ここから本文です。

平成24年度第1回端島炭坑等調査検討委員会

更新日:2013年3月1日 ページID:006768

長崎市の附属機関等について(会議録のページ)

担当所属名

総務局企画財政部世界遺産推進室

会議名

平成24年度第1回端島炭坑等調査検討委員会

日時

平成24年5月28日(月曜日)1時30分~

場所

セントヒル長崎 出島の間(長崎市筑後町4番10号)

議題

  1. 中ノ島炭鉱について
  2. 端島炭鉱等の歴史的価値を構成する要素と史実
  3. 北渓井坑跡の想定図について
  4. 軍艦島構造物の劣化調査について
  5. その他

審議結果

1 中ノ島炭坑について

A委員
中ノ島は、九州・山口の世界遺産の候補の中で、構成遺産になり得るかもしれないという意見があり、今日午前中、事務局にご案内いただいた。

B委員
端島と違い炭坑の施設としてはかなり早い時期に廃絶しているため、炭坑として機能した時点の施設の遺構を解明するということはかなり重要という気がしました。保存管理は、通常の遺跡管理という観点でやっていける部分がかなり多い気がしました。端島の方で、居住部分を一定評価していくということであるとすれば、中ノ島における公園の評価というのも、それにあわせてやっていく必要があるという印象を受けました。

C委員
中ノ島の情報が、詳しくは我々に伝わっていなかったが、一連のものとして見ると非常に重要だというのがよくわかりました。ただ、坑口も特定できないので、例えば史跡として議論をしようとすると、長期的な課題になると思います。全貌としては大事なので、例えば推薦書の中にきちんと書かれて、価値付けすることはできると思います。

オブザーバー
護岸がないという状況下で、現行の状態で保存するのは多分難しいと思います。

事務局
昔の国立公文書博物館が所蔵していました炭坑をつくったときのプランの図というのが唯一、中ノ島炭坑の配置図としてありました。また、昭和37年に中ノ島公園が整備をされており、展望台などが設置されております。古写真上は、島の上の方にも建物が見えるので、そこに住居があったであろうと推測はできますが、昭和37年に公園を整備したときの設計図や図面がなく、現地確認をしましたがわからない状態です。

事務局
古写真は軍艦島の小学校のあたりから中ノ島を撮影したもので、中ノ島の中間あたりに櫓が見えます。櫓の真下に坑口があるはずですが、現場で見てみても、櫓の下というのが現地に今も存在する大きな穴と重ならないと思われます。まだ確証はとれませんが、少し、旧坑口の位置について今までの通説と違っている可能性が出てきたと思います。

C委員
今回こういう形でみんなが中ノ島の情報を共有できるようになったということは、一歩前進したということですね。

A委員
廃坑は明治26年ですから、採炭されていた当時の情報を探すのは困難と思われますが、今後とも情報収集に努力していただきたいと思います。

2 端島炭坑等の歴史的価値を構成する要素と史実

事務局
生産施設について端島会の方に現地を案内していただき確認しました
メインの第二竪坑は竪坑跡の周りのコンクリートの擁壁が残っているので、位置は推測できます。旧第二竪坑から、更に深く掘り新しい第二竪坑に変えています。新しい、昭和9年の第二竪坑は636メートルとなります。
また、今回、新たに第三竪坑じゃないかというところが見つかりました。第三竪坑の捲座の煉瓦積み建物の壁の一部が今でも残っています。また、基礎の部分も残っています。第三竪坑の捲座跡が、非常に古い歴史的な価値があるということが言えると思います。
第四竪坑は大正時期のもので、櫓そのものは撤去されていますが、中に一部痕跡がはっきりと残っています。それから、捲座機械室も、先ほどの第三竪坑と同じように、煉瓦積みのシンボリックな部分が一部残っています。
第一竪坑は位置関係からすると、今の65号棟の下の部分になって、この痕跡は今も調査中です。
前回の平成24年3月29日の委員会の中で、端島炭坑等の歴史的価値のとらえ方について、クロノロジーという観点で押さえるべきだという視点で幾つかの切り口を考えています。
(1)1910年という九州・山口の近代化遺産、世界遺産に絡んだ注目すべき年で、そのほか、端島炭坑の生産システムに関しては、いわゆる技術史的な側面
(2)生産、居住すべて、閉山から風化の残状から、閉山、風化の過程がすべて読み取れるというような観点
(3)居住と生産の一体的な人口の島ということで、その一体性ということで着目した切り口
(4)劣化状況を歴史的ないわゆる供試体という、建築、コンクリート構造の歴史的な供試体というようなところの価値観
ということで整理したものです。明治期だけをとって見ても、非常に先進的な技術、あるいは海外、アメリカ、イギリスからの機械を導入し、非常に近代化に貢献していたという技術過程が、大正、戦前、戦後と、一貫して続けられ、通気、あるいは捲上とか採炭、運搬、排水、選炭あるいは積込、保安、いろいろな観点での技術の集積が、この中で見てとれます。
居住と生産の一体性の中で、端島ならではの固有性について、明治時期からの納屋制度の廃止の中で広範囲に坑夫あるいは職工を募集しているという状況があります。そういう中で、給料・賞与の規定、坑夫心得、給与支払方法、相談する場合のサポート体制、いかに労働環境のレベルをわかりやすく明確にしていったということも一つ端島ならではの一体性につながるのではないか。生活環境としてのレベルというのは非常に高いものが担保されていたのと同時に、基本的には、土地を所有せず、いろんな中での制約と、いわゆる私権をなくして、家族的な関係というのが築かれたということもあります。
今、残っている建物、施設に関して、風化の過程を見守るという前提の中で、どういうふうにメリハリをつけながら、残していくのか、記録を更に集めながら、端島ならではの価値をいかに上げていくかというのが、今後の検討すべき課題と思います。

C委員
閉山までの全体が一体だというような印象を受けてしまうんですけど、例えばこれは幾つかのステージに分けることは可能でしょうか。

事務局
居住区については、かなりの住居が次々と建設されていたというところ、埋立の変遷過程の中で、また、護岸がこれ自体今でも残っているところ、あと、高島、中ノ島の横のつながりという観点で少し整理すべきかと思います。

B委員
生産施設で言えば、明治時代の前半ぐらいは外国の技術、後半からは国内の技術になっていく。明治時代とか大正時代とか昭和の戦前までとか、そういう分け方ではなくて、端島炭坑の観点で、幾つか、年代の分け方ができるんじゃないかと思います。もちろん、生産施設の場合と居住施設の場合、必ずしも合致するわけではありませんが、幾つかのステージに分けることができると思います。

A委員
昭和の途中の戦前、戦後の境目になるわけですが、もう少し歴史的な事象に沿って割拠を設ける必要があると思います。

C委員
例えば、採炭技術のある変化だとか、何か具体的な生産施設の内容みたいなところからステージが分けられるとか、そういうことはないですか。生産技術の変化が画期になって、それがいろんなものを変化させていますという中にストーリーができ上がれば一番きれいだと思います。

オブザーバー
賃金体系とか、それから、石炭の価格とか、そういうのはどうなっているのだとか、それから、端島の人口が戦後2倍ぐらいに急増しているというのは、これは、家族が増えたということでしょうか。

C委員
1910年というのが、近代的な大量採炭システムみたいなものが、こういうことが仕組みとして成立しているということを見ることで、ある種の到達点が見えるというような分け方もあるかと思います。

A委員
端島の画期というのをいろんな観点から更に見ていくのをこれからの課題にしたいと思いますが、よろしいですか。

事務局
炭坑技術の面からは、小風先生、鈴木先生がご専門でございますので、この委員会の後にご確認をして、また書面等でご報告をさせていただきたいと思います。

3 北渓井坑跡の想定図について

事務局
北渓井坑跡につきましては、平成21年度、22年度で発掘調査を一部実施し、その後遺構が幾らか確認されていますけれども、敷地内のほぼ一部に過ぎないような調査内容でした。現在、この北渓井坑につきましては、資料として日本大学芸術学部が所蔵しております写真が1枚残っているだけです。これをもとに想定されるような平面図を作成しました。
この想定図に平成22年度まで発掘調査を実施した発掘成果と重ね合わせてみますと、汽罐場の建物のところの一番端、東側の端が、おおむね煙突の基礎のあたりだろうと考えられているところにそのまま重なりました。煙突の跡はここで間違いないのではないかと考えています。ただ、想定図上、現地は崖状に岩盤が張り出してきている部分と重なりかねないような位置にきている建物がありますので今後調査が必要になると考えております。
その他、これまで物理的な事情によって調査ができなかった場所が、現在建物等がなくなることによって調査ができることになりましたので、こういったところも含めて、今後、確認するための調査を実施していく上でご指導、ご意見等をいただければと考えております。

C委員
今後の発掘、それから、その後の整備に関してお聞かせください。

事務局
発掘につきましては、これまで調査していないところも含めて実施していくことになろうかと思っております。整備につきましては、現在、これまで発掘調査を実施した遺構につきまして例えば、見せる形にしようとしても、ある程度の保存処理等を含むような検討が必要ではないかと考えているところです。今後、調査と整備を検討するような場を、例えば委員会的なものになるのかとも思いますが、そういった形で進めていくような必要があると思っております。

C委員
何かものとして立ち上がらなくても、うまくここの場所を説明するような仕掛けというのはあり得ると思います。それと、このトロッコの軌道先は何かあったのですか。

事務局
積み出し側の港の方を撮影した写真が同じように残っておりまして、北渓井坑の方からグラバー別邸棟に向かう道あたりにこのトロッコがつながる線路がそのままあり、ここから積出を行っていたと考えられます。

C委員
積み出しまで、全体としてわかると港との関係だとか、グラバー別邸との関係とかこれから先のイメージが湧くと思います。

A委員
この北渓井坑に限らず、軍艦島も含めて、採炭された石炭が、どういうルートで運搬されて、どういう形で利用の目的地に到達したかというところは、世界遺産になる、ならないにかかわらず、全体の理解のためには必要ではないかなと思います。軍艦島の中でも、貯炭場があって、そこから石炭を積み出した。その積み出した先はどこに行くのか、それがまたどこかの港に運ばれて海外に行くのか、あるいは直接製鉄の工場に行くのかとか、復元的な研究というのをお願いしたい。

鹿児島県
高島、端島というものは、まだプロパティ、バッファゾーンの範囲というものを確定できずにいました。端島については、生産施設についての状況の情報が必要だということでした。今、長崎市がやっているこの端島についての調査は資料を、また改めて岡田先生も含む国内、海外の専門家の先生に見ていただいて、ゾーニングをしていただく必要があります。

4 軍艦島構造物の劣化調査について

オブザーバー
建築学会が受託しました、軍艦島の構造物の調査の中間の結果をご報告いたします。軍艦島の大正時代のコンクリートの構造物が、近代化とともに非常な密度でつくられて、劣化を非常に受けやすい場所に設置してあるということから、現況、どういう形で劣化が進んでいて、世界遺産登録に際しては、今後どのように劣化が進行していくのかということを予想するということも必要となります。今回、重点的に調査を行っていく範囲を
(1)一番古く建てられた30号棟
(2)30号棟に次いで古い16号棟から20号棟、日給社宅と呼ばれている一連の高層アパート群
(3)65号棟、この3棟を中心的に調べました
調査ですが、外観を見て、建築物の全体の状態を調査し、それをもとに、構造物としての耐力的な問題であるとかということも判断しなければいけないものですから、近代の分析機器等を駆使してというわけにはまいりませんで、目視で判断していくということが求められました。
建物の劣化は面によって、それから階によって状態が違います。明らかに海に面していた方の劣化が進行しているという結果が伺えます。それから、柱と梁でその劣化の状態が違っていて、梁の方が劣化の程度が高い結果が見受けられます。これらをもとに、構造耐力がどうかというようなことの評価も行えるかと思います。65号棟も建設されている年代が古いほど、劣化は進行している当然の結果が出ています。
それから、塩分の飛来量を調べていますが、おしなべて、高い位置にある具材の方が劣化は進行していないという状況が言えるかと思います。今、健全な構造物であっても、将来的に何年でどの程度塩分が入ってくるのかが予想できると思われます。
それから、コンクリートの中に塩分がどれぐらい、今、入っているかの調査を行いました。海に面しているところに関しては、水分が多く含まれているということから、二酸化炭素自体入ってきにくい状態なので、中性化はそんなに進行していないようであります。
現在、コンクリートの中に湿度センサー等を埋め込んでおりまして、その含水状態、湿度を測っておりますが、中性化が一番進行しやすい湿度が大体湿度60%、相対湿度9%ぐらいといわれておりまして、それ以上に高い湿度がずっと継続しているのが原因で中性化が進行していないと思われます。
それから、自然劣化した建築物を通常被災の判定区分でどの程度の耐震性があるのかという形で、判断を試みました。30号棟は実際に床が落ちているところもありますが、地震が作用しますと、崩壊をしてしまう可能性が十分にあり得ます。もしかしたら、台風でも横力がかかった状態で危険かもわかりません。実際には、見た目には30号棟がかなり危険ですが、結果としてはまだ耐震性能残存率50%ぐらいのものがあるようです。先々週、大々的に構造的な調査を、日給社宅を中心にやっていただきまして、その結果については、次回、また報告書で報告いたします。
それから、常時微動という振動計を設置して計測しました。70号棟の建物自体は左側の海に近いところは宙ぶらりん状態で振動しているというような状況にあります。横揺れがきたときには、その横揺れで建物が崩壊をしてしまう可能性もあるので、基礎の部分の補強は絶対必要であると思われます。
護岸は島の西、外側の海側の護岸はもう海側の方に傾斜している状態であります。これがいつ壊れるのかというのは、島の中の建築物にとっては生命線ですので、早急にこの護岸の補修が必要な状況にあります。

C委員
こういう研究の機会というのはあまりないのでしょうか、ここでやることはどれぐらい意味があるのでしょうか。

オブザーバー
我々、実際に、自然にこういう状態で劣化してきたものというのは、目のあたりにすることはないんです。我々が研究をしている中で、予測技術を確認するためのその検証材料といいますか、そういう意味では、軍艦島以外に多分なくて、研究素材としては、予測だけではなくて、そういう建築材料の補修材料という観点で見ても、この地、軍艦島の場所というのが稀なものであると言えるかと思います。
鉄筋コンクリートの構造物がこの状態にまで放置されて、これだけの密度で存在するというものは、世界どこを見てもないはずで、是非、世界の研究者の研究素材になってくれるようなことを望みます。

B委員
史跡の活用の方向性の一つに、研究資源としての活用という方向性もあります。軍艦島は非常に重要な研究資源として活用できると改めて感じました。また、護岸の補修の必要性については、端島全体が今後史跡の指定、あるいは世界遺産というものを目指していく中で、その全体が重要な資産です。早急に護岸の補修というのは取り組むべきではないかと、改めて感じました。

A委員
護岸の補修について何か情報はございますか。補修の計画とか予算化はありますか。

長崎県
港湾課に状況を確認し、またご報告いたします。

C委員
ベースになる護岸だとか、研究が進められるような仕組みだとか、ひょっとすると、ある部分に関しては、研究としてテストピースをずっと継続的に抜き続けないといけないかもしれないですよね。そういうことが全体として、ここがいかにそういうフィールドとして世界に成果をフィードバックできるのかというようなことがうまくアピールできると、全然違う意味での価値を持ち得るのではないかと思います。

5 その他

事務局
9月末が調査報告書作成の目安となっておりますので、その間にまた長崎か東京で委員会を開催させていただきたいと思います。

お問い合わせ先

総務部 行政体制整備室 

電話番号:095-829-1124

ファックス番号:095-829-1410

住所:〒850-8685 長崎市魚の町4-1(9階)

アンケート

アンケート

より良いホームページにするために、ご意見をお聞かせください。コメントを書く

観光案内

平和・原爆

国際情報

「行政運営・審議会・指定管理者・監査」の分類