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平成24年度第3回端島炭坑等調査検討委員会

更新日:2015年5月25日 ページID:027075

長崎市の附属機関等について(会議録のページ)

担当所属名

総務局企画財政部世界遺産推進室

会議名

平成24年度第3回端島炭坑等調査検討委員会

日時

平成24年10月19日(金曜日) 午前9時30分~

場所

都道府県会館407号室(東京都千代田区平河町2-6-3)

議題

  1. 保存管理の基本的考え方について 
  2. 19世紀における交通革命と日本の開国・開港
  3. 軍艦島調査概要の報告
  4. 端島、北渓井坑跡のゾーニングについて

審議結果

1 保存管理の基本的考え方について
2 19世紀における交通革命と日本の開国・開港
【事務局】(事務局説明)
【D委員】明治初期から19世紀を通じて、高島炭を含めて日本炭が東アジアの船舶用石炭の8割から9割を占めていて、日本炭の供給がなければ世界の汽船海運市場というのは存在し得なかったと言っていい。但し、高島炭の採炭量は限定的で増産が非常に困難であった。日本で産業革命が起きその燃料供給という点で言うならば、高島炭というのはほとんど意味を持たなかったが、品質の点では一般の石炭に比べると特にコークスの原料としての意味を高く持っていて、質的な意味で日本の製鉄業を支えた。つまり19世紀における船舶用燃料炭としての高島炭と、20世紀におけるコークス原料としての高島炭の供給、その2つの側面において高島・端島の石炭が、日本や東アジア全体においての市場において非常に重要な意味を持っていたと言えるのではないか。
19世紀、6割から7割以上が船舶用石炭だったと言っていいのではないか。近世以来の製塩用の燃料として高島炭が使われたかどうかは検討の余地がある。それから、香港でもやはり日本炭のシェアというのは非常に高く、そこにおいて8割から9割を占めていたということの国際的意味というのは非常に大きい。もう1つ上海において、高島炭というのは量的にいうと日本炭の大体半分ぐらいを占めていて、上海の石炭市場にほとんど出ないという特徴があった。輸出する段階で購入先が決まっている特約取引という形をとり、独占的に買い込む商社が決まっていたと言われている。それだけ高島炭に対する需要が高かったということはもっと強調されるべきである。
幕末から明治初期にかけて、佐賀藩と石炭との関係という点から考えると、唐津も視野に入れておいた方が記述の上では高島の特徴が出やすいと思う。輸出経路についてだが、基本的にはイギリス商人によってイギリス船に積み込まれて輸出されていた。
【D委員】三池炭の場合には明治11年以降、口之津港から輸出される。その後、三角西港に移るがこれは限定的で、結局は三池港を造るということになるわけで、高島炭と三池炭の違いも強調しておいた方がいい。
それから言葉使いだが「王有権」という言葉は、後になると「官営」と使われているので「王有権」を使わない言葉で統一しておいた方がいい。また、「グラバーとの合弁」とあるが、基本は佐賀藩が行っているので合弁はできないはずである。これは国有化とか官営というよりは外国資本を排除しようとする政策であって、国有化という概念とは少し違うのでそこは正確に書いてもらいたい。日本坑法が出されたという歴史的文脈がもっと重要視されてしかるべきである。
それから納屋制度について「明治30年、ようやく」とあるが、これは相当早い時期に廃止されている。逆にいうと、なぜ廃止されたのかということが高島、端島の特徴であるので、廃止の歴史的根拠というのを明らかにする必要がある。
それから販売について、販売・輸出をねらいとして三菱が譲り受けると書いてあるが、上海市場において日本商社の活動という点でいうと、三井物産が圧倒的であることから、本当にこう言えるかどうかというのはもう少し検討する必要がある。三井はもっぱら三池炭だと思うが、長崎やほかの九州炭を輸出していないか三井の研究をする必要がある。
竪坑について、600メートルの竪坑を炭坑で掘るというのは普通考えにくい状況で、なぜ高島で600メートルの竪坑が掘れたのか、掘る必要があったのか、岩盤とか地質構造との関係も当然あっただろうと思うのでこれだけ深い竪坑が可能になった条件も技術との関係の中で明らかにしておく必要がある。
【C委員】時期の名称を考え直していただいてよくなったかと思うが、「開発期」という言葉は新たに開発するというイメージがあるので、昭和31年ぐらいから新たな技術を持って再度開発していったという意味で「再開発期」の言い方がいいかと思う。
【B委員】最終的に小風先生の論文が出てきたので、小風先生の論文を中心に説明するよう再構成し直した方がいい。構成として、最初の方で全部説明して後でそれが具体的に高島と端島のデータ上でどう出てくるかというのを記述すればいいのではないか。
【C委員】端島炭坑の歴史的意義について、「炭坑の島としての形成から閉山、風化の過程が全て読みとれる産業遺産」と統括されているが、例えば「近代における世界史上の必然として出現した炭坑の島としての形成、閉山、風化の過程が全て読みとれる」とか、その前提を入れておく必要があるのではないかと思う。
【オブザーバC】護岸に関して、現状で護岸になっている部分のみならずそれに至るまでの跡は、世界遺産のOUVにも直結してくる部分と記憶しているが、そこが全く記載されていないので、そういう観点でどう保存に当たるのかということを整理しておく必要があるのではないかと思う。
【A委員】今日は話題にはなっていないが、この報告書の第3章の各種調査、これが現場の遺構に基づいた報告の部分になるので、ここでもう少し現場に即した価値の記述が出てくるのではいかと思う。

3 軍艦島調査概要の報告
【オブザーバA】建築学会の調査目的は、なぜあの軍艦島の建造物があそこまでの劣化に至ったのかというそもそもの原因、現状はどの程度の健全性を有しているのかという評価、今後の劣化予測と将来的な性能予測、あの構造物をどういう形で具体的に価値付けを建築材料学的にしていくかということである。
建物の将来的な劣化予測をどういう形でやっていくかという考えの1つだが、30号棟は寿命を迎えている状況にあると思われ、その30号棟を1つの基準に、その他の構造物がいつその状態に至るのかを、これまでの調査結果をもとに把握していくことになるだろうと思う。
軍艦島の材料学的な価値だが、この軍艦島に今残る構造物は、多分世界的に見てもないので、そういう意味では貴重な研究資源と位置づけられると思う。鉄筋コンクリートの耐久性にかかわる研究というのは、日本だけではなくて世界的にも行われているので、海外の研究者を呼び集めて、例えば軍艦島で国際セミナーをやってもいいと考えている。軍艦島は耐久性研究のメッカになり得るのではないかと思う。
【オブザーバB】護岸の構造物の健全度を目視によって調査、確認し、特に劣化損傷の著しい箇所を特定して、緊急的に対処しなければいけないところを明らかにしようというのが基本的な目的である。7カ所について、かなり護岸全体の中でも劣化損傷が著しいであろうところを特定した。
補修対策の案として、70号棟の建物の下の部分については、吸い出しの起きないよう充填する必要があり、ここには高流動コンクリート及びエアモルタルで下部を充填する案を出している。31号棟横についても排水溝の処置をした上で、この吸い出しを受けたところをコンクリート等で充填する必要があると考えている。50号棟横は、コンクリートによる補強が必要だと考えている。陸上側が倒壊している部分については、新しいコンクリートを打ちかえる必要がある。肌別れをして外に倒れかかっている部分については、恐らく基礎の部分、水中部になるが、そこから新しい護岸コンクリートで補強するか新しく打ちかえるかという対策が長期的に見て一番確実な方法と思う。将来の具体的な対策の方法については、もう少し詳細な調査を踏まえて検討する必要がある。
【B委員】吸い出しが起こっている箇所を全部特定して完全に止めることは可能か。
【オブザーバB】吸い出しの原因は護岸の一番下の部分に何らか欠陥があって、そこから少しずつ土砂が吸い出されて進んでいると考えられる。箇所を特定するのは非常に難しいが、ある程度この辺が一番ひどそうだというようなことは特定できる可能性はある。特定された後に吸い出しを止める方法としては、そこに薬液注入のような形で固める対策が一番確実な方法である。
【B委員】天川の構築部分はかなりさかのぼって時期を考えることができると思うが、その場合に、それを部分的に見せながら補強するということは可能か。
【オブザーバB】技術的には可能である。
【長崎県】護岸自体はかなりしっかりしていると考えている。ただ、吸い出し等があって、結果的に地上構造物に対して影響を及ぼしているので、どういう対策がとれるのかは、今、長崎市等も含めて検討しているところである。
【A委員】コンクリート構造物の内、劣化の進行をそのままの状態で放置するもの、それから今の状態で現状を凍結するものなどに区別するなど、今後の見通しについて意見をお願いしたい。
【オブザーバA】できそうか、できそうでないかという点でコメントすると、例えば30号棟は延命は難しいと思う。日給社宅の16号棟に関しては腐食していない鉄筋がそれなりに残っているということを勘案すると、残せる可能性があるのではないかと思う。問題はその残し方で、見た目はあまり変えずに鉄筋の腐食がこれ以上進行しないように押えるというやり方が1つ考えられる。具体的には、表面に撥水剤のようなものを塗るという方法がある。
【オブザーバC】世界遺産の保全の観点から、構成資産をどういう状態にするのかを早急に決める必要がある。それをどう保全していくのかという方法論は、ある程度説明できるようにならないといけない。護岸はどこまでにどういう状態にするのかということを決めておかないといけないわけで、建物よりは護岸をまず何とかするということを決める必要がある。
【B委員】軍艦島の場合は、見守り型の保存というか文化財あるいは文化遺産について全く新しい概念をつくらないといけない。今日伺った中で非常に興味深かったのは建築ホスピス論という考え方で、新たな文化財保護の概念というものをここでつくり上げていく必要がある。
【C委員】活用の方向性として必ず言うのが学習資源、研究資源だが、研究資源という意味で、端島の構造物は非常に大きな価値を持っていることがあらためて確認された。

4 端島、北渓井坑跡のゾーニングについて
【鹿児島県】平成23、24年度、端島炭坑等調査検討委員会で価値付けや構造物の状況把握等を実施した資料を一部英訳して海外委員に提供し、その資料をもとにドラフト案を作成した。
まず端島だが、島全体をプロパティとし周りのマリーナや客船の埠頭、関連するインフラ等周辺の開発の脅威から適切に守るため、島の周辺にバッファゾーンを設けるべきという案が示されている。高島は日本最初の洋式炭坑として遺構が残る北渓井坑跡のみを産業のモニュメントとして選び、坑口周辺をプロパティとし、坑口から海への運搬、積み出し港及びグラバー別邸との関係を考慮して、セッティングとしてバッファゾーンを設けるという案になっている。
【E委員】端島のコアの中で炭坑施設部分と住居部分でかなり状況が違う。生産施設部分は、物はあまりないので様々な保護法をかけることは可能な気もするが、住居部分に基本的にあまり何も手を加えないということになると、文化財保護法で守るという形にならないのではないか。これで文化財と言えるのであれば、問題は解消するが。
【オブザーバE】戦前期までにこの島の形として造成されてできているというのが基本的な遺跡としての端島の成り立ちである。居住区域のコンクリート建物等については、どういう形の保存を将来していくべきなのか考える必要がある。従来の文化財保護法の観点から行う保存主義の考え方もあるし、一方ではそのままにするという部分もある。とりわけ戦後の建物について、史跡の要素としてどこまでの位置づけをするのかという点にもかかわってくるかと思うので、エリアとして保存管理の考え方の中で整理をして対応していくというやり方があるのではないか。
【C委員】文化財保護法で全体をとらえたうえで、これまでの文化財保護法による保存の考え方というのを、近代の資産であるという観点からもう一度考えていくのがいいと思う。全体を守るという意味では、文化財保護法が一番適切な気がする。
【オブザーバE】戦前、戦時中ずっと日本の有数の炭坑資産であるという歴史の中で形成されてきたこの土地の形、大きさというものが文化財としてはとらえることができるのではないか。文化財保護法で広く網かけをして、その中で検討していくという考えである。
【事務局】グラバー別邸跡は、昨年度、一部発掘調査を実施した。結果的に付属屋と母屋の2棟が建物として建っていて、トイレがその外側につくという構成であり、付属屋については建物の範囲等が基礎遺構等で確認され、おおよその配置はわかるようになってきた。但し、特に海側に向いた方の基礎遺構についてはもう完全に取り払われている状態ではないかと思われ、正確な規模というものがわからないという事情がある。
【E委員】バッファが港まで入っているが、この石炭を運んだ経路と積み出した港とグラバー別邸も入るような設定の仕方と理解した。
【C委員】高島の北渓井坑跡だが、遺構の残りが十分でないあるいは形状が変更されたという事情はあるだろうが、炭坑としての本質的な価値を持つ場所なので、例えば県の史跡指定とか市の史跡指定とか、そういう方向で歴史的な意義を評価するという考えもあり得るのではないか。
【オブザーバE】端島のバッファゾーンを島から約200メートルとしているがその設定の考え方と、北渓井坑跡のバッファゾーンが非常に薄いと思うのでその考え方を教えてもらいたい。
【鹿児島県】端島のドラフト案として海外専門家から示されたのは、島の周辺部の係留施設などの開発を抑制するためにバッファを周辺に設けた方がいいという提案である。北渓井坑跡は、もう少しバッファを広げた方がいいとのアドバイス等があったら広くするなどの修正が可能である。
【オブザーバD】保全に関して、鉄筋コンクリートの建物の1つの劣化の実験台という意味ではそれなりの価値がある気もするので、その上で建物をどう保全なり管理していくのかという方向性をある程度決めておいた方がいい。劣化している建物すべて永久に保つようにするというのも非現実的な気もする。
【A委員】研究あるいは学習資源としての価値を、現在残っている建物のどれに求めるかまだ調査が必要だろうと思われるが、そこまでの結論を今回の報告に求めるのは難しいのではないか。この委員会の結論としては、そういう計画を早急に立てる必要があると提言し、それ以後の調査、あるいは具体的な対策をどういう組織あるいは機関で立てるかということは、今まで調査していただいている先生方を交えて具体的な案を立てていかないといけないだろうと思う。市及び県の方でタイムテーブルを作成してもらいたい。
【D委員】北渓井坑跡の位置づけをどうするのかを考えるときに、高島全体の炭坑史の中でどういう位置にあるのかが非常に重要なところである。その場合に、高島全体をどう考えるのかという視点を持って検討してもらいたい。
【A委員】今日は話題にはならなかったが中ノ島の話もある。全体を見通した今後の方向性を出さないといけない。

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電話番号:095-829-1124

ファックス番号:095-829-1410

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