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ポルトガル

更新日:2021年8月1日 ページID:037180

ホッとトーク

 今年は開港450周年。450年を数え始める起点は、ご存じのとおり「ポルトガル船の初入港」です。つまり長崎の華やかな歴史は、ポルトガルによって開かれたことになります。
 それだけではありません。出島はオランダのイメージが強いのですが、もともとポルトガル人を隔離するために築造された島。それは、出島ができるまでは、ポルトガル人と長崎人がまちの中で一緒に暮らしていたことを示しています。
 当然、長崎人は多くの影響をポルトガルから受けました。その代表が長崎名産のカステラやビードロということになります。長崎だけでなく日本全体も影響を受けました。ポルトガル語由来の外来語を挙げると、パン、ボタン、カルタ、シャボン、タバコ、金平糖とおなじみの言葉が並びます。今も普通に使っている言葉ばかりで、ポルトガルが日本に与えた影響の大きさを感じます。

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©Filipa_Brito_Rabelo Boat(ラベロボート)


 今、出島では開港450周年を記念して「ポルトガル展」が開催されています(広報ながさき8月号11ページ参照)。南蛮屏びょうぶ風 のレプリカを見るだけでも、当時の長崎の活気に想像が膨らみます。学芸員による解説付きの日もあります。
 ポルトガル第二の都市、古都ポルトは長崎市の姉妹都市ですが、世界遺産にもなっている美しい街並みの写真展も同時開催中です。この機会に長崎の歴史を切り開いてくれたポルトガルとの深い縁に思いを馳はせてみてはいかがでしょうか。

 ポルトガルは大航海時代に世界に飛び出し、スペインと共にさまざまな航路を開拓しました。長崎にやって来たのもその頃。船が結んでくれた奇跡の出会いは、言うまでもなく、長崎が“天然の良港”だったからです。
 当時、船は、最も遠くに、最も早く、効率的に人や物を運べる手段でした。以前、越中哲也先生に「長崎だけでなく、高知や鹿児島など端っこにあるまちにユニークな文化が育ったのはなぜですか?」と聞いたことがあります。越中先生の答えは「それは港町だから」というものでした。特に航路の要衝の地にある港には、多くの船が立ち寄り、交流が生まれ、それが豊かで個性的な文化を生んだのです、と教えていただきました。長崎の歴史を振り返ると、まさにそのとおりだと腑ふに落ちたのを覚えています。

 ヨーロッパの西の端にあるポルトガル。日本の西の端にある長崎。世界地図を見ると、改めてポルトガルとの間に不思議な縁を感じます。丘に立って西を眺めた時に、目の前の海が世界につながっていることを感じた人たちがどちらにもいたのでしょう。
 風頭公園の竜馬像は海の向こうに世界を見ています。いいえ、昔話ではありません。今も、長崎の港は世界につながり多くの人を迎える港であり続けているのです。
 開港450周年は、遠い場所やはるかな昔に思いを馳せる機会であると同時に、海から広がる長崎の未来を思う一年でもあります。

 
 

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