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越中先生

更新日:2021年11月1日 ページID:037634

ホッとトーク

 越中哲也先生が9月25日、99歳で亡くなられました。
 訃報を聞いて、長崎弁のやわらかな語り口とあの笑顔を思い出し、もう会えない寂しさを感じられたかたが多いと思います。
 越中先生といえば、長崎くんちや精霊流しの解説が大人気でした。登場する人たちの人となりやエピソードを交えながらの温かくユーモアあふれる話しぶりは、私たちを“越中ワールド”に引き込んでくれました。
 古賀十二郎先生の名著「長崎市史・風俗編」に、長崎人は「人間味」に生きがいを見いだした人たち、という表現があります。越中先生はまさに人間味あふれる人となりで私たちを魅了し、そして長崎学の楽しさを教えてくれました。まさに長崎人の先生でした。
 越中先生が長崎にとって大切な人であることを、みんな知っていました。もう一度会いたい、と思わずにはいられません。

 越中先生は1921(大正10)年に「飴屋の幽霊」で知られる光源寺に生まれました。京都にある龍谷大学に進学後、戦地へ赴き、戦後は被爆後の長崎に戻ります。
 その頃、被爆を免れた県立長崎図書館によく集まっていたのが、古賀十二郎、渡辺庫輔、林源吉、片岡弥吉、永島正一といったそうそうたる長崎学の研究家たちでした。それに交じって、若い越中先生は先輩たちの薫陶を受けます。
 この頃の研究家たちが長崎学に注いだ情熱と労力は、並大抵のものではありませんでした。中でも古賀先生は、裕福な商家に生まれましたが、その財産を商売にではなく長崎学に注ぎ込みました。というより、人生そのものを長崎学に投じました。
 数年前のことですが、越中先生に「当時のようなタイプの研究家がこれからも出てくるでしょうか」と言うと、先生は即座に「それは無理です。時代が違います」と笑いながら言われました。その言葉の奥に、長崎学を発展させてきた先達たちの、人生を賭けた物語や数々の破天荒なエピソードがあります。越中先生はその世代の最後の一人なのだと感じました。
 越中先生がいなくなった今、改めて「一つの時代が終わった」と感じます。

 平成28年に「長崎市長崎学研究所」を開設した時、とても喜んでいただいたことをよく覚えています。長崎学が未来につながることを強く願っておられたからだと思います。
 先生が歩いてきた時代と、これからの時代はたしかに大きく違います。でも、長崎学の大切さはこれからも変わりません。新しい時代の、新しいタイプの後継者たちを中心に、これからの長崎学を受け継ぎ、育て、広めていくこと。それこそが、越中先生をはじめとする先達たちへの一番のご恩返しになると思います。
 越中先生、長い間、本当にありがとうございました。合掌。

sennsei
長崎学の研究と普及に
まい進された越中先生

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