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サーローさんの言葉

更新日:2020年12月1日 ページID:035690

ホッとトーク

 3年前、核兵器禁止条約成立への貢献によって、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞しました。その授賞式がノルウェーの首都オスロで開かれ、私は被爆地の市長として松井広島市長とともに招かれました。
 その授賞式で、カナダ在住の被爆者サーロー節子さんがおこなったスピーチは、今も心に深く残っています。
 彼女は原爆に遭い、倒壊した建物の中で身動きできなくなりました。その時、誰かの手が左肩に触れるのを感じたそうです。「諦めるな。頑張れ。助けてやる。あの隙間から光が差すのが見えるか。あそこまでできるだけ早く這っていくんだ」。
 その声に従い這い出ると、建物には既に火がついていて、建物の中にいた級友たちはほとんど生きたまま焼かれてしまったそうです。
 そんなつらい体験を話した後、彼女はスピーチの最後にこう話しました。
 「私は13歳の時、くすぶるがれきの中に閉じ込められても、頑張り続けました。光に向かって進み続けました。そして生き残りました。今、私たちにとって、核兵器禁止条約が光です。この会場にいる皆さんに、世界中で聴いている皆さんに、広島の倒壊した建物の中で耳にした呼びかけの言葉を繰り返します。『諦めるな。頑張れ。光が見えるか。それに向かって這っていくんだ』」
 このスピーチは、核兵器のない世界を目指す多くの人たちに勇気を与えてくれました。

 核兵器禁止条約が、来年1月22日に発効することが決まりました。

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発効が決まった翌々日令和2年10 月26 日に

市役所前で発効までのカウントダウン点灯式を開催。

 この条約のことが初めて長崎平和宣言に登場したのは1994(平成6)年。本島市長が「核兵器全面禁止条約の締結こそ被爆都市ナガサキの願い」と訴えたのが最初です。その前にも核兵器禁止のための協定を結ぼうと提唱したことも何度かあります。この条約は、長崎にとって、長年の願いだったのです。
 近年、多くの小さな国々は、核不拡散条約(NPT)で約束された核軍縮を核保有国が進めない中で、核兵器が使われるリスクが高まっていることに危機感を持っていました。そういう国々が集まって、核兵器の非人道性について何度も議論をしていく中で、核兵器禁止条約への流れが生まれてきました。
 でも、大国のリードで動いてきた国連の中で、小さな国々がこの条約を生み出すのは至難の業です。多くのハードルを乗り越えて、3年前に、国連加盟国の約3分の2に当たる122カ国の賛成で、核兵器禁止条約は採択されました。そしてその中から50カ国が署名・批准という手続きを終えたことで、条約の発効が決まったのです。まさにサーロー節子さんの言葉どおり、諦めなかった人たちが成し遂げた快挙です。彼女の言葉は、きっとこれからも、平和を望む多くの人たちを導いてくれるはずです。
 もちろん条約が発効しても、核兵器のない世界というゴールまでは、まだまだ遠い道のりです。これからも一里塚をつくりながら、ゴールを目指して一歩一歩前進していきましょう。

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