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第1回 長崎市史刊行委員会

更新日:2013年3月1日 ページID:006475

長崎市の附属機関等について(会議録のページ)

担当所属名

市史編さん室

会議名

第1回 長崎市史刊行委員会

  • 日時:平成21年4月20日(月曜日)午後3時~午後4時
  • 場所:第2応接室

議題

新長崎市史(仮称)編さん事業計画について

審議結果

委員長あいさつ
市制65年史以降、市史の編さんがなかった、市制120周年を契機として市史の編さんをする。市民の皆さんに読んでいただけるような市史をつくりたいので皆さんのご意見、ご提案をいただきたい。

事務局
委員紹介、事務局紹介(省略)
(委員長指名)

事務局
長崎市史刊行委員会設置要綱第4条第1項により、委員長は市長をもって充てる説明
(委員長代理指名)

委員長
J委員に代理をお願いしたい。

全委員
異議なし。
(議事運営確認)

事務局
長崎市附属機関等の設置に関する基準により、本委員会は公開とすること、会議録は要点記録で公開することを説明。
(議事)

事務局
長崎市発刊の歴史関係書の概要について、新長崎市史(仮称)編さんに関する報告書について、新長崎市史(仮称)編さん事業計画(案)についての説明(省略)

委員長
新しい長崎市史の編さんについて、皆さんのご意見、ご提案等をお聞かせ願えればと思います。

A委員
今回の市史編さん事業の方向性を見据えるために、平成20年度に設置された「長崎市史編さん検討委員会」に関わった者として、3回開催された同委員会で、どのような意見が取り交わされたかについて述べさせていただくと、市史を作る、ということについてこれまで長崎市の市史というものは全国的にも非常に有名な市史ですので、これは是非一大事業としてやる必要があるということで市の方が決議をなされたので非常に心強く思っております。その中で議論になったのは、市史一般についてみると学者中心に書かれており、市民との関係が希薄になっているケースが全国的にも多く挙げられる。一部の人だけではなく、市民が広く関心を持つようになってほしい。長崎市は「さるく」を行うなど、一般の人でも長崎市の歴史に興味を持つような素地が出来ていますので、一般の人も制作過程に資料収集・情報提供といった面で参画をしてもらって”ムーブメント〟としてやっていく必要があると議論しました。同時に合併町の歴史を入れて、新しい長崎のこれからを考えるという際の基礎になるものにしていったらいいのではないかと。あとはその合併した町の歴史などは今やっておかないとわからなくなる可能性があるので、戦前の部分についてはこれまでの蓄積がありますので、それを検証しながらなるべくコンパクトに作っていく。ただ、現代については基本的な記述がなされていないので、その辺りも考慮しつつ、単なる事実を羅列するだけに終わるとたぶん誰も読まない、体系的・ダイナミックにやっていかなければならない。何故、このように変化していったのか、日本の近代化や高度成長の過程も盛り込んでやっていく必要がある。委員の皆さんにも”現代を見る目〟という観点から是非意見を言っていただきたいと思いますし、マスコミの方々も一部の人間だけでなく、一般市民に啓蒙するような役割を担っていただければ、”ムーブメント〟としての市史づくりができるのではないかと感じている次第であります。

B委員
今、A委員が仰ったような意図で、過去の実績、常に使っている資料をどのような形で現代に生き返らせるか、ということが一つの議題であると思います。

C委員
今まで検討委員会で随分とよく検討されていますし、A委員が言われた通りだと思います。大変に変化の多い社会ですので、その先をどう展望するかというのが非常に難しいが、長崎の未来をどう創造するか、というこの展望が今回の120周年史における大事な視点ではないかと思っています。こういう点も意識されてるかと思いますが、たとえばこの『現代編』辺りのところにその部分が入ってくるという感じがしていますので、その辺はよろしくお願いします。

D委員
一番足りないのは戦後の歴史だと思う。新聞社の方に協力していただいて、やっと手を付けたのが昭和27年で昭和20年から24年までは手が付けられなかった。

委員長
はい、ありがとうございました。他に皆さん、普段思っていらっしゃることでも結構です。

E委員
大正7年の時点で、時の市長が長崎に市史がないことは遺憾であるとして、議会にかけて承認を取られた。大正9年から大正12年にかけて編さんし、一番最後に古賀十二郎氏の『風俗編』が出来た。当初、16巻を予定していたが8巻が出されたに留まった。長崎の特色ともいえる江戸時代の町の行政はどうだったのか、そのあたりの肝心な記述がなされないまま終わってしまったので、今回はこの部分もきっちり書いていく必要があり、大きなポイントであると考えております。

委員長
はい、ありがとうございました。新しい情報と古い情報をどういう風に歴史の中に盛り込んでいくか、これから楽しみが増えてきたように思います。

F委員
D委員の仰ったように消えてしまった戦中戦後、戦前の情報、議会の様子などについても調査ができて編さんすることができたら私共も参考になりますし、それをもとに過去の偉大な長崎の歴史を振り返って方向性が見い出せれば大変ありがたいとこだと思っております。

G委員
先ほどマスコミの話がありましたけれども、原爆ですべての関係資料が消失してしまっているので非常に困っているのが現状です。しかし、色々な方が新聞等の原物を持っていることがわかったので、資料提供を呼び掛けるなど、そういう面で市史の編さんにお役にたてればと思っております。

H委員
商工会議所の歴史も長く、経済活動としての歴史というものが相当あると思います。それらも活用していただいて、全体の流れであったり時代背景を明らかにしていく。また、市民にも資料提供という面などで参加してもらい、市民が参加してみたくなる市史づくりを目指すと。そしてその過程を経ていかに格式高いものを作るか、ということが重要であるように思います。

I委員
県立図書館には歴史関係の資料の一部は歴史文化博物館に移っているのですが、それでも大変な資料がまだあることを実感しています。新聞も全国紙から地方紙、全部取ってありますし、この事業に貢献できるようなものがあれば遠慮なく言っていただいて調査していただければと思っております。

J委員
市民が長崎の歴史に興味を持っているこの時期に、このような事業が始まるということで、色々な方が興味を示してくれるものと思っております。また今まで学術的で手に取ることがなかなか難しかった一般市民にもIT化の発展や色んな仕法を持ってみることが出来るようになるのではないかと、非常に期待しております。長崎の子供たちにも長崎の歴史をわかりやすく紐解く参考資料になればいいと思っております。

委員長
ありがとうございました。皆さんのお話の中でも事実の羅列ではなく、動きのあるものにしていく。これから具体的な編さんは本当に大変な作業だと思いますが、意見を踏まえつつ、進めていきたいと思います。

事務局
新しい市史の名称についての説明(省略)

委員長
どなたかご提案・ご意見はありませんでしょうか。普通に考えると『新長崎市史』か『新修長崎市史』というパターンということですかね。

E委員
すでに今のお話のように『長崎市史』というものが大正12年から昭和13年にかけて出されている。この状況の中で同じものをつけるというのはちょっと具合がよくない。今後何十年か後にも市史を作るとなった場合、『新新長崎市史』になるのか、という話になってくる。先のことはわからないが、とりあえずは『新長崎市史』でもいいという考えである。しかし、フレッシュな感じを与えるには『新修長崎市史』がいいのではないかと漠然と思っております。

委員長
『新修長崎市史』ですね。

A委員
その次が出る場合はどうなりますか。

委員長
『新・新修長崎市史』ですか。

A委員
確かに120周年史は中途半端な感じが。100周年史だったらいいんですけどね。そうするとそれからがこっちの歴史だと。

委員長
そうですね。

E委員
市制施行以前からの歴史を書くというスタンスであれば、市制では具合悪いなという感じです。

A委員
「新」か「新修」、どちらかですね。

委員長
「平成版」とかはどうですか。

D委員
A委員と話した時に、120年という長崎の歴史を書くのか、それ以前からか、結論は出ませんでしたが。

A委員
基本的には前回出た意向を中心としながらも過去に遡って訂正しながら、通史がないということも含めまして、長崎市制がひかれる以前からをターゲットにやったほうがいいのかなというのが大体の意見でした。

委員長
先ほどのお話でも、近代の部分が長崎市史でも十分ではなかったと。必ずしも市制ばかりにこだわらず、前の時代の抜けている部分など記述をきちんとしたほうがいいと、そういう機会と考えると市制ばかりにこだわらないでいいかと思いますね。

E委員
長崎の歴史というのは国内外からも大変注目されている。特に何が注目されているのかといえば江戸時代であります。市制ということになってくると取り扱えないというイメージが出てくるので具合がよくないと思います。

A委員
長崎検定でもかなりの部分で江戸時代にウエイトを置いているので、そこはE委員が言われたように、一部できずに積み残した部分があるのでこの際にやっておくべきかと思います。

D委員
美術工芸の場合ですと、明治30年あたりで消えてしまっている。東京中心になったばかりに。青貝も無くなっている。

委員長
美術工芸そのものがなくなってしまったということですね。そういうものが明治30年頃からなくなってしまったというのも一つの歴史として、意外と知らなかったことかもしれませんね。

E委員
長崎の歴史というものにつきまして、従来では日本史の専門家の間でさえ、その歴史は元亀元年の南蛮貿易協定が出来てから始まったと。それ以前の歴史はわからないと言っていました。こんな話はない、特に平成の時代になると県と市が町の発掘調査を開始し、考古学的な発掘の成果が得られた。その成果を十分取りこんだ形で書いていく。古い時代の歴史がより明確に書けるだろうと考えています。

A委員
タイトルとして「新修」か「新」かになると思いますが、私としましては「新」にしていただきたいと。「新修」ですと新しく改修した、というイメージがあり、周辺の町が合併して新しい市になったんだと市民にアピールするためには「新修」より「新」の方がよいと思うので、そちらを使っていただきたいと思います。

B委員
「新版」となると、また意味は違ってきますか。

A委員
ええ。新しい長崎ができたという意味を込めて「新」を付けた方が市民にはわかりやすいかと思います。

委員長
そういう案で合併の意味も含めて「新長崎市史」という案でよろしいでしょうか。そういう案でいきたいと思います。

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