であるAコーナーの展示について、冒頭に柱時計を展示し、決して忘れてはいけない「1945年8月9日11時2分」を強調するとともに、新たに27インチモニターを設置し、被爆前の長崎の写真資料を追加展示できるよう改善した。さらに原爆の凄まじさ印象付けるため、80インチの大型モニターで高解像度のきのこ雲の映像を展開した。

(エ)LED
全展示室においてLED照明を導入し展示資料を保全するとともに、特に暗くて資料が見にくかったBコーナーの明るさを一定に保つなどして、来館者に快適な観覧環境を提供するようLED化を行った。

(オ)プロジェクションマッピング
長崎の地形模型にコンピュータグラフィックによるプロジェクションマッピング技術を活用して、熱線、爆風、火災、放射線等による被害の地理的な広がりをカラー映像で示し、被爆の状況を分かりやすく理解できるようにした。

(カ)ファットマン
ファットマンの色調を現物と同じ黄色に再現するとともに、42インチモニターに米国で入手した原爆の積込動画を展開し、また、学習環境の向上のために記載カウンターを設置した。

(キ)熱線による被害
被爆後の長崎の写真を壁一面に展示するとともに、液晶モニターを設置し写真資料等を追加展示できるようにした。

(ク)被爆者の訴え
被爆者の絵画や手記などをデジタル化し、モニターで閲覧できるシステムを導入した。また、11mにも渡る長崎原爆絵巻「崎陽のあらし」についても全体像が見られるようタッチパネルモニターを設置した。

(ケ)長崎から世界へ
以前は、紙の資料で日本非核宣言自治体や平和首長会議のデータを見るような仕組みであったが、タッチパネルでインターネット、データをもとに検索できるシステムを導入した。

(コ)その他
1.観覧スペース拡大
「熱線や爆風による被害」のコーナーや「ビデオルーム2」について、ブラウン管モニターを廃止し、液晶モニターにすることによって、スペースが空き、観覧スペースが拡大した。 

2.多言語キャプション
スマートフォンやタブレットを利用して、QRコードを読み取ることにより、11カ国語の言語で説明文を閲覧できるシステムを導入した。

3.原爆資料館ホール
プロジェクターを更新するとともに、ステージ上でパワーポイント等のプレゼンテーションが行われるように配線設備を導入した。

4.平和学習室
マイクシステムを新たに整備し、また、遠隔地の方ともインターネットを利用して会議ができるようにシステム整備を行った。

【会長】
これより原爆資料館展示室更新整備について、委員の皆様から意見や質問をお伺いしたい。

【委員】
よく整備されて足元も広くなり、本当にいい展示になったと思う。多言語での説明について、以前からお願いしていたことであり、それが整備されて嬉しく思う。それによる解説はどの程度のものか説明してほしい。

【事務局】
スマートフォンやタブレットを使ったQRコードでの解説であり、貸し出しを行っている音声ガイドと同じように、各コーナーごとの解説を行っている。今後、各コーナーを追加していく中で情報量を増やしていくなど、説明内容の充実を図りたい。

【会長】
観光船も非常に増え、外国人の来館者が今後ますます多くなるなかで、多言語化という取り組みは非常に重要なことだと思う。

【委員】
たくさんの方が原爆資料館を訪れるなかで、例えば、「崎陽のあらし」など、タッチパネルでスライドができて全部見れるように整備されているが、人が多すぎて見られないこともあると思う。インターネット等で全部見ることは可能なのか。

【事務局】
原爆資料館の資料はインターネットで基本的に見られるようになっている。また、Google(グーグル)において、各博物館や美術館も取り扱っており、原爆資料館の館内もインターネットで見ることができるようになっている。インターネット環境はかなり充実してきている。

【委員】
今回のリニューアルで、様々なことが改善されており、いい形態になったと思う。具体的にはモニターを導入し、被爆前の長崎の様子を画像で見せることができるようになり、非常に良かったと思う。今までの展示では、被爆前の長崎という直前の長崎を描いており、戦時下で破壊というのが日常生活にあったところに原爆が投下されたとしか見られない。それを見た人たちに、私たちと同じ日常を暮していた人たちが原爆に遭遇したということが伝わりにくかった。今回、27インチモニターが導入され、浦上の歴史が感じられ、ここで暮らしていた人たちが、普通の日常を送っていたということが、映像を通して伝わると思う。今後、モニターで映し出す映像資料を増やすなど充実させてほしい。また、将来的にはもっと大きいモニターにしてほしい。

【事務局】
原爆で伝える一番大事なものというのは「何が破壊されたのか」「どのような日常の暮らしが破壊されたのか」ということである。今回、27インチのモニターを導入するとともに、新しい写真資料も展示している。今後新たに資料が出てくれば随時、写真資料を追加し、被爆前の長崎にどのような暮らしがしがあったのか伝えていきたい。

【委員】
私は戦後生まれで実際は戦争を体験していないので、原爆資料館を子供の頃に見学しても、戦時下に起こったことというふうにしか印象を持てなかった。1990年前後に旧ユーゴスラビアで内戦が起こった時に、普通の日常生活を撮っているビデオから、戦時下のビデオになっていくところ見て、日常の延長線上にこのようなことが起こるということを非常に強く実感したことがあった。おそらく原爆資料館に修学旅行で来られる方々も同じような思いを持つのではないかと思うので、ぜひ普通に暮らしていた、そこに戦争直前ではなく、もう少し前の、浦上の地で暮らしていた人たちの息遣いが分かるような映像や画像、あるいはCGでつくったものなどを含めて、様々なコンテンツが入ることを期待する。

【委員】
原爆の惨状を今までよりリアルに表現していて、当時を思い出して足が止まった。ただ、一番恐ろしい後遺障害を及ぼすという点について、もう少し工夫が必要だと感じた。70年経った今も、恐れをずっと抱かざるを得ないという深刻さなどを伝えられないかと感じた。 
もう一つは、展示とは直接関係はないが、原爆の惨状あるいは平和の問題などについて、長崎にはたくさんの報道機関があり、テレビ放映された記録など様々な所蔵品があると思う。そういうものを、原爆資料館が中心になり、連携を図って閲覧できるという仕組みができないかと思う。寄贈してもらえれば一番いいと思うが、著作権の問題もあり、難しいと思う。しかし、せっかくつくられたものが埋蔵文化になってしまってはいけないという気持ちがあるので、連携を図り、そのような仕組みをつくれないか。

【事務局】
展示の最後に平和の発信コーナーがあるが、これは提供していただいた資料を展示している。今現在、原爆資料館は被爆者の証言に関して、報道機関の証言とあわせて、インターネット上にポータルサイトをつくり、長崎新聞をはじめとして様々な被爆者の証言を見られるようにしている。原爆に関する番組に関しては、膨大な量があり、今後資料館が集約的なかたちで何かできるかどうかは、大きな課題になると思うが、今後取り組んでいく課題として我々も認識をして、また後世に伝えるうえでのひとつの方法とした連携も考えていきたい。

【委員】
今回の成果の一つとして、8月7日の写真をパネル化しているが、あれでは分からない。現状と、例えば70年過ぎる前の写真、8月7日の写真の比較ができるように展示の方法を考えられないか。そうすれば、8月9日の歴史をいくつか分類して、「これは8月7日の写真」「これは8月10日の写真」「これは今の写真」という比較ができるようになる。また、今の場所と昔の場所を比較することで、「ここの場所は今ビッグNになっている」とか「ここはサッカー場になっている」とか判断できるようになる。あれだけ大変貴重な写真を資料として撮られた皆さん方には感謝するが、そういうものを重ねあわせて、合成でもいいので、皆さんにわかりやすく伝わるよう再現してほしい。

【事務局】
追悼記念館に被爆直後の上空からの写真がある。それは民間の皆さんと一生懸命工夫をして、航空写真を貼りあわせてつくった。また、今現在どうなっているのかということは我々も非常に興味深いところであるが、あれだけの大きさのものを新たに確保して、比較しながら見るような資料を展示するのは、常設展にはなかなか難しい。企画展示等も含めて、あの写真をもとにして、その後どうなったのか、今の写真では少しわかりにくいため、モニター側で充実を図り、企画展で何かできないかなど検討したい。

【委員】
それでは、今展示している写真に「現在はここに何があります」や「ここに今ビッグNがあります」など目印をつけてほしい。「被爆70年のときに、ここにこういうものがあった」という目印を入れることで、見る人に「ああ、こんなに変わったのか」と場所の位置づけが分かるのではないかと思う。これはあまり難しい話じゃないと思うので検討してほしい。

【事務局】
その辺については、目印をつけるなど少し工夫をしたいと思う。

ウ 被爆資料の破損について

【事務局】
(概要)
2月12日に展示資料の移設作業中に被爆資料「さかい橋の橋柱」を破損した。当日の作業については、学芸員の事前管理のもと作業前の確認を行った上で作業を開始し、美術品専門の輸送業者が慎重な作業を行っていたが、外見だけでは分からない資料の経年劣化が進んでいたものと考えられる。

(破損資料について)
・資料名 「さいかい橋の橋柱」
・規格 縦30cm×横30cm×高さ95cm(推定重量210キログラム)
・資料価値 爆心地から約40mの「下の川」に架けられた橋の橋柱。上部に熱線の痕跡があり、林重男氏が昭和20年10月に山里の丘から爆心地方面を撮影した写真により、被爆時の位置が確定できる重要な資料である。

(専門家の意見)
・活水女子大学教授 下川達彌氏(博物館学)
破断面に経年劣化によると思われる色の変化が見られ、周りに表層の剥離も認められる。また、破断面以外の部分に劣化が進んでいるようであり、展示するためには接着や樹脂による表面の処理や、接合ということが考えられる。レプリカ等の作製も考えられるが、本来の特徴である熱線の痕跡が失われることが考えられることから、慎重な対応が必要である。

・長崎大学教授 佐々木謙二氏(構造工学)
爆心直下での衝撃波による破損の可能性など内部にひびがあったことが考えられる。また、今後、今の状態から動かすことでさらに破損する恐れがあり、まず超音波等により非破壊検査などを行ったほうがよい。また、保存処理については薬剤の注入、接合等により資料の変性をもたらすため好ましくなく、将来の保存に十分な配慮をした上で、展示の可能性を考えなければならない。

(今後の対応)
今後、資料の劣化を防ぎながら現物を後世に伝えていくという必要があるので、そのためにもまず非破壊検査等により資料の現状を把握し、写真等による記録保存を行う。また、表面処理や展示の作業を実施することで今後さらに破損することも考えられるため、資料をどう保存していくか検討していきたい。また、資料自体は原爆直下で熱線や爆風を受けたという貴重な資料であるため、「研究調査資料」として、安定した管理保存のための対応についても検討を行う。

【委員】
石の専門家ではありませんが、素人から見ても原爆によるものかどうかは分かりません。ひび割れが進んでいたということは想定できると思うので、今お話にあったように爆心直下の大事な資料であるため、壊れたということを含めて、展示というよりも貴重な資料として経過も含めてそのまま保存したほうがいいのではないかと思う。

【会長】
「原爆忌 あの日の 鳥も虫たちも」という俳句がある。あの日は人間だけではなくて動物も植物もやられたと。それだけではなく、建造物も閃光と爆風、放射線によって徹底的に傷めつけられた。あの「さかい橋の橋柱」は安山岩と聞いているが、やはり71年前にかなり傷めつけられており、自然のなかで、手を触れなくても壊れる可能性がある。それだけに貴重な資料だと思うので、レプリカという方法もあるでしょうが、やはり本物は本物、レプリカはレプリカなので、なんとかして貴重なものを後世に伝えたいと思う。

【委員】
閃光の跡はあるのか。

【会長】
はい。

【委員】
あれは、片一方の碑はなかったのか。

【事務局】
当館の資料の中にはあの一本だけである。以前の写真の資料を見ると、片一方倒れたもので一組は写真に記録として残っているが、当館に収蔵されているのはあの一本だけである。

【委員】
川の中に入ったままになっているとか、それをもう一回よく調べてみてほしい。下の川自体を修繕しているので、あるかどうかも分からないと思うが。もう一つ会長にお願いしたいことがある。これは議会でもそれなりの対応をしているが、何枚か今日の写真の中にも出てきている山王神社の二の鳥居は、横のほうに、残骸と言ったら悪いけど、片一方の半分のほうを置いたままにしている。すると、ここは原爆の遺跡にはなってはいないが、岩川町のほうから来て、第2・第3の通りから十八銀行の階段の所を上って、あの周辺の石畳を含めて、きちんとしたかたちで保存をしないと雨ざらしになってしまう。あれは、大理石であり相当の重量があるものであり、簡単にいくかどうかは分からないが、ここについては過去に議論をした経緯があり、時間がたつと変化するという実態を鑑みたうえで、きちんとした保存計画を作ったほうがいいのではないかと思う。

【事務局】
今回、石の破損に直面して思ったのが、「70年という時間というのは一定の重みとして出ている」と改めて感じた。この資料館の役割というのは、やはり資料の収集と保存と展示活用があって研究という部分があると思う。今もご意見をいただいたように、物によって保存を優先すべきものというのは、展示が難しいけれど、きちんと保存をして後世に伝えながら研究材料としてきちんと伝えていくことが大事である。またそのような資料もいくつか出てきているので、一定の資料の仕分けをする中で、これはもっと見せる物、これはきちんと保管をするものなど考えていく必要がある。

非常に悩ましいのは屋外にある部分である。特に二の鳥居、いわゆる一本柱の鳥居は、現地において「片方壊れたほうがこれですよ」というのはやはり意味があることである。長崎大学の正門、門柱を横に置いているが、それは一方では雨ざらし・野ざらしになっている。

それから、爆心地にある浦上教会の一部分など、このようなものも今後どうするかは、保存していく上で非常に難しく、大きな課題になると思う。そこは様々な専門家の方に相談しながら、今後100年に向かってどうするのか検討していきたいと思う。

【会長】
なにせ71年で、被爆者の平均年齢が80歳超えている。やはり一番大事なことは被爆の体験、それと被爆の実相を伝えるということが何より大事である。また、今年は日本で伊勢志摩サミットがある。広島では先進国外相会議もあり、そういう中でやはり核影響を取り巻く状況はますます厳しくなっているので、そういう意味でもこの長崎原爆資料館の果たすべき役割というのはますます重要になっていると思う。

やはり原爆資料というのは、本当は被爆したその場所で保存するのが一番いいと思う。例えば浦上天主堂のドームは、あれは掘り起こしてここに持ってきても価値が下がってしまう。だから現地に置くと雨風にさらされますから、委員が言われるようにいかにそれを保存するかということが大事である。そういう意味で、やはり核兵器に対抗するには核兵器では絶対にない。やはり原爆でどういうことが起こったとか、被爆の体験や被爆の実相を伝えることが核兵器の抑止力だと信じている。

【委員】
城山小学校の被爆遺構には、来られた方のトイレがない。どこが管理しているかは分からないが、国が何か行うと新聞に載っていた。学校に言っても、それは自分たちではないとなるので、どこが管理を行うのか教えてほしい。

【事務局】
城山小学校の被爆校舎は、長崎に残された最大の被爆遺構ということで、今進めているのは国の文化財指定の史跡にするという位置づけの中で、長崎市のほうから一定のお願いをして、今後国の史跡になっていくという方向で取り組んでいる。今後の管理等の問題については、原爆被爆対策部と原爆資料館を含めて、こちらのほうを中心に、また学校にも協力をお願いすることになると思う。トイレの問題や他にも様々な問題が、今後たくさん人が増えてくれば出てくると思うので、それに関しては、特に一方では学校のほうの活動もあるため、学校とも話をしながら進めていきたいと思う。あと一時的には我々のほうで管理をしていきたいと思う。

【会長】
ほかになければ、以上をもちまして「平成27年度長崎原爆資料館運営審議会」を閉会したいと思います。ご協力ありがとうございました。

〈閉会〉

お問い合わせ先

総務部 行政体制整備室 

電話番号:095-829-1124

ファックス番号:095-829-1410

住所:〒850-8685 長崎市魚の町4-1(9階)

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